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暙桜がゆっくりと目を瞠った。驚愕に彩られたその表情を見ると土方も訳の分からないような表情をする。彼とてまた、生存者は少ないと思っていたうちの一人であろう。
「な……で…っ」
あえぐように口をついたその言葉は、暙桜だけではなく幹部全員の本心だった。
「わからない。だが、あの男たちの襲撃のすぐあと、屯所の中に充満していた血のにおいがふつりときえた」
信じがたい事実に少女が愕然としていると、彼女の中で一つの言葉が蘇る。
―――彼らはおそらく『鴉』だろう
―――彼らの攻撃は幾つもの種類があります
―――命を奪うもの。魂を奪うもの。記憶を奪うもの。感情を奪うもの。五感を奪うもの。
嫌な予感が脳裏に感じる。そのあと迅はこうは言わなかったか。
おもに挙げられるものはそれだ、と。
ではそれ以外があったってなんら不思議ではない。
たどり着いた答えに暙桜は妙に納得した。
「幻、覚……。わずかな記憶操作……」
思わず口走ったその言葉は土方にしっかりと届いていて、近藤も不思議そうな顔をしている。二人の表情を見取った暙桜は、幹部を呼ぶように頼んだ。別々に説明するより、一括で説明するほうが手間が省ける。時間も。
入ってきた幹部の視線が一番初めに走るのは平助の膝枕だった。妙に顔をゆがめる幹部に苦笑交じりに席を促す暙桜の笑顔がわずかに引きつっている。さすがに平助をじっと見ている幹部達に嫌気がさしたのか、優しく少年の上に置かれた手はゆっくりと彼の頭をなで続ける。一定の間隔のそれは、きっとひどく心地がいいものだろうと、埒もなく考える。
全員が入ってきたことを確かめた土方は、暙桜へ視線を移した。その瞳が続きを促す。ひとつ頷いた少女は躊躇(た め ら)いがちに口を開いた。それは、とても信じがたいような内容だけれども、彼らが体験していることを考えれば信じざるを得ないであろう内容。
そしてそれらは、不可思議な連鎖で繋がっている現在の時間軸のひとつ。
「…………だから、あの二人はきっと―――……」
少女が言葉を飲み込んだのは彼女がいえない内容だから。それを言ってしまうことで、自分がこの場にいられないかもしれないという恐怖と葛藤。けれど意を決したように顔を上げた暙桜は、少しだけ顎を引いて凛と言い放った。
「わたしを、連れ出すため」
血を欲して、血族を残すことだけを考えた両親。今ならば分かる。玉依は何よりその血が尊く、高潔だ。ゆえに、鴉と呼ばれる彼らが一族のために彼女の血を欲し、子孫をと望むことに何の不思議もない。けれどそれは、暙桜自身が一番嫌う彼女の存在理由。
「わたしは……、血を永らえさせるための、道具の一つだから……」
似合わないほど哀しそうに平助の頭を撫でる少女は、僅かに伏目がちに変わってしまう。打って変わる彼女の雰囲気に、気おされるような雰囲気と、近寄りがたいほど哀しい雰囲気とを併せ持つ少女の心情は、きっと誰にも考えられないほど哀しく深い。
ゆっくりゆっくりと髪の毛を梳くように少年の頭を撫でる少女は、あまりにも儚い。
不意に暙桜の部屋のふすまが勢いよく開いた。そこに仁王立ちになっているのは見覚えのあるようなないような隊士。浅葱色の羽織を纏った彼は、怒りで顔を赤くしている。誰かが彼を止める声が遠くでするが、お構い無しにどすどすと入ってきたその青年は、暙桜の腕をぐっとつかんだ。
「っ……」
思わず顔をゆがめる暙桜に気付かぬ様子のその隊士は、普段より低い声で言い放った。
「どうして屯所が元に戻ってる」
「……――――っ」
思わず息を詰めたのは少女だけではないだろう。
暙桜のその反応をみて何かを知っていると悟った隊士は、さらに詰め寄る。
「俺は、確かに三日前に死んだはずだ! なのに、いまこうしてここにいる。なんでだよ、なんで……っ。お前が来る前は、こんなことも、屯所への襲撃もなかったっ! お前だろうっ! 何をしたんだ!」
怒鳴り声に身を竦ませる暙桜は、しかし毅然と言い放つ。
「黙りなさい」
「黙れだと!? お前のせいで、おれが……っ」
言葉が詰まったのは、それ以上出てこなかったからだろう。隊士は思わず息をのんだ。ひゅっと、喉の奥に風が通る。
その場にいる幹部の面々に初めて気付いたような反応を見せた隊士は、最初こそ取り乱したが、まだ自分が少女の細すぎる腕をつかんでいることに気付いて、舌打ちをしてぱっと手を離し、そそくさと部屋を出て行く。
つかまれた腕をさすって、赤くなっている箇所を隠すと、何事もなかったようにもう一度平助の頭を撫でる。今の騒ぎで泡沫の世界にいる彼を、もう一度夢の世界へ戻すように。
「騒がせてごめんなさい」
小さくそう呟いた少女は、少年の髪を撫で続ける。まるでそれが役目として担わされているように。ずっと、ずっと――。
「お前は…」
言葉が続かなかったのは、先ほどよりも大勢の足音が聞こえたから。
十かぞえるより早く、その足音は彼女達がいる部屋の前で止まり、勢いよく襖を開ける。
「なにか?」
平助の頭を撫でる手を止め、下から見上げるように睨みあげる少女に一瞬怯んだように後ずさったのは、一番初めに彼女が見えた武田だ。
「お前が来てから俺たちの生活がかわったんだっ! 屯所にあんな襲撃があったのだって、あれが初めてだっ。お前のせいだろうっ!?」
詰問するようにどすどすと近寄ってくる青年に怯む様子も無く、暙桜はまっすぐと彼を見つめていた。その瞳が気に入らなかったのか、武田が憤慨したまま彼女の髪を無造作につかみあげた。
「……っ」
さすがに顔をゆがめる少女は、しかし苦痛の声は一切漏らさない。
「女であるお前をかくまったからか!? お前が来てから狂ったんだ! 俺たちの生活を、かえしやがれっ!」
脇差を抜き取った武田は、他の幹部が止めるまもなく、持っている少女の髪の毛を無造作に切った。
さすがに愕然とした暙桜は、ぱらぱらと舞い落ちてくる自分の髪の毛に絶望したように手をついた。




