第1話 好きは続かないが無くならない
最後まで読んでくれると嬉しいです。
俺は昔から魔法が好きだった。
正確に言えば、今でも好きだ。
ただ、子供の頃とまったく同じ気持ちかと聞かれたら、それは違う。
昔は魔法を見るだけで凄いと思ったし、自分もいつか同じようなことができると本気で信じていた。誰かが派手な魔法を使えば、どうやっているのかより先に「俺もやりたい」と思っていた。
今は違う。
凄い魔法を見れば、まず最初に羨ましいと思う。
その次に、どうやっているのかを考える。
最後に、自分にはできるのかどうかを考えて、だいたい少し嫌な気分になる。
それでも、嫌いにはなっていない。
好きなものは、ずっと同じ好きのまま続くわけではないのだと思う。
形が変わっても、完全になくならないものもある。
俺にとって魔法は、たぶんそういうものだった。
◇
初めて本物の魔法使いを見たのは、俺が五歳の頃だった。
町で毎年開かれている祭りの日だ。
当時の俺は人混みの中では何も見えなかったから、父さんに肩車をしてもらっていた。
「降ろして」
「降りたら見えないぞ」
「大丈夫」
「本当か?」
「大丈夫」
そう言って一度降ろしてもらったものの、周囲に見えるのは大人の腰と背中ばかりだった。
結局すぐに、
「やっぱり乗る」
と言ったらしい。
父さんは今でもたまにその話をする。
正直、もう忘れてほしい。
その日の祭りで何を食べたのか、何を買ってもらったのかはほとんど覚えていない。
でも、夜に見た魔法だけは今でもよく覚えている。
広場の中央に一人の男が立っていた。
俺が当時想像していた魔法使いとは全然違った。
大きな杖を持っているわけでもなければ、変な帽子を被っているわけでもない。服装も普通で、見た目だけならどこにでもいそうな大人だった。
その男が片手を空へ向ける。
周囲が少し静かになった。
男が何かを唱える。
五歳の俺には何を言っているのか分からなかったけれど、今思えば詠唱だったのだろう。
直後、男の掌から炎が出た。
俺は驚いて父さんの髪を強く掴んだ。
「痛いぞ、レン」
たぶんそう言われた。
でも、まったく聞いていなかった。
炎はそのまま上へ伸び、少しずつ形を変えていった。
頭ができる。
胴体ができる。
最後に大きな翼が広がった。
鳥だった。
炎でできた大きな鳥が、そのまま広場の上を飛んでいく。
翼を動かすたびに火の粉が落ちてくるけれど、人に当たる前に消えてしまう。
周りの人たちは歓声を上げていた。
俺はずっと上を見ていた。
自分もあれをやりたい。
それしか考えていなかったと思う。
家に帰ってから、三日くらい庭で手を前に出して炎を出そうとしていたらしい。
当然、何も出なかった。
母さんは今でもその話をする。
「三日目なんて顔真っ赤にしてたわよ」
「もういいって」
「可愛かったのに」
「五歳だから仕方ないだろ」
今ならそう言える。
でも当時の俺は、本当にできると思っていた。
そのうち魔法が使えるようになる。
もっと大きくなれば、祭りで見たあの魔法使いみたいになれる。
そう信じていた。
翌年、六歳になって初めて正式な魔力検査を受けた時には、その気持ちはもっと強くなった。
◇
検査に使ったのは、両手で包めるくらいの透明な水晶だった。
そこへ手を置き、自分の魔力を流し込む。
今思えば、よくあれでできていたと思う。
当時の俺は魔力操作なんてほとんど分かっていなかった。
身体の中に何となく感じる温かいものを、腕へ押し込んでいただけだ。
それでも水晶は反応した。
透明だった中が少しずつ色付き、黒にかなり近い藍色へ変わっていく。
検査官は少し驚いた顔をしていた。
水晶を持ち上げ、何度か見たあとで、
「珍しいな」
そう言った。
たったそれだけだった。
強いとは言われていない。
凄いとも言われていない。
でも、六歳の俺には十分だった。
珍しい。
つまり特別。
特別なら強い。
子供の俺の中では、その三つはほとんど同じ意味だった。
魔力には色がある。
大きく分ければ、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫、黒、白。
基本はこの九色だ。
ただし、まったく同じ色の人間はほとんどいない。
同じ赤でも、明るい赤の人もいれば暗い赤の人もいる。それによって魔力の性質や得意な魔法も少し変わる。
だから俺は、自分には何か珍しい魔法の才能があるのだと思った。
「将来は凄い魔法使いになるかもしれないな」
父さんもそう言った。
もちろん、ただ子供を喜ばせるためだったのかもしれない。
でも俺は本気にした。
その頃の俺にとって、将来魔法使いになることは夢というより予定に近かった。
いつかそうなる。
そう思っていた。
最初に少しおかしいと思い始めたのは、八歳くらいの頃だ。
周りの子供たちが簡単な家庭魔法を使い始めた。
指先へ小さな火を出す。
水を少し温める。
濡れた布を乾かす。
どれも特別難しい魔法ではない。
俺も使うこと自体はできた。
ただ、周りと比べると明らかに下手だった。
火は小さい。
水を動かすと遅い。
風を正面へ飛ばしたつもりでも、少し横へ逸れる。
土を動かそうとすれば、狙った場所とは別のところが盛り上がる。
最初は、
「珍しい魔力だから、普通とは少し違うのかもしれない」
と言われた。
俺もそう思っていた。
むしろ、その言葉を聞いて期待していた。
やっぱり何かあるんだ、と。
十歳になる頃には、
「まだ身体が成長途中だから」
と言われるようになった。
十一歳になると、
「焦らなくていい」
という言葉が増えた。
十二歳の時。
そこでようやく気づいた。
大人たちは俺が傷つかないように言ってくれていたのだ。
検査が終わったあと、俺だけ部屋の外で待つように言われたことがある。
父さんと母さん、それから検査官が中に残った。
盗み聞きするつもりなんてなかった。
ただ、扉が少し薄かった。
『……このままだと、魔法専門へ進ませるのは少し厳しいかもしれません』
その言葉だけは聞こえた。
帰り道では何も言わなかった。
父さんも母さんも何も言わなかったから、俺も聞こえなかったふりをした。
夜、自分の部屋に戻ってから泣いた。
声は出さなかった。
誰かに気づかれるのが嫌だったからだ。
今思えば、魔法が下手なのが悲しかっただけではない。
俺はずっと、自分は普通とは違うと思っていた。
魔力の色が珍しい。
だから今できないだけ。
そのうち何か凄いものが見つかる。
そう思っていた。
でも、もしかしたら何もないのかもしれない。
ただ魔法が下手で、色だけ少し珍しい。
それだけかもしれない。
その考えが、何より嫌だった。
◇
「赤系統、三十二」
「はい」
「橙系統、三十五」
「はい」
「黄系統、三十一」
「先生」
「何だ」
「一つずつ読む必要あります?」
それから五年。
十七歳になった俺は、王立中央学院の検査室で、ほとんど変わらない結果を見ていた。
正面に座っているオルフェン先生は、俺の言葉を気にする様子もなく続きを読む。
「緑系統、三十四。青系統、三十三。藍系統、三十二」
「先生」
「紫系統、三十三。黒系統、三十。白系統、三十一」
「最後まで読みましたね」
「検査結果だからな」
「俺に聞かせる必要ありました?」
「本人の結果だろう」
机の上に九枚の紙が並んでいる。
一番高いのが三十五。
一番低いのが三十。
見事なくらい全部似ている。
「一般的な十七歳ってどれくらいでしたっけ」
「五十前後」
「学院生だと?」
「六十を少し超える」
「聞かなきゃよかった」
「去年も同じことを言っていたな」
「今年は何か変わるかもしれないでしょう」
「今回で五回目だ」
「希望くらい持たせてくださいよ」
「私に数字を変えろと?」
「それは困ります」
「なら受け入れろ」
「厳しいな」
「五年目だからな」
オルフェン先生は四十代半ばの男で、学院で教師をしながら魔法研究院にも所属している。
かなり痩せていて、目の下にはいつも薄い隈がある。
本人は普通にしているけれど、たぶんあまり寝ていない。
入学してから何度も俺の適性を調べてもらっているが、結果はほとんど変わっていなかった。
「測定器の故障は?」
「今回だけで四台使った」
「魔法陣の方が悪い可能性」
「九系統すべて別のものだ」
「俺の体調が悪いとか」
「検査前に健康診断を受けたな」
「逃げ道がない」
「現実だ」
「もう少し優しく言ってくれても」
「事実は変わらん」
こういう人だ。
俺はこの先生を嫌いではない。
むしろ、かなり信用している。
昔は何度も「きっとそのうち」「まだ分からない」と言われてきた。
もちろん俺を励ますためだったのだと思う。
でも、期待して駄目だった時はその分きつい。
オルフェン先生は無理そうな時は無理そうだと言うし、分からないことは分からないと言う。
俺には、その方が合っていた。
「ただ」
先生が結果表を指で軽く叩いた。
「やはり妙ではある」
「どこがです?」
「差が少なすぎる」
「全部苦手だからじゃないですか」
「その可能性もある」
「そこは否定してくださいよ」
「嫌だ」
「即答だ」
「研究で自分に都合のいい結果だけ選ぶな」
「研究者って大変ですね」
「お前もそのうち分かる」
「俺、研究者になる予定はないですよ」
今のところは。
たぶん。
「普通ならもっと差が出る。赤が高い人間なら、他の系統はそれより低くなる。逆も同じだ」
「俺は三十から三十五」
「ああ」
「全部低い」
「そうだな」
「やっぱり褒めるところないですよね」
「面白いとは言っている」
「研究対象としてでしょう」
「そうだ」
「全然嬉しくないです」
先生が少し笑った。
結果表を見ながら、少し迷う。
聞かなくても分かっている。
でも、こういう時に限って聞きたくなる。
「先生」
「何だ」
「俺、魔法使いは諦めた方がいいですかね」
言ったあとで少し後悔した。
答えなんて予想できる。
それでも、どこかで別の言葉を期待している自分がいる。
面倒だと思う。
先生は少し考えてから答えた。
「今のままなら、かなり難しい」
「……ですよね」
分かっていた。
それでも少しだけ嫌だった。
魔法にはいくつかの段階がある。
生活で使うような弱いものが家庭魔法。低級魔法と呼ばれることもある。
その上が中級魔法。
兵士や戦士が戦闘でよく使うのはこの辺りで、きちんと訓練すれば特別な才能がなくても覚えられる。
さらに上が上級者魔法。
一人の人間が普通に扱える魔法としては、ほぼ最高の領域。
これを安定して使える人間が、正式に魔法使いと呼ばれる。
戦場では、魔法使い一人で戦況が変わることもある。
強い魔法を、速く、遠くから使う。
子供の頃に俺がなりたかったのは、そういう人だった。
「ただし」
先生が言った。
「魔法使いになれないことと、弱いことは別だ」
「まあ、それは」
「お前にはこっちがある」
先生が引き出しから別の紙を出してきた。
魔術実技成績。
学年第三位。
「……三位?」
「昨日の結果が反映された」
「俺、五位でしたよね」
「二人抜いた」
思わず紙を持ち上げて名前を見る。
間違いなく俺だった。
「一位と二位は?」
「どちらも軍人の家系だ。子供の頃から身体強化をやっている」
「追いつけます?」
「今は無理だな」
「早いな」
「一年後なら分からん」
その言葉だけで少し気が楽になった。
単純だと思う。
でも、魔法であれだけ悪い結果を見た直後だ。
嬉しいものは嬉しい。
魔法と魔術は名前が似ているけれど、やっていることはかなり違う。
魔法は魔力を使って、自分の外へ何かを起こす。
火を出したり、水を動かしたり、風を起こしたり。
魔術は、自分の身体の中にある魔力を操作する技術だ。
腕の筋力を上げる。
脚を強くする。
視力を上げる。
骨を補強する。
出血を抑える。
もっと細かくやれば、特定の筋肉だけに魔力を流すこともできる。
俺はこっちの方が得意だった。
というより、好きだった。
魔法と違って、練習した分だけ分かりやすく上手くなる。
昨日できなかったことが、今日は少しだけできる。
それが楽しかった。
「そういえば」
先生が思い出したように言う。
「この前、右足の小指だけ身体強化していたな」
「しましたね」
「何の意味があった」
「できるか気になったので」
「三時間かけて?」
「最初は足全体に魔力が逃げてたんですよ。でも途中から小指の付け根までは絞れたんで、あと少しだと思って」
「普通はそこで三時間使わない」
「できそうだったら気になりません?」
「ならん」
「そうですか」
先生が呆れたように息を吐く。
「お前は魔術師には向いている」
「褒めてます?」
「半分は」
「残り半分は?」
「変人だ」
「酷いな」
「魔術師ならそれくらいでいい」
「どういう意味ですか」
「私の師匠がよく言っていた。魔術はキモければキモいほど強い、と」
思わず笑った。
「もっと他に言い方なかったんですか」
「真理だぞ」
「どんな人だったんです?」
「三十年前の大陸戦争で敵兵百十四人を一人で倒した」
笑いが止まった。
「……急に説得力出すのやめてもらえます?」
「戦闘中、左右の目を別々に強化していた」
「何のために?」
「右目で遠距離。左目で近距離を見るためだそうだ」
「気持ち悪い」
「強かった」
「じゃあ褒め言葉ですね」
もう一度成績表を見る。
三位。
何もないわけではない。
そう思えるだけでかなり違った。
◇
検査室を出ようとしたところで、先生に呼び止められた。
「エルド」
「はい」
「四号を作っているらしいな」
一瞬、何のことか分からなかった。
「ああ、魔術補助環ですか」
「工房の利用申請に書いてあった」
「そうでした」
「電気で魔力を誘導すること自体は珍しくない。ただ、自分の身体へ使うなら十分に気をつけろ」
「低電圧ですよ」
「そういう話だけではない」
「安全装置も三つあります」
「エルド」
少し声が低くなる。
真面目に聞けという時の声だ。
「自分の身体を、実験用の道具と同じように扱うな」
言っている意味は分かる。
俺だって怪我をしたいわけではない。
「大丈夫ですよ。何か変だったらすぐ止めます」
「本当にな」
「はい」
その時は、本当にそうするつもりだった。
◇
検査室を出ると、ミラが廊下で待っていた。
「遅い」
「待ってたのか」
「結果見たかったから」
「性格悪いな」
「どうだった?」
結果表を渡す。
ミラは少し眺めてから笑った。
「全部三十台」
「返せ」
「一番高いの三十五」
「返せって」
紙を取り返す。
「ちなみに私、赤系統九十三になった」
「聞いてない」
「去年より二上がった」
「俺も二上がったぞ」
「三十三から三十五?」
「何で覚えてるんだよ」
「去年見たから」
「忘れろよ」
ミラ・グレイス。
俺の幼馴染で、同じ学院に通っている。
赤みのある茶髪を肩くらいで切っている。
魔力量は多い。
魔法適性も高い。
中級魔法ならほとんど無詠唱で使えるし、最近では上級者魔法も一つ覚えた。
俺とはかなり違う。
「いいよな」
気づいたら言っていた。
「何が?」
「才能ある奴は」
言ったあとで、少し後悔した。
ミラが努力していることは知っている。
「悪い。今の言い方良くなかった」
「別にいいよ」
「いや」
「実際、運良かったし」
ミラは普通に言った。
「魔力量が多いのも、適性が高いのも、生まれた時からでしょ。そこは私が努力して取ったものじゃないし」
「でも、その後はかなりやってるだろ」
「それはやった」
「知ってる」
「だから九十三」
「結局自慢するんだな」
「する」
悪びれずに笑っている。
「レンだって私にできないことできるでしょ」
「例えば?」
「右足の小指だけ強化」
「それ褒めてる?」
「私は三時間も小指に集中できない」
「やればできるって」
「やりたくない」
「じゃあ俺の勝ちだな」
「何の勝負なの」
こういう話をしている時は楽だった。
ミラの能力が羨ましいと思うことは何度もある。
でも、それでこいつを嫌いになることはなかった。
昔から知っているし、こいつがどれだけ練習しているかも知っているからだ。
◇
午後の魔法実技は《圧弾》だった。
俺は魔法を見るのは好きだ。
勉強するのも嫌いではない。
ただ、自分で使う実技はあまり好きじゃない。
「標的まで五十メートル。各自五発。今回は威力ではなく命中精度を見る」
教官の声が実技場へ響く。
ミラは俺より先だった。
標的へ向かって右手を出す。
詠唱はない。
短い破裂音がして、五十メートル先の木製標的、その中央付近が弾けた。
「十点」
二発目。
「九点」
三発目。
「十点」
簡単そうに見える。
多分、本当に簡単なのだろう。
正直、羨ましい。
「次、レン・エルド」
「はい」
前へ出る。
右手を標的へ向けた。
魔力を胸から肩へ流す。
肩から腕。
最後に掌。
ここまでは簡単だ。
身体の中なら、俺の魔力はかなり言うことを聞く。
「集え。押し固まり、前を穿て――《圧弾》」
掌から魔力を放つ。
その瞬間、少し下へ引っ張られるような感じがあった。
「あ」
直後、目の前の地面が弾けた。
砂が靴へ飛びかかる。
少し間があって、後ろから小さく笑い声が聞こえた。
「エルド」
「はい」
「標的は前だ」
「知っています」
「なぜ地面を撃った」
「俺も知りたいです」
「放出直前までは方向が合っていたぞ」
「俺もそう思ってました」
「もう一発」
「はい」
右手を上げ直す。
笑われるのには慣れている。
そう言えれば格好いいけれど、実際は何度やっても普通に嫌だ。
練習していないならまだ諦めもつく。
俺はやっている。
かなりやっている。
でも、外れる。
二発目は標的の右上へ飛んだ。
また笑い声が聞こえる。
誰が笑ったのかは見なかった。
見ても良いことはない。
三発目。
少し息を整える。
肩の力を抜く。
指、手首、肘、肩。
こういう細かい調整なら得意だ。
「《圧弾》」
今度は標的の端へ当たった。
「三点」
「……よし」
思わず声が出る。
たった三点。
でも当たった。
四発目は二点。
五発目は四点。
合計九点。
五十点満点で九点。
評価表には赤い字で、
放出後の方向制御に重大な問題あり
と書かれていた。
それは俺が一番知っている。
◇
「三発当たったじゃん」
授業のあと、ミラと一緒に校舎へ戻る。
「五発中な」
「前回一発だったでしょ」
「そうだけど」
「三倍」
「その言い方嫌だな」
「増えてるんだからいいじゃん」
「お前は?」
「四十八」
「聞かなきゃよかった」
「聞いたのレンでしょ」
歩きながら右手を開く。
親指へ魔力を集める。
次に人差し指。
中指。
薬指。
小指。
身体の中なら簡単。
「本当に何で外へ出した途端ああなるんだろ」
「適性が低いからじゃない?」
「それだけなら、毎回違う方向へ飛ぶかな」
一発目は下。
二発目は右上。
前回は左。
威力が弱いなら分かる。
発動が遅いのも分かる。
でも俺の場合、行き先まで毎回変わる。
「先生たちにも分からないなら、私には分からないよ」
「九十三なのに」
「それ関係ないから」
「便利な数字だなと思って」
「何に使うの?」
「知らない」
ミラが呆れた。
「今日も工房行くの?」
「ああ。四号完成したから」
その言葉を聞いて、ミラの顔が少し嫌そうになる。
「三号で成功したんじゃなかった?」
「成功した。でももっと効率上げられる」
「先生に何か言われなかった?」
「慎重にしろって」
「それだけ?」
「身体を実験道具みたいに扱うな、とも」
「正しい」
「そんな扱いしてない」
「一号は?」
「爆発した」
「二号」
「少し燃えた」
「してるじゃん」
言い返せなかった。
◇
放課後。
第四工房の作業台に、四号魔術補助環を置いた。
金属製の腕輪で、内側には十二個の小さな銀端子が付いている。
それぞれに微弱な電気を流せるようにしてある。
魔力は電気の影響をかなり受ける。
これは別に俺が見つけたことではない。
工場や病院でも普通に使われている技術だ。
なら、自分の体内魔力にも応用できるんじゃないか。
そう考えて作ったのが魔術補助環だった。
「何するの?」
ミラが腕輪を見ながら聞く。
「右腕の筋肉を十二系統に分けて強化する」
「普通に右腕全部強化したら駄目なの?」
「無駄が多い」
「無駄?」
「拳を握る時と開く時じゃ、使う筋肉が違うだろ。肘を曲げる時と伸ばす時も違う」
「まあ」
「なら、必要な筋肉だけ必要な時に強化した方が効率いい」
「そこまでやる必要ある?」
「俺にはある」
腕輪を左手首へ巻く。
「魔力量そのもので勝負したら、俺は多分ずっと負けるから」
他の奴が十持っていて、俺が六しかない。
なら六を上手く使うしかない。
「一の魔力で他の奴の二倍動けたら、魔力量が少なくてもどうにかなるだろ」
「だから危ないことするんだ」
「危なくはない」
「一号爆発してるけど」
「今回は安全装置三つある」
「三号も三つだったよね」
「三号は成功しただろ」
「四号も同じで大丈夫?」
「大丈夫」
「何かあったらすぐ止めてよ」
「分かってる」
「痛かったら?」
「止める」
「変な感じしたら?」
「止める」
「成功しても調子に乗らない」
「それは無理かも」
「そこも守って」
「努力する」
ミラは納得していない顔をしていた。
でも、それ以上止めることはなかった。
俺が止められてもやると思っているのだろう。
正しい。
スイッチを入れる。
手首へ弱い刺激が走った。
その刺激に引っ張られるように、魔力を少しずつ動かしていく。
一つ目。
二つ目。
三つ目。
細い魔力の流れを別々に作る。
普段なら全部自分で調整しないといけないところを、電気がある程度流れを支えてくれる。
「六……七……」
「大丈夫?」
「まだ平気」
八。
九。
十。
十一。
最後の一つを繋ぐ。
「十二」
できた。
右腕の中に十二本の魔力の流れを感じる。
「測定値」
俺が言うと、ミラが横の計器へ目を向ける。
「普通の右腕強化を百とすると……五十七」
「五十七?」
「うん」
「四十三減ってる」
「そうなるね」
思わず笑った。
「できた」
本当にできた。
いつもなら右腕全体へ魔力を流していた。
でも今回は、必要な筋肉だけを選べる。
右手で作業台の端を掴む。
指を曲げる筋肉だけに魔力を集中させた。
木が少し軋む。
「レン、机壊さないでよ」
「あ、ごめん」
「もう調子乗ってるじゃん」
「成功したから仕方ないだろ」
嬉しかった。
今日の魔法実技は九点。
適性も三十台。
でも、これはちゃんとできた。
俺が考えて作ったものが、その通りに動いている。
少なくとも魔術なら、まだ上へ行ける。
そう思えた。
その時だった。
左手首が少し熱くなる。
「ん?」
「どうしたの?」
「端子が熱い」
「止めて」
「分かった」
すぐにスイッチを切る。
電気の刺激が消えた。
これで終わり。
そう思った。
でも。
「……あれ?」
「何?」
「魔力が戻らない」
「戻らない?」
十二本に分けていた流れを解除する。
普段なら意識を外せば自然に元へ戻る。
でも戻らない。
むしろ、さっきまでより少しずつ強くなっている。
「腕輪外す?」
「待って。もう電気は止まってる」
「でも」
「これ、腕輪じゃないかも」
何となくそう思った。
次の瞬間。
右腕が、俺の意思とは関係なく強く曲がった。
「っ!」
「レン!」
肘を曲げる側の筋肉へ、一気に魔力が流れ込む。
反射的に止めようとした。
押し戻す。
でも、押し戻した魔力は消えず、そのまま反対側へ流れた。
今度は肘を伸ばす側。
両方の筋肉が同時に強化される。
「――ぐっ!」
右腕に強い痛みが走った。
曲げる力と、伸ばす力。
その両方が同時に腕へかかっている。
自分の筋肉同士が、自分の腕を壊そうとしているみたいだった。
「腕輪外すよ!」
「頼む!」
ミラが留め具を外し、腕輪を床へ落とす。
それでも止まらない。
「何で!?」
「俺にも分からない!」
右肩まで勝手に動いた。
次は前腕。
指が強く握り込まれ、爪が掌へ食い込む。
痛い。
かなり痛い。
でも、途中から痛みより怖さの方が強くなった。
これ、本当に腕が壊れるんじゃないか。
そう考えた瞬間、喉が少し詰まった。
「……嫌だ」
「レン?」
魔法が駄目でも、俺には魔術がある。
ずっとそう思っていた。
もし、この腕が動かなくなったら。
魔術までできなくなったら。
俺に何が残る?
普段なら、腕一本で全部終わるわけじゃないと考えられる。
でも、その時はそんなことまで考えられなかった。
ただ怖かった。
「止まれ……!」
自分の魔力を押さえようとする。
一つに戻す。
それでいつもなら終わる。
でも、今回は戻らない。
一つを止めると別の場所へ流れる。
右を抑えると左。
左を抑えると肩。
気づけば、最初は十二本だったはずの流れがもっと細かく分かれていた。
「何だよ、これ……」
「先生呼んでくる!」
「待って!」
「何で!」
「測定器見てくれ!」
「今そんな場合!?」
「何が起きてるか分からないと止められない!」
自分でも余裕がないのは分かっていた。
でも、何も分からないまま押さえ込んでも、どんどん悪くなっている。
ミラは一瞬迷ったあと、測定用の端子を俺の右肩へ当てた。
「何これ……」
「どうなってる?」
「数値が安定しない」
「方向は?」
「待って」
ミラが表示を切り替える。
少しして、表情が変わった。
「方向、測れない」
「何で?」
「右と左に同時に流れてる」
「同時?」
その言葉が引っかかった。
俺はずっと、どちらかを止めようとしている。
右へ行ったら左へ戻す。
左へ行ったら右へ押し返す。
全部を一つにしようとしている。
でも、それで余計に酷くなった。
なら。
「……一回、戻すのやめる」
「何?」
「止めようとするから、変なところに逃げてるのかも」
「大丈夫なの?」
「分からない」
本当に分からない。
でも今までのやり方で駄目なら、別の方法を試すしかない。
右へ流れるものはそのまま右へ。
左も止めない。
その代わり、両方を同じくらいにする。
「右が十なら……左も十」
「レン?」
「曲げる方が七なら、伸ばす方も七」
口に出しながら調整する。
頭が痛い。
右腕も痛い。
汗が出てくる。
それでも、さっきより少しだけ腕の動きが弱くなった。
「少し収まってる」
ミラにも分かったらしい。
「多分、これでいける」
細かく分かれた魔力を、一つずつ合わせていく。
右と左。
曲げる方と伸ばす方。
片方だけを止めるのではなく、両方の量を合わせる。
かなり面倒だった。
普通の状態でもやりたくない。
今は痛みまである。
それでも少しずつ痙攣が弱くなっていく。
最後に。
ふっと、右腕から力が抜けた。
「……止まった」
そのまま身体まで崩れそうになり、ミラが肩を支えてくれた。
「腕は?」
「分からない」
怖かった。
動かなかったらどうしようと思った。
でも確かめない方がもっと怖い。
指を少し曲げる。
「っ……!」
強い痛みが走る。
「動かすなって!」
「でも動いた」
「だから何!」
「いや……よかった」
本当に安心した。
その瞬間、急に気持ち悪くなった。
「ミラ」
「何?」
「吐く」
「ちょっと待って」
間に合わなかった。
◇
目を覚ますと、医務室だった。
最初に分かったのは右腕の痛みだ。
かなり重い。
少し動かそうとするだけでも痛い。
「起きた?」
横を見ると、ミラが椅子に座っていた。
「何時?」
「九時過ぎ」
「そんな寝てた?」
「四時間くらい」
右腕を見る。
胸の前で固定されている。
それを見た瞬間、少し怖くなった。
「腕、どうなった?」
「筋肉が何か所か傷ついてる。でも骨と関節は大丈夫」
「治る?」
「治るって」
「……よかった」
本当に、それしか言えなかった。
「一週間、魔術禁止」
「長いな」
「右腕の身体強化は一か月禁止」
「一か月?」
「医師が言ってた」
「長くない?」
「今日壊しかけた腕に言って」
「……はい」
何も言えない。
しばらく黙っていると、ミラが口を開いた。
「レン」
「何?」
「怒ってるから」
「分かってる」
「分かってない」
「ごめん」
「私にじゃなくて、自分に」
「え?」
「一号は爆発した。二号は燃えた。今回も危なかった」
「うん」
「どうしてそこまでやるの?」
すぐには答えられなかった。
普段なら、効率が上がるからとか、試したかったからとか、そういう話をしたと思う。
でも今回は、さっき本気で腕が壊れるかもしれないと思ったばかりだった。
いつもみたいに軽く言えなかった。
「……何もないのが嫌なんだよ」
「何もない?」
「魔法下手だろ。魔力量も別に多くないし。学院に来たら周りに凄い奴たくさんいるし」
ミラもその一人だ。
でも、それを責めたいわけではない。
「だから何か一個くらい、俺にしかできないものが欲しい」
口にすると、かなり子供っぽい。
十二歳の頃から全然変わっていない気もする。
「魔術は練習したらちゃんと上手くなるんだよ。昨日できなかったことが今日できる。今日駄目でも、もう少しやれば明日できるかもしれない。だから、もっとやれば何かあるかもしれないって思ってた」
固定された右腕を見る。
「でも今日、魔術までできなくなるかもしれないと思って、普通に怖かった」
そこは誤魔化せなかった。
「魔法が駄目でも魔術はあるって、ずっと思ってたから」
ミラは少し黙った。
「魔法使えなくても、魔術できなくても、レンはレンだよ」
「綺麗事だな」
「うん」
「そこ認めるんだ」
「でも、こういうのは誰かが言わないと駄目でしょ」
少し笑った。
「……ありがとう」
「うん」
しばらく静かになる。
それから俺は、少し迷って口を開いた。
「でも原因は調べたい」
「レン」
「治ってから。先生にも見てもらう」
ミラがこっちを見る。
「絶対一人でやらないで」
「分かった」
「本当に?」
「本当に」
「今度だけとかじゃなくて?」
「危ない実験は一人でやらない」
「全部って言って」
「……分かったよ」
ようやくミラの顔が少し普通に戻った。
◇
三日後。
学校へ戻った。
右腕はまだ固定されたまま。
魔術は禁止。
これが思ったより不便だった。
階段を上ると、無意識に脚へ魔力を流そうとする。
黒板の文字が少し見えにくいと、目を強化しようとする。
重い扉を開ける時には左腕へ魔力を集めかける。
そのたびに止める。
普段こんなに使っていたのか、と自分でも驚いた。
「落ち着かない」
教室で言うと、隣のミラが笑った。
「依存症じゃない?」
「違う」
「魔術使えないと気持ち悪いんでしょ」
「習慣だよ」
「言い方変えただけじゃない?」
「違う」
「そういうことにしておく」
その日の放課後。
オルフェン先生に呼ばれて、研究棟へ行った。
机の上には、完全に分解された四号補助環が並んでいる。
「結論から言う」
先生が紙を一枚出した。
「装置そのものには、事故を起こすような故障はなかった」
「蓄電池は?」
「正常」
「配線は?」
「問題なし」
「安全装置も?」
「三つとも正常だ」
「じゃあ」
「お前の魔力側に原因がある可能性が高い」
別の紙を渡される。
事故の時の測定記録だった。
数字を追っていく。
最後のところで目が止まる。
「方向不定?」
「ああ」
「何ですか、これ」
「そのままだ。魔力の流れる方向を正常に測定できなかった」
「故障じゃなくて?」
「三台とも同じ結果を出している」
先生が記録の一部を指す。
「複数の方向へ同時に流れている。少なくとも装置にはそう記録されている」
「……」
事故の時の感覚を思い出す。
「俺、最後に一つへ戻すのをやめたんです」
「どういうことだ」
「右へ行くものは右のまま。左もそのままにして、同じくらいの量に合わせました」
「なぜ?」
「それまで一つにしようとして、どんどん酷くなったからです」
「なるほど」
先生は少し考えながら記録を見る。
「とりあえず、その操作を一人で再現するな」
「危ないからですか」
「それもある」
「他には?」
「私もよく分からん」
「先生でも?」
「知らないものは知らない」
「そうでしたね」
「怪我が治ってから確認する。私が立ち会う」
「分かりました」
記録をもう一度見る。
方向不定。
変な結果だとは思う。
でも、今はそれよりも早く腕を治したかった。
◇
研究棟を出て、ミラと一緒に帰る。
「先生、何て?」
「四号は壊れてなかった」
「じゃあレンの方?」
「多分」
「嫌な言い方だね」
「俺もそう思う」
廊下を歩いていると、窓の外から光が見えた。
隣の実技場で、誰かが魔法を使っている。
青い光が空中へ上がり、大きく広がってから消えた。
少しだけ足が遅くなる。
「見てる」
「何を?」
「魔法」
「見てない」
「今見てたでしょ」
「目に入っただけ」
「素直じゃないね」
「うるさい」
昔だったら立ち止まって、最後まで見ていたと思う。
自分も絶対にああいう魔法を使うんだ、と考えていた。
今は違う。
凄い魔法を見れば羨ましい。
自分が上手く使えないことを思い出して、嫌になる時もある。
それでも、結局見てしまう。
嫌いにはなれない。
多分、好きなものはずっと同じ形では続かない。
でも、だからといって全部なくなるわけでもないのだと思う。
「レン、置いてくよ」
「分かってる」
少し先を歩くミラを追う。
右腕はまだ痛い。
しばらく魔術も使えない。
四号のことも、あの変な魔力の動きも、今はよく分からない。
とりあえず今日は帰る。
明日は普通に授業がある。
腕が治ったら、また魔術の練習もする。
それでいい。
今はまだ、それくらいで十分だった。
面白かったら感想やいいねをくれると作者が大歓喜します。




