第16話 救護の行く先
王都の教会に届いた報告には、まだ新しい包帯の話は書かれていなかった。
セシリアの机に置かれたのは、数日前に西の町から送り出された定期報告だ。国境の荷置き小屋で、足に深い傷を負った男を診ていること。派遣したリリアの回復魔法だけでは処置が終わらず、現地の薬師と魔族の少女が傷の手当てを続けていること。
最後の紙に、十日間の派遣予定が記されていた。
セシリア「……十日」
彼女は指で日数をなぞった。王都から現地へ行き、帰るまでの旅程は別としても、現地で活動できる日は限られている。
リリアが戻ったあと、傷の包帯を替える人はいる。けれど回復魔法が必要になれば、また遠くの教会へ人を呼ばなければならない。
セシリアは別の書類を引き寄せた。レオンが料理帳のある食堂から送った手紙。屋根を直したという知らせには、思わず笑った。だが国境の救護についての記述を読むと、笑みは消えた。
あの男は、食堂を開くために国境へ行った。救護所を背負わせるためではない。
セシリア「……今いる人たちの善意に、いつまで頼るつもりなのかしら」
窓の外では、朝の鐘が鳴っていた。
◇
同じころ、国境の小屋ではノエラが布を畳んでいた。
ダルク「昨日の包帯、もう替えるのか」
ノエラ「汚れたら替えるよ。飾っておくために運んだんじゃないもの」
薬師が傷を確かめる。熱は下がっていたが、ダルクはまだ自分で歩けない。リリアは包帯を受け取るノエラの手元を見守っていた。
リリア「私は今日、西の町へ経過を書いて送ります」
ノエラ「次の荷物のこと?」
リリア「それもあります。でも、私の派遣が終わったあとのことも伝えないと」
ノエラは一瞬、手を止めた。
ノエラ「……帰る日は、もう決まってるんだよね」
リリア「はい。十日間の現地派遣です。延ばすには教会の許可が必要です」
ノエラ「じゃあ、書くだけじゃなくて、ちゃんと聞いて。私に何をしてほしいのかも」
リリアは頷いた。
リリア「勝手に、あなたが残ってくれると書くつもりはありません」
ノエラ「それならいい」
ノエラは新しい包帯を巻き終え、結び目を確かめた。
ダルク「話は終わったか? 足を動かさないのも案外、骨が折れるんだが」
ノエラ「折れてない方の足まで悪くしたくなければ、今日は我慢して」
ダルクが肩をすくめる。リリアも少し笑った。
◇
昼の食堂では、玉ねぎが静かに焼けていた。
レオンは薄く切った玉ねぎを少量の油で炒め、縁が薄茶色になったところへ柔らかく煮た豆を加えた。水と塩を足してひと煮立ちさせ、最後に香草を指でもんで散らす。豆の甘さに、焼いた玉ねぎの香ばしさが重なった。
雨に濡れた外套を入口で払って、リリアが席に着いた。
リリア「一皿、お願いします」
レオン「豆と玉ねぎの煮込みです。小銅貨一枚で」
リリア「昨日も食べたのに、また来てしまいました」
レオン「店主には嬉しい話ですね」
リリアはひと口食べて、目を丸くした。
リリア「……甘い。砂糖を使ったんですか?」
レオン「玉ねぎですよ。焦がさないように焼きました」
リリア「魔法じゃないんですね」
レオン「料理です」
彼女は笑ってから、匙を置いた。
リリア「今日、西の町へ報告を出します。ダルクさんのことと、昨日運んだ物資のこと。それから、私の派遣が終わったあとの救護も」
レオン「次の人が来るまで、何もできないわけにはいきませんからね」
リリア「ええ。でも、ノエラを教会の人員として扱う権限は私にはありません。彼女が手伝ってくれるからといって、無償で頼り続けるのも違うと思うんです」
レオンは洗った椀を伏せた。
レオン「なら、そのまま書いたらどうです」
リリア「大聖女様は、もう考えていらっしゃるかもしれません」
レオン「セシリアは、人が考えたこともちゃんと読みますよ。……自分で決めたあとは頑固ですけど」
リリア「それは知っています」
二人は少し笑った。リリアが小銅貨を置くと、レオンは売上帳に一皿分を記した。
この店も、仕入れの代金を払わなければ続かない。人が働く場所なら、なおさらだ。
夕方、リリアは報告を西の町の教会へ向かう運び手に託した。報告が着くには二日ほどかかり、そこから王都へ届けるなら、さらに何日も要る。
今、王都にいるセシリアが、この手紙を読めるはずはなかった。
◇
王都の教会で、会計を預かる担当者はセシリアの話を聞いて筆を止めた。
担当者「巡回の回数を増やすのですか?」
セシリア「それだけでは足りないわ。派遣が終わるたび、患者も手当てする人も置き去りになる」
担当者「国境には教会がありません」
セシリア「だから、新しく建てます」
担当者は顔を上げた。
担当者「……国境に、ですか」
セシリア「ええ。人間でも魔族でも、必要な手当てを受けに来られる教会を。建てるのは私の責任で進めます」
口にしてから、セシリアは自分の手を見た。
土地はまだ決まっていない。建設には金も職人もいる。そこまでしても、誰もがすぐに同じ入口を使えるとは限らない。
それでも、国境で傷の手当てをしている人たちに、今のまま続けろとは言えなかった。
担当者「レオン殿の食堂の土地なら、話が早いのでは?」
セシリア「彼が受け取ったのは食堂の一区画だけよ。教会の土地として使う話ではないわ。王国側の土地台帳と管理者を調べて、持ち主の同意を取ります」
担当者「工事に入れるのは、ずっと先になりますね」
セシリア「それは承知している。でも、今日から始められることもあるでしょう」
セシリアは報告書の名前を指した。
セシリア「リリアの回復魔法だけでは足りない。ノエラという十七歳の魔族の少女が、薬草と傷の処置で支えている。本人が望むなら、教会として正当な報酬を払って仕事を頼みたい」
担当者「魔族の方を、教会の有償協力者に?」
セシリア「働いてもらうのなら、払うのが当然よ。必要なのは、本人の同意と、認められた予算と、仕事の範囲でしょう」
担当者は帳簿をめくった。
担当者「短期の巡回救護費なら、西の町の教会に一定の執行権限があります。先日の追加派遣要請を受けて、現地協力者の雇用とリリアの短期延長について、審査を始めているはずです。ただ、私は結果をまだ受け取っていません」
セシリア「なら、そちらの返事を待つ間にできることを進めましょう。無許可の延長や、約束だけの給金にはしないで」
担当者「現地での正式な契約は、西の町の教会から権限と費用を示した文書が届いてから、ですね」
セシリア「ええ。ノエラの返事も、それからよ」
西の町での審査は、リリアが以前送った救護要請を受けて始まったものだ。今日のセシリアの決断が、何日も離れた西の町へ突然伝わったわけではない。
セシリアは机に戻ると、新しい教会の設置申請に署名した。候補地は未定と明記し、土地権限の照会と建設費の試算を求める。さらに、西の町の教会へ向けて、現地救護の継続方針と予算審査の状況を尋ねる文書を作った。
受付へ持ち込むと、係が書類を確かめた。
受付係「新設申請と照会状、今日の便で送れます」
セシリア「正式に受け付けてください。控えは私の机へ」
紙に受付印が押される音がした。
建てると決めた。申請も出した。けれど、教会はまだ一つも建っていない。
その違いを、セシリアは誰よりもよくわかっていた。
◇
西の町の教会では、その前日に、リリアの最初の救護要請に対する審査が済んでいた。
担当者は決裁書を二通に分けていた。一通はリリアの現地派遣を短期間延長する許可。もう一通は、現地の救護協力者を本人の同意を得て有償で雇うための、期間と支出上限を定めた文書だ。
雇う相手の名前は空欄のままだった。仕事を頼む前に、本人が引き受けるか確かめなければならない。
その二通は、翌朝の運び手に託された。国境へ着くまでには、そこからさらに二日ほどかかる。
◇
夕刻、セシリアは王都の西向きの窓を開けた。
石畳を馬車が通り、遠くで鐘が鳴る。国境に知らせが届くのは、まだ先だ。土地の照会の返事にも、きっと時間がかかる。
机には、リリアへ宛てた手紙がある。
『あなたが続けてきた救護を、誰かの善意だけに任せるつもりはありません。ノエラ本人の意思を大切にして、働く条件を確かめてください』
セシリアは少し迷ってから、もう一行を書き加えた。
『あの場所に、新しい教会を建てると決めました』
その手紙を封じ、発送の書類と並べる。
国境では今夜も、誰かが傷の手当てをし、誰かが食堂の椅子を引いているだろう。
セシリアは、その営みを遠くから褒めるだけで終わらせたくなかった。
国境にまだない教会のために、最初の申請が動き始めた。




