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息があがる。挑発してきた目の前の男は、反対に息ひとつ乱していない。ただ不気味に笑んでいるだけだ。
「もう終わりか、つまらん」
左手に持っている月光をはじくような刀を一振りし、刃についた血を払い落とすと、男はくるりと踵を返した。
門から正反対にあるこの庭に男が唐突に現れたのは、一刻ほど前だ。いきなり屯所に現れて、一方的な殺戮を繰り返し、再びこの場に戻ってきた男は、あろうことか集まってきた新選組幹部に刀を向けて、不遜に言い放った。
―――ちょうどいい。雑魚では退屈だったのだ。相手をしろ。貴様らが死ぬまでだ。
そうして切りかかってきた。薄笑いを浮かべたままだった男は、その表情をだんだんと曇らせていったが、先ほどから再び妙に機嫌が良くなった。
「やはりここにいたか」
何が、と主語が抜けている言葉に、訝しげに眉を寄せるが、言葉が出てこない。
ふいにカタリと音がした。隊士の中で誰かが起き上がったのかと思ったが、目の前の男がそちらに目を向けて、その瞳をきらめかせた。
「みつけたぞ、玉依」
慌てて振り返ると、柱に捕まりながら立っている少女が見える。驚いたようにこちらを凝視している瞳に浮かんでいるのは、紛れもない、恐怖。
なにかが、かちりとはまった。
柱を支えにして立っているのがやっとの暙桜は、自分に向けられた金色の双眸。嫌なほど頭の中で警鐘が鳴っている。
ふいに彼の前にいる浅葱の羽織を着た人が振り返った。
「どうして来た!?」
鋭い声に思わず身が震える。けれど今までだってそれ以上に怖いものを見てきた。転がる死体。息絶える前にもんどりうったであろうえぐられた地面。いたぶられたであろう、酷く傷ついた体。
よく知った人だったかと聞かれれば、否だ。けれど少なからず見たことがある人たちで、知っている人たちで、話したことがある人たちで。暙桜にとっては関係の無い人たちでも、新選組の中では必要な人たちだったはずだ。だから―――。
「………だ、れ…?」
玉依と呼んだ。自分を。聞きなれない単語のはずなのに、知ってるんだ。頭が。体が。反応する。それが嫌に不気味で。
「…っ、土方さん!」
誰かの鋭い声が土方に届く。彼は反射的に右手に掴んだ刀を振り上げた。鉄と鉄がぶつかる乾いた音がした。土方の眼前で止められた男の刀は、じりじりと深くなってゆく。
小さな舌打ちが聞こえた気がした。
「原田、てめぇがなんとかしろっ! そいつを早くここから離せ!」
「だけど土方さん!」
「いいからっ、言うことを聞け!」
鋭い土方の声音に一瞬だけ痛ましい顔をした原田は、すぐに暙桜のほうへ視線を向けた。しかし彼は足を踏み出す前に、彼は両手で槍を構えた。
「原田!」
鋭い土方の声が飛んでくるが、原田は苦虫を噛み潰したような苦渋の表情を見せて、声を絞り出した。
「悪ぃな土方さん。こっちもちぃとばかし手が離せなくなった…」
それは、今までに聞いたことのないぐらい、苦い口調。暙桜が視線を向けると闇に紛れた人影がひとつあった。
漆黒の服に、紺に似た髪色。眼帯で隠されている反対側の瞳の色は、まるで血のように赤い。それがいっそう彼女の恐怖を煽った。
「排除、任務」
そう口を開いたあと、彼は腰に佩いてあった銀の装飾がついたものを取り出した。
見覚えのあるものだ。だけどこの時代で見るとは思わなかった。―――拳銃を。
「装填…」
背筋にゾクリとなにかが走った。悪寒、とも言うのだろうか。暙桜は思わず叫んだ。
「逃げて、原田さんっ―――!!」
血色の隻眼が、きらりと光った。
「朔月」
赤い、雫が飛び散った。何が起こったかなんて、わからなかった。けれど確実に分かっているのは、いま原田が片足を引きずって、槍で立っているのがやっとの状態だって、いうこと。
たいしてそこまで原田を傷つけた男は、ぴくりと眉を動かして、感嘆の台詞をはなった。
「形が残っているか。新選組も伊達じゃないらしい」
初めて言葉らしい言葉を発した男は、次に暙桜に視線を向けた。
「なるほど、千歳の空想かと思ったが、案外役に立つらしい第六感を持っているらしい」
片手に拳銃を携えたまま、彼は静かに近寄ってくる。恐怖で足が動かない。誰かが名前を呼んでいる。




