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第21話 増える異常

のび~るのび~るストップ!

 翌日の放課後、俺は五号試験機の前に座っていた。


 人工魔力材の事前測定は朝からオルフェン先生がやってくれていて、自然放出量も温度変化も問題なし。昨日決めた停止基準も先生の確認を通ったので、ようやく試験を再開できる。


 机の上には白い人工魔力材、その左右に誘導端子。少し離れたところに外部制御部と測定器が並び、警告用の表示灯も付いている。


 相変わらず腕輪と呼ぶには大きすぎる。


「試験機だからな」


「まだ何も言ってない」


 隣にいるミラが呆れた顔をした。


「絶対思っただろ」


「ちょっとだけ」


 反対側にはオルフェン先生。今日はカイルはいない。戦闘魔術の追加訓練があるらしい。


「始めるぞ」


「はい」


 先生の声で姿勢を直す。


 今回の目的は、待機位置の許容範囲を前回より広げた時に、どれくらい操作回数を減らせるか。


 前回はかなり狭い範囲へ魔力を留めようとしたせいで、五分間に十回以上も手動調整が必要だった。


 戦闘中にそんなことをやっていたら、相手より先に自分の装置に殺される。


「魔力五十」


 人工魔力材へ自分の魔力を入れる。


 暗い藍色が白い板の中へ広がっていった。


「初期温度」


「二十一・四」


 ミラが読む。


「自然放出基準?」


「五分で二・八パーセント」


「よし」


 端子を接続。


 主電源。


 魔力を左側へ誘導する。


 前回と同じ位置まで持っていき、そこから少しだけ戻す。


「待機開始」


 先生が時計を見る。


 俺は操作部から手を離さない。


 魔力が少し動く。


 でも、警告は鳴らない。


 許容範囲を広げたからだ。


 そのまま十秒。


 二十秒。


 三十秒。


「……何もしなくていいな」


「喋るな」


「はい」


 一分。


 まだ鳴らない。


 少しだけ魔力が右へ戻っているのは見える。でも、最終的に俺自身がそこから操作するなら、この程度のずれは問題ない。


 二分を過ぎたところで低い警告音が一度鳴った。


 出力を少しだけ上げる。


 止まる。


 それだけ。


「前よりかなり楽」


「まだ二分だ」


「はい」


 三分。


 四分。


 高い音が一度。


 弱める。


 五分。


「停止」


 電源を切る。


 物理遮断は使わない。


 端子を外し、板の中の魔力が自然に広がるのを待つ。


「温度」


「二十二・一。上昇〇・七」


「損失?」


「三・一パーセント」


「警告二回」


 先生が記録する。


「基準内」


「成功?」


「結果を言え」


「五分維持。調整二回。温度上昇〇・七。損失三・一」


「それでいい」


 相変わらず成功とは言わせてくれない。


 でも今日は気にならなかった。


「前回よりかなり少ない」


「狭すぎたんだな」


「はい」


 俺は人工魔力材を見る。


 正確に置く必要がない。


 その発想だけで、装置側がかなり簡単になる。


「次、十分?」


「今日はやらん」


「事前条件では次に十分って」


「人工魔力材を休ませる」


「別の板使えば」


「同一素材で比較する予定だっただろう」


「あ」


 また自分で決めた条件に止められた。


 先生が少し笑う。


「不便だろ」


「かなり」


「それが条件を先に決めるということだ」


「もう少し緩くすればよかった」


「次から都合よく変えるなよ」


「分かってます」


 今日の試験はこれで終了。


 以前なら物足りなかった。


 今も少し物足りない。


 でも、このまま次をやりたい気持ちと、今日の結果を持ち帰って考えたい気持ちが半分くらいになっていた。


 多分、前よりはまともになっている。


     ◇


 片付けを始めたところで、研究室の扉が強く叩かれた。


「入れ」


 先生が答える。


 入ってきたのは、見覚えのない若い研究員だった。


「オルフェン先生、中央研究院から追加通知です」


「またか」


 その言い方だけで、良い知らせではないと分かる。


 研究員が数枚の紙を渡す。


 先生は一枚目を読んだところで、眉を寄せた。


「いつだ」


「今朝です。現地確認は昼前」


「人的被害は」


「今のところなし。ただし周辺街道を封鎖しています」


 気になる。


 かなり。


 でも勝手に覗くわけにもいかない。


 片付けを続けていると、先生がこちらを見た。


「エルド」


「はい」


「気になるなら聞け」


「いいんです?」


「どうせ顔に出ている」


「じゃあ聞きます。何があったんです?」


 先生が一枚だけこちらへ向けた。


 王都から南へかなり離れた山間部。


 古い採石場。


 そこで局所的な魔力濃度上昇が確認された。


「また濃度?」


「ああ」


「魔獣?」


「今回は確認されていない」


 文章を追う。


 採石場内部にあった一本の枯れ木。


 樹齢は推定百年以上。


 何年も前に完全に枯死している。


 その木が。


「……伸びた?」


 読み間違えたかと思った。


「一晩で約十二メートル」


 ミラも横から紙を見る。


「枯れてるのに?」


「現在も生命反応は確認されていない」


 研究員が答える。


「じゃあ生き返ったわけじゃない?」


「少なくとも通常の植物活動はないそうです」


「でも伸びてる」


「そうだ」


 写真代わりの記録板には、崖の間から歪な木が突き出している。


 太い。


 異様に。


 枝はほとんどない。


 普通の木というより、地面から生えた巨大な黒い柱に近い。


「魔力は?」


「高濃度。色は黒と緑が強いが、他色も検出」


「石橋とは違う」


「ああ」


 先生が紙を戻す。


「周辺の岩盤にも変化が出ている。根に触れている部分だけ、通常より脆くなっているらしい」


「根が岩を壊してる?」


「まだ分からん」


「魔獣じゃないのに高濃度魔力でこんなこと起きるんですか」


 先生は即答しなかった。


「高濃度魔力による植物変異そのものはある」


「でも枯れ木ですよね」


「ああ」


「一晩で十二メートルは?」


「私は知らん」


 また一つ。


 知らないものが増えた。


「学院事故と関係は?」


「証拠なし」


「石橋とも?」


「証拠なし」


「でも」


 言いかけて止める。


 分かっている。


 九色。


 魔力濃度。


 異常物質。


 今度は枯れ木。


 並べれば何かがありそうに見える。


 でも、それだけ。


「分かってます。繋げすぎない」


「学んだな」


「最近そればっかりです」


 研究員が少し不思議そうに俺を見る。


「この学生は?」


「事故の測定記録を持っていたやつだ」


「ああ、《方向不定》の」


「その呼ばれ方嫌なんですけど」


 どんどん広がっている気がする。


     ◇


 研究員が出ていったあと、俺は改めて机へ向かった。


「先生」


「何だ」


「今の枯れ木、危険なんですか?」


「分からん」


「触ったら?」


「だから近づけていない」


「切るのは?」


「試していない」


「何で?」


「何が起きるか分からないからだ」


 石橋の石と同じ。


 壊そうとして何か起きる可能性もある。


「こういうの、増えてますよね」


 今度は先生もすぐ否定しなかった。


「報告数は増えている」


 はっきり言った。


「本当に?」


「ああ」


 ミラも先生を見る。


「学院事故の前と比べて?」


「まだ短期間だから統計としては弱い。ただ、平常時より明らかに目立つ異常が続いている」


「どれくらい?」


 俺が聞く。


 先生は少し考えた。


「学院事故を除いて、この五日で要調査指定が七件」


「七?」


 思ったより多い。


「普段は?」


「同程度の異常なら、王国内で月に二、三件あるかないかだ」


 それなら確かに多い。


「全部魔力関係?」


「ああ」


「内容は?」


 先生が指を折る。


「石橋の異常石材。南部森林の魔力濃度上昇。北部湖の青系魔力低下。西部都市の公共魔法陣停止。今日の枯れ木」


「あと二つ」


「一つは東部平原で局所的な風向異常」


「風?」


「半径三十メートルほどの範囲だけ、常に中心へ向かって風が吹いている」


「何で?」


「聞くな」


「分からない?」


「分からん」


「最後は?」


 先生の表情が少しだけ変わった。


「山村近くで大型魔獣一体」


「それだけ?」


「本来その地域では発生しない種類だ」


「色が違う?」


「ああ。周辺は緑系優勢だが、確認された個体は紫系高濃度地域で発生する種に近い」


「学院みたいに?」


「一体だけだ」


 先生はすぐ訂正する。


「しかも周辺魔力濃度は発見時には正常。学院事故と同じ現象だと判断する材料はない」


 それでも気にはなる。


 五日で七件。


 偶然で済ませるには多く感じる。


「学院事故が原因だったら?」


 ミラが聞いた。


 先生は少し黙った。


「それを調べている」


「可能性はある?」


「ある」


「どれくらい?」


「数字にできない」


 オルフェン先生らしい答えだった。


「ただ」


 先生は机に広げた地図を見る。


「事故が原因でなくても、同じ時期に複数の魔力異常が起きている事実は変わらん」


「じゃあ学院だけの問題じゃなくなってる?」


「そうなる可能性は考えている」


 研究室が少し静かになる。


 初めてだった。


 学院の事故だけなら、研究施設の中で起きた事故だった。


 石橋も偶然かもしれない。


 枯れ木も。


 風も。


 魔獣も。


 でも、それが七つ並ぶと見え方が変わる。


「王国は?」


「監視を増やしている。軍も一部動いている」


「一般には?」


「まだ大規模な発表はない」


「何で?」


「原因不明の異常が増えている、だけで国中を混乱させても仕方ないからだ」


 それもそうだ。


 現状、死人が出るような大事件は学院以外では起きていない。


 石は動かない。


 木は伸びた。


 風がおかしい。


 魔獣一体。


 どれも、その場所だけなら対処できる。


「エルド」


「はい」


「お前が今考えていることは多分、研究院でも考えている」


「何を?」


「学院事故を境に何かが変わったのではないか」


 言葉にされると、少し重かった。


「でも証拠はない」


「ああ」


「だからまだ言えない」


「そういうことだ」


 先生はそこで話を切った。


「今日は帰れ」


「五号は?」


「終わった」


「資料」


「家で読め」


「枯れ木の資料は?」


「駄目だ」


「ですよね」


     ◇


 研究室を出ると、ミラがしばらく黙っていた。


「何考えてる?」


 俺が聞く。


「レンと同じだと思う」


「学院の事故?」


「うん」


 廊下を歩く。


 窓の外では学生が普通に訓練している。


 遠くで魔法が光る。


 笑い声も聞こえる。


「でも先生たちが分からないなら、私たちが考えても分からないよね」


「それはそう」


「気になるけど」


「俺も」


 そこで廊下の掲示板が目に入った。


 新しい通知。


 専門学部仮体験期間について。


「あ」


「何?」


「これ」


 仮希望を出した学生向けに、各研究分野の見学・体験日が告知されている。


 事件で延期されていたらしい。


「精密魔術研究、明後日」


 俺が読み上げる。


「行くの?」


「第一希望だからな」


「戦闘魔術は?」


「来週」


「魔法工学連携は?」


「その次」


 全部行ける。


 少し嬉しくなった。


「事件でなくなるかと思ってた」


「学院も全部止めるわけじゃないんだね」


「ああ」


 普通の授業も戻り始めた。


 研究も、一部は再開。


 学部選びも続く。


 世界で何か変なことが起きていても、俺たちの生活全部がそこへ向くわけではない。


「精密魔術、どんな人いるかな」


「レンみたいなのいっぱい?」


「それは嫌だな」


「何で?」


「俺より変なのいたら負けた感じする」


「絶対いるでしょ」


「即答するなよ」


「上級生も研究者もいるんだよ?」


「分かってるけど」


 第一希望。


 自分が得意だと思っている場所。


 だからこそ、少し怖い。


 魔法科の授業で自分より上がいるのは慣れている。


 ミラなんて最初から別世界だ。


 でも魔術。


 精密操作。


 そこは俺が自信を持っていいと思っている部分だった。


「行ってみたい」


 口に出す。


「うん」


「多分、普通に俺より上手い人いる」


「いると思う」


「だから即答するなって」


「でも行くんでしょ?」


「ああ」


 その方がいい。


 どこまでできる人がいるのか見たい。


 俺が得意だと思っているものが、本当にどこまで通用するのかも。


     ◇


 二日後。


 精密魔術研究の仮体験は、学院北中央区の第六魔術研究棟で行われた。


 俺はその建物へ来るのが初めてだった。


 同じ学院内なのに、普段の講義棟から歩くだけでかなり時間がかかる。途中から見覚えのない校舎ばかりになり、案内板がなければ普通に迷っていたと思う。


「広すぎるだろ」


 建物の前で一度立ち止まる。


 三十万人。


 数字では知っている。


 でも、自分が普段使っている場所なんて学院のほんの一部だ。


 受付で名前を伝える。


「二年、レン・エルド。仮希望第一、精密魔術研究」


「確認しました。第三実習室へ」


「ありがとうございます」


 中へ入る。


 廊下には人体図。


 魔力経路図。


 筋肉模型。


 見たことのない測定器。


 壁の一角には、手のひらほどの透明な容器が何十個も並び、それぞれの中で細い魔力が別々の形を保っている。


「何これ」


 近づきたい。


 でも先に第三実習室。


 我慢する。


 扉を開ける。


 すでに二十人ほどいた。


 同学年だけではないらしい。仮体験なので基本は俺たちの学年だけだと思っていたけれど、前には上級生らしい人間も何人か立っている。


「適当に座って」


 声をかけてきたのは、二十歳くらいの女性だった。


 教師ではない。


 制服に研究補助の腕章。


 三年か四年だと思う。


「見学?」


「仮体験です」


「第一?」


「はい」


「じゃあ変な人だ」


「何でです?」


「ここ第一にする人、大体細かいこと好きだから」


 否定できない。


「先輩も?」


「私は四年」


「何やってるんです?」


「呼吸筋の分離制御」


「……」


「今引いた?」


「ちょっと面白いと思いました」


「やっぱり変な人だ」


 先輩が笑う。


「どこまで分けるんです?」


「今は横隔膜を六区画。肋間筋は左右十二」


「何に使うんです?」


 聞いた瞬間、昨日まで散々言われてきたことを思い出す。


 できるだけでは足りない。


 何に使う。


「長時間の水中活動」


「水中?」


「呼吸を完全に止めるんじゃなくて、一部だけ動かして圧力調整する。肺全体への負担を分散する研究」


「そんなことできるんです?」


「まだできてない」


 普通に言われた。


「失敗中?」


「三年目」


「三年?」


「研究ってそういうものだよ」


 少し驚く。


 俺は一号、二号、三号、四号。


 短い期間でどんどん作っていた。


 三年かけて一つ。


 その感覚はなかった。


「君は?」


「俺?」


「何が得意?」


「細かい操作」


「ここ来る人みんな言う」


「じゃあ……十二系統同時制御」


「部位?」


「筋肉単位です」


 先輩の表情が少し変わった。


「十二は多いね」


 嬉しい。


 少し。


「でも何に使うの?」


 すぐ来た。


「魔力消費を減らすのと、必要な筋肉だけ強化するためです」


「実用できてる?」


「試験では」


「戦闘中は?」


「まだ」


「じゃあこれからだね」


 軽い。


 馬鹿にしている感じはない。


 本当にそれだけ。


「あと」


 俺は少し迷う。


「右足の小指だけ強化できます」


 先輩が黙った。


「……何で?」


「昔、できるか気になって」


「使い道は?」


「方向転換の足外側強化には発展しました」


「小指単独は?」


「ないです」


「いいね」


「いいんです?」


「そういう無駄なの好き」


 この研究室、思っていたより危ないかもしれない。


     ◇


 仮体験が始まると、その予感はだいたい当たった。


 最初に説明した研究員は五十代くらいの男性で、精密魔術研究について簡単に話した。


「この分野では、細かさそのものを競うわけではない」


 最初からそこだった。


「指一本だけ強化できる。筋肉一本だけ動かせる。血流を一部だけ変えられる。結構。では何のためにやる」


 隣に座っていた学生が小さく俺を見る。


 俺も同じこと言われたことがある。


「医療。戦闘。作業。研究。用途は何でもいい。精密操作とは、小さい場所を動かす技術ではない。必要な対象を、必要な量だけ、他へ影響させず扱う技術だ」


 教官と同じ。


 オルフェン先生とも同じ。


 でもここでは、それを専門にやる。


「今日は、在学生の研究をいくつか見てもらう。そのあと簡単な実技をする」


 楽しみになってきた。


 一人目。


 指先の感覚だけを一時的に上げる研究。


 細かい加工や医療作業向け。


 二人目。


 片目ずつ焦点距離を変える。


「……」


 オルフェン先生の師匠を思い出す。


 あの人は左右の眼球を別々の距離に最適化していたらしい。


 目の前の上級生はまだそこまでではない。


 それでも片方は近距離。


 もう片方は遠距離。


 同時。


「気持ち悪い」


 思わず言った。


 前の先輩が振り返る。


「褒めてる?」


「かなり」


「ならよかった」


 三人目。


 血流を局所的に絞り、怪我の出血を抑える。


 これは普通に実用的。


 四人目。


 舌だけ身体強化。


「何に使うんです?」


 誰かが聞いた。


「高速詠唱」


 教室が少しざわつく。


「舌と口腔周辺だけ反応速度を上げる。発声速度を上げても発音が崩れないようにする研究」


 俺は少し感動した。


「それいい」


 前の先輩が笑う。


「君、好きそうだね」


「かなり」


 魔術で魔法を強くする。


 こういうのもある。


 自分が考えていたよりずっと広い。


 最後の一人は、特に変だった。


「今から彼には歩いてもらう」


 研究員に言われ、一人の上級生が実習室の端へ立つ。


 普通に歩く。


 一往復。


「何が違うか分かる者」


 分からない。


 見た限り普通。


 何人かも首を傾げている。


「使用魔力量を表示」


 測定器に数字が出る。


 異常に少ない。


「え」


 俺が声を出す。


「身体強化してたんですか?」


「全身」


 上級生が答える。


「今ので?」


「ああ」


「全然分からなかった」


「分からないようにしてるから」


 研究内容は、最低限強化。


 必要以上に筋力を上げない。


 歩行の各瞬間に必要な場所だけ、ごく弱く強化する。


 一歩の中でも魔力を何度も切り替えている。


「何回?」


 俺が聞く。


「一歩で大体四十前後」


「……四十」


 十二で多いと思っていた。


「リアルタイムで?」


「ああ」


「装置なし?」


「なし」


 少し悔しい。


 かなり。


 でも、それ以上に見たい。


「もう一回やってもらえます?」


「いいよ」


 上級生がまた歩く。


 今度は魔力の流れを意識して見る。


 分からない。


 速すぎる。


 太腿。


 ふくらはぎ。


 足裏。


 腰。


 それぞれが強くなる前に消える。


 俺が最近練習していた短時間強化を、もっと細かく、もっと連続してやっている。


「これ、戦闘でも?」


「まだ無理」


「まだ?」


「走るまではできる。戦うと判断が追いつかない」


 それを聞いて少し安心してしまった。


「何年やってるんです?」


「二年半」


 また年単位。


「魔力消費どれくらい減ります?」


「普通に全身強化するのと比べて、歩行なら七割くらい」


「七割?」


 五号四号で十二系統へ分けて四割程度減っただけでも嬉しかった。


 目の前の人は装置なし。


 しかも歩行とはいえ七割。


「凄いな」


 素直に言えた。


「でも使える場面少ないよ」


「それでも」


 自分より上手い。


 明確に。


 精密さ。


 速度。


 効率。


 少なくとも今の俺より上。


 嫌な感じはあった。


 胸の奥が少しだけ重くなる。


 でも魔法の適性結果を見た時とは違った。


 あの時は、どうしても届かない数字を見せられた気がした。


 今は。


「どうやって練習したんです?」


 先にそれが出た。


 上級生が少し笑う。


「そこ聞く?」


「知りたいので」


「最初は一歩四回」


「四?」


「ああ。踵が着く。体重が乗る。前へ抜ける。蹴る。そこから増やした」


「四から四十?」


「二年半で」


 できる。


 時間はかかる。


 でも、できる可能性がある。


 それだけでかなり違った。


     ◇


 最後の実技では、机の上に小さな測定板が置かれた。


「課題は単純だ」


 研究員が言う。


「右手の五本の指へ、それぞれ違う量の魔力を流せ」


 俺は右腕を見た。


 まだ強化禁止。


 手を上げる。


「俺、右腕治療中なんですけど」


「なら左」


「よかった」


 左手を置く。


「親指十、人差し指二十、中指三十、薬指四十、小指五十。単位は測定器基準。強化する必要はない。ただ流せ」


 なるほど。


 細かく分けるだけではない。


 量まで違う。


「制限時間?」


「三分」


 始める。


 左腕へ魔力。


 手首。


 手のひら。


 五本。


 分ける。


 ここまでは簡単。


 問題は量。


 親指を少なく。


 小指を多く。


 同時に。


 測定器を見る。


 親指十二。


 人差し指十九。


 中指二十八。


 薬指四十一。


 小指四十六。


「惜しい」


 調整。


 親指を下げる。


 その瞬間、人差し指も少し落ちる。


「うわ」


 独立させきれていない。


 また調整。


 今度は小指。


 五十。


 薬指が四十三。


 近い。


 でも全部同時に合わせるのが思ったより難しい。


「あと一分」


 焦る。


 それでさらにずれる。


 親指九。


 人差し指二十一。


 中指三十。


 薬指三十九。


 小指五十一。


「……これで」


「十秒」


 少しだけ。


 親指。


 人差し指。


 小指。


「終了」


 手を離す。


 最終値。


 十。


 二十。


 三十。


 四十一。


 四十九。


「二つずれた」


「初回ならかなりいい」


 研究員が言う。


「本当ですか?」


「ああ」


 少し嬉しい。


「最高は?」


「今まで?」


「はい」


「全部一致、十二秒」


「……誰です?」


「さっき歩いてた四年」


 見たくないものを見た。


「十二秒?」


「十二秒」


「俺三分使って合ってないんですけど」


「だから研究するんだろ」


 その通りだった。


 前の先輩が横から俺の結果を見る。


「君、本当に細かいの得意なんだね」


「一応」


「同学年ならかなり上だと思う」


 その言葉は嬉しかった。


 でも、少し前ほどではない。


 十二秒を聞いたあとだから。


「ここ来たい?」


 先輩が聞く。


 俺は研究室を見る。


 変な研究。


 役に立つ研究。


 まだ使えないもの。


 二年。


 三年。


 俺より細かい人。


 俺より速い人。


 自分では考えもしなかった使い方。


「来たいです」


 迷わなかった。


     ◇


 仮体験が終わったあと、俺は一人で研究棟を出た。


 夕方。


 学院の上には薄い雲が広がっている。


 歩きながら、自分の左手を開いた。


 五本。


 十。


 二十。


 三十。


 四十。


 五十。


 もう一度やれば少し早くできると思う。


 でも十二秒は無理。


 今は。


「二年半か」


 口に出す。


 長い。


 でも、不可能ではない。


 学院へ入った頃、魔法適性の数字を見た時とは違う。


 努力すれば全部どうにかなるなんて思っていない。


 魔法では、今もミラとの差は大きい。


 多分どれだけやっても埋まらない部分はある。


 それでも魔術では、上にいる人間を見た時に、前ほど苦しくなかった。


 むしろ何をしているのか知りたかった。


 どうやってそこまで行ったのか。


 何年かかったのか。


 自分にもできるのか。


 それを考えられる。


 少しだけ気分がよかった。


 そのまま中央区へ戻る途中、また掲示板の前に人が集まっていた。


 最近多い。


「今度は何だよ」


 近づく。


 王国魔力監視局。


 新しい速報。


 今度は王都西方。


 小さな湖。


 湖面の一部が、朝から一度も動いていない。


「……動いてない?」


 風は吹いている。


 周囲の水面には波がある。


 でも直径およそ十五メートルの円形部分だけが、完全に静止している。


 物を投げ入れても沈まない。


 上に乗せれば、その位置で止まる。


 魔法による凍結反応なし。


 温度も周囲と同じ。


 高濃度魔力を検出。


 色は青と白が強い。


「またか」


 誰かが呟いた。


 俺ではない。


 周りの学生だった。


 その言葉が少し気になった。


 事件前なら、


「変なのが起きた」


だったと思う。


 今は、


「また」。


 俺も同じことを思っていた。


 石。


 枯れ木。


 風。


 魔獣。


 湖。


 一つ一つは違う。


 どれも原因不明。


 まだ学院事故との関係は分からない。


 それでも、異常は一つずつ来てくれないらしい。


 掲示板を離れる。


 明日は五号の十分試験。


 来週は戦闘魔術の仮体験。


 右腕の再検査もある。


 自分の生活は普通に続いている。


 その外側で、少しずつ見たことのないものが増えていた。

:::

ここに魔力が溜まって来ただろう?

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