ep9:おやすみなさいませ
「ゾンビとは、まぁ醜い評価をしますねぇ」
夜鷹は灰皿に煙草を擦り付けた。その時の彼の指は煙草の中央部を潰していた。
「おっと、勘違いしないでおくれよ。別に彼女をバカにした訳じゃない。私からしても感動の復活だ」
草薙は「ただ……」と続ける。その彼女の瞳には演技ではない『哀』が込められていた。
「小柳遥花は『小柳遥花』にはなれないよ。完璧な元には戻れない。だからゾンビだ」
「……厳しいお言葉だ」
「でも、ゾンビにはゾンビなりの生き方があるんじゃないかな?例えば……」
草薙も灰皿に煙草を擦り付け、喫煙室の扉の方に視線を向け、こう言った。
「死なないとかさ」
それだけ言い残すと草薙は可愛い教え子の元へ足を進めた。元教え子には目も向けず。
「……よく言うよ」
一人、部屋に籠る鴉は新たな灯りを求めて再び煙草に火をつけた。
◇◇◇
「……初めての劇団員との練習はどうでしたか?」
帰りの車の中、夜鷹は後部座席でウトウトしている遥花に話しかけた。落ちかけていた遥花の頭は夜鷹の声によって起き上がる。
「……疲れた」
「はは、お疲れ様です」
「……何か面白いことでも?」
「いやぁ?お嬢がここまで疲れているのを初めて見ましたので」
バックミラー越しに頬を膨らませる遥花の様子を夜鷹は見ていた。そして、彼は思う。……彼女は本当に人が変わったな、と。
まるで、ドッペルゲンガーだ。
「……夜鷹ってさ、泣く時って笑う?」
「え、笑わないですけど。……どうしてです?」
「いや……さ、今日、草薙先生に言われて演技したんだよ」
「……へぇ」
夜鷹は喫煙室での会話を思い出す。おそらく、草薙が遥花を評価した演技の話だろう。
「突然、泣けって言われてさ……」
「それは中々な難題で」
「で、私はその泣く演技で笑ったんだ」
「……っ!」
「涙は頑張って出したけど、それ以外は元気な女の子。そんな演技をしたんだよ。先生も恋雪ちゃんも驚いたような顔をしてた。ねぇ、『小柳遥花』ならどんな、泣く演技をすると思う?」
夜鷹は「少し時間をください」とハンドルに手を置きながら考えていた。今の遥花の話がそのままなのであれば、草薙の言葉の意味がわかった気がした。
元には戻ることができないゾンビ。改めて思うと言い得て妙だな。そう感じる。
たしかにこれは『小柳遥花』とは別ベクトルの演技だ。
「以前のお嬢は泣く演技の際に笑うことはなかったと思います」
もちろん、その状況にもよりますけど。夜鷹は保険を挟んで言った。
「喜怒哀楽。見る人に100%しっかり伝わる演技をする。それがお嬢でした。それ以外の人の心理も全て150%の実力で発揮する。基礎と応用が訳わからないほど完璧なのがお嬢。あなただったんですよ」
「……そうなんだ」
『小柳遥花』の壁の高さを改めて押し付けられた遥花は少し俯く。そこには押し殺されたため息が存在していた。
「以前のお嬢は学校の教科書。今のお嬢は個人塾のワーク。基礎応用を極めたのか、人への解釈呼び掛けを極めるのか。その違いです」
「……夜鷹は昔の方が好きなの?」
その弱々しい声は慰めを求めたのか、容赦ない現実を求めたのか、あるいはどちらもか。ただ、夜鷹は残酷に事実を告げる。
「えぇ。俺は昔のお嬢に狂わされた人間ですから」
「そっか……」
明らかに落胆した声だった。それもそうだ。この言い方は遠回しに「今のお前には興味は薄い」と言っているようなものなのだから。
言い方は悪いが、それは事実であった。夜鷹は遥花に興味は持っている。しかもかなり強くだ。
ただ、『小柳遥花』の影響が大きすぎた。もう、彼女ではないと満足できなくなっていた。遥花だけでは満たない何かを埋める方法は何一つない。そう、『小柳遥花』でなければ。
だが、全てを正直に伝える訳にはいかない。こんなこと言われたら誰だってモチベーションは落ちるだけだ。そのため、言葉というものを上手く扱う必要がある。
夜鷹はそれに、長けていた。
「だから──」
「え……」
「また、俺を狂わせてくださいよ」
嘘ではない。もう一度狂わされたいと思っている。ただ、その相手が『小柳遥花』というだけだ。本音を嘘で包み込み、相手にとって都合のいい言葉だけを残す。
夜鷹が芸能の世界で身につけた、一番の武器であった。
「……わかった」
俯きながらもそう言う彼女の口角は少し上がっていた。そして、それで気分が良くなったのか、遥花は少しだけ深い眠りへと落ちていった。
「『小柳遥花』を超えることを期待してますよ、お嬢。そして──」
【ep9:おやすみなさいませ】




