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第17話 分かるという恐怖

いきなりの実践!!

 通路の奥から響いた咆哮を合図にしたように、魔獣たちが一斉に走り出した。


 それまで互いに距離を取りながらこちらを窺っていた個体まで、何かに押されるように前へ出てくる。狼に似た四足のもの、背中に硬い甲殻を持つもの、細長い脚を六本生やしたもの。それぞれ授業で見たことはある。標本だったり、映像だったり、討伐実習用に弱らせた個体だったり。


 だからこそ分かる。


 この組み合わせはおかしい。


「赤系と青系が一緒にいる……?」


 ミラが呟いた。


 俺も同じことを考えていた。


 魔獣は高濃度の魔力が溜まった場所で発生する。その土地で優勢な魔力色によって種類も変わる。赤系統の魔力が濃い場所なら熱や炎に適応した個体が出やすく、青系なら水分や冷気への適応を持つ個体が多い。もちろん全部が綺麗に分けられるわけではないし、複数色が混ざった土地もある。


 それでも、今目の前にいるものは混ざりすぎていた。


 火山地帯で見る種類と湿地帯で見る種類が、同じ通路から出てきている。


「考えるのは後だ!」


 教員の声が飛ぶ。


「前の三体を止めろ! 倒せなくてもいい、進ませるな!」


「はい!」


 返事をした瞬間には、一体目がもう近かった。


 俺は左足へ待機させていた魔力を流し、身体を横へずらす。強化は一瞬だけ。昨日まで何度もやってきた動きなのに、訓練場とは身体の感覚がまるで違う。


 床が硬い。


 息が浅い。


 相手の爪が、本当に自分を裂くために振られている。


 それだけで判断が遅れる。


「レン、右!」


 ミラの声。


 振り向くより先に身体を沈めた。


 頭上を黒い影が通る。


 別の魔獣が飛び越えていった。


「っ!」


 着地。


 後ろには避難中の学生。


 その方向だけは駄目だ。


 三秒札。


 腰へ左手を伸ばす。


 細長い形。


 取る。


 起動。


 一。


 魔獣は学生の方を見る。


 二。


 俺は魔獣の少し右側へ札を投げた。


 三。


 《圧弾》が発動する。


 空気が弾け、魔獣の横腹を直接狙うのではなく、その目の前の床を強く叩いた。


 衝撃音。


 床の埃が舞う。


 魔獣が反射的に左へ飛ぶ。


「カイル!」


「見えてる!」


 待っていたカイルが踏み込む。


 剣を横から叩きつけた。


 刃を立ててはいない。訓練用の剣だから斬れない。


 それでも身体強化を乗せた一撃は重い。


 魔獣が横へ転がる。


「効いた!」


「倒れてない!」


 すぐ起き上がる。


 カイルが一歩下がる。


「硬すぎるだろ!」


「そいつ岩殻犬! 青じゃなくて黄系寄り!」


 後ろから誰かが叫んだ。


「どっちでもいい!」


「電撃通りにくい!」


「使ってない!」


 混乱している。


 でも、その声のおかげで少しだけ頭が戻った。


 知識はある。


 相手も知っている。


 知らない化け物ではない。


 なのに、怖い。


 教科書で読んだ弱点を思い出せても、爪が目の前に来る速度までは教科書に書いていなかった。


     ◇


 ミラの魔法は、訓練の時とは違っていた。


 普段なら中級魔法を無詠唱で撃つ。今日もそれは同じだ。ただ、威力を上げて押し切るのではなく、魔獣と避難中の学生の間に薄い炎の壁を作った。


「そっち行かせない!」


 狼型の魔獣が炎を嫌って方向を変える。


 そこへ《圧弾》。


 頭ではなく前脚。


 体勢を崩す。


 続けて風。


 転がす。


 倒しきれない。


 それでも前へは進ませない。


「ミラ!」


「何!」


「左からもう一体!」


「見えてる!」


 魔法が飛ぶ。


 速い。


 俺なら札を取っている間に、ミラは二発撃てる。


 悔しいと思う暇すらなかった。


 今は助かる。


 それだけだ。


「エルド!」


 教員が俺を呼ぶ。


「はい!」


「後ろの学生、十人ずつ南側の教室へ入れろ! 通路を空ける!」


「分かりました!」


 戦えではなく、誘導。


 俺はすぐ後ろを向いた。


「前から十人! この教室へ! 走らなくていい、順番に!」


 自分の声が思ったより大きく出た。


 学生たちが動く。


 怖がっている。


 泣いている人もいる。


 でも、まだ完全な混乱にはなっていない。


 近くに教師がいる。


 戦っている学生もいる。


 避難先が示されている。


 それだけで人は動ける。


「次!」


 十人。


 また十人。


 教室へ。


 扉を閉める。


「鍵は?」


「内側から!」


「魔法陣動く?」


「補助槽で最低限!」


「じゃあ閉めて!」


 返事を聞いて次へ。


 その途中で、また空気が揺れた。


 今度は目で分かった。


 廊下に漂っていた薄い魔力が、一方向へ流れる。


 色がないわけではない。


 むしろ逆だった。


 赤。


 青。


 緑。


 紫。


 白。


 本来ならそれぞれ微妙に違う動きをするはずの色が、まとめて同じ方向へ引かれていく。


「……何だよ、これ」


 見えるほど濃いわけではない。


 でも、魔力に慣れている人間なら分かる。


 色が混ざっている。


 溶け合っているのではなく、ばらばらのまま同じ場所へ流れている。


 その瞬間、通路の奥で新しい魔獣が現れた。


 小さい。


 猫ほど。


 全身が白い。


「白系?」


 思わず声が出る。


 白系魔力が濃い場所で発生する魔獣は少ない。


 少なくとも、この地方ではほとんど見ない。


 その後ろから、赤黒い甲殻を持つ大型個体。


 さらに青い膜のような皮膚を持つ細長いもの。


「本当に全部いる……」


 ミラも気づいた。


「何で?」


「知らない!」


 知っていることと合わない。


 高濃度の魔力があれば魔獣が発生する。


 色によって種類が変わる。


 そこまでは常識。


 なら今ここでは、複数色の魔力が高濃度になっている。


 でも、さっきまで空気中魔力は減っていた。


 減っているのに高濃度。


 矛盾している。


「どこかで集まってる?」


 口に出した。


 考えた瞬間、体内の魔力がまた西へ引かれる。


 今度はさっきより弱い。


 でも確かに。


「レン!」


 ミラが俺を見る。


「何か分かった?」


「いや」


 答えながら、頭の中では一つだけ繋がっていた。


 減っている場所。


 流れている方向。


 魔獣が出てくる場所。


 全部、西側。


 ただ、それだけ。


 原因なんて分からない。


 今決めつけるのは危ない。


「後で先生に言う」


「今は?」


「逃げる」


「うん」


 それでいい。


     ◇


 避難は思ったより進んでいた。


 南側の講義室へ学生を一度収容し、そこから別の教師がさらに安全な経路へ誘導していく。俺たちはその間の通路を維持する役目になった。


 魔獣の数は増えている。


 でも教師も増えた。


 別区画から来た上級生。


 警備職員。


 戦闘系の研究員。


 学院が巨大だから、人もいる。


「下がれ!」


 太い声。


 直後、俺たちの前を巨大な何かが横切った。


 拳。


 人間の。


 ただし、強化された腕が魔獣の頭を真正面から殴り抜いた。


 一撃。


 大型の魔獣が床を滑る。


「……バルガスさん?」


 見覚えのある背中。


「おう」


 振り返った男が、こんな状況なのに普通に返事をした。


「生きてるな」


「今のところ!」


「ならいい」


 レオル・バルガス。


 公開日に学院へ来ていた軍属魔術師。


 今日もいたのか。


「何でいるんです?」


「研究院と話があった」


「こんな日に?」


「俺もそう思ってる」


 そう言いながら、次の魔獣の突進を横へずれて避ける。


 小さい。


 本当に小さい。


 紙一枚分くらい。


 それだけで魔獣の爪が空を切る。


「先生!」


 近くの教員が声をかける。


「西側からの流入が止まりません!」


「見れば分かる!」


「第四隔壁も突破!」


「南は?」


「まだ維持!」


「なら生徒を全部南へ回せ!」


 バルガスさんは俺たちを見る。


「お前らは?」


「避難補助です」


「エルドは右腕禁止か」


「まだです」


「使ったか?」


「使ってません」


「偉い」


「最近そればっかり言われるんですけど」


「じゃあ言われなくなるまで続けろ」


 こんな時まで同じことを言う。


 少しだけ力が抜けた。


「グレイス」


「はい」


「魔法は撃てるか」


「撃てます。でも外の魔力が変です」


「自前で足りる範囲だけにしろ。大技は禁止」


「分かりました」


「カイル」


「はい」


「剣は?」


「問題ないです」


「なら無理に倒すな。脚狙え」


「はい!」


 バルガスさんは最後に俺を見る。


「エルド」


「はい」


「何が見えてる」


 急に聞かれた。


「何がって」


「さっきから魔獣より後ろ見てるだろ」


 ばれていた。


「魔力です」


「どうなってる」


「西へ流れてます。色関係なく」


 バルガスさんの表情が少し変わる。


「色関係なく?」


「赤も青も白も。混ざってるというより、ばらばらのまま同じ方向へ」


「見間違いは」


「あるかもしれません。でも、魔獣の種類もおかしいです」


 そこまで言うと、近くの教員もこちらを見た。


「確かに発生系統が一致していない」


「この区画の環境魔力は?」


「通常は藍と青がやや強い程度です。赤系大型が自然発生する濃度ではありません」


「じゃあどこから来た」


 誰も答えない。


「とにかく記録しろ」


 バルガスさんが言う。


「今は原因探しより生徒だ」


 教員が頷く。


 それで話は終わった。


 俺もそれ以上考えない。


 考えたくても、目の前に次が来る。


     ◇


 魔獣の勢いは、突然強くなった。


 何かが変わったというより、一度に発生する数が増えた。


 通路の奥。


 非常灯の赤い光。


 その向こうに、次々と影ができる。


 走ってくる。


 飛んでくる。


 這ってくる。


「多い!」


 カイルが叫ぶ。


「一旦下がれ!」


 教師の指示。


 俺たちは五歩。


 十歩。


 後退する。


 その間にも魔法が飛ぶ。


 炎。


 風。


 石。


 色が混ざる。


 魔獣も混ざる。


 何がどれに効くのか、一瞬で判断するのが難しい。


「赤甲種に炎撃つな!」


「分かってます!」


「青膜種は衝撃!」


「こっち来てる!」


 俺の正面。


 青い半透明の皮膚。


 細長い四足。


 名前。


 何だ。


「水膜獣!」


 後ろの上級生が叫ぶ。


「打撃で散らせ!」


 打撃。


 俺には武器がない。


 一秒札。


 一枚。


 残り。


 もうない。


 三秒札。


 一枚。


「ミラ!」


「何!」


「そいつ横へ追える?」


「やる!」


 ミラが風を使う。


 直接当てるのではなく、足元。


 水膜獣の身体が右へずれる。


 俺は三秒札を起動する。


 一。


 走る。


 二。


 札を床へ滑らせる。


 三。


 《圧弾》。


 下から衝撃。


 水膜獣の身体が大きく浮いた。


「今!」


 カイルが剣を叩き込む。


 透明な膜が破れるような音。


 魔獣が床へ落ちた。


「倒した?」


「分からん!」


 動かない。


 でも確認している暇はない。


「次!」


 また来る。


 繰り返す。


 魔力待機。


 短時間強化。


 移動。


 避ける。


 呼ぶ。


 誰かに任せる。


 俺が倒せないなら、倒せる人のところへ動かす。


 その方が早い。


 訓練でやったことが、形を変えて出てくる。


 ただし、訓練と違って一度失敗するたびに身体が冷たくなる。


 少し遅れた。


 今の爪、近かった。


 あの学生が転んでいたら。


 札が逆向きだったら。


 いちいち考えていたら動けない。


 でも考えないと死ぬ。


「レン!」


 カイルの声。


 振り向いた時には遅かった。


 小型の魔獣が横から飛んでくる。


 避ける。


 間に合わない。


 右腕。


 反射的に上がった。


「――っ!」


 身体が勝手に魔力を流そうとする。


 右腕へ。


 強化。


 止める。


 無理に。


 その一瞬で動きが遅れた。


 爪が右前腕を掠める。


 服が裂けた。


「レン!」


 痛み。


 ある。


 でも浅い。


「大丈夫!」


 すぐ下がる。


 右腕を見る。


 血。


 少し。


 傷自体は大したことない。


 問題は。


 今、強化しかけた。


「使った?」


 ミラが近くまで来る。


「流す前に止めた」


「本当に?」


「ああ」


 多分。


 一瞬。


 少し流れたかもしれない。


 分からない。


「下がって!」


「まだ動ける!」


「右腕怪我した!」


「表面だけ!」


「エルド!」


 教師の声。


「交代! 後ろへ!」


「でも」


「後ろへ!」


 命令。


 逆らえない。


「……はい!」


 悔しい。


 でも下がる。


 俺が抜けた場所へ上級生が入る。


 ちゃんといる。


 俺がいなくても前線は崩れない。


 それが少し安心で、少し悔しかった。


     ◇


 後方へ下がると、簡易治療所ができていた。


 机を並べただけの場所。


 治療科の学生と教師が何人も動いている。


「右腕、爪傷!」


「座って!」


「浅いです」


「判断はこっちでする!」


「はい」


 強い。


 すぐ座る。


 袖をまくられる。


「元から怪我してる?」


「筋損傷。治療済みで回復途中。身体強化は禁止中です」


「使った?」


「反射で流しかけて、止めました」


「流しかけた?」


「多分一瞬」


「分かった」


 治療担当の学生が先生を呼ぶ。


 俺の腕へ小型の検査陣。


 魔力が薄く走る。


「表面裂傷。筋肉への新しい損傷は今のところ見えない」


「じゃあ戻れます?」


「戻りません」


「ですよね」


「分かってるなら聞かないで」


 消毒。


 止血。


 簡単な処置。


 解毒魔法も使われる。


 爪に何が付いているか分からないからだ。


「今日は右腕完全禁止」


「元からです」


「日常動作もできるだけ左」


「そこまで?」


「新しい傷があるから」


「はい」


 返事をする。


 戦いに戻れない。


 なら何をする。


 周囲を見る。


 負傷者。


 運ばれてくる学生。


 泣いている人。


 手を押さえている人。


 血。


 思ったより多い。


 まだ死者は見えない。


 それだけで少し息が戻る。


「手伝えることあります?」


 治療担当へ聞く。


「戦闘できる?」


「今止められました」


「じゃあこの札持って、次の教室へ。軽傷者をこっちへ誘導して」


「分かりました」


 戦えなくてもやることはある。


 立つ。


 左手で札を受け取る。


 教室へ向かう。


 途中、窓のない通路の壁に付いていた魔力計が目に入った。


 数字が戻っている。


 いや。


 違う。


 空気中魔力濃度が上がっている。


 さっき六割まで下がっていた。


 今は九割。


「戻ってる?」


 近づく。


 十割。


 さらに上がる。


「……待て」


 正常値を超える。


 一一〇。


 一二〇。


 一三〇。


 警告。


 高濃度。


 魔力が減っていたはずなのに。


 今は増えている。


 どこから。


 答えを考える前に、表示が揺れた。


 赤。


 青。


 緑。


 色別濃度の表示が全部上がる。


「全部?」


 普通じゃない。


 一色が濃い場所なら分かる。


 でも全部。


 それもほぼ同時。


 壁の向こうから、また魔獣の咆哮が聞こえた。


 高濃度。


 多色。


 魔獣。


 そこまでは知識通りだ。


 だから余計に嫌だった。


 魔獣が出る理由自体は分かる。


 高い魔力濃度があるから。


 でも。


「何で、こんな場所が急にできたんだよ」


 誰も答えない。


 そして今は、それを調べる時間でもない。


 俺は魔力計から目を離し、負傷者のいる教室へ向かった。


     ◇


 異変が始まってから、どれくらい経ったのか分からなくなっていた。


 三十分。


 一時間。


 もっと短いかもしれない。


 学院内の放送は何度も更新された。


『南中央区の避難完了率、七割』


『西部第五研究棟封鎖失敗』


『北西区の学生は北部避難路へ』


『治療区画二、受け入れ上限。以後は中央医療棟へ』


 聞くたびに状況が悪いのか良いのか分からない。


 避難は進んでいる。


 でも封鎖は失敗している。


 魔獣はまだ増えている。


 途中から軍と学院外の警備隊も入ったらしい。


 巨大な学院だから、外へ出るだけでも時間がかかる。


 俺は軽傷者を誘導し、荷物を運び、空いた教室の確認をしていた。


 戦っていない。


 それでも休む暇はなかった。


「エルド!」


 声をかけられ振り向く。


 オルフェン先生だった。


「先生」


「腕は?」


「掠られました。筋肉は大丈夫です」


「見せろ」


「治療済みです」


「見せろ」


 右腕を出す。


 包帯。


 先生はそれを見て、少しだけ眉を寄せた。


「強化は」


「流しかけて止めました」


「痛み」


「ないです」


「後で検査する」


「はい」


 先生の服はいつもより汚れていた。


 袖に黒い煤。


「先生、何が起きてるんです?」


「まだ確定していない」


「西部研究区ですよね」


「ああ」


「魔力が一回減って、そのあと全部の色が上がってます」


 先生が俺を見る。


「見たのか」


「魔力計で」


「他には」


「西へ流れてました。色関係なく。それと方向不定」


「どこで」


「避難途中の非常計。何回も方向表示変わって、最後に」


「記録は残る」


 先生が小さく息を吐いた。


「ちょうどいい。お前に聞きたいことがある」


「何です?」


「四号事故の時、方向不定になる直前、お前は何を感じた」


 急だった。


「前にも話しましたよね」


「もう一度だ」


 思い出す。


 痛み。


 熱。


 腕の中。


 二方向。


「魔力が反対へ流れてました」


「同じ魔力が?」


「はい。右と左というか、相反する方向に」


「色は」


「俺の魔力だけです」


「当然か」


「今回と関係あるんです?」


「分からん」


 いつもの答え。


 でも顔がいつもと違う。


「似た測定結果が出ている。それだけだ」


「どこで?」


「西部研究区」


 やっぱり。


「実験ですか」


 先生はすぐには答えなかった。


 それだけで十分だった。


「何の実験?」


「まだ生徒へ説明する段階ではない」


「でも先生」


「エルド」


 声が少し強くなる。


「今は研究者として聞くな」


 止まる。


「生徒として、自分と周りを守れ」


 何も言えなかった。


 先生は研究者だ。


 でも教師でもある。


 今はそっちを優先している。


「……分かりました」


「よし」


 先生はそれだけ言うと、別の通路へ向かおうとした。


「先生」


「何だ」


「一つだけ」


 振り返る。


「今回の魔獣、出てきたんですか。それとも外から来たんですか」


 先生の表情が止まった。


 数秒。


「少なくとも、西部第四研究棟の内部で最初に確認された個体については」


 一度言葉を切る。


「外部から侵入した経路が見つかっていない」


 背中が冷えた。


「じゃあ」


「それ以上はまだ分からん」


 先生は行った。


 残された俺は、その場から少し動けなかった。


 魔獣は高い魔力濃度の場所で発生する。


 知っている。


 常識だ。


 なら高濃度になった研究棟の中で発生した。


 それ自体は説明できる。


 でも。


 数分前まで魔力が減っていた場所が、どうして突然、複数の色を同時に高濃度にした。


 そこが分からない。


 知っている仕組みのはずなのに、原因だけが抜けている。


 それが、知らないものより気持ち悪かった。


     ◇


 夕方近くになって、ようやく西部からの魔獣発生数が減ったという放送が流れた。


 完全に止まったわけではない。


 ただ、増え方が明らかに落ちたらしい。


 軍と教員が主要通路を封鎖し、避難も大半が終わった。


 俺たちは中央講義棟の一室へ集められた。


 ミラもいる。


 カイルもいる。


 二人とも怪我はない。


 それを確認した時、ようやく身体の力が抜けた。


「レン、腕」


「浅い」


「見せて」


「もう治療した」


「見せて」


 今日二回目だ。


 包帯を見せる。


「本当にこれだけ?」


「ああ」


「強化は?」


「先生にも聞かれた」


「使った?」


「流しかけた」


 ミラの顔が固くなる。


「でも止めた」


「痛くない?」


「ない」


「あとで検査する?」


「先生がやるって」


「なら絶対行って」


「行く」


 カイルが隣の椅子へ座る。


「俺、今日初めて魔獣怖いと思った」


「今まで怖くなかったの?」


「訓練のやつしか相手したことなかったから」


「俺も」


 訓練用は管理されている。


 弱らせてある。


 教師がいる。


 危なくなれば止めてもらえる。


 今日は違った。


「剣で受けた時、普通に腕持ってかれるかと思った」


 カイルが右手を見る。


「身体強化してても?」


「ああ。あれ何だったかな。黒い甲殻の」


「岩殻犬?」


「多分」


「黄系のやつ」


「何であんなのと水膜獣が同時にいるんだよ」


「分からない」


 答えながら、俺は教室の窓を見る。


 遠くに西部研究区がある。


 煙は少し。


 建物が何棟か壊れている。


 でも学院全体が崩壊したわけではない。


 人も動いている。


 非常用の運搬台も走り始めている。


 日常へ戻ろうとしている。


「原因、実験らしい」


 小さく言う。


 ミラとカイルが同時にこっちを見る。


「聞いたの?」


「先生に直接は教えてもらってない。でも研究棟で何かやってたのは確か」


「何の実験?」


「分からない」


「先生でも?」


「多分知ってる。でも今は言わなかった」


 カイルが窓の方を見る。


「研究でこんなことになるんだな」


 その言葉に、少しだけ胸が詰まった。


 俺も研究している。


 四号で自分を傷つけた。


 あの時は俺一人だった。


 今回は違う。


 学院中が避難した。


 怪我人が出た。


 魔獣が出た。


 研究をした人間だって、こんなことを起こしたかったはずがない。


「事故だろ」


 俺は言った。


「多分」


「でも事故で済む?」


 カイルが聞く。


 すぐに答えられなかった。


 事故だから仕方ない。


 そう言えば簡単だ。


 でも今日怪我した人に、それで終わる話なのか。


 研究者が悪い。


 それも簡単だ。


 でも何をやっていたのかも知らない。


「分からない」


 結局それしか言えなかった。


「何が起きたか知らないと」


「レン、調べる気?」


 ミラが聞く。


「……ある」


「やっぱり」


「でも今すぐ勝手に研究棟行ったりはしない」


「そこは分かってる」


「先生が話せるようになったら聞く」


 それでいい。


 今は。


 窓の外では、夕方の光が研究区を照らしていた。


 朝と同じ学院。


 建物も道路も、ほとんど同じ。


 でも一度知ってしまうと、もう同じには見えなかった。


 魔獣は高い魔力濃度の場所で発生する。


 色によって種類が違う。


 そんなことは子供でも知っている。


 今日起きたことも、その部分だけなら知識の範囲内だった。


 だからこそ。


 俺は、原因の分からない魔獣よりも。


 知っているはずの仕組みが、知らない動きをしたことの方が怖かった。


何とか収まりましたねフフフ・・・

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