第24話 魔族の畑から来た客
肉の煮込みは、今日もあるか。
その質問を三度目に聞いたところで、レオンは木札に一行書き足した。
『本日の肉料理はありません』
昨日の鍋は空になり、ガルドから買った肉も残っていない。今朝の献立は、豆と玉ねぎを煮込んだ汁に、表面を香ばしく焼いた小芋を添えたものだ。小銅貨一枚。肉がなくても、温かい食事は出せる。
札を戸口へ掛けようとしたとき、橋の向こうから一人の魔族が歩いてきた。
背はレオンより少し低い。日に焼けた頬に、左へ曲がった角が一本。背負った籠には、布で覆った何かが入っている。男は食堂の前で足を止め、看板を二度見た。
男「……ここが、獣を倒した人間の店か」
レオン「食堂なら、ここです」
男「獣を倒した方は?」
レオン「俺です」
男の手が、籠の紐を強く握った。
男「元勇者だと聞いた」
レオン「そう呼ばれていたことはあります」
男「……なら、間違いないな」
男は一歩下がった。逃げるためか、頭を下げるためか。レオンにも判断がつかなかった。
レオン「お食事ですか。それとも、別のご用でしょうか」
男「両方だ。腹も減ってる。だが、先に頼みたいことがある」
レオン「まず座りませんか。話は聞けます」
男は四つの椅子を見渡したあと、戸に一番近い席を選んだ。
◇
男「俺はバルド。橋を渡った先の、東の段畑で芋を作ってる」
名乗ってから、バルドは籠の布を外した。
中には土のついた小芋が三つ。どれも半分ほどえぐれている。ひとつは歯形らしい深い溝があり、別のひとつには踏み潰された泥がこびりついていた。
バルド「売り物じゃない。見せるために持ってきた」
レオン「畑で?」
バルド「三晩続けてだ。最初は端の一畝。次は二畝。昨日は種に取っておいた分までやられた」
バルドは芋を一つ持ち上げ、欠けた部分を親指で示した。
バルド「俺の畑だけなら、まだ我慢できる。隣の家は冬まで食いつなぐ分を掘り返された。夜に見回りへ出た若いのが、草むらで何かに追われた。転んで腕を擦りむいた程度で済んだが、次もそうとは限らん」
レオン「獣の姿は見ましたか」
バルド「暗がりで背中を見ただけだ。四つ脚で、重い足音がした。角があったと言う奴もいる。俺にはわからん」
レオンは芋の傷を見た。先日、人間側の畑を荒らした獣を思い出す。だが、同じものと決めるには材料が足りない。
レオン「一昨日、こちらで倒した獣と同じかどうかは、まだわかりません」
バルド「わかってる。だから、見てほしい」
バルドは言葉を切り、レオンの手元を見た。
バルド「魔王を倒した人間に、俺たちの畑を頼むのは変な話だろうな」
レオン「困っている場所がどこかは、まだ聞き終わっていません」
バルド「……そういう返事をするのか」
バルドは口元を歪めた。笑ったというより、拍子抜けしたようだった。
レオン「話を聞く前に、倒すとは約束できません。追い払える相手かもしれないし、人が近づく方が危ないかもしれない」
バルド「それでも、来てくれるのか」
レオン「土地に入っていいか、誰が決めるのかを確かめてからです。獣を捕るなら、狩りの許可も別に必要でしょう」
バルドはようやく籠から手を離した。
◇
レオンが鍋の蓋を開けると、豆の甘い匂いが立った。
レオン「お話の続きの前に、食事はいかがですか。今日は肉がありませんが」
バルド「肉の煮込みを出したと聞いて来たんだがな」
レオン「昨日で売り切れました」
バルド「噂より先に肉がなくなる店か」
レオン「四席しかないので、噂の方が速いみたいです」
バルドは初めて声を立てて笑った。
バルド「橋を渡る荷運びが話してた。人間の畑を荒らした獣が、ここの皿に乗ったって。肉を食った奴が、うまかったと何度も言うんだ。うちの畑も荒らされてると話したら、ここを教えられた」
人間側で食べた一皿が、橋を越えていた。
バルド「じゃあ、その豆のを一皿。小銅貨一枚でいいんだな」
レオン「はい」
代金を受け取り、レオンは小芋を鉄鍋で焼き直した。薄く油を引いた底で、切り口がきつね色になる。そこへ熱い豆の汁を注ぐと、焼けた皮の香りが湯気に混じった。
バルドは匙を持ったまま、しばらく皿を眺めた。
バルド「芋まで入ってるのか」
レオン「こちらの農家から買ったものです」
バルド「うちのと、形が違うな」
レオン「そちらでは、どんな芋が採れるんですか」
バルド「もっと細長い。煮崩れにくいから、冬の鍋にいい」
話しながら、バルドは一口食べた。
焼いた小芋の縁が歯に当たり、中はほくりと崩れた。豆の汁には玉ねぎの甘さが溶けている。バルドは二口目を急ぎ、熱さに目を細めた。
バルド「……熱い」
レオン「すみません。出来たてで」
バルド「いや、いい。朝から冷たい芋しか食ってなかった」
男は匙を置かずに続けた。
バルド「昨日、隣の婆さんが言ったんだ。もう畑を捨てようかって。あの人は毎年、誰より先に種を蒔くのに」
レオンは返事をせず、空いた水差しに水を足した。
バルド「俺は畑を捨てたくない。だが、誰かが怪我するまで見張らせるのも嫌だ」
最初に戸口で聞いた声より、ずっと小さかった。
◇
昼過ぎ、香草を届けに来たミーナが、戸口で足を止めた。
ミーナ「……今日は客がいるのね」
レオン「いるよ。草はいつもの分を買わせてほしい」
ミーナ「今日は二束。値段は前と同じ」
レオンが代金を払う間、バルドはミーナの角を見て、それから自分の籠へ視線を戻した。
バルド「この子も、ここで飯を食うのか」
ミーナ「食べたいときはね。草を売りに来る方が多いけど」
バルド「……人間の元勇者に?」
ミーナ「草の代金を払う店主に、よ」
ミーナは硬貨を数え、籠へしまった。
ミーナ「別に、何でも信用してるわけじゃない」
レオン「それは知ってる」
ミーナ「知ってるならいいわ」
彼女はバルドの持ってきた芋に目を留めた。
ミーナ「これ、食べるために持ってきたんじゃないでしょ」
バルド「獣にやられた。向こうの畑でな」
ミーナ「……そう」
ミーナはそれ以上踏み込まなかった。草籠を持ち直し、レオンへ言う。
ミーナ「明日は採りに行く場所が違うから、昼には来ないわ。足りなくても勝手に待たないで」
レオン「わかった。今日の分で献立を考えるよ」
ミーナが去ると、バルドは水を一口飲んだ。
バルド「ずいぶん普通に商売するんだな」
レオン「彼女の仕事ですから」
バルド「……そうか」
バルドは食べ終えた皿を、静かに台へ戻した。
◇
レオンは紙を一枚取り、畑までの道をバルドに描いてもらった。
石橋を渡り、荷の通る道から脇へ折れる。畑は三段あり、上の段はバルドの家、中段は隣家、下段は別の家の持ち分だという。三軒で水路を使っているが、土地をまとめて管理する人はいない。
レオン「まず、畑へ入ってよいか、それぞれの家に聞いてください。見回りをするなら昼間に。夜は人を近づけない方がいい」
バルド「俺の畑なら許せる。隣二軒には、今日帰って聞く」
レオン「狩猟の決まりを知っている人は?」
バルド「上の集落に猟師がいる。獣を追うときは、そいつと土地の世話役に話を通す決まりだ」
レオン「その人たちの返事も必要です。こちらにはガルドさんという猟師がいますが、向こうで勝手に罠を掛けられるわけではありません」
バルドは紙の端に、上の集落の位置を付け足した。
バルド「なら、俺が先に話を持っていく。明後日の昼、畑の入り口で会うのはどうだ。許しが取れなければ、そこから先へは入らない」
レオン「店を昼の間だけ閉めることになりますが、その時間なら行けます。まずは跡を見て、危ない場所を確かめましょう」
レオンは日付と待ち合わせ場所を書き、バルドにも読んでもらった。
バルド「討伐は、まだ決まってないんだな」
レオン「ええ。人を守るために必要なら考えます。でも、逃がせるなら逃がしたい」
バルド「……俺も、畑へ来なければ追いかけたいわけじゃない」
少しの沈黙のあと、レオンはもう一つ尋ねた。
レオン「もし食べられる獣だったら、安全を確かめたうえで肉の分け方を相談できませんか。被害を受けた人と、運搬や処理をする人の取り分を先に考えて。俺が独り占めするつもりはありません」
バルド「それは、皆に聞かないと決められん」
レオン「もちろんです。俺は退治の現金報酬は求めませんが、猟師や手伝う人の仕事代までなくしていいわけじゃないですから」
バルドはゆっくり頷いた。
レオン「それと、別の相談があります」
バルド「まだあるのか」
レオン「そちらの芋や野菜を、店で買えないでしょうか。今日の料理に使ったものとは違う味なら、食べてみたいんです」
バルド「……獣を追い払った礼に、野菜をよこせって?」
レオン「いいえ。仕入れとして、代金を払います。獣の件とは別です」
バルドは眉を寄せたまま、レオンを見た。
レオン「毎日大量には買えません。四席の店ですから。採れた時期に、運べる量だけ。値段も、運ぶ手間も、先に相談したい」
バルド「……今は、売れる野菜がどれだけ残るかわからん」
レオン「それも確かめてからで構いません」
バルドは傷んだ芋を籠へ戻した。
バルド「じゃあ、明後日、食べられる分がどれくらい残ってるか見せる。売るかどうかは、そのあと決める」
レオン「ありがとうございます」
バルド「まだ売るとは言ってないぞ」
レオン「ええ。だから、まず見せてもらえることへのお礼です」
バルドは首を振り、口の端を上げた。
◇
帰り際、バルドは戸口で振り返った。
バルド「ひとつ、聞いてもいいか」
レオン「はい」
バルド「俺は、お前を信用して来たわけじゃない。畑がどうにもならなくて、ほかに思いつかなかっただけだ」
レオン「わかっています」
バルド「それでも、明後日、来るんだな」
レオン「許可が取れた場所を、一緒に確かめに行きます」
バルドは短く頷いた。
バルド「じゃあ、俺も約束を守る。隣の二軒と、猟師に話をしてくる」
橋へ向かう背中は、来たときより少しだけ真っすぐだった。
レオンは戸を閉め、バルドの食べ終えた皿を手に取った。
畑を守る話は、まだ始まったばかりだ。獣の正体も、立ち入れる場所も、これから確かめなければならない。
それでも今日、橋の向こうの農家が一皿を注文し、二日後の約束を持って帰った。
レオンは木札の裏に、明後日の予定を書き込んだ。
『昼は畑の確認のため休業予定。朝は営業』
肉料理を目当てに来た客が、野菜の汁を食べて帰った。
次にその人が持ってくるのは、傷んだ芋ではなく、売り物の野菜かもしれない。
そうなれば、今度はレオンが代金を用意する番だった。




