第10話 ”役に立たない”と”未来が無い”はイコールじゃない
右足小指強化!
次の日の昼休み、俺は図書館の身体機能学区画にいた。
昨日、オルフェン先生に「右足の小指だけ強化できても、それで何ができる」と言われたせいだ。別に意地になったわけではない。少なくとも自分ではそう思っている。ただ、帰り道で一度気になってしまった以上、そのまま放っておく方が落ち着かなかった。
足の骨格図が載った本を開き、机の上に置く。足の小指なんて普段ほとんど意識しないのに、調べてみると妙に細かい。骨、腱、筋肉、足裏の接地、歩行時の重心移動。小さいくせに、ちゃんと身体の一部として仕事をしている。
「本当に調べてる……」
向かい側から呆れたような声がした。
顔を上げると、ミラが昼食の包みを持って立っていた。
「何でここにいるんだよ」
「食堂行ったらいなかったから。カイルに聞いたら、図書館じゃないかって」
「何で分かったんだ」
「昨日、小指の話してたからじゃない?」
そこまで俺の行動は分かりやすいのだろうか。
ミラは俺の向かいに座ると、机の上の本を覗き込んだ。図には足を横から見た骨格と、足裏から見た筋肉の配置が描かれている。
「これ、何に使うの?」
「それを調べてる」
「先に使い道決めてから調べるんじゃなかったの?」
「先生にはそう言われたけど、使い道があるか調べるのも必要だろ」
「都合よく解釈してない?」
「してない」
少しはしているかもしれない。
でも完全に無意味ではなかった。歩く時も走る時も、足の外側は重心の制御に使われる。小指そのものだけで何か劇的なことができるわけではないけれど、その周辺を含めて細かく制御できれば、着地や方向転換の安定には使えそうだった。
「ほら、ここ」
図を指で示す。
「急に横へ曲がる時、足の外側でも地面押してるだろ」
「多分」
「そこだけ一瞬強化したら、踏ん張りやすくなるかもしれない」
「小指だけ?」
「小指だけじゃなくて、その周辺も」
「もう小指じゃないじゃん」
「発展したんだよ」
最初は右足の小指だけだった。そこから周辺の筋肉、足首、膝と考えていけば、結局は普通の身体強化に近づいていく。
ただ、全部を同じ強さにする必要はない。
必要な瞬間に、必要な場所だけ少し強くする。
それなら俺が今やろうとしていることとも繋がる。
「昨日の先生の話、結構気にしてる?」
ミラが昼食を開きながら聞いてきた。
「どれ?」
「できるだけじゃ意味ないってやつ」
「少し」
俺は本へ目を戻した。
「でも、別に役に立たないことをやるのが嫌になったわけじゃない」
「うん」
「できるか気になるなら、今でも試すと思う」
「うん」
「ただ、それで終わるんじゃなくて、使えるなら使い方まで考えた方が面白いかなって」
言葉にすると、昨日より少し整理できた気がした。
先生は「役に立たないことをやるな」と言ったわけではない。
できることそのものに価値がない、とも言っていなかった。
ただ、それを研究として積み上げるなら、その先を見ろという話だった。
「レンって、そういうこと考えるようになったんだね」
「何だよ、その言い方」
「前なら『できた、面白い』で三時間くらい満足してたから」
「今も満足はする」
「じゃあ変わってないじゃん」
「そのあとも考えるようになった」
「少し成長した」
「またそれか」
最近、周りから成長したと言われるたびに、前の俺がどれだけ酷かったのか気になってくる。
別にそんなに無茶ばかりしていたつもりはない。
四号は例外だ。
多分。
「そういえば、五号どうなったの?」
「昨日、外部制御部の試験した」
「聞いてない」
「昨日お前いなかっただろ」
「それでも言ってよ」
「何で?」
「気になるから」
そう言われると少し嬉しい。
「停止機構は全部動いた。次は端子と、人工魔力材で試験する」
「人工魔力材?」
「俺も昨日初めて知った」
「何それ」
「魔力を保持できる人工素材らしい」
「魔石とは違うの?」
「多分」
そこが今日、もう一つ調べたいことだった。
小指の本の横には、すでに魔法工学の資料も積んである。昼休みだけで全部読むのは無理だから、何冊か借りて帰るつもりだ。
ミラが本の山を見る。
「今日も寝るの遅くなりそう」
「ならない」
「本当に?」
「今日は五号触らない」
「本は読むんでしょ」
「読む」
「結局遅くなるじゃん」
「読むだけなら大丈夫」
「昨日も設計だけだったよね」
痛いところを突かれた。
俺は何も言わずにページをめくった。
◇
午後の最初の授業は魔法工学基礎だった。
普段ならそこまで前の席へ行かないけれど、今日は少し早めに教室へ入り、前から三列目に座った。人工魔力材について聞きたかったからだ。
教師は五十代くらいの男性で、魔法工学の実習より理論を担当している。授業が始まると、今日は魔力を蓄える素材の違いについて説明し始めた。
「魔力を保持できる物質、と聞いて最初に思いつくものは何だ」
何人かが手を上げる。
「魔石」
「そうだ」
黒板へ大きく書かれる。
「魔石は自然界で形成される。魔力保持量、安定性、伝導率ともに優秀だ。ただし品質差が大きい。加工にも限界がある」
次に別の言葉。
**人工魔力材。**
「一方、人工魔力材はその名の通り、人為的に作る。性能だけ見れば高品質な魔石には及ばないものが多い。ただし形状、性質、保持量をある程度こちらで調整できる」
昨日オルフェン先生が言っていたものだ。
教師は小さな白い板を取り出し、机の上へ置いた。
見た目は陶器に近い。
「これも人工魔力材だ。内部に微細な魔法陣構造を何層も作り、魔力を保持できるようにしてある」
「先生」
「何だ、エルド」
名前を呼ばれる前にこっちを見られた。
「試験用に使う場合、どれくらい魔力入ります?」
「用途による」
「身体強化一回分くらいなら?」
「この大きさなら余裕だ」
「魔力を流し続けることもできます?」
「できる。何に使う」
「電気式の魔術補助装置の試験です」
教師が少しだけ眉を上げた。
「お前か」
「何がです?」
「腕を傷めた学生」
「何で知ってるんですか」
「工学系の教員間では少し話になった」
嫌な広まり方をしている。
「事故の方じゃなくて装置の方を見てください」
「装置が事故を起こしたんだろう」
「そこは否定できません」
教室から少し笑いが起きる。
「人工魔力材を人体代わりに使いたいのか」
「はい。端子からちゃんと誘導できるか確認したくて」
「なら使える。ただし人体と同じ反応をすると思うな」
「そこは分かってます」
「保持するだけだ。魔力経路も筋肉もない」
「まず装置側がちゃんと動くかだけ見たいです」
「それなら十分だ」
教師が少し考えたあと、黒板へ簡単な図を描いた。
「人工魔力材は便利だが、便利だから安全というわけではない。一定以上を入れれば飽和するし、内部構造が壊れれば保持していた魔力を一気に放出することもある」
「爆発します?」
「場合による」
「嫌な言い方だな」
「魔力を蓄えるものは大体そうだ」
俺はノートへ書き込む。
**飽和量確認。破損時の放出。**
五号とは別の危険が増えた。
でも人体でいきなり試すよりずっといい。
「エルド」
「はい」
「お前、今度は先に壊し方を考えておけ」
「壊し方?」
「安全に壊れる方法だ」
少し意味が分からなかった。
「壊れない方がよくないですか?」
「当然だ。ただ、絶対に壊れないものはない」
教師が机の白い板を指で軽く叩く。
「壊れた時にどうなるかまで決めておく。それが工学だ」
その言葉は、オルフェン先生からここ数日ずっと言われていることと同じだった。
動かすことだけではない。
止める。
壊れる。
失敗する。
そこまで考える。
四号の時は、そこが完全に抜けていた。
今思えば、三つ安全装置を付けたことで安心していたのだと思う。
三つもある。
だから大丈夫。
そう考えていた。
実際には全部、電気を止めるためのものだった。
一つの考え方しかなかった。
「……工学って面倒ですね」
思わず言う。
「嫌ならやめろ」
「嫌とは言ってないです」
「なら覚えろ」
「はい」
面倒だけど、面白い。
多分そこが一番困る。
◇
授業が終わると、俺はそのまま教師のところへ行った。
「先生、人工魔力材借りる申請ってどこです?」
「研究用途か?」
「オルフェン先生の監督下です」
「なら研究室から出せる。三年用の実習材で足りるだろう」
「高いやつじゃなくていいです」
「お前に高品質品は渡さん」
「信用ないな」
「壊す前提で使うんだろう」
「安全試験です」
「同じだ」
申請用の紙を一枚渡される。
「それと、昨日話した魔法工学連携の仮希望を出したなら、こういう設備を使う機会は増える」
「先生、何で俺の希望知ってるんです?」
「教員だからだ」
当たり前のように言われる。
「精密魔術が第一だったな」
「はい」
「工学を第三にしたのは?」
「補助環作ってるからです」
「それだけか」
「今は」
「なら十分だ」
意外だった。
「もっと目的考えろって言われるかと思いました」
「誰に」
「オルフェン先生」
「研究院の人間はすぐそれを言う」
「先生は違うんです?」
「作りながら見つかる目的もある」
教師は申請書の書き方を指で示しながら続けた。
「最初から役に立つものだけ作っていたら、今ある魔法道具の半分は存在していない」
「そうなんですか」
「家庭用の魔力温度調整器だって、元は工房で魔石を一定温度に保つための装置だ」
家にもある。
冬は暖房。
夏は冷却。
珍しくもない道具だ。
「用途なんて後から変わる。だから、面白いから作るのも別に悪くない」
「じゃあオルフェン先生と意見違う?」
「別に」
「どっちです?」
「作ったあと何にも使わず放置するなら、研究としてはそこで終わりだ。あいつが言っているのはそういう話だろう」
結局同じところに戻った。
「先生たち、言い方違うだけで結構似たこと言いますね」
「教える内容は同じだからな」
当然か。
◇
放課後、俺は人工魔力材を受け取ってオルフェン先生の研究室へ向かった。
白い板が三枚。
手のひらより少し大きい。
一枚くらい壊してもいいと言われた。
壊したくはない。
でも安全試験なら壊れる可能性はある。
「持ってきました」
「早いな」
先生が一枚取って光に透かす。
「実習用か」
「これで足ります?」
「十分だ」
五号試験機も、昨日のまま研究室に置いてある。
外部制御部。
まだ端子は仮のものだけ。
「今日は何します?」
「まず人工魔力材自体の特性を測る」
「装置使わない?」
「先に材料を知れ」
「はい」
魔力材を測定台へ置く。
最初は俺の魔力を少量流す。
板の中へ暗い藍色が広がった。
魔力色まで残るらしい。
「面白いな」
「そこに食いつくのか」
「だって俺の色そのまま入ってますよ」
「魔力を保持しているんだから当然だ」
「分かってますけど」
透明に近かった板が、かなり暗い色になっている。
少し黒く見える。
「量は?」
「二十」
「まだ入ります?」
「かなり」
さらに流す。
三十。
四十。
五十。
「止めろ」
「まだ余裕ありますよ」
「今日は五十まででいい」
「何で?」
「装置の試験に五十も使わん」
必要以上にやるな。
最近ずっとこれだ。
「次。自然放出を見る」
魔力を入れた板をそのまま置く。
数値が少しずつ下がる。
「結構減るんですね」
「実習材だからな」
「高いやつだと?」
「数日保持するものもある」
「便利だな」
「値段もそれなりだ」
十分ほど測定し、次に電気を流す。
微弱な電流。
「どうなると思う」
「魔力動く?」
「やってみろ」
板の両端へ端子を置く。
スイッチ。
中に広がっていた暗い藍色が、少しだけ片側へ寄った。
「おお」
「人体より単純だから分かりやすいな」
「これ、五号試験にかなり使えますね」
「ああ」
電気を切る。
魔力が少しずつ元へ広がる。
「逆方向」
「はい」
今度は反対。
また寄る。
問題なし。
「じゃあ五号繋げます?」
「まだだ」
「何で?」
「端子側の出力を測っていない」
「あ」
そうだった。
先生が別の測定器を持ってくる。
「一つずつやれ」
「はい」
急いでいるつもりはない。
でも目の前で試験素材が動いていると、早く五号へ繋ぎたくなる。
それを先生には全部分かっているらしい。
「エルド」
「何です?」
「今、早く繋ぎたいと思ってるだろ」
「……はい」
「顔だ」
「もう言わなくていいです」
分かっている。
◇
端子の試験が終わった頃には、外が暗くなり始めていた。
五号そのものへ人工魔力材を繋ぐところまでは進まなかった。
少し残念だけれど、今日はここまで。
先生が記録をまとめている間、俺はさっき使った人工魔力材を眺めていた。
まだ少しだけ俺の魔力が残っている。
暗い藍。
魔力色を見るだけなら、昨日公開日に使った測定器と似ている。
「先生」
「何だ」
「こういう人工素材って、治療にも使うんですか?」
「使うことはある」
「どうやって?」
「魔力を自力で安定して供給できない患者への補助、測定器の校正、魔法陣の試験。他にも色々だ」
「患者に直接?」
「場合による」
先生は記録から目を離さず答える。
「ただ、人間の魔力は本人のものを使う方が基本的には安定する。治療でもそうだ」
解毒魔法も、患者本人の魔力を使う。
その方が負担が少ないと授業で聞いた。
「他人の魔力入れたら駄目なんですか?」
「駄目ではない。ただ調整が面倒だ」
「色の問題?」
「色だけではない」
先生がようやく顔を上げた。
「人間の魔力は、同じ色でも全く同じではない。流れ方、馴染み方、反応。個人差がある」
「再生魔術が他人に効きにくいのもそれですか?」
「分からん」
即答だった。
「関係しているという説はある。ただ、それだけで説明できない」
「先生でも分からないんですね」
「何度言わせる。分からないものは分からない」
「そこは好きですよ」
「急に気持ち悪いな」
「褒めてるんですけど」
「いらん」
先生はまた記録へ戻った。
俺も魔力材を見る。
同じ魔力。
違う人間。
身体の中では何か違う。
少し気になる。
でも今は五号の方が先だ。
何でも一度に手を出したら本当に終わらない。
「先生、これ借りて帰っていいです?」
「駄目だ」
「何も流しませんよ」
「研究室管理だ」
「じゃあ明日また来ます」
「好きにしろ」
多分来る。
◇
研究室を出ると、廊下の窓から学院の夜景が見えた。
夜になっても暗くはない。
通路には魔法陣式の照明が並んでいるし、遠くの研究棟や工房にも明かりが残っている。大通りでは荷物を運ぶ車両がゆっくり走り、その下に描かれた駆動用の魔法陣が淡く光っていた。
見慣れている。
子供の頃から、こういうものは普通にあった。
魔法と聞けば、昔見た大きな炎の鳥を思い出す。
でも実際に生活していると、魔法はもっと地味なところにいくらでもある。
灯り。
水。
温度調整。
治療。
工場。
運搬。
俺が今作っている五号だって、やっていること自体はその延長だ。
電気で魔力を動かす。
別に俺が最初に見つけたわけではない。
医療でも工業でも使われている。
だったら俺が作っているもののどこが俺のものなのか。
少し前なら、そこで嫌になったかもしれない。
自分にしかできないものが欲しい。
ずっとそう思っている。
今も変わらない。
ただ、材料も考え方も全部自分で発見しなければ自分のものにならない、というのは違う気がしてきた。
誰かが作った魔法陣。
誰かが見つけた電気と魔力の関係。
誰かが考えた安全装置。
バルガスさんの魔力待機。
カイルの切り替え。
先生たちの助言。
その全部を使って、俺が欲しいものを作る。
それでも多分、できあがるものは俺のものだ。
「……まだできてないけど」
自分で言って少し笑う。
五号はまだ箱と配線。
端子も未完成。
人体試験なんてずっと先。
完成するかも分からない。
でも、そのくらいでいい。
今日一日で分かったのは、人工魔力材が思ったより使いやすいことと、右足の小指も完全に無意味ではないということくらいだ。
どっちも世界を変えるような発見ではない。
それでも俺には面白かった。
正門へ向かう途中、ふと思い出して自分の右足を見る。
結局、小指の使い道はまだちゃんと試していない。
右腕が治るまでは脚の訓練を増やしてもいい。
方向転換。
着地。
姿勢制御。
「明日やるか」
今すぐ訓練場へ行こうとは思わなかった。
今日はもう遅い。
帰って飯を食って、本を少し読む。
それから寝る。
明日やればいい。
最近、それが普通にできるようになってきた。
少し物足りないけれど。
そのくらいが、多分ちょうどいい。
エルド君のブレーキがどんどん強くなってしまう・・・




