71.暗躍
そこはすべてを拒むような、真っ白い部屋だった。壁も床も天井も、三つ並んだ卵型の装置も、すべてが光沢のない白で統一されていた。
装置は一つだけが微かに振動しており、奥から光を放っている。人間一人がすっぽり入るような長円形のそれの台座からは無数の太い線が伸び、ツタのように壁に這っていた。
不意に、装置の振動が止んだ。隙間から漏れていた青い光が消えたかと思うと、晩秋の夜霧のような濃い白い煙を吐いて、その正面が開く。
中から出てきたのは、6シャト(※1シャトは約30センチ、この場合は180センチ)ほどの大柄な青年だった。引き締まった体であったが、灰色がかった肌の色と、ところどころに走るひび割れのような模様、そして真っ黒い強膜が、健康的という言葉からほど遠い印象を与える。
灰色の肌に白い髪の青年は、一糸まとわぬ自分の姿を恥じることもなく、ゆっくりとした足取りで装置から床へと降りた。男性のように見える体つきだが、股間にはそのシンボルはなく、またへそや乳頭も見当たらない。
「目覚めたのね、デジール」
秘密結社「オドネルの民」の幹部・デジールは、部屋に入ってきた新たな影に顔を向ける。
「姉さん……」
自分と同じ肌と髪の色をしている長身の女――エピテミアに、デジールははにかんだように微笑んだ。微笑んで、そして「すぐに着るよ」と服を探して辺りを見回す。
「久しぶりの、戦闘用の身体はどうかしら?」
弟の様子に困ったような笑みを浮かべながら、エピテミアは手にしていた衣服を手渡す。デジールはそれに袖を通しながら、ふと悲しげに眉をひそめた。
「身体よりも、頭が痛いよ……」
あら、とエピテミアは首をかしげて見せる。
「何か、大事なことを忘れてしまっているようなんだ……」
部屋と同じ白い衣に袖を通したデジールは、額に右手を当てて何度も首を振った。
「可哀想なデジール……」
そんな弟を、エピテミアは優しく抱きしめた。
「あなたは心が優しい子だから、零れ落ちたパン屑にさえも心を痛めるのよ」
何度も後ろ頭を撫でて、エピテミアはデジールを落ち着かせる。
同時に、彼に施した「精神調整」が順調であることを確認し、安堵した。
デジールという造魔人はその特性上、人間に強い興味を抱くように「造られて」いる。人間個人の特技や美点を愛し、称賛するような精神性を持っている。
故に、興味や好意を持った人間の死は、腸を噛み砕くようにデジールを苛んだ。時には、立ち直れないほどの心的外傷となったこともある。
それを防ぐための「精神調整」であった。とは言っても、人好きする性質はデジールの精神器官の根幹であり、それを変更することは老いや自然死のない造魔人の「死」を意味する。故に、記憶の消去と改ざんが主であった。
ついこの間、デジールは仲良くしていた魔法技術者を喪った。その経緯を思い返せば、エピテミアも「精神調整」を受けたくなるほどに苛立つが――それはさておき、デジールは先の事件を綺麗に忘れているようだ。
「落ち着いたかしら?」
デジールの体を引き離し、額と額をくっつけ合って、エピテミアは尋ねる。頬に涙の痕を残したまま、デジールはコクリとした。
「いい? でもデジール。今は挫けている場合ではないの。『お母様』のためにも、新たな勇者を早急に造り出さなくては」
「わかっているよ……。わかっている……」
より深くデジールはうなずく。
「それで、新たな勇者の候補は見つかったの?」
「いいえ。最早召喚が出来ない今となっては、新たな素材を手にするのは難しいこと……。だから、少し違った方法を取るわ」
「違った方法……?」
訝しげな弟に、エピテミアはそっとあるものを見せた。仄かな光を放つ玉を目にし、デジールは得心した様子だった。
「こっちは姉さんに任せて。デジール、あなたに新たな任務を与えるわ」
「そのための戦闘用の身体だね」
戦闘用、と呼んではいるが、こちらがデジール本来の肉体である。しかしながら、戦闘用として造られたが故に、力が強すぎて日常生活を送るのが難しい程であるため、取り立ててその必要がない場合は、体格を調整した別の肉体を使うのが常であった。
日常用で何をしていたのだっけ。消えてしまった記憶にまた足を取られかけたデジールを見て取り、エピテミアは気を逸らすために要件を端的に述べた。
「裏切り者を始末してほしいの」
デジールの目つきが険しくなる。
「見つかったの? 勇者を掠め取った連中が……」
勇者を掠め取った。その言葉が、デジールの心の奥をかき混ぜるようだった。少し前に誰かとそんな話をしたような気がするが……。
「パン屑にとらわれないで」
しっかりなさい、とエピテミアはデジールの逞しい肩を叩いた。
「ベギーアデが泥棒の下に潜り込んでいるわ。きっと首謀者まで辿り着いてくれるはず」
真ん中の姉の名を聞いて、ますますデジールは顔をしかめた。裏切り者、という単語を聞いた時のとは違う、明らかな心配の色をしていた。
「ベギーアデ……。大丈夫なの?」
「潜入はあの子の得意分野よ。早々失敗はしないはず。欲をかかなければ、だけど……」
「欲望の邪神」の名の下に集った結社だというのに、とエピテミアはその皮肉に苦笑する。
「戦いの苦手なベギーアデのために、行ってくれるかしら? わたし達三姉弟の中では、あなたが一番強いのだから」
そうだ。僕は唯一の戦闘タイプ。戦いこそが僕の本分だ。それなのに、最近はどうして遠ざかっていたのだろう……? 「精神調整」の向こう側、靄がかかったようなその先から、デジールは目を背けるように頭を振った。
「わかったよ、姉さん」
パン屑は払い落としておこう、必要ないのだから。今はベギーアデを助け、母上の計画を進めることだけが重要だ。
「それで、場所はどこだい?」
デジールの赤い瞳に光が灯った。日常用の身体と同じ優男から、本来の彼である屈強な戦士へと戻ってきたようだ。それを見て取って、エピテミアはその街の名を告げた。




