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その日を境に、暙桜の姿を見たものは居なかった。
そして、新選組の古い歴史に関わる彼女の存在は、欠片ほども残されては、いない。
◆ ◆ ◆
「……狗守…………」
寂しげな声音で呼ぶ名は、応えがないと分かっている人の名前。しかし暙桜はその名を呼ばずにはいられないほどその人に縋っていた。
僅かに瞼を伏せた暙桜は、無意識に腰に佩いている刀の柄に手を置いていた。思わずそれに視線を注いだ彼女は、切なげに目を細めた。
「沖田さん……」
この刀を一緒に選びに行った人の姿が脳裏に蘇る。彼だけではなく、新選組のみんな。
近藤、土方、山南、総司、斉藤、新八、原田、平助、武田。
そっと瞼を下ろした暙桜は、脳裏に輝く彼らの姿を消し去り、感情の見えにくい瞳で前だけを見据えた。
「………鴉を……」
呟いた言葉をすぐに打ち消す。甘えてはいけない。彼らは、敵だ。
「……八方塞がり…?」
卯月にしては珍しい冷たい風が頬をなでる。暙桜は全身で受けるその風にすべてをゆだねてしまいたい気分になった。そうしたら、彼女自身はこれほどまでに傷つかなくてもいいのだろうか。
しかしはっとした彼女は、建物の影にすっと溶け込む。そしてつい先ほどまで立っていた大路を闊歩する浅葱色の羽織を見咎めて慌てて首を引っ込める。
彼女が屯所を出た後、数日はあの形代で何とかなっていたものの、所詮は形代。暙桜が宿した霊力と神気が尽きたことで忽然と消えたように見えるだろう。そしてそのころから、浅葱色の彼らは何かを探すように視線を彷徨わせている。それは確かに些細な変化だったが、理由を知っているどころか対象となっている少女は彼らから逃げ隠れるような生活を送っている。
溜息をついた少女は、闇の深いところに身を隠すようにぐっと身を縮めた。
「…………、……っ」
息を詰めるほどの苦しさが一瞬だけ彼女の胸を通過する。それは本当に一瞬だけの出来事のはずなのに、永遠にも等しいほどの苦痛の後遺を残していく。
落ち着かせるように長く息を吐いた少女は、再び建物の影から大路を覗く。そこにはすでに浅葱の羽織は見えなく、安堵しきった風情で大路の人ごみへ紛れ込む。脂汗が滲むが少女は歩みを止めなかった。
「時間が……」
ない。
刻限が残り少ないと、頭のどこかで誰かが告げる。
暙桜はそれに従いながら、いままでいろいろなことを成してきた。けれど、今はそれをするのが、これほどまでに苦しく、哀しい。
「……っ!」
不意に後ろに反れた体に、足がついていかない。右腕をぐいと引っ張る強い力が、彼女を抗いがたい奔流へと誘う。
反射的に足を振り上げた少女は、しかし手ごたえが無かった。後ろを振り向くのを目的に、もう一度足を振り上げ目的どおりに相手の顔を見た瞬間、少女が瞠目した。
「やっぱり、君か」
淡く微笑んでいる総司が、目の前にいた。呆けた顔をしている少女に笑いかけている青年は、前触れも無くいきなりがばりと抱きついた。反論するより早く、総司は肺が空になるんじゃないかってほど息を吐き出した。安堵しきった、そんな風情だった。
「……きた………さ…?」
うまく呂律が回らない。今彼は浅葱色の羽織を羽織っていない。だからだろうか。いっかいの町人二人が運命の再会を果たしたような図になっているだろう。
慌てて総司の胸板を押し返す暙桜だが、所詮女の力など知れていて、彼はぴくりとも動かない。それどころかその抱擁をさらに確固たるものにするためか、さらに腕に力が入り、骨がきしむ音が聞こえそうなほど強く抱きしめられた。
「ぃ……っ」
思わず小さな悲鳴を零した暙桜を慌てて離した総司は、しかしその両肩をしっかりとつかんだまま少女の顔を覗きこむように屈む。しかしいかんせん、もとの身長の差は大きいもので、下から見上げるとなると総司は膝を地に付けなくてはいけないが、青年は気にした様子も無く膝が汚れるのをかまわず地面に膝を付く。




