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元治元年。
卯月に入り、屯所に植えてある桜の木が満開を迎えた。
「…………」
ひとりぼぅっとその大樹を見ていた暙桜は、近くにある気配を見咎めて一瞬だけ視線を向けた。傍らに置いてある太刀に手を伸ばしたが、その気配がなれたものだと感じると、膝の上に手を戻した。
袴を穿き、新選組屯所に世話になり始めて、早三月。特に何をしていたわけでもないが、なんだか妙に長く感じた。そんな三月だった。
最初は警備という名の監視を付けられながら生活していたが、徐々にその視線が柔らかいものとなっていった。
新選組につれられたあの日に見た――否、視た光景。
赤黒く染まった浅葱の羽織。見慣れない、屯所とは別の場所の背景はきっと今から見るべき室内の景色。そして、暗闇の中で輝く、金色の瞳。
忘れられない、忘れてはならない。あの光景を。あの凄惨で殺戮しかない、あの光景を。
「どうかしたのか?」
ぽんと頭の上に置かれた大きな手のひら。ごつごつとしている手のまめはきっと刀を毎日握っているからだろう。
「なんでもないですよ、永倉さん」
桜に視線を向けたまま暙桜がそういうとそうかと小さく返事が返ってきた。そのままさってくれればいいものを、新八はそのまま少女の隣に腰を下ろした。
横に詰めすぎているので、僅かに間が狭い。眉をしかめた暙桜は何気なく距離をとった。
それを見逃さなかった新八は再び距離を詰める。暙桜が距離をとる。そんな行為を繰り返していたが、やがて彼を疎ましく思ってきたのか暙桜が立ち上がりくるりと背を向けた。
「お、おいっ」
「なに…」
底冷えするほど冷たい声音に、新八はやりすぎたかと少しだけ頭をかいた。
「桜、見ねぇの?」
「邪魔したのは、そっち」
「悪かったって」
「思ってないくせに、口頭だけの謝罪なら犬でもできる」
つまりは犬と同列だといわれた新八は一瞬だけ目を丸くした。
原田や平助といった面々は彼女と同等にしゃべっている。そりゃもう楽しそうに。三月のうちに仲良くなったのは多分あの二人と総司ぐらいだ。対した新八はというと、いつも何かしようと思うのだか、近くまで行くといざ言葉が出てこず悪がきの如くちょっかいをかけまくる。それが彼女の癇に障っていつも悪態や暴言をはかれるのだが、その理由が彼自身ちっとも分かっていないので直しようがないというのが現状だ。
「おいおい新八。まーたやってんのか?」
苦笑を含んだ柔らかい声音のほうへ視線を向けた暙桜は、原田を見るとはっとした様子で新八のほうを向き直った。
「………!!」
彼女にしては珍しく目を見開き、急いで新八のほうへ向かった。
「ぅおっ! どうかしたのか暙……――」
どすっと、鈍い音がなった。
原田は目を瞠ってその光景を見ていたが、やがてげらげらと笑い始めた。
「新八……、お前油断しすぎ…っ」
「あなたに呼ばれる名などない」
冷徹にも似た暙桜の声音は、心底新八を嫌っているようにしか思えない。
暙桜は新八の近くにあった愛刀、桜吹雪をもって再びくるりと踵を返し、そのままさってゆく。
一方、先ほどの鈍い音と共に腹を蹴られた新八はもんどりうっていた。
「こりねぇな、お前も」
傍らに座った原田はそんな新八を哀れそうな瞳で見ていた。桔梗の瞳は僅かに細められている。くすんだ蒼の瞳を少しだけ歪めていた新八は少しだけ恨めしそうに原田を見上げた。
「とめろよ…」
「無茶言うなよな」
「あ――っ、くそっ」
どうにもうまくいかねぇ、と零す新八に原田は苦笑で返した。
うまくいかない、というより、うまくいかせていない、のほうが彼にはしっくりくるような気がしてならない。
「新八、お前ガキじゃねぇんだからもうちっとまっすぐに伝えてみろよ」
「俺はいつだってまっすぐだろ、左之!」
少々、いやかなりひねくれた挙句どこかに捻じ曲がったこの正確を、誰がどう読み取っても、まっすぐだとはいえない。
呆れたようにこめかみを押さえる原田を見た新八は心外だとでも言うように腕を組んだ。
「まったく、何だよいきなり殴りやがって……」
ぶつぶつと文句を言う新八を見やった原田は彼に気付かれないように溜息を吐いた。文句を言いたいのは、きっと彼女のほうだろうに。
原田は未だにぶちぶちと文句を言っている新八を余所に、暙桜が立ち去ったほうへと足を向けた。
小さな背とその背に垂れる長い漆黒の髪を見つけると無意識にほっと胸をなでおろす。しかし、その肩が僅かに揺れているところを見ると原田はぎょっとした様子で一瞬だけ足を出しかけた。
しかし、すぐにその肩のゆれが笑みからきているものだと分かると、少しだけ眉を寄せた。




