第15話 運べない一箱
朝の食堂に、戸を叩く音が響いた。
レオン「開いてますよ」
運び手「飯じゃないんだ。昨日の箱の話、覚えてるか」
レオン「清潔な布と包帯ですね」
運び手「西の町の教会から、今朝、集落へ着く。受け取る人に話を通してほしい」
昨日の夕方に訪ねてきた運び手だった。肩から提げた縄が、濡れた上着に張りついている。
レオンは仕込みかけの根菜を脇へ寄せ、運び手に向き直った。
レオン「先に、ノエラたちへ知らせます。俺が勝手に受け取るわけにはいきませんから」
運び手「それで頼む。荷の宛先は西の町の教会が指定した巡回救護だ。渡す相手を間違えると、俺の仕事が終わらない」
運び手が引き返すのを見送ってから、レオンは入口の札を裏返した。
『本日は救護物資の運搬で休業します。夕方、仕込みができ次第開けます』
昨日、石橋の農家から買った根菜は、まだ数本ある。レオンはそのうち一本を薄切りにし、少量の油を引いた鉄鍋で片面ずつ焼いた。薄茶色の焼き目がつくと、厨房に甘い匂いが広がる。
焼いた根菜を小鍋に移して水を注ぎ、残っていた小芋を一つ加える。柔らかく煮えた芋を木匙の背で崩すと、汁にとろみがついた。仕上げに、ミーナから買った香りの弱い葉をひとつまみ。味を見て塩を足す。
レオン「……運ぶなら、汁気は少ない方がいいな」
小鍋の中身を少し煮詰め、ちょうど二人分に仕上げた。一つは自分の朝食、もう一つは小屋へ持っていく食事だ。朝の鍋はこれで空になる。店を開けるなら、帰ってから新しく作ろう。
レオンは朝食を済ませ、もう一つの器を布で包んだ。
そこへ、草籠を肩に掛けたミーナが現れた。
ミーナ「こんな朝から閉めるの?」
レオン「救護の荷物が集落に届く。受け取りの知らせを伝えに行くところだ」
ミーナ「……ノエラに?」
レオン「ああ。受取人の確認が要るらしい」
ミーナ「ノエラなら小屋にいる。昨日の夕方、包帯がもう少し欲しいって言ってた」
ミーナは籠の紐を直した。摘んだ葉を乾かすため、いつもの作業場所へ向かう途中だという。
レオン「忙しいなら、頼み事はしない」
ミーナ「当たり前よ。今日はまだ一束も売ってないんだから」
戸口を出かけたミーナが、ふと振り返った。
ミーナ「……荷車は、あの穴を通れるわけ?」
レオン「通れない。歩いて運べるか、重さと道を確かめるつもりだ」
ミーナ「昨日の雨で、土がまた削れてたわ。草籠なら回れるけど、大きな箱はやめた方がいい」
レオン「覚えておくよ」
ミーナ「……別に、アンタのためじゃないから」
彼女は籠を担ぎ直して去った。
◇
魔族領側の荷置き小屋では、ノエラが包帯の残りを数えていた。
ノエラ「西の町から、今日?」
レオン「集落までは届くそうだ。ただ、崩れた排水溝の先へ荷車が進めない。教会の荷だから、受け取る人にも来てほしいって」
隣で記録用紙をまとめていたリリアが顔を上げた。
リリア「受取担当は私です。西の町の教会で手配していると聞いていました。送り状にも、私の名前があるはずです」
ノエラ「じゃあ、私も行く。小屋で必要な分を確かめたい」
リリア「患者さんは?」
ノエラ「薬師さんが診てくれる。ダルクにも話しておくよ」
寝台の男が、会話を聞いて苦笑した。
ダルク「俺の包帯のために、ずいぶん大騒ぎだな」
ノエラ「ダルクだけじゃないよ。この先の怪我人にも使うの」
ダルク「だったら、ちゃんと運んでこい。俺一人で使い切るなよ」
熱は落ち着いていた。足はまだ歩けないが、声には先日の弱々しさがない。
レオンは持ってきた器を取り出した。
レオン「それと、朝飯を一人分持ってきた。焼いた根菜と芋の香草汁だ。食べる人がいれば、小銅貨一枚で」
ノエラ「……私、朝から何も食べてない」
リリア「だったら、食べてください。昨日も遅くまで起きていたでしょう」
ノエラ「リリアに言われるとは思わなかった」
ノエラは自分の袋から小銅貨を一枚出し、レオンに渡した。蓋を開けると、焼いた根菜の匂いが湯気と一緒に立ちのぼる。
ノエラ「……おいしい。芋が溶けてるのに、根菜は少し歯応えが残ってる」
レオン「先に焼いてから煮たんだ。麦粉を使わずに腹にたまるものを考えてな」
ノエラ「この草、ミーナの?」
レオン「ああ。料理用を、値段どおり買った」
ノエラ「そっか」
ノエラは器の底まで食べ、匙を置いた。
ノエラ「食べ終わった。器は洗っておくから、帰りに持っていって」
レオン「店に戻る前に、ここへ寄る。荷物があるなら俺が持って帰るよ」
薬師に留守を任せ、三人は小屋を出た。リリアは教会の書類を、ノエラは必要な物資の控えを持っている。レオンは食事の器を包んできた布だけを畳み、袋にしまった。
◇
石橋手前の集落に着いたのは、昼前だった。
荷車は集落の荷置き場で止まっていた。車輪には湿った泥が固まり、荷台には油布で包まれた木箱が一つ載っている。大箱ではないが、木枠ごと一人で抱えると足元が見えなくなりそうだった。
運び手の隣には、集落で布を売る女がいた。リリアが宿代を払って泊めてもらった家の主だ。
女「今朝、道を見てきたよ。溝の石がまた一枚落ちていた。歩いて回る道はあるけど、箱を抱えたままじゃ危ないね」
運び手「雨で土も緩んでる。荷車は絶対に通せない」
リリアは教会の派遣状を示した。送り状には、西方巡回救護の受取担当として彼女の名前がある。
運び手「宛名に間違いはないな。ここで受け取るなら、署名を頼む」
リリア「はい。先に外箱の状態を確認します」
リリアは油布に破れがないことを確かめ、受領簿へ日付と署名を記した。運び手が箱を引き渡すと、彼女はその場で封を開け、中身を送り状と照合した。
清潔な布と包帯はそれぞれ紙で包まれ、内側にも防水布が重ねてある。数は送り状と一致していた。
リリア「正式に受領しました。ここからの管理は私が引き受けます」
ノエラ「全部を小屋へ持っていく必要はないよね。今日使う分は、このくらいで足りる」
リリア「ええ。残りは巡回用に取っておきます。ただ、ここで保管できる場所が必要です」
レオンは木箱の両側に手を掛け、中身の入ったまま少し持ち上げた。
レオン「この箱を抱えたままでは、足元が隠れますね」
運び手「二人で抱えても、狭いところでは持ち替えが難しい」
女「うちに乾いた空き部屋があるよ。包みを分けて預かるなら、数と期間を決めておくれ」
リリアは荷の控えを確認した。
リリア「今日、小屋で使う分だけ運びます。残りは二組に分けて、こちらへ一時保管をお願いできますか。預ける量と期間は書面に残します」
女「それなら引き受けるよ」
運び手「ここから先は別料金だ。必要なら俺も歩いて運ぶ」
リリア「お願いします。追加の運び賃と保管料は救護費から支払って記録します」
レオン「俺も運びます。道を知る人に先導してもらえると助かるんですが」
女「今朝歩いた道なら案内できる。ただし、危なければ戻るよ」
リリア「案内料もお支払いします。安全を優先してください」
◇
ノエラが作業台に並べた包みを、リリアは三組に分けて記録した。一組は今日小屋へ届ける分、残る二組は巡回用だ。リリアは預ける数量と期間を女と確かめ、二組を乾いた部屋へ運び入れた。
小屋へ届ける一組は、紙包みを開かずに四つの小包みに分け直した。レオン、ノエラ、リリア、運び手が一つずつ背負う。防水布の結び目と重さを確かめ、ようやく出発した。
女は荷物を持たず、先頭で道を案内する。
レオン「これなら足元が見えます」
ノエラ「無理だと思ったら言って。包帯を落とす方が困るから」
レオン「わかった。店の仕入れでも、重さを見ずに運んで失敗したくないな」
崩れた排水溝が見えてくると、話し声は自然に少なくなった。
古い石組みの脇では、雨に削られた土が黒く湿っている。低い石囲いの内側には入らず、女が選んだ高い地面を一人ずつ進んだ。
女「この木の根を越えたら右。左は泥が深いよ」
先を歩く人が通り抜けるまで、後ろの者は立ち止まる。包みの位置を直すときも、足場が平らなところを選んだ。
そのとき、細道の向こうから草を分ける音がした。
ミーナだった。朝に摘んだ葉を乾かすため、魔族領側の作業場所へ戻る途中なのだろう。籠には採った葉が潰れないよう、薄い布が掛けられている。
ミーナは女が向かおうとしていた地面を見て、眉を寄せた。
ミーナ「そこ、今朝より削れてる。踏まない方がいいわ!」
レオンは出しかけた足を引いた。靴先に触れた小石が、斜面を転がっていく。
レオン「……危なかった。ありがとう」
ミーナ「お礼はいらない。私もそこは通らないもの」
彼女は籠を背負ったまま、少し手前の木を指した。
ミーナ「その木の右へ回る道がある。今朝も通ったけど、そっちは乾いてた」
女「少し戻るんだね。私が足元を確かめてくるよ」
女は荷を持つ四人を安全な場所で待たせ、木の右側へ歩いた。草の下の土を確かめ、進めるところまで行って戻ってくる。
女「足場はしっかりしてる。この道なら一人ずつ通れそうだ」
ミーナは、その様子を見届けると歩き出した。
ミーナ「私は草を乾かしに戻るから。荷物を運ぶ仕事まで引き受けたわけじゃないわよ」
レオン「ああ。仕事の途中に引き留めて悪かった」
ミーナ「……次は自分でも道をよく見なさいよ」
彼女の籠が草の向こうへ消える。女は確認した道に先頭で入り、四人を順番に通した。
危険な場所を抜けたところで、運び手が息を吐いた。
運び手「箱のまま来なくてよかったな」
レオン「一度持ち上げたときは、何とかなると思ったんですが」
運び手「そう思う荷ほど、落とすと高くつく」
レオンは頷いた。背中の包みは軽くなったわけではない。それでも中身を濡らさず、崩れた溝の向こうへ運べた。
◇
小屋へ着いたのは、午後も半ばを過ぎたころだった。傾き始めた日差しが床に差し込んでいた。
リリアは運び込んだ四包みの数を薬師と照合した。外側に水が染みていないことを確認し、今日の使用分だけを薬師へ渡す。ノエラも受け取った数量を記録した。
薬師「ありがたい。今朝は交換する布を、何度も数え直していたところだよ」
ノエラ「これで、必要なときに清潔なものを使えるね」
ダルクが寝台から顔を上げた。
ダルク「俺の足のために、わざわざ運んできたのか」
ノエラ「ダルクの分は一部だけ。ほかの患者さんにも使うからね」
ダルク「それならよかった。俺一人で全部使っちまうのは気が引ける」
案内を終えて帰ろうとしていた女が、寝台の方を見た。
女「……ここで手当てしていたんだね」
人間側の集落で布を売る彼女は、魔族領の小屋へ入ったことがなかった。ダルクの角に一度目を向けたが、視線をそらす代わりに床の敷布と包帯の置き場を見た。
女「泊めてる娘から聞いてはいたけど……布が少ないって、こういうことだったのかい」
ノエラ「うん。今日は届けてもらえて助かった」
薬師がダルクに声を掛け、本人の承諾を得てから新しい包帯を使った。ノエラが傷の様子を確かめ、薬師の指示に合わせて巻き直す。リリアは使った数と傷の経過を記録した。
ダルク「……新しい布だと、気持ちまで違うな」
ノエラ「気持ちがよくても、歩くのはまだ駄目だよ」
ダルク「それは、もう十分聞いた」
薬師が笑うと、女も口元を緩めた。
女は空になった包みの外布を拾い、畳んでからリリアへ差し出した。
女「預かった二組は、約束した日まできちんと置いておくよ。取りに来る人が決まったら知らせておくれ」
リリア「ありがとうございます。受け渡しの記録も、そのときに持っていきます」
女「……布を汚さずに届ける理由が、少しわかった気がする」
女はそれ以上何も言わなかった。ノエラも礼を重ねず、記録を閉じた。
レオンは小屋の脇に置いていた空の器を受け取った。ノエラが食事のあとに洗ってくれていたものだ。
レオン「それじゃ、店を開けに戻ります」
ノエラ「ご飯、ごちそうさま。ちゃんとお金は払ったけど」
レオン「払ってもらったので、また作れます」
帰り道は、運び手と女が安全を確かめた迂回路を使った。集落への帰路につく二人と別れ、レオンは食堂へ向かった。
◇
レオンが店へ戻ったときには、日が傾き始めていた。
朝の鍋は空だ。レオンは手を洗い、棚に残しておいた生の根菜を取り出した。薄切りにして、少量の油を引いた鉄鍋に並べる。両面に焼き色がつくまで待つと、甘い香りが厨房に広がった。
焼いた根菜を小鍋に移し、水を注いで煮る。野菜が匙で切れるほど柔らかくなるまで火を通し、最後にミーナから買った乾いた香草を少しだけ加えた。焼き目の香ばしさが汁に移り、ひと口飲むと根菜の甘みがゆっくり広がる。
レオン「……よし。今日は芋なしでも、悪くない」
仕込みに半刻ほどかかった。レオンが入口の札を営業中に戻したのは、夕暮れ前だった。
そこへ、石橋の農家の男が現れた。
男「今日は閉まってるかと思ったぞ」
レオン「帰ってから仕込んだので、ようやく開けられました」
男「畑の帰りに寄ったら、ちょうど札が変わったところだった」
レオン「焼き根菜の香草汁なら、できたてがあります」
男「芋は入ってないのか?」
レオン「今日は根菜の甘みを試してみたくて。歩いたあとにどうです?」
男「俺は畑から来ただけだぞ」
レオン「畑仕事でも歩くでしょう」
男「それもそうか」
男は小銅貨一枚を置き、窓際の席へ腰を下ろした。レオンは火から下ろしたばかりの汁を、器によそって出した。
一口すすった男は、匙を止めて器を覗いた。
男「……先に焼いたのか、この根菜」
レオン「はい。焼き目をつけてから煮ました」
男「うちじゃ、そのまま鍋に放り込む。これなら婆さんも食べるかな」
レオン「香草は少なめです。好みが合えばいいですね」
男「草の方は、昨日の娘にまた聞いてみるさ」
男は器を空にし、明日も根菜を少し売れると教えた。レオンは仕入れに使える小銭を数え、買える量を答えた。
今日は店を閉めた時間が長く、売上は多くない。それでも、布を届けてから新しく仕込んだ料理を、客に食べてもらえたことが嬉しかった。
◇
すっかり日が暮れる前に、リリアが食堂の戸を開けた。
リリア「受け取りの控えです。小屋へ運んだ分と、集落へ預けた分を分けて書きました」
レオン「ありがとう。俺が持っておくものですか?」
リリア「はい。運搬に協力してくれた人への控えです。教会の正式な帳簿は私が管理します」
リリアが支払った追加の運び賃、案内料、保管料もそれぞれ記載されている。レオンが引き受けたのは、自分の背中で一包みを運ぶことだった。
リリア「今日の分は届けられました。次の便に備えて、崩れた道の状態と今回の運び方を西の町の教会へ報告します」
レオン「お願いします。あの道は、まだ荷車では通れませんから」
レオンは窓の外を見た。草の先には、今日も越えてきた旧街道が続いている。
リリアは息をつき、壁の木札を見上げた。
リリア「……ところで、まだ一皿ありますか」
レオン「ありますよ。小銅貨一枚です」
リリア「では、一つ。今日はちゃんと食べてから帰ります」
レオン「ちょうど仕込んだところです。熱いうちによそいますね」
レオンは小鍋の汁をひと混ぜし、熱いまま器によそった。歩いてきた客が座る四つの席のうち、一つにまた湯気が立つ。




