第2話 夢中になると止まらない
やめられない、とまらない♪
右腕を固定したまま授業を受けるのは、思っていたより面倒だった。
文字を書くのは左手でもできる。
綺麗ではないけれど、読めないほどではない。
問題はそこじゃない。
俺は普段、思っていた以上に右腕を使っていたらしい。
教科書を開く。
鞄から道具を出す。
椅子を引く。
扉を開ける。
食事をする。
何をするにも少しずつやりにくい。
しかも魔術まで禁止されている。
これが一番きつかった。
朝、教室へ向かう途中で階段を上っていると、無意識に脚へ魔力を流そうとしてしまう。
途中で気づいて止める。
教室へ入って黒板を見る。
少し遠い。
目を強化しようとする。
また止める。
別に魔術を使わなくても生活できる。
昔は使っていなかったんだから当然だ。
でも、一度当たり前になったものを急に使うなと言われると、かなり気になる。
「またやったでしょ」
隣を歩いていたミラが言った。
「何が?」
「今、脚に魔力流そうとした」
「流してない」
「流しかけた」
「止めたんだからいいだろ」
「禁止って言われてるんだから最初からやらないで」
「無意識なんだよ」
「それ、もっと駄目じゃない?」
確かにそうかもしれない。
言い返せないので、そのまま教室へ入る。
今日は午前から魔法陣学の授業がある。
普段ならそこまで楽しみな授業ではないけれど、今は実技系の授業に参加できない。
だから座って受けられる授業はありがたかった。
「レン」
「何?」
「それ、今日出すやつじゃない?」
ミラが俺の机の上を指差す。
そこには昨日提出するはずだった魔法陣学の課題が置いてあった。
「……忘れてた」
「昨日言ったよ」
「聞いた記憶はある」
「じゃあ何で忘れるの」
「聞いたことと覚えてることは別だろ」
「威張って言うことじゃないよ」
急いで名前を書こうとした。
左手で。
かなり書きにくい。
レン・エルド。
それだけなのに、いつもの倍くらい時間がかかった。
「汚い」
「うるさい」
「先生読めるかな」
「名前くらい読めるだろ」
「多分」
「不安にさせるなよ」
そんなことをしている間に、授業開始の鐘が鳴った。
少し遅れて教師が入ってくる。
魔法陣学担当のセレナ先生だ。
年齢は三十代前半くらい。
いつも髪を後ろでまとめていて、授業中はほとんど表情が変わらない。
ただ、魔法陣を雑に書いた生徒にはかなり厳しい。
「課題を前へ」
短い。
それだけ。
教室の空気が少し変わる。
みんな一斉に課題を出し始めた。
俺も左手で紙を持ち、前へ回す。
「今日から三回かけて、魔法陣の素材についてやる」
セレナ先生が黒板へ大きく円を描く。
その中へいくつかの線を加え、簡単な魔法陣を作った。
「魔法陣は、正しい形を書けば終わりではない。何で書くかによって扱える魔力量が変わる」
これは知っている。
魔法陣は便利だ。
本人にその魔法の適性がなくても、基本的には使える。
必要なのは正しい陣と魔力。
例えば俺でも、赤系統の適性は三十二しかない。
でも炎を出す魔法陣へ魔力を流せば、普通に火は出せる。
自分で魔法を使うよりよほど安定する。
正直、少し複雑だ。
自分の魔法より紙に書いた線の方が素直に動く。
「一般的に使われるのは、魔獣の血を加工した魔法陣用インクだ」
先生が机の上に小さな瓶を置いた。
中には黒に近い赤色の液体が入っている。
「安価。加工しやすい。保存も比較的簡単。それなりの魔力にも耐える。家庭用から中級魔法までなら、ほとんどこれで足りる」
その隣に、もう一つ小さな容器が置かれた。
今度は透明。
中には細かな粉が入っている。
「では、これは?」
数人が手を挙げる。
ミラも上げていた。
「グレイス」
「宝石粉です」
「そうだ」
先生が容器を持ち上げる。
「魔力伝導率が高い。ただし高価で、扱いも難しい。上級者魔法用の魔法陣や、大型魔法陣で使われることが多い」
宝石の粉。
名前だけ聞けば綺麗だけど、実際はかなり高い。
学院で使う分には気にしなくていいが、自分で買うとなると話は別だ。
俺も一度、補助環の部品に使えないか値段を調べたことがある。
その日のうちに諦めた。
「エルド」
「はい」
「聞いているか」
「聞いてます」
「では質問だ。魔力伝導率が高い素材ほど優れているか?」
「場合によります」
「理由は?」
「必要以上に伝導率が高くても意味がないです。家庭魔法程度なら魔獣血のインクで十分ですし、宝石粉は高いので費用が無駄になります」
「他には?」
少し考える。
「伝導率が高い分、魔力が流れやすいので制御が難しくなる場合があります」
「そうだ」
先生は黒板へ二つ書き足した。
容量。
安定性。
「高性能な素材を使えば、必ず良い魔法陣になるわけではない。必要な魔力に合った素材を使え」
こういう考え方は好きだ。
必要なものを必要なだけ使う。
無駄を減らす。
補助環と同じだ。
そう考えたところで、右腕が少し痛んだ。
……今は考えない方がいいな。
授業はそのまま続いた。
素材ごとの違い。
魔力の保持時間。
書き方による容量の変化。
途中から実際に小さな魔法陣を書く時間になったけれど、俺は右手が使えない。
左手でやることになった。
これがかなり難しい。
「曲がってる」
隣からミラが言った。
「分かってる」
「ここも」
「分かってるって」
「それ発動する?」
「多分しない」
「じゃあ書き直した方が」
「左手で円書いてみろよ」
「普通にできると思う」
「九十三は黙ってろ」
「それ関係ないって何回言えばいいの」
実際、関係ない。
ミラは右利きだけど、左手でも俺より綺麗に円を書いた。
少し腹が立つ。
「何でできるんだよ」
「昨日ちょっと練習した」
「何で?」
「レンが今日絶対困ると思ったから」
「そのために?」
「うん」
「性格悪いな」
「何でそうなるの」
結局、俺は左手で三回書き直した。
四回目でようやくセレナ先生から合格をもらう。
発動させると、小さな光が机の上に浮かんだ。
家庭用の照明魔法。
出力は弱い。
でも綺麗に安定している。
自分で使うよりずっと素直だ。
「……やっぱり魔法陣はいいな」
「急にどうしたの?」
「俺の魔力でも真っ直ぐ動く」
「言い方が悲しい」
「事実だろ」
魔法陣は、俺にとって昔から少し不思議な存在だった。
自分で魔法を使えば狙いがずれる。
でも魔法陣へ魔力を流すと、ほとんど問題なく動く。
魔法陣が魔力の動きを決めてくれるからだ。
俺は魔力を入れるだけ。
それなら失敗しない。
「レン、魔法陣専門にしたら?」
ミラが言った。
「それも考えたことある」
「本当に?」
「あるよ。でも俺、魔法陣を書くより中身を動かす方が好きなんだよな」
「面倒な性格」
「自分でも思う」
結果だけ欲しいなら、魔法陣を使えばいい。
でも俺は、どうしてそうなるのかを知りたい。
どうやって動いているのか。
どこを変えればもっと良くなるのか。
多分、そういう部分が好きなのだと思う。
◇
昼休み。
食堂へ行くと、いつもよりかなり混んでいた。
右腕が使えないので、今日はパンとスープにする。
片手で食べられる。
「またそれ?」
向かい側に座ったミラが言った。
「楽だから」
「三日連続じゃない?」
「右手使えないんだから仕方ないだろ」
「手伝おうか?」
「嫌だ」
「何で?」
「十七歳で幼馴染に飯食わせてもらうのは嫌だ」
「誰も食べさせるとは言ってないよ」
「違うのか」
「切るくらいならやる」
「ああ」
少し安心した。
いや、別に食べさせてもらうと思ったわけではない。
多分。
「でもスープなら関係ないでしょ」
「楽なんだよ」
「飽きない?」
「もう飽きた」
「じゃあ違うの頼めばいいのに」
「片手で食べやすいもの考えるのが面倒」
「そこは面倒なんだ」
「魔術と違って面白くないからな」
ミラはしばらく俺を見てから、ため息をついた。
「レンって変なところで本当に面倒くさがりだよね」
「普通だろ」
「普通の人は右足の小指に三時間使わない」
「またそれ言う?」
「使いやすい例だから」
その時、隣の机から声をかけられた。
「エルド、その腕どうした?」
同じクラスの男子だった。
名前はカイル。
魔術実技では十位前後。
剣術がかなり得意で、学院へ来る前から家で習っていたらしい。
「ちょっと実験に失敗した」
「また?」
「またって何だよ」
「一号爆発したって話、結構有名だぞ」
「何で知ってるんだ」
「工房で爆発させたらそりゃ広まるだろ」
そうだった。
あの時は廊下まで煙が出た。
「今回は何したんだ?」
「魔術補助環」
「前もそれじゃなかった?」
「改良版」
「で、腕壊した?」
「壊してない。傷めただけ」
「同じようなもんだろ」
「全然違う」
俺としてはかなり違う。
「今度見せてくれよ」
「先生の許可出たらな」
「本当に?」
「ああ」
「じゃあ治ったら言ってくれ」
カイルはそれだけ言うと、自分の席へ戻っていった。
「人気者だね」
「どこが」
「変なもの作る人として」
「嬉しくない」
「でも嫌じゃないでしょ」
「……まあ」
少しだけ。
自分が作っているものに興味を持たれるのは悪くない。
それが事故の話込みなのは少し嫌だけど。
◇
午後は魔術理論だった。
実技ではないので俺も普通に受けられる。
今日の内容は身体強化の配分。
全身を均等に強化するのと、必要な部分へ集中させる場合の違い。
俺としてはかなり好きな内容だ。
先生が黒板に人体の簡単な図を書く。
「身体強化で一番多い失敗は、強化量だけを考えることだ」
腕。
脚。
胴体。
頭。
それぞれに数字が書かれていく。
「例えば脚だけを通常の三倍まで強化したとする。では、それで三倍速く走れるか?」
誰も答えない。
「走れない」
先生が自分で答えた。
「筋力だけ上げても、骨や関節が耐えられない。身体の制御も追いつかない。最悪の場合、自分の脚を自分で壊す」
右腕が少し痛んだ。
妙に説得力がある。
「エルド」
「はい?」
「何だ、その顔は」
「何でもないです」
「今のお前が一番分かっているだろう」
教室の何人かが笑った。
「先生まで言います?」
「良い教材だ」
「俺、教材扱いですか」
「自分で実験した結果だろう」
「そうですけど」
言い返せない。
「身体強化は、単純に筋肉へ魔力を流せばいいというものではない。筋肉、骨、関節、神経。それぞれに必要な量を配分する。強い魔術師ほど、この配分が細かい」
ここまでは知っている。
俺も普段やっている。
「ただし、細かくすれば必ず良いわけでもない」
先生が続ける。
「人間が同時に扱える魔力操作には限界がある。百か所を完璧に調整しようとして、一か所でも遅れれば意味がない。戦闘中なら死ぬ」
これは耳が痛い。
俺は細かくすることばかり考えがちだ。
「必要なのは、どこまで細かくするかを判断することだ」
なるほど。
俺は左手でノートへ書く。
かなり遅い。
途中で先生の説明に追いつかなくなった。
「ミラ」
「何?」
「あとでノート見せて」
「いいよ」
「助かる」
「素直」
「必要な時は頼る」
「いつもそうすればいいのに」
「嫌だ」
「何で?」
「できることまで頼る必要ないだろ」
「そういうところだよ」
何が。
聞こうと思ったけど、先生が次の話へ進んだのでやめた。
◇
放課後。
いつもなら工房へ行く。
でも今は禁止されている。
魔術を使えない状態で装置を触っても仕方ないし、何よりミラとオルフェン先生に止められている。
だから今日は図書館へ行くことにした。
「珍しい」
ミラが言う。
「何が?」
「レンが放課後に工房行かない」
「行くなって言ったの誰だよ」
「私」
「だから図書館」
「何調べるの?」
「体内魔力の異常流動」
「事故のこと?」
「一応」
別に今すぐ再現するわけじゃない。
調べるだけ。
それなら問題ない。
図書館の魔術関係の棚へ向かう。
体内魔力。
異常流動。
制御失敗。
反対方向への流れ。
何冊か目次を見る。
似たような症例はあった。
魔力経路の損傷。
外部干渉。
魔力過多。
精神的な混乱による制御失敗。
でも、俺の時とまったく同じものは見つからない。
「これとか?」
ミラが一冊持ってきた。
「《魔術事故症例集・第三版》」
「嫌な題名だな」
「今のレンにぴったり」
「確かに」
ページをめくる。
身体強化の失敗で骨折。
視覚強化のやりすぎで一時的に失明。
心肺強化に失敗して気絶。
読んでいるだけで嫌になる。
「魔術師、馬鹿多くない?」
「レンが言う?」
「俺はここまでじゃない」
ミラが右腕を見る。
「何?」
「何でもない」
「言いたいことあるなら言えよ」
「今のレンが言う?」
「二回言うな」
しばらく調べる。
やっぱり同じものはない。
途中で、魔力を複数方向へ流す技術について書かれた本は見つかった。
ただ、内容は普通だった。
右腕と左腕へ同時に流す。
複数の筋肉を別々に強化する。
俺もやっていることだ。
同じ場所で反対方向に流す話はない。
「ないな」
「先生も知らなかったんでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあすぐ見つからなくても普通じゃない?」
「まあ」
机へ肘をつきそうになり、右腕が痛んでやめる。
「レン」
「何?」
「焦ってる?」
「何が」
「調べるの」
「別に」
「本当に?」
少し考える。
「……ちょっとだけ」
「何で?」
「分からないままなのが嫌だから」
自分の身体で起きたことだ。
原因が分からないのは気持ち悪い。
それに。
「また起きたら困る」
「それはそうだね」
「普通に魔術使ってる時まで起きたら最悪だろ」
「先生は何て?」
「怪我が治るまでは考えなくていいって」
「じゃあそうすれば?」
「無理」
「知ってた」
ミラが笑った。
「でも、今日はもう帰ろう」
「まだ時間あるだろ」
「腕痛いんじゃない?」
言われて気づく。
さっきから少し痛みが強くなっていた。
「……ちょっと」
「じゃあ帰る」
「もう少し」
「帰る」
「あと一冊」
「駄目」
「一章だけ」
「駄目」
「目次」
「それなら今見て」
厳しい。
仕方なく最後の一冊の目次だけ確認して、棚へ戻した。
◇
学院を出る頃には、外はかなり暗くなっていた。
ミラと途中まで一緒に歩く。
「明日何だっけ」
「午前が歴史。午後が戦闘実技」
「俺、午後見学か」
「そうだね」
「暇だな」
「見て勉強すれば?」
「見るだけだとやりたくなる」
「我慢して」
「分かってる」
右腕を見る。
一か月。
長い。
でも今日の授業を聞いて、少し考えが変わった。
俺は細かくすることばかり考えていた。
十二系統に分ける。
必要な場所だけ強化する。
それ自体は間違っていないと思う。
実際、効率はかなり上がった。
ただ、それを扱えるかどうかは別だった。
四号が悪かったのか。
俺の操作が悪かったのか。
それとも別の原因なのか。
今はまだ分からない。
「ミラ」
「何?」
「治ったら、四号もう一回試す」
「……先生と一緒なら」
「分かってる」
「勝手に改造しないでよ」
「それは」
「しないで」
「……分かった」
「今、間があった」
「気のせい」
「絶対何か考えてた」
「安全装置増やそうかなって」
「それならいい」
「四つに」
「もっと増やしたら?」
「重くなる」
「安全と重さなら安全優先」
「分かってるよ」
こうやって話していると、実験したくなる。
でも今は我慢。
まず治す。
それから考える。
家へ帰ったら今日借りた本を読むくらいにしておこう。
魔術を使うなとは言われた。
本を読むなとは言われていない。
「レン」
「何?」
「今、絶対何かやろうとしてる顔してる」
「本読むだけ」
「本当に?」
「本当に」
「ならいいけど」
疑われている。
仕方ない。
少し前に腕を壊しかけたばかりだ。
信用が戻るまで時間がかかるのだろう。
でも、一つだけ思う。
魔術を使えないなら、使えないなりにできることはある。
調べる。
考える。
設計を書き直す。
それなら右腕が治るまででもできる。
何もできないわけじゃない。
それが分かっただけでも、少し気が楽だった。
「じゃあ、また明日」
「うん。また明日」
分かれ道でミラと別れる。
家までの道を一人で歩きながら、今日の授業を思い出す。
必要なところに、必要なだけ。
細かければ良いわけではない。
扱えなければ意味がない。
補助環にも、その考え方は使えるかもしれない。
十二系統全部を常に動かす必要はない。
状況によって切り替えればいい。
いや、それなら端子の数を減らす必要はなくて、制御側を――。
「……」
気づけば普通に設計のことを考えていた。
結局、止めるのは無理らしい。
まあいい。
今日は頭の中だけだ。
多分、それなら怒られない。
癖になってんだ・・・魔術使うの。(`・ω・´)




