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勇者の称号を剥奪されたので、国境で食堂を始めました 〜人間の平和を守った勇者が、世界の平和を作るまで〜  作者: よみまる


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第18話 戸を直す手

 戸が閉まらない。


 ノエラが肩で押すと、木の板が低く鳴った。少し開いていた隙間が狭くなり、すぐに元へ戻る。


ノエラ「……昨日より悪くなってる」

リリア「力を入れすぎないで。蝶番まで外れたら困ります」

ノエラ「でも、閉めないと風が入る」


 寝台のダルクが毛布を顎まで引き上げた。


ダルク「俺は動けないんだが、戸まで動かなくなるとはな」

ノエラ「戸は動くよ。閉まらないだけ」

ダルク「そっちの方が困るだろ」


 笑った途端、隙間風が足元の布を揺らした。


 薬師が戸の下に折った布を挟んだが、開け閉めするたびに外れてしまう。患者を寝かせた小屋では、戸を閉め切れないことが思った以上に厄介だった。


薬師「職人を呼ぼう。ここは私が管理を任されている小屋だ。普段の補修は私の判断で頼める」

リリア「救護費から出しましょうか」

薬師「いや。建物の補修と患者の手当ては別だ。修繕代はこちらで払う」


 ノエラは戸の上を見上げた。


ノエラ「直せる人、近くにいるかな」

薬師「石橋の集落で、道具を持った修繕職人を見かけたという話は聞いた。まず尋ねてみよう」


     ◇


 石橋手前の集落からやって来た女は、戸を一度押しただけで言った。


ナディア「これ、力で閉めようとしたでしょう」

ノエラ「……少しだけ」

ナディア「少しで済んでよかった。もう一押ししてたら、上の金具が抜けてたよ」


 女は肩から工具袋を下ろした。短く束ねた茶色い髪の下で、目だけがせわしなく戸の上下を行き来する。袖は擦り切れていたが、刃物の収まった革鞘には手入れの跡があった。


ナディア「修繕職人のナディア。頼まれたのは、この一枚でいい?」

薬師「ああ。風が入らず、患者の出入りに支障がなければ助かる」

ナディア「閉まるだけじゃ駄目だよ。具合の悪い人を運ぶなら、引っかからずに開くことも必要だ」


 ナディアは戸の上端へ指を差し入れ、下の敷居を覗いた。


ナディア「木が湿って膨らんでる。あと、蝶番の留めが緩んで戸が傾いてるね。全部削っちゃうと、乾いた季節には隙間だらけになる」

ノエラ「じゃあ、直せない?」

ナディア「直せる。削るのは少し。まず傾きを戻す」


 ナディアは工具袋から小さな木片を取り出して敷居に当て、戸を支えた。金具を外して留め穴を確かめ、傷んだ部分へ堅い木の栓を打ち込む。そこへ留め具を付け直すと、戸の上端がわずかに持ち上がった。


 ごり、と木がこすれる音がした。


ナディア「ここ。まだ当たってる」


 削り屑が細く落ちた。ナディアは鉋を一度引いては戸を閉め、また少し引く。見ている方がじれったくなるほど慎重だった。


ノエラ「もっと一気に削った方が早いんじゃ……」

ナディア「失敗した木は、元に戻らないからね」


 ノエラは黙って、床に散った削り屑を集めた。


 ナディアが戸を押す。


 今度は、引っかかる音がしなかった。戸板が枠へ収まり、隙間風に揺れていた布が止まる。


ダルク「……お、静かになった」

ナディア「開ける方も試して」


 リリアが戸を引く。軽い力で開いた。


リリア「さっきまで、両手で押していました」

ナディア「両手がふさがってても困る場所でしょう。患者さんを運ぶときは特にね」


 薬師は戸を数度開け閉めし、納得した顔で頷いた。


薬師「これなら夜も安心だ。代金を払わせてくれ」

ナディア「留め穴の補修と削り調整、持参した木栓の材料代も込みで小銅貨六枚。金具そのものはまだ使えるから、交換してないよ」


 薬師は自分の財布から硬貨を数えて渡した。ナディアも一枚ずつ確かめ、工具袋の内側へしまう。


ナディア「ただ、雨でまた枠が歪むようなら、今度は戸だけじゃなく柱を診た方がいい。今日はそこまでの仕事じゃないから」

薬師「わかった。気をつけて見ておく」


 ナディアは初めて、寝台の方へ顔を向けた。


ナディア「寒くない?」

ダルク「さっきまでより、ずっとましだ。助かった」

ナディア「よかった。戸って、開け閉めできて当たり前だと思われるからね。直した甲斐があるよ」


 ノエラは閉まった戸を眺めた。母から教わった手当ても、怪我をした人が楽になるための仕事だ。けれど今日は、傷に触らなくても人を楽にできる手があると知った。


     ◇


 昼を少し回ったころ、レオンは食堂の入口で知らない女と出くわした。


ナディア「ここ、食堂?」

レオン「看板どおりです」

ナディア「二文字しか書いてないから、見間違えようがないね」

レオン「よく言われます」


 ナディアは笑い、空いた席に工具袋を下ろそうとして手を止めた。


ナディア「汚れるか。床に置いていい?」

レオン「どうぞ。椅子は四つしかないので、鞄に一席取られると困ります」

ナディア「商売熱心だなあ」


 竈には、朝から水に浸しておいた豆を柔らかく煮た鍋がある。レオンは別の鉄鍋で薄切りの玉ねぎを焼き、木匙で崩した豆と合わせた。少しずつ煮汁を加えると、豆のとろみが玉ねぎを包む。仕上げに、ミーナから買った香草をほんの少し。


レオン「豆と焼き玉ねぎの煮込み。小銅貨一枚です」

ナディア「一枚なら助かる。一皿お願い」


 ナディアは匙を口へ運び、しばらく黙った。


レオン「……何か、足りませんか」

ナディア「いや。こういう温かい飯、久しぶりで」


 器を持つ指には、細かな傷と、古い豆ができていた。


ナディア「旅の間は硬いパンで済ませることが多くてさ。仕事が見つからない日は、食べる分も控える」

レオン「旅をしているんですか」

ナディア「戦のせいでいた場所を離れてね。あちこちで壊れた物を直して、次の仕事を探してる。道具だけは手放さなかった」

レオン「どうしてです?」

ナディア「これがあれば、誰かに『ここを直して』って言ってもらえるから」


 ナディアは煮込みをもうひと匙すくった。


ナディア「今朝もそんな仕事だったよ。魔族の患者がいる小屋の戸を直した。最初は正直、入るのに少し迷ったけどね」

レオン「それで、どうでした」

ナディア「戸は人間の家の戸と同じ壊れ方だった」


 言ってから、ナディアは自分で可笑しくなったらしく笑った。


ナディア「……当たり前か。中の人だって、風が入れば寒いんだよね」

レオン「直って、よかったです」

ナディア「あんた、戸が直ると嬉しそうな顔するんだね」

レオン「食堂の屋根に穴が開いてた頃を思い出しまして」

ナディア「料理人も、雨漏りには勝てないか」

レオン「剣でも勝てませんでした」


 ナディアが匙を止めた。


ナディア「……剣?」

レオン「昔の話です」


 今度はナディアが追及せず、残りの豆をすくった。


 食べ終えると、小銅貨を一枚、卓上へ置く。


ナディア「これ、明日も出す?」

レオン「材料があれば」

ナディア「じゃあ、また仕事があったら寄るよ。食事代を稼ぐ理由が一つ増えた」

レオン「それは店主にはありがたいですね」


     ◇


 食堂を出てから、ナディアは旧村の道をゆっくり歩いた。


 屋根の落ちた家。窓板だけが残った家。草に呑まれかけた家。その間に、壁が思いのほかしっかり立っている建物が一つあった。


 軒先に雨の跡はあるが、柱はすぐには傾きそうに見えない。戸の残骸が入口に斜めに掛かっている。


ナディア「……全部駄目になったわけじゃないんだ」


 近づいて、足を止める。


 人が住んでいないように見えることと、誰の持ち物でもないことは違う。屋根の状態も、外から見ただけではわからない。


 ナディアは工具袋の重みを肩へ掛け直した。


ナディア「住めるようになるなら、ちゃんと持ち主を探さないとね」


 旅の途中で眠る場所は、その日の仕事が終わればまた変わる。道具を乾かして置ける場所も、朝に火を起こせる場所も、ずっと欲しかった。


 この村なら、直さなければならない物がいくつもある。そして、働いたあとに温かい飯を買える店がある。


 それだけで、もう少し調べてみる理由にはなった。


     ◇


 夕方、ノエラが食堂へ顔を出した。


ノエラ「戸、ちゃんと閉まったよ。ダルクが寒いって言わなくなった」

レオン「よかった。直した人、昼にここで食べていきました」

ノエラ「へえ。あの人、腕がよかった。私が手を出したら止められたけど」

レオン「慣れた仕事には、触られたくないところもありますからね」


 ノエラは壁に掛かった木札を眺め、窓際の席に腰かけた。


ノエラ「ねえ、今日は豆ばっかり?」

レオン「豆ばっかり、って言い方はないだろ」

ノエラ「悪い意味じゃないよ。ただ、レオンの料理って、いつも豆か野菜だなって」


 レオンは木匙を止めた。


 王都から持ってきた料理帳には、肉を焼く手順も、骨から出汁を取る書き込みもある。けれど、開店してからの仕入れ帳に並ぶのは、豆、芋、玉ねぎ、根菜、香草ばかりだ。


レオン「……言われてみれば」

ノエラ「お腹はいっぱいになるし、おいしいよ。でも、歩いて働く人には、ほかのものも欲しいかもね」

レオン「そうかもしれないな」


 ノエラは小銅貨を一枚置き、いつもの煮込みを注文した。


 レオンは器によそいながら、昼に見たナディアの傷だらけの指を思い出した。


 戸を直す手がある。傷を治す手がある。草を摘んで売る手もある。


 その手で一日働いた人たちに、今の自分は何を食べてもらいたいのだろう。


 湯気の向こうで、料理帳のある棚が目に入った。


 明日の献立は、まだ決めていない。

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