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星の栞 -慟哭するひとつの導‐  作者: 白石さくら
33/49

3

 屯所の惨劇が脳裏に思い浮かぶ。はっとして男の肩に暙桜は摑みかかる。


「ねえ、みんなは無事なの!? 生きてる人は、いるの!?」


 暙桜の今にも泣き出しそうな瞳を痛ましそうに見つめた青年は、やんわりと少女の小さな手を離し、静かに口を開く。


「生きては、います。ただ、今夜おきた惨劇を覚えているのは、おそらくごく少数でしょう」


 目を瞠った暙桜は、小さく震える指先をぎゅっと握りこんだ。同じように僅かに震える唇が、ゆっくりと開く。


「ど………ゆこと……っ」


 瞳に溜まってゆく雫は、しかし彼女が一度も瞬きをしないためか一粒もこぼれない。


「彼らの攻撃は幾つもの種類があります」


 命を奪うもの。魂を奪うもの。記憶を奪うもの。感情を奪うもの。五感を奪うもの。

 全て奪うことしかない鴉の攻撃は、しかし時としてどうしようもなく脆いものになる。


「おもに挙げられる五つは彼らが人間動物かまわず使うものです。彼らの目的は、あなたの血が持つ存続の力」


 どくんと脈打った心臓が、妙にけたたましく鳴り響く。


「あ……っ」


 思わず胸を押さえた暙桜が前のめりに倒れそうになるのを受け止めた青年は、彼女の背をゆっくりと撫でる。少女が無意識に何かを探して彷徨わせていた腕が、青年の着ている狩衣を強くつかむ。皺ができるほどつよく握られた狩衣だが、しかし次の瞬間には離された。


「っ、あんたは……、だれ…っ」


 警戒した様子で暙桜が後ずさると、彼は少しだけ哀しそうに笑う。その笑みが、どうしようもなく哀しく見える。


「わたしは玉依姫の随人として遣わされたひとり、水舜(すいしゅん)(じん)


 じん、と口の中で繰り返した暙桜は、不意にぐらりと視界が傾いた。否、傾いたのは彼女の肢体だった。

 胸元を押さえて、喉から競りあがってくる鉄の味を必死で飲み込む。けれどそれは彼女の意に反して口からこぼれる。口の端にこぼれる赤い雫は、僅かな弧を描いて顎から伝い落ちる。


「っ……、………わるな…っ」


 暙桜の唇からこぼれる拒絶の言葉に、迅は少しだけ顔をゆがめたが彼女の要望どおり彼女の肢体を離した。

 大袿に包まったままの暙桜は胸が痛む中必死に考えをめぐらせた。

 鴉と呼ばれる二人の男。金色の瞳をした鬼の言葉にはまだ続きがある。

 新選組のみんなを殺そうとした。その首落とすことも厭わない残酷な響きを持ったあの言葉は、暙桜の記憶の奥にしまわれているものの、あの冷たい声音は忘れられるはずがない。忘れることなどあろうものか。

 僅かに抑え始めた暙桜は、ふと違和感を覚えた。


「な……っ」


 体がおかしいぐらいにぐらぐらと揺れる。世界が揺れているようにも見えるが、彼女は自分が揺れていることをきちんと自覚していた。

 息があがってくる。呼吸が乱れる。

 暙桜は目の前にいる男を睨んだ。袖元から覗く男らしい大きな手は、拳をつくって僅かに震えている。それはまるで、人間が何かを我慢するときに、言葉にも表情にも出さないとき、僅かに態度に出すときにする行動とまったく同じように見えた。

 霞み始めた視界の中、暙桜は僅かに口を開く。


「……たしは………」


 ただひとつのかなえられないものを望んでいた。それは、かなえてはいけないこと。


「………死を…、望んでいるの………」


 過去も、現在(いま)も、未来も。きっともっと先の運命でさえも。

 だから彼女は抗うのだ。反する気持ちは、ただひとりのひとのために。

 静かに意識が堕ちてゆく暙桜は、抗いがたいだるさに少女はゆっくりと瞼をおろした。



 その場で崩れ落ちた暙桜の様子をしばらく見つめていた迅はゆっくりと背後を見た。

 夕暮れ色に染まった空に気付かず、彼女は彼の話を聞いていた。それほど、彼女自身は知らないことが多すぎたのだ。否。むしろ玉依姫はなにもしらず、ただ無心にして神に仕えるものだと、彼らは今まで信じて疑うことはなかった。だから、好奇心旺盛というか、すべてを知りたがる彼女に違和感を覚えたのは正直なところだ。しかし彼女は、玉依姫のすべてを知っている上で、さらに問いかけてくるのだ。彼にとってそれは新たな珍生物の発見以外の何者でもなかった。

 小さく喉の奥でくつくつと笑声が篭る。彼は少しだけ息を吐き出した。まだ自分の心には余裕があると、感じられる。


「玉依………」


 そっと呟いた言葉は、桜の花のようにはかなく消える。彼の声音は、優しく穏やかで、まるで慈しむようなそんな声音だった。

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