第17話 敵だった人への給金
ノエラは、白い封筒を見て眉をひそめた。
ノエラ「……私に?」
リリア「まだ中身を説明していません」
ノエラ「だって、教会の印がある」
小屋の戸口には、西の町から来た運び手が立っていた。リリアが先に送った救護要請に対する返事だという。封筒は二通。送り状の日付から、こちらへ届くまで二日を要していた。
リリアは運び手に受領の署名を渡してから、机に封筒を並べた。
リリア「一通は、私の現地派遣を四日間延ばす許可です。今の十日間が終わったあとも、教会の仕事として残れます」
ノエラ「もう一通は?」
リリア「こちらを、あなたにも読んでほしいんです」
ノエラは手を伸ばさなかった。
ノエラ「人間の教会が、私に何の用?」
リリア「仕事の依頼です。受けるかどうかは、あなたが決めてください」
◇
西の町の教会が認めたのは、国境での短期間の救護協力だった。新しい教会の建設許可ではない。リリアは決裁書を机の上に置き、ノエラが自分で文字を追える向きに回した。
仕事は小屋での傷の手当て、薬草の調合、使用した物資の記録。期間はまず三日間。一日ごとの給金と、合計の支出上限が記されている。使う費用は西の町の教会が承認した救護費から出る。
リリア「私は現地の契約担当として、この範囲だけ任されています。あなたを無期限に雇う権限はありません」
ノエラ「三日たったら?」
リリア「続けるなら、改めて相談します。嫌なら、その前でも断れます。働いた分は、そこで終わっても支払います」
ノエラ「……私、教会の人間にならなきゃいけないの?」
リリア「いいえ。信仰を変える条件もありません。頼みたいのは、あなたの手当ての技術です」
ノエラは、ようやく紙を手に取った。
ノエラ「薬草は私が選んでいい?」
リリア「患者さんと薬師さんに確認しながら。購入する材料は、教会の支出として記録します」
ノエラ「じゃあ、私が自分で採った草を勝手に持ち出して、ただで使う必要もないんだね」
リリア「ありません」
ノエラはもう一度、給金の欄を見た。
ノエラ「……私が断ったら、どうするの」
リリア「薬師さんと私で、できることを続けます。あなたに怒る理由はありません」
返事を待つリリアの指が、紙の端を押さえている。そこには急がせる言葉がなかった。
ノエラ「少し考えさせて」
リリア「はい。今日はまだ、今までの手当てを一緒に見てもらえると助かります」
ノエラ「それはダルクのためだから。お金の話とは別」
リリア「わかっています」
◇
昼の食堂には、焼いた玉ねぎと豆の香りが満ちていた。
レオンは鍋をかき混ぜ、椀を二つ並べた。柔らかい豆に玉ねぎの甘みが染み込み、乾いた香草がわずかに香る。
先に来ていたミーナは、戸口近くで草籠を抱えていた。買い取ってもらう乾燥香草を、量ごとに分けているところだった。
ミーナ「ノエラに給金を出すんだって?」
レオン「そう聞いたのか」
ミーナ「本人から。人間の教会からなんて、妙な話よね」
レオン「決めるのはノエラだ」
ミーナ「わかってる。私だって、あの子の代わりに返事なんかしないわ」
レオンは香草の量を確かめ、いつもどおり代金を渡した。ミーナは硬貨を数えて、きちんと袋へ入れる。
ミーナ「……ただで働くのと、売るのは違うものね」
レオン「ああ。仕入れに払わなかったら、この汁だって続けて出せない」
ミーナ「その話、ノエラにしてあげたら?」
レオン「俺が?」
ミーナ「昔の勇者に説得されたら、余計に嫌がるかも。やっぱりいい」
レオンが何も言えずにいると、ミーナは少しだけ口元を動かした。
ミーナ「じゃ、草はいつもの値段で。おまけはないから」
レオン「助かるよ」
ミーナ「おまけはないって言ったでしょ」
ミーナはそのまま仕事場へ戻っていった。
ほどなくして、リリアとノエラが店に入ってきた。
ノエラ「二人分、ある?」
レオン「ある。豆と玉ねぎの煮込みだ。小銅貨一枚ずつ」
ノエラ「今日は私が払う」
リリア「まだ給金は受け取っていませんよ」
ノエラ「わかってる。今のは私のお金」
二人は窓際の席に座った。熱い汁をひと匙すくったノエラが、小さく息を吐く。
ノエラ「……おいしい」
レオン「よかった」
ノエラ「ねえ、レオン。自分の仕事に値段をつけるの、怖くなかった?」
レオンは、鍋を持つ手を止めた。
レオン「最初は、いくら取ればいいのかもわからなかった。今だって迷う」
ノエラ「勇者だったくせに?」
レオン「勇者の称号じゃ、玉ねぎは買えないからな」
リリアが噴き出した。ノエラも、ようやく少し笑った。
レオン「俺が決めた値段を、客が払ってくれる。それで次の材料が買える。続けるには、それが必要なんだと思う」
ノエラ「……そっか」
ノエラは椀を置き、リリアを見た。
ノエラ「私、引き受ける。でも、傷を見て危ないと思ったら、ちゃんと言うからね。相手が人間でも魔族でも」
リリア「私にも言ってください」
ノエラ「言うよ。遠慮しないから」
リリア「それは、もう知っています」
レオンは二人から受け取った小銅貨を、売上帳に記した。
◇
小屋へ戻ると、ノエラは決裁書をもう一度読み直した。仕事の内容、三日間の期間、一日分の給金、支払いの日付。リリアは教会から預かった救護費の中に、給金用の小袋が分けてあることも見せた。
薬師が立ち会い、ノエラとリリアが契約書に署名した。西の町から委任された権限によって、リリアが現地契約の責任を負う。勤務はその日の午後から。午前中までの手当てに、あとから給金を付け足すことはしなかった。
署名を終えたノエラは、紙から顔を上げた。
ノエラ「それで、最初の仕事は?」
ダルク「俺を置いて決めないでくれ。寝てるだけでも退屈なんだ」
ノエラ「じゃあ、まず足を見せて」
包帯を外すと、傷の周りに少し赤みが残っていた。薬師が状態を確かめ、ノエラが洗浄に使う湯と清潔な布を揃える。
ダルク「今日は、触ると昨日より痛む気がする」
リリア「痛みを抑える魔法を少し使えます。でも、傷の汚れを落とすのは別の仕事です」
ノエラ「先に周りを洗いたい。痛みが強いなら、少しだけ手を貸して」
リリアはダルクの了承を得て、傷の周囲へ弱い回復魔法をかけた。男のこわばった指が、少し緩む。
ダルク「……それなら我慢できる」
ノエラは薬師に確かめてもらいながら、傷に残った汚れを慎重に取り除いた。洗う途中で赤みの広がりを測り、昨日の記録と比べる。リリアもその印を見て、魔法を使いすぎないよう手を止めた。
リリア「もう少し続ければ、痛みは減らせますけど」
ノエラ「今はこれで十分。痛くなくても、傷が治ったわけじゃないから」
リリア「……はい。今日はここまでにします」
薬師の確認を受けて、ノエラは新しい布を当て、きつくならないよう包帯を巻いた。
ダルク「二人でやると、ずいぶん手際がいいな」
ノエラ「私は包帯の方が得意」
リリア「私は、痛みを減らす方ですね」
ダルク「だったら、その調子で頼む。ただし、歩けると言い出すまでは怒らないでくれ」
ノエラ「歩けるって言い出す方が先でしょ」
ダルクは笑った。まだ立つことはできない。それでも手当ての間、身をよじらずに済んだのは大きかった。
リリアは、今日からの勤務記録にノエラの名を書き込んだ。ノエラはそれを横から覗き込み、一つ付け足す。
ノエラ「薬草は、明日の分までしかないよ」
リリア「購入が必要なら、いくらか見積もりましょう」
ノエラ「うん。私の持ち物と、教会が買うものは分けておこう」
紙の上に並んだ二人の字は、まだ大きさも形も違っていた。
◇
夕方、片づけを終えたノエラに、リリアが小さな硬貨袋を差し出した。
リリア「今日の午後の勤務分です。半日分として、決裁書の定めどおりに」
ノエラ「……もう払うの?」
リリア「今日働いた分ですから。受け取りを確かめてもらえますか」
ノエラは硬貨を一枚ずつ数え、受領の印をつけた。
ノエラ「これ、私が母さんから教わったことで稼いだお金なんだね」
リリア「ええ。教会が、あなたにお願いした仕事の代金です」
ノエラは硬貨を袋へ戻し、口を固く結んだ。
ノエラ「……だったら、明日もちゃんと働く。給金をもらった分は」
リリア「無理はしないでください。三日間ですし、具合が悪いなら休む相談もできます」
ノエラ「わかってる。でも、私の仕事を勝手におまけにしないで」
リリア「しません」
戸口から冷たい風が入った。古い戸は閉めるたびに少し引っかかり、ノエラが肩で押してようやく収まる。
ノエラ「……ここ、いつか戸が閉まらなくなるんじゃない?」
リリア「そうなる前に、直せる人を探さないといけませんね」
ノエラは硬貨袋を胸元へしまい、閉まった戸を一度見返した。
まだ教会は建っていない。ここは、傷を負った人が休むための古い小屋のままだ。
それでも今日、この場所で働いた魔族の少女に、人間の教会から初めて給金が支払われた。
明日も手当てを続けるために、直さなければならないものが、また一つ見つかった。




