ep3:天才なんだから
「……まさか、あの小柳遥花が泣いているとこを見れるとはね。案外記憶喪失ってのもいいもんね」
恋雪はあまりにも単純すぎる挑発をする。それを口にする彼女は唇を噛んでいたが、今の遥花はそれを見つけることはできなかった。
「うる……さいよ」
挑発に対して啖呵を切ったつもりだった。ただ、実際に出たものは哀れな遠吠え。かの天才役者の威厳すら感じられないものだった。
「はっ!うるさい?アンタが静かなだけでしょ?……あーあ、そっか。自分のことが可愛いんだ。才能だけで成り上がりやがった世間知らずが!……あぁ、今は両方の意味でも世間を知らないんだもんね。チッ、甘えてないでさっさと戻れよ天才が!!」
恋雪の声は病室によく響く。その発声だけで彼女の役者としての技量が伺えた。素人目から見てもスっと耳に入ってくる声。内容さえ違ったら拍手でもしていただろう。ただ、内容が悪すぎた。
「記憶失って!……自分のこと何にもわかっていない状態で!……自分のことを天才役者の代わりになれると思ってるの!?」
遥花の濁点が混じった汚い声が恋雪の声と対照的に病室に響く。まともに発音できていたのかすら自分ではわからない。ただ一つわかることは、遥花のその発言で恋雪がキレたことだった。
「ふざけんな!!……ふざけんなよ」
一言目は強気で、二言目は子供のように弱った声を、張り上げて恋雪はベッドに横たわる遥花の胸ぐらを軽く掴む。苦しく感じないほど軽くだ。
「アンタが一時抜けてあたしがベルスーズのNO.1になった。……されたんだよ。これがどれほど不名誉だってのかわかってんのか!?子役の時代から汚い世界で名前を伸ばして!大手のベルスーズに入団して!努力して努力して努力して!NO.1目指してたんだよ!それなのに……『小柳遥花』が突然やって来て!……あたしの目の前にあったNO.1の座をいとも簡単に奪いさりやがって!それで!?今は記憶喪失だって!?ふざけんなよ!ふざけ──ゴホッゴホッ……はぁ」
一度に言葉にしすぎたのか、喉が詰まった恋雪はそのままベッドに倒れ込んで、深呼吸してから今度は単語を絞って綴った。
「あたしは……アンタの演技は認めてる。アンタがそれなりに努力をしていることは知ってる。でも……耐えられないんだよ。遥花、アンタのことは好きじゃない。だけど、アンタの演技がどうしても忘れられない。好きで好きで好きで仕方ないんだ……」
恋雪はまだまだ言葉を並べようとしていたが、疲れもあってかそこで止めた。
「……私はあなたのことを知らない。『小柳遥花』も知らない。演技なんてもっと知らない。だから……あなたが好きな『小柳遥花』の演技はもう見られないと思う。……でも、偽物でいいなら──いや、本物になっていく演技でいいならそれで我慢して」
遥花は震える手で恋雪の手を握る。数刻前まで実質初対面にも関わらず喧嘩をした相手だ。好きになれるかなんてわからないが、彼女のおかげで踏ん切りがついた。
記憶がないから『小柳遥花』になれない。……それは甘えだったな、と思う。記憶がないなら、ないなりに『小柳遥花』を演じれば良いのだ。そうしたら記憶が戻る可能性だってある。ファンからの信用も保てるかもしれない。
「私は……『小柳遥花』になる」
「……言ったからには取り消しはさせないわよ」
「問題ないよ。だって私は──」
【ep3:天才なんだから】




