3
「…………」
部屋の戸窓から屋根を見上げていた少女は、しかし何かをあきらめたように溜息をつく。
不意に地面が振動した。体制を崩した暙桜は思わず近くの柱をつかんだ。
耳の奥に蘇る声は、あの黄色の瞳の持ち主。千歳。
「ち、とせ………っ」
呻くように歯軋りをした少女は、愛刀を確認して部屋を飛び出した。そして向かった先は以前彼らが居た屯所の出入り口から一番離れた池のある庭。
荒い息が、喉が詰まるようにあえぐ呼吸を繰り返す。関係ないと、頭で誰かが叫ぶ。
ばっとその場に飛び出した少女は、凄惨なその光景に息をのんだ。
「………ひ、じかた……さ……っ」
あえぐように名前を呼ぶ。千歳の目の前で息を切らせながら刀で体を支えているのがやっとな青年を見つけて、少女がきっと千歳を睨む。そして彼に付き添うように立っている貢も。
「千歳……っ」
はっきりと、憎悪の念で名前を呼ぶと、彼は愉快そうに喉の奥でくつくつと嗤う。その笑いは、いままで彼女が聞いたこと無いほど、闇に属している笑い。
「鴉ごときが、人間に手をだすか……!」
忌々しい思いで彼女がその言葉を吐き出すと、さらに愉快そうに笑みが歪む。
「ほぅ、知っているか。我らの一族を。ならば話は早い」
すっと刀を鞘に納めた男は、少女に対して手を差し出した。
「こい。貴様はこちら側のものだ」
「こちら、がわ……? それがどっちなのかは、分からないけど、わたしは人間のそばに居ることを選んだ。自らの矜持をそう簡単には曲げたりしない!」
はっきりと言い切った暙桜に不愉快そうに顔をゆがめた千歳は嘲笑とも呼べる笑みを見せた後、自分の目の前にいる男を睨んだ。その視線を受けた土方は、真っ向からにらみ返す。
「人間ごときにこれは過ぎた血だ。かえしてもらう」
すっと腕を掲げた彼の手のひらに力の凝縮を見咎めた暙桜は頭より先に体が動いた。桜吹雪を抜きながら抜き身のそれを一閃する。
「手出しは、させない……っ」
玉依の血に賭けて。
そういいきった少女の瞳に、初めて神らしい力のある輝きが生じた。
それを見咎めた千歳と貢は、一瞬視線を交差させたあと、合意したように頷きあった。
「土方さん……っ」
現れた幹部たちを一瞥した千歳は、楽しそうに笑った。暙桜の背中に氷塊が滑り落ちた。
「ああ…、こいつらか」
冷たい手で心臓をわしづかみされたような感覚に陥った少女は、ふらりとその肢体を傾けた。慌てて踏ん張った少女は青ざめた顔のまま青年を睨みあげる。しかしそれを受けた人物は愉快そうに土方の喉をつかんで、そのまま持ち上げた。
そして、冷笑ともとれる笑みを見せた。
「殺せばいいか?」
それは酷く穏やかに優しく紡がれた言葉。凍った瞳の暙桜はひたと男を見据える。
「欠片も残さぬほど、切り刻んでやろうか? その血肉も分からぬほどに、切り刻んでやろうか? この人間どもが、貴様を戒めるのか?」
八つ裂きの質問に暙桜は奥歯を食いしばる。今なにかを口走ったら彼は裏を書いて口八丁でなんでもするだろう。それこそ、有言実行しかねない。
ぐっと柄を握る手に力をこめた暙桜は、渾身の力でそれを千歳に投げつける。
臆することなく自らの刀でそれをはじいた瞬間、たった一瞬の隙を土方は見逃さず彼をしたから切り上げる。しかしそれはやはりすんででとめられるものの、千歳の拘束から免れた土方は荒い息をしながらそれでも目の前の男を見据えた。
「っ、こざかしい……!」
うなるようなその声音は、酷く恐ろしいものだったが毅然と暙桜は胸の前で手を組んだ。
彼女は、神の化身でもある。
「我が玉依の力において命ずる」
力の奔流が彼女を取り巻く。そしてそれは、目の前にいる鴉の二人だけに効力を発するもの。敵と彼女がみなすものにだけに対して起こる、激しい突風。
「漆黒の闇夜を飛び交う鳥ごときの一族よ。我が命に従い、我が意のまま…に………っ」
途端、暙桜の力の奔流が止まると共に、彼女が血を吐く。血臭が鼻をつく。
「……っ!」
うつむいて胸を押さえる少女は、なにかを我慢するようにぐっと胸をつかむ。競りあがってくる鉄の味を、必死で下そうとするが、忘れていた。自分の体に生まれる激痛と衝撃で、目の前にいる敵を。
「………は…っ」
視界が一瞬歪む。暙桜は貢の腕の中にいた。
「暙桜…っ」
叫ぶような声は総司のものだと、しばらく経って彼女は認識した。しかしいかんせん体が重く、胸が焼けるように痛い。そう、この身のうちを廻っている焔は荒れ狂い、彼女を体内から灼く。




