第10話 ノエルの魔法
山へ着くと、拓也はノエルを連れていつもの開けた場所まで歩いた。
昨日ここで一緒に肉を食べたばかりなのに、今日はまったく別の目的で来ている。
「ここならいいだろ」
「うん!」
ノエルはさっきまで拗ねていたのが嘘みたいに元気だった。拓也より少し前へ出ると、くるっと振り返る。
「ちゃんと見ててね!」
「見てるよ」
返事はしたものの、拓也はまだ半分くらい子供の強がりだと思っていた。
テレビで見たのは、大きなモンスターを相手に何人もの探索者が戦っている映像だ。魔法まで飛び交っていた。
ノエルが妙に自信満々なのは気になるが、この小さな身体で本当にあんなことができるとは思えない。
「じゃあ、やってみ」
「うん!」
ノエルは嬉しそうに返事をすると、拓也から少し離れた。
何か構えるのかと思ったが、そんな様子はない。
ただ前を向いて、軽く前脚を上げる。
「えいっ」
その声とほとんど同時に、ノエルの足元から白いものが地面を走った。
「え?」
霜だった。そう気づいた時には、もう地面の草を次々に覆いながら一気に外側へ広がっている。まだ色の残っていた草も、落ちていた葉も、その上から薄い氷をまとって真っ白になった。
「ちょ、待っ――」
声を出した直後、空気まで変わった。さっきまで秋の山に流れていた風が、頬を刺すような冷たさに変わり、拓也は思わず腕をさする。
「寒っ……」
吐いた息まで白くなっていた。
「え?」
自分の息を見てもう一度声が漏れる。視線を上げると、周りの木々にまで氷が広がり、幹の表面は白く、細い枝には透明な氷がまとわりついていた。葉の縁も凍りつき、風に揺れるたびに小さな音を立てている。
拓也が何も言えずに立っている間にも、景色は変わり続けた。頬に冷たいものが触れ、手で触るとすぐに消える。
「……ん?」
今度は目の前を白いものがゆっくり落ちていった。一つだけではない。気づけば、いくつもの白い粒が空から降っている。
「雪……?」
拓也は空を見上げた。間違いなく雪だった。
さっきまでそんな気配はなかったのに、細かな雪が次々に降ってくる。凍った地面へ落ちたものは溶けず、そのまま白く重なっていった。ほんの少し前まで秋だった場所が、そこだけ突然真冬になったようだった。
拓也はゆっくり周囲を見回した。凍った地面も、草も、木々も、その上へ降り続ける雪も、全部がさっきまでとは変わっている。
最後に視線を向けた先で、少し離れたノエルが胸を張るように立っていた。ふさふさの尻尾が大きく左右へ動いている。
「……え?」
「ほら!」
得意そうな声が飛んでくる。
「僕できるって言ったでしょ!」
「……」
「タクヤ?」
拓也はまだ返事ができなかった。足元へ視線を落とすと、靴の周りまで白く凍っている。
しゃがんで近くの草へ触れてみると、葉は硬く凍りついていた。指先に冷たさが伝わり、慌てて手を離す。
「……マジか」
「ねえ」
ノエルが近づいてくる。
「なんか言うことないの?」
「……ごめん」
「え?」
「疑ってた。悪かった」
拓也が素直に頭を下げると、ノエルは少しだけ目を丸くした。
けれどすぐに尻尾を揺らす。
「別にいいよ!」
返事が妙に早い。
たぶん謝ってほしかったというより、別の言葉を待っている。
拓也はもう一度、凍った周囲を見た。
「いや……すごすぎるだろ、これ」
「!」
ノエルの尻尾が一気に速くなる。
「でしょ!」
「テレビのやつとか、そういう話じゃないじゃん……」
「僕すごい?」
「すごい。普通に怖いくらいすごい」
「怖い?」
「いや、ノエルが怖いって意味じゃなくて」
拓也は慌てて言い直した。
ノエルは少し首を傾げている。
「これ……ノエルがやったんだよな?」
「まだ疑うの!?」
「違う違う!」
さっきまで嬉しそうだった耳がぴんと立ち、ノエルがむっとする。
「疑ってるんじゃないって。すごすぎて、まだ頭が追いついてないだけ」
「ほんと?」
「ほんと。だって見ろよ」
拓也は周囲を指した。
「秋の山だったのに、雪降ってるんだぞ」
言いながら、自分でも改めておかしいと思う。
ノエルはその言葉を聞くと、今度こそ満足したように尻尾を振った。
「僕、もっとできるよ!」
「もっと?」
「うん!」
「……それは今やらなくていい」
「なんで?」
「これ以上やったらどうなるか分かんないから」
「大丈夫だよ?」
「ノエルの大丈夫はちょっと信用できない」
「ひどい!」
文句を言うノエルを見ながら、拓也は小さく息を吐いた。白い息がまた目の前へ広がる。
それを見ていると、さっき家で見たテレビの映像が頭に浮かんだ。大きなモンスターと戦う探索者たち。その中には魔法を使う者もいた。
そして、その映像を見ながらノエルは言った。
『僕もできるよ』
できるどころではなかった。少なくとも、目の前で起きたことだけを見れば、テレビの映像よりずっと現実味がない。
「……ノエル」
「なに?」
「ダンジョン、行ってみるか」
「だんじょん?」
「朝テレビで見たところ」
「ああ、あれ!」
「そう。すぐどうこうって話じゃないけど、一回行ってみよう」
「僕、戦う!」
「まず行ってからな」
「できるよ!」
「それはもう分かったって」
拓也がそう返すと、ノエルは嬉しそうに尻尾を振った。
降り続ける雪の中で、その白い身体だけは妙にいつも通りだった。
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