第20話 戻って欲しかった
ソースを調べるのは大事
第四工房へ入った時、最初に感じたのは静かさだった。
事件前なら放課後になると、どこかしらで金属を削る音や魔法陣を試す音が聞こえていた。今日は人がいないわけではない。それでも使用できる設備が制限されているせいか、工房全体が少し広く感じる。
俺がいつも使っている作業台はそのままだった。
五号の部品も、途中まで作った警告装置も残っている。
数日前まで毎日のように触っていたものなのに、妙に久しぶりに見えた。
「今日は作らないんだよね?」
隣からミラが確認してくる。
「作るよ」
「え」
「試験条件を」
「ああ、そっち」
「先生に根拠調べろって言われたから」
鞄から資料を出す。
人工魔力材の許容温度。
実習用測定器の誤差。
電気誘導時の標準的な魔力損失。
図書館から借りたものと、工房内に置かれていた仕様書を何冊か集めてきた。
「作業するより面倒そう」
「実際面倒」
「やめる?」
「やめない」
「だと思った」
ミラも俺の向かいに座る。
本当なら今日はミラ用の《圧弾》札を作る予定だった。でも事件後、セレナ先生から携帯魔法陣についても一度使用条件を見直すよう言われたので、そっちも保留になっている。
別に禁止されたわけではない。
ただ、何となく作って、何となく使うのを一度やめろという話だった。
最近は何をするにも条件が増える。
「温度上昇二度って厳しすぎるかな」
「私に聞いて分かると思う?」
「思わない」
「じゃあ何で聞いたの」
「声に出しただけ」
人工魔力材の仕様を見る。
実習材として通常使用する場合、周囲温度から三度以内の上昇なら長時間の保持に問題なし。五度を超える場合は使用停止推奨。八度以上では内部構造変化の可能性あり。
「じゃあ二度で警告、三度で停止」
「五度じゃなくて?」
「安全側」
「珍しい」
「最近それ言われすぎて、そろそろ珍しくなくなると思う」
紙へ書き込む。
魔力損失についても確認する。
人工魔力材は自然放出するので、完全にゼロにはできない。五分間なら、今使っている実習材では三パーセント前後が標準らしい。
「五パーセント停止は普通か」
「レン」
「何?」
「私、本当にいる?」
「いる」
「何するの?」
「俺が変なこと始めたら止める」
「それ私じゃなくてもよくない?」
「一番慣れてる」
「嫌な慣れ方だなあ」
その時、工房の入口から別の声がした。
「じゃあ俺でもいい?」
カイルだった。
「お前は一緒になってやりそうだから駄目」
「信用ないな」
「昨日剣に魔法陣刻みたいって言ってただろ」
「それはちゃんと試験する」
「誰が?」
「エルド」
「俺かよ」
カイルは何も悪びれずに訓練用の木剣を作業台へ置いた。
「持ってきた」
「今日やらないぞ」
「分かってる。相談だけ」
「ならいい」
木剣を見る。
鍔の少し上。
ここへ《圧弾》の魔法陣を直接刻み、カイル自身の魔力で起動する。
札を飛ばすよりずっと単純だ。
「発射方向は刃に沿わせる?」
「できれば剣先の方向」
「振ってる途中で撃ったら危なくない?」
ミラが聞く。
「使うの俺だから大丈夫」
「何が大丈夫なの?」
「練習する」
「答えになってないよ」
俺も同意する。
「最初は固定した木剣で発動確認。その次に素振り。最後に模擬戦」
「結構かかるな」
「普通だろ」
「前のエルドならその日に全部やってたよな」
「言うな」
否定できない。
それでも、こうやって段階を決めること自体には少し慣れてきた。
問題は、どこまで確認すれば次へ進んでいいのか。
五号も。
札も。
カイルの剣も。
何となく三回成功したから大丈夫、では足りない。
今回の事故のせいで学院中の研究室が似たような見直しをしているらしい。
「そういえば」
カイルが木剣を置いたまま、近くの掲示板を見る。
「石橋のやつ、続報出たぞ」
「昨日の?」
「ああ」
俺も立ち上がる。
工房内の掲示板には、研究設備の使用制限に混じって王国魔力監視局の通知が何枚か貼られていた。
その中に昨日見た北東部の石橋についての報告がある。
昨日より文章が長い。
「魔力濃度は戻ったんじゃなかった?」
ミラも隣へ来た。
「戻った。周囲は」
読む。
農村近くの石橋周辺で確認された一時的な魔力濃度上昇は、現在までに正常値へ復帰。
魔獣発生なし。
人体への影響なし。
ここまでは昨日と同じ。
その下。
**橋中央部の石材一個に異常な魔力保持を確認。**
「石?」
カイルが言う。
「橋の一部みたいだな」
さらに読む。
石材は周辺環境が正常値へ戻ったあとも高濃度の魔力を保持。
外部への放出はほぼ確認されず。
破損なし。
採取を試みるも――。
「重量測定不能?」
ミラが声に出した。
「測定器壊れた?」
「違うみたい」
詳細には、元々推定八十キロ程度だった石材が、現在の運搬器具では移動不能とある。
「八十キロなら普通に動かせるよな」
カイルが言う。
「身体強化あれば一人でもいける」
「今は?」
「固定されてるんじゃない?」
「橋の石だから最初から固定はされてるけど」
報告には、周囲の石材を取り外した後も動かなかったとある。
地面へ接着しているわけでもない。
魔法陣による固定も確認されない。
それでも持ち上がらない。
「強化した人でも?」
「複数人で試してる」
「何それ」
カイルが少し笑った。
「物凄く重くなった石?」
「そう見えるけど」
俺は報告を読み直す。
重量そのものを正確に測れない。
簡易計測器の上へ載せることができないからだ。
「壊せばいいんじゃない?」
ミラが言う。
「試してる」
破砕用魔法。
工具。
魔術による打撃。
いずれも目立った損傷なし。
「元は普通の橋の石?」
「記録上は」
「強くなってるじゃん」
カイルが面白そうに言う。
「持って帰れたら盾にできそう」
「持てないだろ」
「削れば」
「削れない」
「じゃあ意味ないな」
戦闘に使えるかしか見ていない。
「魔力の色は?」
ミラが聞く。
「書いてある」
色別測定。
赤。
橙。
黄。
緑。
青。
藍。
紫。
黒。
白。
全部。
「また?」
俺の声が少し低くなる。
ただし学院事故ほど極端ではない。
どれか一色が突出しているわけでもなく、石材内部へ九色がばらばらに留まっている。
「これ、学院と同じじゃない?」
カイルが言った。
「まだ分からない」
「でも九色だぞ」
「九色全部ある場所自体は珍しくない」
空気中にも九色の魔力は存在する。
地域によって比率が違うだけだ。
「じゃあ普通?」
「石が持ち上がらないのは普通じゃない」
「だよな」
ミラが報告の最後を見る。
「監視局と王立研究院が調査に入るって」
「学院からも行くかな」
「行くんじゃない?」
俺は少し考える。
オルフェン先生なら興味を持つ。
というより、もう知っているはずだ。
「聞きに行く?」
カイルが俺を見る。
「今日は行かない」
「珍しい」
「昨日行った」
「じゃあ明日?」
「多分」
「結局行くんだ」
それは行く。
◇
工房では、そのあと一時間ほど試験条件だけを決めた。
五号の人工魔力材試験。
最初は五分。
許容位置を前回の倍。
温度上昇二度で警告、三度で停止。
魔力損失は自然放出分を事前測定し、その値から二パーセント以上増えれば停止。
警告は連続三回ではなく、十秒以内に四回以上で一度停止して原因確認。
書いてみると面倒だ。
でも、何をもって異常とするのかが少し分かりやすくなった。
「これ先生に見せる?」
「明日」
「じゃあ今日は終わり?」
カイルが聞く。
「ああ」
「剣は?」
「今日はやらない」
「札は?」
「やらない」
「本当に?」
「何で残念そうなんだよ」
「見たかった」
「今度な」
工具にはほとんど触らなかった。
それでも、何もしなかった感じはしない。
試験を始める前の準備。
前の俺なら、これを作業だと思っていなかったかもしれない。
◇
翌日の昼休み。
俺は予想通りオルフェン先生の研究室にいた。
「石橋」
開口一番に言うと、先生は嫌そうな顔をした。
「挨拶くらいしろ」
「こんにちは。石橋」
「雑だな」
「続報見ました?」
「見た」
「どう思います?」
「分からん」
「まだ何も聞いてないですよ」
「どう思うと聞いただろう」
「何であの石だけああなったと思います?」
「だから分からん」
想像通りすぎる。
「学院事故と関係あると思います?」
「現時点で証拠はない」
「九色入ってます」
「九色存在すること自体は異常ではない」
「でも一個の石に高濃度」
「珍しい」
「硬くなってる」
「それも珍しい」
「重くなってる」
「正確には動かせなくなっているだけだ」
「同じじゃないです?」
「違う」
先生が書類を置く。
「重量が増えたのか、外力への抵抗が増したのか、空間的に固定されているのか。現状では区別できていない」
「ああ」
確かに違う。
「もう調査行ったんですか?」
「私は行っていない」
「誰が?」
「魔法工学と物質魔法の研究班。それと環境魔力研究」
「見たい」
「駄目だ」
「言う前に」
「どうせ言うだろ」
否定できない。
「危険なんです?」
「分からないから近づけていない」
「爆発したり?」
「現在まで変化なし」
「なら」
「エルド」
「はい」
「事件後一週間も経っていない」
「……はい」
「お前の好奇心は知っているが、今は学院側も未知の現象に過敏なくらいでちょうどいい」
「分かりました」
先生へ昨日作った五号の試験条件を渡す。
「これは?」
「根拠付きで作り直しました」
先生が読む。
少し時間がかかる。
「魔力損失の基準は?」
「使う人工魔力材を試験前に三回自然放置して平均取ります。その値から二パーセント以上増えたら」
「二パーセントの根拠」
「測定器の誤差が最大〇・六。素材個体差と余裕見ても二なら異常として止めていいかなと」
「悪くない」
「本当ですか」
「ああ」
久しぶりに素直に褒められた気がする。
「じゃあ試験できます?」
「明日なら」
「今日じゃなくて?」
「人工魔力材の事前測定が要ると自分で書いたんだろ」
「あ」
自分で自分を止めた。
「……明日で」
「そうしろ」
先生が紙を返す。
「先生」
「何だ」
「今回の石みたいなのって、今までにもあります?」
「魔力を蓄積した物質自体はある」
「自然に?」
「ああ。魔石がその代表だ」
「でも普通の石が急にああなるのは?」
先生が少し考える。
「少なくとも私は知らん」
「研究院にも記録なし?」
「似た例ならある」
「あるんですか?」
「魔力鉱床の周辺で、長期間高濃度魔力へ晒された岩石が硬化することはある。数十年から数百年単位だ」
「今回何日?」
「濃度上昇が確認されたのは十七分」
「短すぎる」
「ああ」
「じゃあ普通なら百年くらいかかる変化が十七分で?」
「同じ変化だと決まったわけではない」
「でも」
「だから調べている」
またそこへ戻る。
俺は少し考えながら、壁に貼られた学院事故の地図を見る。
「先生」
「まだあるのか」
「事件のあと、こういう魔力異常の報告増えてません?」
先生の手が止まった。
ほんの少しだけ。
「何でそう思う」
「石橋があったから」
「一件だろ」
「じゃあ増えてない?」
「分からん」
「本当に?」
「集計中だ」
その答えで十分だった。
「あるんですね」
「何件か報告はある」
先生が少し嫌そうに机の引き出しを開けた。
「ただし、普段からこの程度の異常報告はある」
「どんな?」
「魔力濃度の局所上昇。逆に低下。魔法陣設備の一時停止。魔獣の通常外地域での確認」
「結構ある」
「王国全体で見ればな」
考えてみれば当然だ。
広い国だ。
毎日どこかで何かは起きる。
「事件前より多い?」
「期間が短すぎて判断できん」
「じゃあまだ何とも言えない」
「そういうことだ」
先生はそこで紙を一枚見せた。
「昨日、南部の森林で魔力濃度が通常の一・八倍」
「魔獣は?」
「二体確認。どちらもその地域で普通に発生する種類」
「じゃあ自然現象かも」
「ああ」
次。
「北部の湖で青系魔力が一時的に低下」
「何か起きた?」
「魚が少し移動した程度」
「それだけ?」
「それだけだ」
次。
「西の街で公共照明陣が三分停止」
「故障?」
「今のところは」
並べられると、どれも大したことがない。
学院事件と繋げるには弱すぎる。
「こういう報告を全部『あの事故のせいだ』と考え始めると、何でも繋がって見える」
「はい」
「だから今は記録するだけだ」
先生が紙を戻す。
「増えているかどうかすら、数か月分を比較しなければ分からん」
「研究って遅いですね」
「現実が研究者に合わせて分かりやすく動いてくれないからな」
「不便だ」
「世界に文句を言え」
「聞いてくれます?」
「知らん」
少し笑った。
◇
昼休みが終わり、午後は魔獣生態学の授業だった。
事件の直後だからか、今日は予定を変更して魔獣の発生条件を復習するらしい。
教師が黒板へ大きく二つ書く。
**魔力濃度。**
**魔力色。**
「今回の学院事故で、多種の魔獣が同時発生した理由について質問が多いので、分かっている範囲だけ説明する」
教室がいつもより静かになる。
「魔獣は一定以上の魔力濃度を持つ環境で発生する分類生物だ。この辺りは知っているな」
全員が頷く。
「発生種には魔力色が強く影響する。赤が優勢なら赤系環境種、青が優勢なら青系環境種。ただし単純に一色だけで決まるわけではない。地形、温度、水分、生物相なども影響する」
昨日までなら普通の復習だった。
今は、通路で見た魔獣の姿が浮かぶ。
「学院事故では九色すべてが短時間で高濃度化した。このため、通常なら同じ場所に発生しにくい複数系統の魔獣が確認されたと考えられている」
生徒の一人が手を上げる。
「先生、魔獣ってどこから来るんですか?」
一瞬、教室が静かになった。
「発生するって、何もないところから?」
「良い質問だ」
教師は少し考える。
「正確には、まだ完全には分かっていない」
意外だった。
俺も知っているつもりだった。
「魔獣の発生は確認されている。高濃度魔力地域を封鎖し、事前に大型生物が存在しないことを確認した後でも、一定期間を置くと魔獣が確認される例がある」
「じゃあ突然出る?」
「少なくとも観測上はな」
「卵とかは?」
「種による。一度発生した後、通常の繁殖を行う種も多い」
「最初の一匹だけ分からない?」
「簡単に言えばそうだ」
教室内が少しざわつく。
俺も初めてちゃんと考えた。
魔獣が高濃度魔力から発生する。
それ自体は常識として知っていた。
でも、どうやって。
そこまでは知らなかった。
「魔力そのものが生命になるという説もある。周辺の微生物や植物、動物組織を基に変化するという説もある。現在のところ、種によって違う可能性も含めて結論は出ていない」
「そんな基本的なこと分かってないんですか?」
別の生徒が聞く。
教師は怒らなかった。
「基本的なことほど難しい場合もある」
黒板を軽く叩く。
「我々は火を使える。だが火に関するすべてを理解しているわけではない。それと同じだ」
何となくオルフェン先生を思い出した。
分からないものは分からない。
それでいい。
今までは、それが少し頼りなく感じることもあった。
最近は逆だった。
分からないのに分かったふりをされる方が怖い。
◇
授業の最後に、教師が新しい注意事項を伝えた。
「今後しばらく、学院外実習について内容を変更する可能性がある」
「中止ですか?」
「まだ決まっていない」
学院外実習。
今年度後半に予定されている、実際の魔獣生息地域や地方施設へ行く授業だ。
「今回の事件を受け、環境魔力の事前調査を強化する。実習先によっては場所を変える」
「魔獣増えてるんですか?」
誰かが聞いた。
「増えているとはまだ判断されていない」
さっきと同じ答えだ。
「ただし、発生環境の変化が複数報告されている。安全確認をやり直すというだけだ」
複数。
俺は少しだけ顔を上げた。
オルフェン先生も何件かあると言っていた。
偶然かもしれない。
普段からある程度の報告はある。
それでも、学院全体が外部実習の場所まで見直そうとしている。
何も起きていないわけではない。
◇
放課後、俺たちは正門へ向かっていた。
今日は工房へ行かない。
五号の人工魔力材は事前測定中。
カイルの剣も明日以降。
やることがないわけではないけれど、明日の方がいい。
「石橋見に行きたい」
カイルが突然言った。
「駄目だろ」
俺とミラの声が重なった。
「見るだけ」
「封鎖されてる」
「遠くから」
「何でそんな見たいんだよ」
「動かない石だぞ?」
「理由それ?」
「面白いだろ」
少し前なら、俺が言っていた側だ。
「レンなら分かるだろ」
「分かるけど行かない」
「何で」
「先生に止められた」
「先生に聞いたの?」
「ああ」
「結局聞いてる」
ミラが笑う。
「でも、ちょっと見たいよね」
「ミラまで?」
「ちょっとだけ」
「だろ?」
二人とも興味はあるらしい。
「報告待てばいい」
俺が言う。
言ってから、妙な感じがした。
「何?」
ミラがこっちを見る。
「いや」
「レンが一番まともなこと言ってる」
「俺だって普通にまともだよ」
「最近ね」
「最近つけるな」
正門を出る。
街は今日も普通だった。
人が歩き、店が開き、荷物が運ばれている。
事件前とほとんど変わらない。
違うのは、俺が少し気にするようになったことくらいだ。
街灯の魔法陣。
空気中の魔力計。
道端にある小さな環境測定柱。
以前は存在していることすら意識していなかった。
「今いくつだろ」
俺が測定柱を見る。
「何が?」
「魔力濃度」
「普通じゃない?」
「表示ある」
近づく。
正常値。
色比率もこの地域の平均通り。
「普通だな」
「何を期待してたの」
「何も」
本当に何も起きていない。
それでいい。
俺たちはそのまま歩いた。
少し先では子供が二人、小さな家庭用魔法陣で紙の鳥を飛ばしている。うまく魔力を入れられないのか、一羽がすぐ地面へ落ちた。
もう一人が笑う。
落ちた方が拾う。
また飛ばす。
何でもない光景だった。
学院で魔獣が出ても。
石橋の石が動かなくなっても。
遠くで魔力濃度が上がっても。
今日の生活は続く。
多分、明日も続く。
だからこそ、あの事件が世界の何かを変えたなんて、今の俺たちには分かるはずもなかった。
分かっていたのは、今までなら気にも留めなかった小さな異常が、少しずつ報告書の中に増え始めていることだけだった。
じりじりとだが確実に・・・




