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「大丈夫?」
いつもと正反対の視線の高さに暙桜は思わず視線を逸らすが、総司は淡く微笑んだままだった。
居心地の悪い少女は、体を捩って彼の腕から逃れ、慌てて距離をとる。
「……どして…」
探していたことは分かっていた。探されていたからあえて身を隠し偽った姓をそのままにしていた。そうすることで逃げやすく、隠れやすくなるから。
だからこそ細心の注意を払っていたというのに、いとも容易く見つけられてしまうと、少しだけ心が擦り切れる痛みが伴う。それは、後悔と僅かな喜び。
「探していたんだ。―――帰ろう?」
帰る、と総司はそういった。しかし暙桜にはいまいちしっくりこない言葉だった。
哀しげに瞳を細めた少女は、心からの疑問をぶつけた。
「わたしが帰るのは、屯所じゃないでしょう?」
総司の瞳が切なげに歪む。それは苦渋の表情にも、苛立ちの表情にも、あてはまらない。ただ酷く、哀しそうで寂しそう。
「君が帰るのは、屯所だよ。暙桜、―――帰ろう?」
もう一度繰り返した総司は、一歩前へ出てくる。それと同時に暙桜が一歩後ろへ下がる。恐怖などありはしないのに、なぜかその手をつかむことを拒絶してしまう。
「だめ、です……。わたしは、あそこに居るべき人間じゃない。………いえ、もともと、わたしは………人間ですら、ない……」
玉依姫として祀り上げられた暙桜は、人の身を離れた神の領域にいる。それに関係なく接したのが、狗守という人間ただ一人だった。だから暙桜はそれほどその人間に固執するように執着していた。
暙桜は自身の心を縛る楔には気付かない。少女自身が気付けない、深いところまでその楔は強く深く打ち込まれている。それは哀しいほど脆いもの。
「君は君以外のなにものでもない。それがたとえ神であろうと、人間であろうと、ね」
優しい響きを持つ総司の声音を、しかし暙桜は否定した。
「いいえ。わたしはあなたのような人を何度も見た。人間とは自分の利のために時に嘘を真実と偽らせることに、なんの感情も見出さない……。わたしも同じ人間。だからこそ、その人間の薄汚さがわかる。それは時に、ひどく手酷い裏切りとなる。………わたしは、神の膝元なのにそれを幾度も見てきた。それはわたしたち人間が、神を畏れぬようになってしまったから…」
哀しげに瞼を震わせた少女は、心から憂いている様子で、それでもその意を曲げない。
「ですからわたしは探している」
「……なにを?」
総司は自分の声がわずかに震えているのを自覚した。情けないのか、悔しいのか。彼自身でも分からない感情の渦がとぐろをまく。けれど暙桜はそれを哀しげな瞳で見つめたまま、答えを言わなかった。
「……もどって、沖田さん」
自分を置いて。そう告げる少女に総司は頭を振った。そしてもう一度手を差し伸ばす。
「帰ろう、屯所へ」
三度目の言葉はさすがに暙桜の心をぐらつかせた。
しかし少女は再び首を振った。
「いいえ……! わたしには、あそこへ返す術はない、ただそうおっしゃってください」
切実なまなざしで見つめられ、総司はたじろぎながら、しかし仄かに笑う。それは、いままで見てきたどの笑みよりも、美しく優しい。
「ううん。帰ろう。君の帰る場所は、屯所でしょ」
ぽろぽろと目の前で涙を流す少女を見つめながら、それでも総司は無理強いをしない。それをすることでただでさえ不安定な暙桜の心の均衡を崩したくないからだ。
声も出さずに涙を流す、目の前の小さな少女を、護るために。
「………っ…!」
不意に総司が暙桜のその胸の中に抱え込んだ。体を強張らせた少女はしかし、耳元で感じる、生きている証の心音に心地よさを感じ、目を閉じた。総司は優しく暙桜の頭を撫でた。以前彼女が平助にやっていたように、優しく、ゆっくりと。
「……っ…ぇ………、ぃ…っ」
「ん?」
小さな、本当に小さな声が聞こえて、総司は小さく首を傾けた。それは確かに胸の中にいる少女が搾り出した声音だった。
ゆっくりともう一度繰り返すのを待っていると、今度ははっきりと聞き取ることができた。
「…っ、か……えり…たい……っ」




