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第4話 急に大人になることだってある

怪我って案外治らないよね

 右腕の固定が外れたのは、それから四日後だった。


「まだ治ったわけではないからな」


 医務室の先生にそう言われながら、俺はゆっくり右腕を下ろした。


 久しぶりに自分の腕が身体の横にある。


 それだけなのに妙な感じがする。


 肘を少し曲げる。


 痛い。


 でも、前みたいな強い痛みではなかった。


「どこまで動かしていいですか?」


「日常生活程度なら問題ない。ただし、痛みが出る動きはやめろ。重い物も持つな」


「魔術は?」


「あと三日禁止」


「まだですか」


「むしろ一週間で済んでいると思え」


「右腕の強化は?」


「言っただろう。一か月」


「そこは変わらないんですね」


「変わらない」


 少しくらい短くなっているかもしれないと思った。


 駄目だった。


「エルド」


「はい」


「今、少しなら使ってもいいんじゃないかと思ったな?」


「思ってないです」


「顔に出ている」


 最近よく言われる。


 俺はそんなに分かりやすいのだろうか。


「魔力を流すこと自体は禁止していない。ただし、強化するな」


「流すだけなら?」


「感覚を確かめる程度なら構わない。出力を上げるなよ」


「分かりました」


「本当にな?」


「最近みんな疑うんですよね」


「理由を考えろ」


 何も言い返せなかった。


     ◇


「固定外れたんだ」


 教室へ入った瞬間、ミラに言われた。


「ああ」


「動く?」


「普通には」


「痛い?」


「少し」


「じゃあ動かさないで」


「普通に使えって言われた」


「じゃあ普通に使って」


「何なんだよ」


 自分の席に座る。


 右手で鞄を開けてみた。


 問題ない。


 教科書を出す。


 これも大丈夫。


 久しぶりに右手で文字を書いてみる。


「……下手になってる」


「四日で?」


「何か違和感ある」


 線が少しだけ震える。


 筋力というより、動かし方がまだ戻っていない感じだった。


「左手よりは上手いよ」


「比較対象が酷い」


「前の課題、先生しばらく名前見てたもんね」


「見てた?」


「うん」


「何で言わなかったんだよ」


「面白かったから」


「性格悪いな」


 ミラが笑う。


 こういう時だけ妙に楽しそうだ。


 少しして、前の席からカイルが振り返った。


「腕治ったのか?」


「まだ途中」


「じゃあ五号は?」


「何で五号知ってるんだ」


「グレイスから」


 ミラを見る。


「言ったっけ?」


「昨日」


「何で?」


「聞かれたから」


「秘密にするほどのものじゃないけどさ」


 五号といっても、まだ紙に書いただけだ。


 しかも正式に五号にするかすら決めていない。


「切替式なんだろ?」


「今のところは」


「自動で?」


「そこまでは無理」


「何だ」


「何だって何だよ」


「期待したのに」


「そんな簡単にできたら苦労しない」


 動きに合わせて自動で魔力の流れを切り替える。


 考え方は悪くないと思う。


 ただ、どうやって動作を検知するかが問題だった。


 電気で魔力を誘導することはできる。


 魔力の流れを測ることもできる。


 でも、測定結果をそのまま別の回路へ返して、自動で切り替えるとなると一気に難しくなる。


 学院の工房にある部品だけでも作れるとは思う。


 俺に作れるかは別だ。


「それより、今日の放課後」


 ミラが言う。


「先生のところ行くんでしょ?」


「ああ」


「何やるの?」


「事故の時の魔力操作を確認するらしい」


「もう?」


「強化はしない。魔力だけ少し流すって」


 今日の朝、オルフェン先生から連絡が来ていた。


 右腕の固定が外れ、医師から最低限の魔力操作を許可されたら研究棟へ来い、と。


 俺としても断る理由はない。


 むしろ早く確認したかった。


「私も行く」


「授業あるだろ」


「放課後でしょ?」


「部活は?」


「今日は休み」


「じゃあ来れば」


「軽いね」


「止めても来るだろ」


「うん」


「なら聞く意味ないじゃん」


 少し前までなら、一人でやった方が楽だと思っていたかもしれない。


 今は誰かがいる方がいい。


 少なくとも、また腕が変なことになった時に測定器を取ってもらえる。


 あの時は本当に助かった。


 そこを認めるのは少し悔しいけれど。


     ◇


 午前の授業は魔獣学だった。


 今日扱うのは小型魔獣の魔力器官について。


 机の上には拳ほどの大きさの透明な容器が置かれていた。


 中に入っているのは、小型魔獣から取り出された魔力器官の標本だ。


 見た目は少し大きな内臓にしか見えない。


「魔獣と普通の動物の一番分かりやすい違いは、体内に高密度の魔力器官を持っていることだ」


 教師が標本を持ち上げる。


「ただし、魔力器官があるから魔獣なのか、魔獣だから魔力器官が発達したのかについては、現在も完全には結論が出ていない」


 こういう話は好きだ。


 分かっていない部分がある。


 それだけで少し興味が出る。


「多くの魔獣は、この器官へ魔力を蓄積し、それを使って身体強化や固有の現象を起こす」


 黒板に簡単な図が描かれる。


 魔力器官から、身体の各部へ伸びる線。


「人間とは魔力の流れ方がかなり違う。人間は全身へ比較的均等に魔力を持っているが、魔獣は特定の器官へ集中している場合が多い」


 俺はノートを取りながら標本を見る。


 集中。


 そこから必要な場所へ流す。


 補助環に少し似ている。


「先生」


「何だ、エルド」


「魔獣の魔力って、器官から複数方向に同時に流れるんですか?」


「当然流れる。何を聞きたい?」


「同じ経路を逆方向にも流れたりします?」


 教師が少し考える。


「通常はしない」


「絶対に?」


「絶対とは言わない。ただ、生物の魔力経路には基本的に流れやすい方向がある。血管ほど明確ではないが、完全に自由というわけでもない」


「人間も同じですか?」


「基本的にはな」


 そこまで聞いて、昨日読んだ本を思い出した。


 魔力経路には個人差がある。


 流れやすい方向。


 溜まりやすい場所。


 魔術師はそれを理解した上で操作する。


「逆方向へ流したら?」


「負荷が増える」


「どれくらい?」


「場所による。無理に大量の魔力を流せば、経路そのものを傷つける可能性もある」


「なるほど」


「何かやるつもりか?」


「やりません」


「本当か?」


「先生まで?」


 教室から少し笑い声が出る。


 俺の扱いが変わってきている気がする。


「右腕を吊って登校してきた生徒から、逆方向へ魔力を流す質問をされたら確認くらいする」


「それはまあ」


「試すなら研究員の監督下でやれ」


「今日やります」


「もう予定があるのか」


「はい」


 教師が少し呆れた。


「ならオルフェンに任せる」


 そのまま授業へ戻る。


 俺はノートの端に小さく書いた。


 魔力経路には流れやすい方向がある。逆流は負荷が高い。


 事故の時。


 俺の右腕では、それが何本も同時に起きていた。


 今さらだけど、かなり危なかったのではないだろうか。


 考えない方がいいかもしれない。


     ◇


 昼休み。


 食堂で久しぶりにパン以外のものを頼んだ。


 右手がある程度使えるようになったからだ。


 焼いた肉と野菜、それから米。


 四日ぶりにまともな昼食を食べている気がする。


「そんなに嬉しい?」


 ミラが聞いてくる。


「パン飽きてたからな」


「昨日自分で選んでたでしょ」


「片手で食いやすかったから」


「今日は大丈夫?」


「これくらいなら」


 右手で匙を持つ。


 少し違和感はあるけれど問題ない。


「魔力は?」


「朝、少し流した」


「使ったの?」


「強化してない。感覚確認だけ」


「どうだった?」


「普通」


「本当に?」


「何を期待してるんだよ」


「また変なことにならないかなって」


「怖いこと言うな」


 実際、俺も少し怖かった。


 朝、右腕へ魔力を流した時。


 最初の一瞬だけ、身体が固まった。


 また勝手に動いたらどうしよう。


 そう思ったからだ。


 結果は何も起きなかった。


 普通に流れた。


 それでかなり安心した。


「でも」


 ミラが食事をしながら言う。


「前より慎重になったね」


「そうか?」


「前だったら、固定外れた瞬間に強化してたと思う」


「そこまで馬鹿じゃない」


「一号爆発した次の日に二号作り始めたよね」


「……」


「二号燃えた二日後に三号作り始めたよね」


「若かった」


「数か月前だよ」


「人間は成長するんだ」


「四号で腕壊しかけてから一週間も経ってないけど」


「だから成長した」


「成長早いね」


 反論できないので食べる。


 確かに、少し前なら試していたかもしれない。


 動く。


 なら使える。


 そう考えて。


 今は少し違う。


 使えるのと、安全に使えるのは別だ。


 当たり前のことなのに、実際に痛い目を見るまで分かっていなかった。


 いや、頭では分かっていた。


 でも自分だけは大丈夫だと思っていた。


 たぶん、それが一番駄目だった。


     ◇


 放課後。


 研究棟へ行くと、オルフェン先生は既に準備を終えていた。


 研究室の中央に簡易測定台。


 その周囲に三台の測定器。


 右腕を置くための台まで用意されている。


「ずいぶん本格的ですね」


「前回の記録が妙だったからな」


「やっぱり気になります?」


「かなり」


 先生は正直だ。


「グレイスも来たか」


「はい」


「構わん。ただし手を出すな。何かあれば私が止める」


「分かりました」


 俺は椅子へ座り、右腕を台の上へ置く。


 固定されるのかと思ったけれど、先生はそこまではしなかった。


「痛みは?」


「普通にしていればほとんどないです。曲げると少し」


「魔力操作は?」


「朝、少量だけ流しました。問題なしです」


「強化したか?」


「してません」


「珍しいな」


「先生までそれ言います?」


「信用を積み直せ」


「はい」


 測定端子を肩、上腕、前腕、手首へ取り付けていく。


 全部で八か所。


「今日は身体強化をしない。魔力を流すだけだ」


「分かってます」


「まず通常の流れを測る」


 先生が計器を起動する。


「右肩から右手まで、普段通りに流せ」


「はい」


 息を一度整える。


 肩へ魔力を集める。


 そこから腕へ。


 前腕。


 手首。


 掌。


「停止」


 流れを止める。


 先生が測定器を確認する。


「問題なし」


「ですよね」


「次。上腕で二つに分けろ」


「量は?」


「半分ずつ」


 やる。


 一つを腕の内側。


 もう一つを外側。


 これは簡単だ。


「停止」


 また記録。


「正常」


 次。


 三本。


 四本。


 少しずつ増やしていく。


 六本まで来た。


「問題あります?」


「ない」


「十二までいきます?」


「今日は行かない」


「何で?」


「医師から強化だけではなく、長時間の精密操作も避けろと言われている」


「そこまで聞いてたんですか」


「当然だ」


 少し残念。


 でも仕方ない。


「次に逆方向を試す」


 俺は先生を見る。


「大丈夫なんですか?」


「少量だ。異常が出たらすぐ止める」


「分かりました」


「怖いか?」


 急に聞かれた。


「……少し」


 嘘をつく必要もない。


「なら、それでいい」


「いいんですか?」


「怖くない方が困る」


 先生が普通に言う。


「事故の直後に何も感じず同じことをやろうとするなら、私は今後お前の実験許可をかなり制限する」


「そこまで?」


「自分の身体を使う研究なら当然だ」


 少し考える。


「先生」


「何だ」


「研究者って、自分で試さないんですか?」


「試すこともある」


「危険でも?」


「必要ならな」


「じゃあ」


「必要な危険と、避けられる危険は別だ」


 先生は測定器を操作しながら続ける。


「危険なことをするのが研究ではない。分からないことを減らすために、必要な範囲で試す。それだけだ」


「……なるほど」


 前の俺なら。


 成功するかもしれない。


 面白そう。


 それだけでやっていた。


 先生の言っていることは普通だ。


 普通だけど、俺には少し足りていなかったらしい。


「始めるぞ」


「はい」


「右手から肘方向へ、ごく少量だけ流せ」


 普段とは逆。


 少し緊張する。


 掌へ魔力を集める。


 そこから手首へ。


 逆に上げていく。


「……重い」


「どういう意味だ」


「普通に流す時より、押さないと動かない感じです」


「痛みは?」


「ないです」


「続けろ」


 前腕の途中まで。


 少しずつ進める。


 確かに流れにくい。


 道を逆走しているような感覚に近い。


「そこで止めろ」


 魔力を止める。


「どうでした?」


「測定値は安定している。ただし通常より抵抗が高い」


「授業で聞いた通りですね」


「当然だ」


 先生が記録を残す。


「次。通常方向と逆方向を同時に流す」


 少し手が止まった。


「同じ場所に?」


「ああ。ただし量は今の半分以下」


「分かりました」


 肩側から下へ流す。


 掌側から上へ流す。


 二つを同時に。


 最初は少し難しい。


 片方へ意識を向けると、もう片方が弱くなる。


 でもこれは魔術の範囲だ。


 左右の腕へ別々に流すのと似ている。


 少しずつ合わせる。


「今、両方流れてます」


「維持しろ」


 先生が三台の計器を見る。


 ミラも後ろから見ている。


「どうです?」


「測れている」


「普通に?」


「ああ」


 少し意外だった。


「じゃあ前回と違う」


「そういうことだ」


「何が違ったんでしょう」


「それを調べている」


 そうだった。


 しばらく維持する。


 痛みはない。


 少し疲れるくらい。


「停止」


 やめる。


 先生は記録を確認した。


「もう一度。今度は流量を少し上げる」


「どれくらい?」


「通常の身体強化に使う量の十分の一程度」


「分かりました」


 少しだけ増やす。


 右。


 左。


 正確には上と下。


 同じ場所でぶつける。


 前回と違って、今は自分でやっている。


 制御できている。


 問題ない。


「エルド」


「はい」


「今、同じ量にしているか?」


「大体」


「大体ではなく合わせろ」


「分かりました」


 微調整する。


 肩側が少し多い。


 掌側を増やす。


 同じくらい。


「これで」


 その瞬間。


 三台の測定器のうち一台が短く音を鳴らした。


 俺は反射的に魔力を止めた。


「止めました」


「ああ」


 先生が画面を見る。


 ミラも少し近づく。


「何か出ました?」


 先生はすぐには答えなかった。


「先生?」


「一台だけ、一瞬方向を失った」


「方向不定?」


「記録上はな」


 俺も画面を見る。


 ほんの一瞬。


 事故の時と同じ表示が残っている。


「他の二台は?」


「通常通り測れている」


「じゃあ故障?」


「その可能性もある」


 先生が別の計器へ繋ぎ直す。


「もう一度やる」


「はい」


 少し緊張した。


 でも痛みはない。


 同じように二方向から魔力を流す。


 今度は最初から量を合わせる。


 同じ。


 できるだけ同じ。


 すると。


 また音。


 今度は二台。


「止めろ」


「はい」


 すぐ止める。


 先生が記録を確認する。


「二台とも同じ時間だ」


「方向不定?」


「ああ」


「でも普通に流してただけですよね」


「普通ではない」


「相反する方向に同量だから?」


「可能性はある」


 先生は紙へ何か書き込む。


 俺は右腕を見る。


 痛くない。


 変な感覚もない。


「もう一回できますけど」


「今日は終わりだ」


「まだ大丈夫ですよ」


「だから終わりだ」


「でも」


「エルド」


 先生がこちらを見る。


「今、結果が出たから続けたいだけだろう」


「……まあ」


「そういう時ほど止める」


「何でです?」


「判断が雑になるからだ」


 何も言えない。


 多分その通り。


 もう一回。


 あと少し。


 そこから事故になったことを考えると、強く言えない。


「分かりました」


「珍しく素直だな」


「成長してるんですよ」


「ならいい」


 測定端子を外していく。


 ミラが少し笑っている。


「何?」


「本当に止めたなと思って」


「俺を何だと思ってるんだ」


「一週間前のレン」


「それは否定できない」


     ◇


 実験が終わったあと、先生は記録を机へ並べた。


「今日分かったことは少ない」


「でも、再現はできましたよね」


「一部だけな」


 事故の時は三台すべてが方向不定。


 今日は一回目が一台。


 二回目が二台。


「完全に同じではない」


「流量が違うからですか?」


「可能性はある。ただし、上げればいいという話ではない」


「分かってます」


「先に言っておく」


「信用ないな」


「今はな」


 先生が記録を指す。


「もう一つ。方向不定が出たのは、二方向の流量がほぼ同じになった瞬間だ」


「やっぱり釣り合った時?」


「今のところはそう見える」


「だったら、量が同じだと測れないってことですか?」


「それだけなら普通の測定器でも起こり得る」


「普通?」


「右へ十、左へ十。合計の移動量だけ見ればゼロだ」


「ああ」


 なるほど。


 押し合って動かない。


 それなら方向を決められなくてもおかしくない。


「じゃあ大したことじゃない?」


「まだ分からん」


「またそれですか」


「研究は大体そうだ」


 先生は別の測定記録を出す。


「問題は、事故時には単純に二方向ではなかったことだ」


 複数方向。


 細かく分かれた流れ。


「それに、装置を外した後も魔力が動き続けていた」


「はい」


「そこは今日再現していない」


「したくないですけど」


「私もしたくない」


「ですよね」


「少なくとも今は」


 先生が記録をまとめる。


「次は怪我が完全に治ってからだ」


「一か月後?」


「早くてもな」


「長いな」


「腕を壊したのはお前だ」


「分かってます」


 もう言われ慣れた。


「四号の改修は?」


「設計だけなら構わん。ただし実機へ触る時は私に言え」


「分かりました」


「五号は?」


「何で知ってるんですか」


「グレイスから聞いた」


 ミラを見る。


「また?」


「聞かれたから」


「みんな俺のこと喋りすぎじゃない?」


「お前が分かりやすいだけだ」


 先生まで言う。


「切替式を考えてるだけです。まだ作りません」


「それならいい」


「先生、自動切替ってどう思います?」


「難しいな」


「やっぱり?」


「ただし考え方は悪くない」


 少し嬉しい。


「全部を常時制御するより、必要な経路だけ選択する方が負担は減る」


「ですよね」


「ただ」


「何です?」


「装置側へ判断を任せるなら、誤作動した時の危険は今までより大きい」


 少し考える。


 確かに。


 四号は俺が操作していた。


 異常が起きたのも俺の魔力。


 もし装置が勝手に間違った筋肉を強化したら。


 剣を振ろうとして肘を逆に動かすかもしれない。


「怖いな」


「だから安全装置から考えろ」


「動作より先に?」


「当然だ」


「普通、作りたい機能から考えません?」


「それで一度腕を壊しかけた」


「……安全装置から考えます」


「そうしろ」


     ◇


 研究棟を出ると、もう夕方だった。


 ミラと一緒に階段を下りる。


「どうだった?」


「何が?」


「今日の実験」


「面白かった」


「怖くなかった?」


「最初は少し」


 正直に答える。


「また勝手に動いたら嫌だったし」


「私も」


「お前も?」


「当たり前でしょ」


 そう言われればそうか。


 あの時、俺だけが怖かったわけではない。


 ミラは目の前で見ていた。


「でも何もなくてよかった」


「まあな」


「もうやらない?」


「それは無理」


「知ってた」


「先生いる時だけやるよ」


「ならいい」


 廊下を歩く。


 右腕は普通に下げている。


 痛みもほとんどない。


 少し前まで固定されていたのが嘘みたいだ。


「そういえば」


 ミラが言う。


「来週、学院公開日だよ」


「ああ」


「忘れてた?」


「少し」


「完全に忘れてた顔だよ」


 学院公開日。


 王立中央学院が年に何度か行っている行事だ。


 外部の人間向けに、一部の授業や研究施設を公開する。


 入学希望者。


 商人。


 研究者。


 軍関係者。


 色々な人が来る。


「今年、うちの学年も何かやるんだっけ」


「魔法と魔術の合同実演」


「俺、出る?」


「名簿には入ってたよ」


「この腕で?」


「先生に聞けば」


「出なくていいなら休みたいな」


「レン、公開日好きじゃなかった?」


「人多いから」


「工房も公開されるよ」


「……」


「行く?」


「少しだけ」


「分かりやすい」


 工房が公開されるなら、外部の研究者も来る。


 普段見られない装置が持ち込まれることもある。


 去年は軍用の魔力測定器が展示されていた。


 少しだけ見に行くつもりが、気づけば三時間いた。


「今年は何来るんだろうな」


「急に楽しそう」


「普通だろ」


「さっき休みたいって言ってたのに」


「人混みが嫌なだけ」


 公開日か。


 完全に忘れていた。


 右腕のことばかり考えていたからだ。


「ミラは実演出るの?」


「多分」


「上級者魔法?」


「さすがに駄目だよ」


「見せれば客来るのに」


「訓練場壊したら怒られる」


「それもそうか」


 去年、一度だけミラの上級者魔法を見た。


 威力をかなり抑えていたのに、訓練場の壁が一部焦げた。


 近くで見たいとは思う。


 巻き込まれたくはない。


「レンは魔術実演じゃない?」


「強化禁止なんだけど」


「じゃあ説明役とか」


「一番嫌だ」


「何で?」


「知らない人に喋るの苦手」


「私と普通に喋ってるじゃん」


「お前は知ってる人だろ」


「先生とも」


「先生も知ってる人」


「カイル」


「知ってる人」


「じゃあ知らない人と喋ったことないの?」


「あるよ」


「なら大丈夫」


「雑だな」


 階段を下りきる。


 玄関の前でカイルがいた。


 こちらに気づくと手を上げる。


「エルド、腕外れたんだな」


「固定がな」


「五号作った?」


「まだだよ」


「遅いな」


「一週間で新型作ると思うな」


「前は作ってたって聞いたぞ」


「それで腕壊しかけたんだよ」


「なるほど」


 納得するな。


「公開日、実演出るのか?」


 カイルが聞く。


「まだ分からない」


「俺は出るぞ」


「剣術?」


「魔術込み」


「見とく」


「お前も出ろよ」


「強化禁止」


「ああ、そうだった」


 カイルは少し考える。


「じゃあ魔法」


「帰るわ」


「何でだよ」


「公開日に足元撃って笑われたくない」


「それは見たい」


「お前本当に友達か?」


「いつから友達になった?」


「そこ否定する?」


「冗談だ」


 笑っている。


 最近、カイルと話すことが増えた。


 理由は多分補助環だ。


 あいつもああいう道具には興味があるらしい。


「公開日、軍の魔術師も来るらしいぞ」


「本当?」


「先生が言ってた」


「何しに?」


「学生を見るのと、研究棟の視察じゃないか?」


 軍の魔術師。


 少し興味がある。


 実際に戦闘で魔術を使っている人間だ。


 授業で習うものとは違う使い方をしているかもしれない。


「誰来るか分かる?」


「そこまでは知らない」


「聞いてみるか」


「誰に?」


「オルフェン先生」


「今出てきたところじゃない?」


「……明日でいいか」


 戻るのは面倒だ。


 それに先生にも、今日はもう帰れと言われた。


「珍しく我慢した」


 ミラが言う。


「俺だっていつも戻るわけじゃない」


「五分前なら戻ってたと思う」


「否定できない」


     ◇


 家へ帰ってから、机に座る。


 今日は四号の設計図ではなく、先生から写していいと言われた測定記録を出した。


 通常方向。


 逆方向。


 二方向同時。


 同量。


 方向不定。


 並べてみる。


 何か分かるかと思ったけれど、普通に分からない。


「まあ、そうだよな」


 一回で分かったら先生が困らない。


 紙を横へ置く。


 次に五号の仮設計。


 昨日までは、どうやって切り替えるかばかり考えていた。


 今日は先生に言われた通り、安全装置から考える。


 まず。


 異常な電流が出たら停止。


 これは今まで通り。


 次。


 一定以上の魔力流が検出されたら停止。


「これ、自動停止したあとも動いたんだよな」


 四号の事故を思い出す。


 電気を止めても魔力が止まらなかった。


 なら、装置だけ止めても足りない。


 魔力側の異常まで装置で止めるのは難しい。


 どうする?


「……分からない」


 早い。


 安全装置を考え始めて五分くらいで詰まった。


 今までの俺なら、ここで機能側へ逃げていたと思う。


 とりあえず作ってから考える。


 でも今回はそれをやらない。


 紙の上に大きく書く。


 装置停止後の魔力暴走に対する安全策。


 その下。


 空白。


 何も思いつかない。


「先生に聞くか」


 そう呟いて、少し変な感じがした。


 前なら、自分で考えたいと思っていた。


 誰かに聞いたら、自分で作ったことにならない気がしていたからだ。


 今は別にいい。


 分からないものは聞けばいい。


 答えを全部教えてもらうわけじゃない。


 分からない部分を分かる人に聞く。


 そのくらい普通だ。


 事故の前から分かっていたつもりだったけれど、本当に分かったのは最近かもしれない。


 机の端に置いた右腕を見る。


 まだ少し動かしにくい。


 これが治るまでは時間がある。


 急いでも仕方ない。


 とりあえず、明日先生に聞こう。


 それから公開日の予定も確認する。


 軍の魔術師についても。


「……聞くこと多いな」


 忘れそうなので紙へ書いておく。


 一、五号の安全装置。


 二、学院公開日の担当。


 三、軍の魔術師。


 そこまで書いたところで少し考え、四つ目を追加した。


 四、右腕の魔力操作はどこまでやっていいか。


 聞かずに勝手に試したら怒られる。


 多分かなり。


 紙を机の見えるところへ置く。


 これなら忘れない。


 たぶん。


 その日は四号にも五号にも触らず、本を少し読んで寝た。


 自分でも珍しいと思った。

無茶する人間は信用できない。

体が剣でできている人から学んだことです。

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