第14話 草を買う理由
食堂の戸を開けたレオンは、入口の木札を裏返した。
『本日のお品 焼き根菜の香草汁 小銅貨一枚』
書いてから、少し迷う。
レオン「……汁なのに、焼き根菜か」
昨日、石橋手前の農家へ頼んだ分の根菜が、今朝小さな籠で届いた。小芋も四つ。代金を払って残りを数え、麦粉の袋は棚の隅へ押しやる。底に粉が薄く残るだけだった。
根菜は半分を小さく切って鉄鍋で焼きつけ、残りは薄く削って湯へ入れた。少ない油でついた焦げ目が汁に落ちると、茹でただけのときより濃い香りが立つ。
それでも、何かが足りなかった。
レオン「塩を足すと、しょっぱくなるしな」
香草の袋へ伸ばしかけた指を止める。昨日使った葉は、香りが強い。根菜の甘さまで消してしまいそうだった。
昨日の帰り際、ミーナは言った。
『次に買うときは、必要な量を先に言って』
レオンは木札の裏に書きつけた。
『料理用。香りの弱いもの。二皿分ずつ試せる量』
仕入れ帳と呼ぶには、まだ小さすぎる紙だった。
◇
昼前、あの農家の男が店に来た。
男は席に着く前に、懐から小さな紙包みを取り出した。
男「昨日の草、婆さんが食ったよ」
レオン「どうでした?」
男「茹でた芋に少し振った。最初は『庭の草なんか食わせるな』って顔をしてな」
レオン「それは、ずいぶん厳しいですね」
男「ところが半分食って、『明日も同じ草か』だと」
レオン「……それは、褒めてますね」
男「たぶんな。うちの婆さん、うまいと言うまで三日かかる」
男は紙包みを卓へ戻した。中には乾いた葉がほんの少し残っている。
男「匂いの弱いのがあるなら、次はそっちも試したい。あの娘、来るか」
レオン「約束はしていません。行商ですから」
男「そうか」
男はそれ以上尋ねず、今日の汁を注文した。
レオンが器を置くと、男はひと口すすり、首を傾げた。
男「うまいが、昨日の芋より静かな味だな」
レオン「静か、ですか」
男「悪くねえぞ。畑で働いたあとなら、もう少し何か欲しいが」
レオンは思わず笑った。
レオン「ちょうど、俺もそう思っていました」
◇
ミーナが来たのは、その器が半分ほど空いたころだった。
草籠の中は、昨日よりきれいに分けられている。短い紐で結んだ小束が三種類。ミーナは入口で農家の男を見ると、一瞬だけ足を止めた。
ミーナ「……今日もいるのね」
男「芋を届けた帰りだ」
ミーナ「聞いてないけど」
男は口を閉じた。昨日の出来事が、二人を親しくしたわけではなかった。
ミーナはレオンへ向き直る。
ミーナ「試しに作った。匂いの弱いのが二束。いつもの料理用が三束。あとは売り先が決まってるから、ここでは出さない」
レオン「売り先が決まってる分まで持ってきたのか?」
ミーナ「帰りに寄るところがあるの。全部アンタの店に売るためじゃないわ」
レオン「それもそうだな」
レオンは朝の紙を出した。
レオン「欲しいのは、香りが弱い料理用を一束。まず二皿ずつ試したい」
ミーナ「なら、この細い葉。熱い汁に長く入れると香りが飛ぶから、仕上げに使って。値段はいつもの束と同じ。小さい分、乾かす手間がかかるの」
レオン「わかった。それを一束ください」
ミーナが告げた値段の硬貨を渡す。彼女は数えてから、草を渡した。
農家の男が、空の器をそっと卓の端へ寄せる。
男「俺にも、それを一束くれないか」
ミーナは男を見た。
ミーナ「昨日買ったばかりでしょ」
男「婆さんが、もう一度食べたいらしい。ただ、匂いが強いと嫌がる日もある」
ミーナ「……それなら、こっちを少しずつ試す方がいいと思う。でも、嫌いだったら無理に食べさせないで」
男「わかってる」
ミーナ「値段は同じよ。昨日の続きだからって安くはしない」
男「安くしろとは言ってねえ」
同じ言い合いを、レオンは昨日も聞いた気がした。
男は代金を払った。ミーナは二束目を包み、受け渡しのときだけ手を伸ばす。
男「……前の草、婆さんが食った」
ミーナ「今、聞いた」
男「礼を言えって言われてきたわけじゃねえぞ」
ミーナ「じゃあ、言わなくていいわ」
男は困った顔をした。
男「でも、食ってくれてよかった」
ミーナは紙包みの紐を結び直した。
ミーナ「……私だって、売ったものを捨てられるよりはいい」
男は包みを受け取り、会釈ともつかない動きで頭を下げた。ミーナは見ていないふりをした。
◇
レオンは新しく買った葉を指で軽く砕き、鍋からよそった汁へ落とした。
湯気に乗った匂いは、いつもの乾いた香草よりやわらかい。最初に根菜の甘い香りが来て、そのあとに草の青い香りが少しだけ残る。
レオン「……これは、いいな」
ミーナ「入れすぎてない?」
レオン「今のところ、大丈夫そうだ」
ミーナ「『今のところ』って何よ」
レオン「食べてから決める」
ひと口含むと、舌の奥に残っていた油の重さがすっと軽くなった。焼きつけた根菜の甘さも消えない。
レオンは農家の男へ小さな器を出した。
レオン「試しの一口です。さっきの汁に、買った草を足しました。比べてみてもらえますか」
男「代金は?」
レオン「今日は試作なので、こちらの負担で。次に売るときは同じ一皿の値段で出します」
男「じゃあ、遠慮なく」
男はひと口すすった。
男「……こっちの方が、いいな。草がいるってわかるのに、芋の味もする」
レオン「根菜です」
男「似たようなもんだろ」
レオン「農家の人に言われると、返しにくいですね」
ミーナは台のそばから動かず、男の空の器を見ていた。
男「その草を買って帰れば、家でもできるか?」
レオン「焼き目を少しつけると、香りが変わります。油もほんの少しで」
ミーナ「草は最後。煮立たせすぎないで」
男「……二人とも、注文が多いな」
ミーナ「ちゃんと食べてほしいだけよ」
言ってから、ミーナは視線を逸らした。
◇
男が帰ったあと、ノエラが顔を出した。
片腕には洗った布の包み。もう片方には使い慣れた小さな革袋を抱えている。
ノエラ「ミーナ、ここにいたんだ。探す手間が省けた」
ミーナ「その言い方、私がずっとここにいるみたい」
ノエラ「違うの?」
ミーナ「違う」
ノエラは笑ったが、すぐに籠の中を確かめた。
ノエラ「前に買った医療用の草、残りが少なくなってきた。ダルクの手当てに使う分と、次の往診の備えを分けたいの」
ミーナ「必要なのはどれ?」
ノエラ「傷に直接使うのは薬師さんと相談してる。今日は、清潔に保管できる乾いた分を、この前と同じ種類で一束だけ。量が多くても置き場所がないから」
ミーナ「その束は料理用じゃない。こっち。昨日から乾き具合を見てた」
ミーナは籠の奥から、別の紙に包んだ束を取り出した。
ノエラ「……うん、葉の色もいい。代金は前に買ったときと同じでいい?」
ミーナ「同じ。だけど、次は一度にこれだけ用意できるかわからない。採れる場所にも限りがあるから」
ノエラ「わかった。必要になったら先に言う。余計には買わない」
ノエラは革袋から硬貨を出し、自分で数えて渡した。レオンは口を挟まない。食堂で売る一皿と、負傷者の手当てに使う一束は、買う人も財布も違う。
リリアが少し遅れて現れた。
リリア「……二人とも、いましたか。薬師さんへの報告、終わりました」
ノエラ「ダルク、今日はどう?」
リリア「熱は落ち着いています。足の傷はまだ診てもらう必要がありますけど、さっきは預かり札の話をしていました。もう一度、自分で返しに行きたいそうです」
ノエラ「歩くのは、まだ先だよ」
リリア「そう伝えました。本人もわかっています」
リリアは小さな椀を見つけた。
リリア「……いい匂い」
レオン「今日は香草の入った焼き根菜の汁です」
リリア「一皿ください。代金も払います」
ノエラ「食べないで働くと、またセシリア様に怒られるよ」
リリア「どうして、それを知っているんですか」
ノエラ「顔に書いてある」
ミーナが小さく吹き出した。リリアは不満そうだったが、椅子に腰掛けた。
レオンは椀に汁をよそい、買ったばかりの香草を少しだけ浮かべた。
リリア「……あたたかい。これ、香りが強すぎなくて食べやすいですね」
ミーナ「今日、試しに作った束だから」
リリア「お店の新しい料理に合ってると思います」
ミーナ「料理に合うように作ったんじゃない。食べる人が嫌がらないか、試してるの」
リリア「……そうでしたか」
リリアは椀を置き、少し考えた。
リリア「それなら、私の感想も、一人分として数えてください」
ミーナは返事をしなかった。ただ籠から紙片を取り出し、小さく印をつけた。
◇
夕方、ミーナは売れた束の数を数え直した。
匂いの弱い料理用は二束とも売れた。ひとつはレオンへ、ひとつは農家の男へ。医療用はノエラが一束を買った。売るつもりのない残りには、手をつけなかった。
ミーナ「……明日も同じ量を作るのは無理ね」
レオン「売り切れたから?」
ミーナ「採る時間も乾かす場所もいるの。欲しいって言われたからって、勝手に増えない」
レオン「料理も似てるな。客が増えても、鍋の中身は増えない」
ミーナ「アンタの鍋と一緒にしないで」
レオン「それは失礼」
ミーナは硬貨をしまい、籠の蓋を閉めた。
ミーナ「……今日の分、売れたのはよかった。あの農家の人がまた買いに来るかは、知らないけど」
レオン「少なくとも、家で食べてもらえた」
ミーナ「それは、私の草がちゃんとしてたからよ」
レオン「そうだな」
肯定されると、ミーナは少しだけ居心地が悪そうな顔をした。
ミーナ「……商売だからね。アンタを赦したわけじゃない」
レオン「ああ。代金はこれからも払う」
ミーナ「当たり前でしょ」
扉が閉まる前に、彼女は一度だけ振り返った。
ミーナ「必要な草、次は前の日に言って。採れるかどうか、私が決めるから」
レオン「わかった」
レオンは戸の向こうへ消える草籠を見送った。
今日は売れた皿が増えただけではない。次に何を買うか、誰へ頼めばいいかが、少しはっきりした。
帳面には、今日の売上と仕入れを書き分ける。
その途中で、石橋の集落から来た運び手が戸口を覗いた。
運び手「食堂は、まだやってるか」
レオン「火は落としたところです。明日なら」
運び手「いや、飯じゃない。西の町から荷が出るらしい。清潔な布や包帯を入れた箱だ。集落までは運べても、こっちへはどうだろうな」
レオン「道ですか」
運び手「崩れた排水溝が、また雨で削れた。荷車じゃ厳しい。箱ひとつなら何とかなると思ったが……中身は濡らせないって話でな」
男は橋の方を見た。
運び手「明日、集落で受け取る者を探してる。届け先の返事が来るまで、勝手には動かせねえ」
レオン「そうですか。必要な人に、伝えることならできます」
運び手「助かる。あんたの店には、あっちの手当てをしてる娘が来るんだろ」
レオンは頷いた。
食堂へ戻ると、鍋の底に香草の葉が一枚だけ残っていた。
少しの草なら、籠に入れて歩いて運べる。
だが、人を助けるための箱は、同じようにはいかないらしい。




