第19話 ノエル師匠
土曜日の朝、拓也は肩を何度も押されて目を覚ました。
「タクヤ! 起きて!」
「……ん」
「今日仕事ないよね!」
目を開けると、すぐ近くにノエルの白い顔があった。前脚で拓也の肩を押しながら、尻尾まで大きく振っている。
「ないけど……」
拓也は枕元のスマートフォンへ手を伸ばした。画面に出ている時刻を見て、しばらく止まる。
「……五時?」
「うん!」
「早すぎるだろ……」
「もう朝だよ!」
「朝だけど早いんだよ」
拓也が布団へ戻ろうとすると、ノエルがまた肩を押してきた。
「タクヤ、起きて!」
「分かった分かった。起きるから」
「やった!」
拓也が身体を起こすと、ノエルはすぐにベッドから飛び降りた。そのまま部屋の中を一周して、また拓也のところへ戻ってくる。
「今日なにする?」
「まだ五時だぞ」
「仕事ないんでしょ? じゃあ遊べる!」
「分かったから、まず朝飯な」
「食べる!」
拓也は顔を洗い、いつもよりかなり早い朝飯を作ることにした。ご飯を温め、卵と肉を焼いてローテーブルへ並べる。
「いただきます!」
「いただきます」
ノエルは朝から変わらず元気だった。肉を食べては顔を上げ、拓也がまだ食べているのに今日の予定を聞いてくる。
「タクヤ、今日なにする? 遊ぶ?」
「それもいいけど、ちょっとやってみたいことがある」
拓也は箸を止めた。
仕事へ行っていた間にも、何度かDランクダンジョンのことは考えた。オークと出会った時、自分はほとんど何もできていない。ノエルがいるから危なくなかっただけで、一人なら近づくこともできない相手だった。
「俺も少しは自分で動けた方がいいよな。何か来た時に、避けるくらいはできた方がいいだろ」
「タクヤも強くなるの?」
「なれるならな」
「なれるよ!」
「ノエルくらいまでいける?」
「僕くらいは難しいよ」
「まあ、それはそうか」
「でもタクヤも強くできるよ!」
ノエルの尻尾が忙しく動き始める。
「僕が教える!」
「じゃあ頼むか」
「うん!」
「今日からノエル師匠だな」
「ししょう?」
「先生みたいなもん。俺に教える人」
ノエルの耳がぴんと立った。
「僕、師匠?」
「そう。ノエルが俺に教えるんだよ」
「やる!」
ノエルは立ち上がり、その場で何度か足踏みする。
「早く行こう!」
「まだ食ってるから。ちょっと待ってろ」
「早く食べて!」
朝飯を食べ終える頃には、拓也よりノエルの方が完全にやる気になっていた。
支度を済ませ、二人で山へ向かう。
いつもの開けた場所へ着くと、ノエルは拓也より先に真ん中まで走っていった。くるっと振り返り、胸を張るように立つ。
「タクヤ、こっち!」
「はいはい、師匠。まず何すればいい?」
「魔力使うの!」
「それが分かんないんだよ。使ったことないし」
ノエルは少し考えたあと、拓也の前まで戻ってきた。
「身体の中にあるの分かる?」
「魔力が?」
「うん」
「分からない」
「あるよ。ここにあるのを、ぐーってするの」
「ここってどこだ?」
「身体の中!」
「それで?」
「ぐってして、足にやるの!」
拓也は少し黙った。
「……ごめん。全然分からん」
「なんで?」
「ノエルはそれで分かるんだろうけど、俺はまだ魔力がどれかも分かってないからな」
ノエルは不思議そうに拓也を見上げていた。
もう一度説明してもらっても、「ぐーってする」「そこに集める」「動かす」と言われるだけだった。しばらく試したところで、拓也はポケットからスマートフォンを取り出す。
「ちょっと調べてみるか」
「僕教えられるよ?」
「分かってる。ノエルのやり方が分かるようになれば、たぶん教えてもらえる」
「ほんと?」
「うん」
ノエルは少し納得したように隣へ座った。
拓也は魔力を使えない初心者への教え方を調べた。初心者向けの記事をいくつか見ていると、魔力を扱える人に協力してもらう練習方法が出てきた。
最初は相手に触れてもらい、ごく少量の魔力をゆっくり流してもらう。その感覚を覚えてから、自分の中にある魔力を探すらしい。
「これならできそうだな」
「なに?」
ノエルが画面を覗き込んでくる。
「ノエル、俺にちょっとだけ魔力流せる?」
「できるよ!」
「じゃあやってみよう。ほんとに少しずつな」
「うん!」
拓也が地面へ座ると、ノエルも目の前に座った。右手を出すと、その手の甲へノエルが前脚を乗せる。
「ここでいい?」
「いいみたい。ゆっくり頼む」
「分かった」
少し待つ。
「もうやってる?」
「やってるよ」
「まだ分かんないな。ほんの少しだけ増やしてみて」
「うん」
次の瞬間、右手から腕の方へ、何かが入ってくる感覚があった。
「……あ、待って。今なんか分かった」
「ほんと!?」
「たぶんこれだ」
痛くも熱くもない。ただ、自分では動かしていない何かが、手から腕の内側へゆっくり進んでくる。
「これが魔力?」
「そう!」
ノエルが嬉しそうに前脚へ少し力を入れた。
「それ以上は増やさなくていいぞ」
「ちょっとだけだよ」
「今ので十分分かった」
ノエルが前脚を離すと、さっきまであった流れも消えた。
拓也は右手を見た。見た目には何も変わっていない。
「じゃあ今度は、自分の中にあるのを探すのか」
「あるよ!」
「ちょっと集中するから待ってて」
「うん!」
拓也は目を閉じた。
さっき腕の中を通った感覚を思い出す。すぐには分からなかったが、しばらく意識していると、身体の中に似たようなものがある気がした。
「……これかな」
「分かった?」
「たぶん。さっき流してもらったのと似てる」
「じゃあ足にやってみて!」
「足にか」
拓也は目を開けた。何を動かせと言われているのかは分かった。
立ち上がり、右脚の方へ意識を向ける。身体の中にある感覚を、足へ持っていくつもりで集中する。
「……こうか?」
「もっと集めるの!」
「分かった。ちょっと待って」
何度かやってみる。
最初は何も起きなかった。次も変わらない。
それでも繰り返しているうちに、一度だけ右脚の内側へ感覚が集まった。
「今かも」
「動いて!」
「え、今?」
「早く!」
拓也は言われるまま一歩踏み出した。
「うおっ!」
身体が思っていたより前へ出た。慌ててもう一歩出して転ぶのをこらえ、数歩先で止まる。
「……速っ」
「できた!」
後ろからノエルが走ってきた。
「タクヤ、できたよ!」
「今のがそうなのか?」
「うん!」
ノエルは拓也の周りを一周すると、すぐ正面へ回った。
「もう一回!」
「ちょっと待て。今ので俺もびっくりしたから」
「もう一回やろう!」
「分かった分かった」
拓也が元いた場所へ戻る間も、ノエルはその横を上機嫌でついてきた。
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