第37話 部屋でゆっくり
バイキングを終えて部屋へ戻ると、外はもうすっかり暗くなっていた。
温泉にも入ったし、夕飯も腹いっぱい食べた。今日はもうどこかへ行く気もなく、拓也はテレビをつけると、そのまま手前のベッドへ横になる。
「はあ……もう今日は動きたくない」
適当につけた番組の音が部屋に流れる。
ノエルはもう一つのベッドへ飛び乗っていた。白い掛け布団の上を少し歩き回り、そのまま真ん中で伏せる。
「ふかふか!」
「そっちはノエルのな」
「僕の?」
「ベッド二つあるし」
ノエルはそのまま身体を沈めて、しばらくテレビを見ていた。
けれど数分もしないうちに立ち上がり、ベッドから下りる。次に向かったのは拓也の方だった。
「……ノエルのベッド、あっちだぞ」
「僕こっちで寝る」
「さっき喜んでただろ」
「でもタクヤこっちにいるもん」
「まあ、いいけど」
拓也が少し身体をずらすと、ノエルは空いたところへすぐ伏せた。家でも寝る時はいつも一緒だ。
頭へ手を置いて撫でると、ノエルは目を細める。首の後ろまで指を動かすと、少しだけ拓也の方へ身体を寄せてきた。
テレビでは知らない芸能人が何かを食べて笑っている。
拓也もぼんやり画面を見ていたが、隣のノエルを撫でているうちに、ふと思った。
「そういや、ノエルって向こうではどんなところに住んでたんだ?」
ノエルは目を開けて、少しだけ考える。
「うーん……森だよ。木がいっぱいあって、僕たちもいっぱい住んでる」
「みんな同じところに住んでるの?」
「うん。お母さんもお父さんもいるし、友達もいるよ」
「へえ」
「みんなで森走ったり、遠くまで行ったりする。みんな速いよ。僕も速いけどね!」
「それは知ってる」
拓也が笑うと、ノエルも少し尻尾を動かした。
最初の日に見たノエルの母親を思い出す。ノエルと同じ白い姿だったが、大きさはまるで違った。向こうには、ああいう姿の仲間たちが普通に暮らしているらしい。
「楽しそうだな」
「楽しいよ」
ノエルは前脚へ顎を乗せる。
「でも毎日同じなんだよ。森で遊んで、ご飯食べて、寝て。また遊ぶ」
「それでこっち来たの?」
「うん。向こうに何があるか見たかった」
「行ってみたかったんだもん」
ノエルは前脚へ顎を乗せたまま、当たり前のように言う。
「森の奥にね、こっちに来られるところがあるんだよ。そこ通ったらタクヤの山だった」
「俺がいたところの、もっと奥か」
「うん。それで、いい匂いしたから行ったらタクヤがいた」
「結局肉かよ」
「お肉おいしかった!」
ノエルの尻尾が布団の上で一度動く。
あの日、森の奥からノエルが現れて、そのあと母親も同じ方からやって来た。帰る時も木々の間へ消えていったから、その先が向こうの世界につながっていたらしい。
「最初は、何日かいたら帰るのかと思ってたけどな」
「僕ずっといるよ」
ノエルは間を置かずに言った。
拓也は手を止めず、そのまま耳の後ろを撫でる。
会社を辞めようと決めた時も、いつかノエルが元いた場所へ帰るかもしれないとは考えていた。本人にいつまでいるつもりなのか、ちゃんと聞いたことはなかった。
「……そっか」
「タクヤといるの楽しいもん」
ノエルはそのまま話し続ける。
「おいしいものいっぱいあるし、知らないところいっぱいあるし。今日も温泉行ったし、バイキングもあった!」
「今日は特に多かったな」
「ゲームもあるし、ダンジョンもあるし」
「向こうにはダンジョンないの?」
「ないよ。あんまり戦ったりもしない」
「そうなんだ」
「森で遊んだりする方が多いよ」
そう言って、ノエルは拓也の腕へ身体を寄せた。
拓也は少し笑って、そのまま背中をゆっくり撫でる。
「お母さんたち、心配してないのか?」
「分かんない。でも心配してたら来るよ」
「前も来てたもんな」
「うん。お母さんもお父さんも、こっち来れるよ」
「じゃあ、そのうちまた会うかもな」
ノエルは「うん」と答えて、しばらくテレビの方を見る。
少し間が空いたあと、今度はノエルが拓也を見上げた。
「タクヤは、子供の時も一人で住んでたの?」
「いや。子供の頃は親と一緒だよ」
「お母さんと?」
「そう」
ノエルは少し考える。
「子供のタクヤ、何してたの?」
「学校行ったり、友達と遊んだり。普通だよ」
「学校って何するところ?」
「同じくらいの歳の子が集まって、勉強したり運動したりするところ。毎日決まった時間に行く」
「みんな一緒なんだ」
「まあな。ずっと教室にいるだけじゃなくて、外に出かける日もあったぞ」
「どこ行くの?」
「近いところなら遠足とか。もっと大きくなると、みんなで遠くまで行って泊まったりもする」
ノエルが少し身体を起こした。
「学校でも旅行するの?」
「修学旅行ってやつな」
「今日みたいにホテル?」
「ホテルとか旅館に泊まる」
「温泉もある?」
「場所によるな」
「バイキングは?」
「それも場所による」
さっきまでゆっくりしていたのに、旅行の話になると目がはっきり開いている。
「僕も行きたい!」
「学校の旅行は無理だけど、また二人で行くか」
「また行こうね」
「うん。どっか行こう」
ノエルは満足したようにもう一度伏せた。
拓也はテレビへ目を戻す。しばらくして、ノエルがまた口を開いた。
「タクヤ、学校ずっと行ってたの?」
「俺は大学まで行ったよ。小さい頃から結構長い」
「そのあと会社?」
「そう。卒業して働き始めた」
「会社ではパソコン?」
「俺はほとんどそうだったな」
「楽しい?」
「楽しい時もあったけど、毎日行きたいほどじゃなかった」
「じゃあ辞めてよかった?」
「今はな」
ノエルはそれを聞くと、また拓也の方へ身体を寄せた。
「タクヤずっと家にいるからいいね」
「まあ、前より一緒にいる時間は増えたな」
「うん!」
背中を撫でていると、今度こそノエルの目が閉じていく。
拓也はテレビの音量を少し下げた。
「もう寝る?」
「まだ寝ない……」
「目閉じてるけど」
「起きてる」
「そう」
そのあと、ノエルから声は返ってこなかった。
拓也はしばらくそのまま背中を撫でていた。
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