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勇者の称号を剥奪されたので、国境で食堂を始めました 〜人間の平和を守った勇者が、世界の平和を作るまで〜  作者: よみまる


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13/19

第13話 同じ卓の違う顔

 芋を潰す音は、思ったより大きかった。


 木椀の底に押しつけるたび、こつ、こつ、と厨房に響く。昨日、石橋手前の農家から買った小芋が、籠にあと五つ。レオンは二つを柔らかく茹で、残りは明日のために取り分けた。


 潰した芋へ刻んだ根菜と塩を混ぜ、小さく丸める。鉄鍋の底に薄く油を引いて押しつけると、縁から細かな泡が立った。


レオン「……焼き物というより、焼いた芋の塊だな」


 ひっくり返すと、底にきつね色の薄い皮ができていた。箸の先で割る。表面はぱりっとして、中からほくほくした湯気が出る。


 乾いた香草をほんの少し振ると、昨日とは違う匂いになった。


レオン「これなら、粉がなくても出せる」


 王都から持ち込んだ麦粉は底をつきかけている。新しい材料が届くまでは、今ある分で工夫するしかなかった。


 戸口の札に、今日の品を書き加えた。


『小芋の押し焼き 小銅貨一枚』


     ◇


 最初の客は、昨日小芋を届けてくれた農家の男だった。


男「お、うちの芋の匂いがする」

レオン「昨日の分です。ちゃんと代金を払った芋ですよ」

男「そこは疑ってねえよ」


 男は笑って腰を下ろした。四脚ある椅子のうち、窓際の一つだった。


 皿を出すと、男は焼き目を指で軽く叩いた。


男「うちじゃ茹でて塩を振るだけだ。潰して焼くのか」

レオン「皮ができると、少し違います」

男「……熱っ」

レオン「熱いので、気をつけてください」

男「食ってから言うな」


 男はふうふう息をかけ、もう一口食べた。


男「……うまい。香りが変わってるな」

レオン「乾いた草を少し。魔族の行商人から買いました」


 男の手が止まった。


男「魔族から?」

レオン「ええ。売り手が誰でも、味は確かめて買っています」


 男はしばらく皿を見たが、残りを口へ運んだ。


男「……うまいもんは、うまい」


 レオンは返事の代わりに湯飲みへ水を足した。


     ◇


 昼を少し過ぎたころ、ミーナが草籠を抱えて現れた。


ミーナ「……その匂い、昨日売った草ね」

レオン「新しく買った束の方だ。少し使った」

ミーナ「使ってくれるのはいいけど、湿らせないでよ。残りが傷むから」

レオン「棚の乾いたところに置いてある」

ミーナ「なら、いいわ」


 ミーナは新しく束ねた香草を台に並べかけ、先客に気づいた。


 農家の男も顔を上げる。


 小さな角と銀紫色の髪を見たとたん、男の肩が硬くなった。


男「……魔族か」

ミーナ「見ればわかるでしょ」

男「この草、お前が売ったのか」

ミーナ「そうよ。腐ったものなんて売ってないわ」

男「そういう話じゃない」


 男は食べかけの皿を脇へ寄せた。


男「戦争のとき、魔族が村の荷を焼いた。俺の弟も運びに出たまま、帰ってこなかった」


 ミーナは籠の縁を握った。


ミーナ「……私がやったって言いたいの」

男「そんなことは言ってねえ」

ミーナ「じゃあ、そんな顔しないでよ」


 狭い店が、急に静かになった。


 レオンは鍋の火を弱め、台の向こうから言った。


レオン「ここで出す皿は、払ってもらう代金で決めます。人間にも魔族にも、同じ値段です」


 男は顔を上げた。


レオン「嫌な相手と話す必要はありません。席を移るのも、帰るのも自由です。でも、ここで相手を脅したり、食べる権利を取り上げたりはさせません」

男「……元勇者が、魔族の肩を持つのか」

レオン「店の約束を守ります。あなたが食べている間も、同じです」


 ミーナはレオンを見なかった。


ミーナ「私、食べに来たんじゃない。商売しに来たの」

レオン「ああ。見本は台の端へ置いてくれ。値段も聞く」


 レオンは草の束を勝手に取らなかった。ミーナが差し出した一束だけを確かめる。


 農家の男は席を立ちかけた。その拍子に、袖が湯飲みに引っかかった。


男「しまっ……」


 倒れた湯飲みが皿の方へ転がる。


 ミーナは反射的に台の布をつかみ、皿の手前へ押し当てた。水が布へ染み込み、焼き芋の縁で止まった。


ミーナ「危ないじゃない。せっかく焼いたのに」

男「……お前」

ミーナ「勘違いしないで。食べ物が水浸しになるの、嫌いなの」


 男は濡れた袖を見つめた。右手首には古い傷があり、震えを抑えるように左手で握った。


レオン「拭く布をもう一枚出します。皿は無事ですよ」

男「……すまん」


 それが誰への言葉なのか、レオンにはわからなかった。


     ◇


 水を拭き終わっても、男はすぐには食べ始めなかった。


 ミーナは草籠を抱き直し、出口へ目を向ける。


レオン「商いは、今日はここまでか?」

ミーナ「……まだ値段の話をしてない」

レオン「そうだったな」


 ミーナは一束の代金を告げた。レオンは手持ちを確かめ、今日使う分だけ買った。


レオン「残りは、また今度にする」

ミーナ「無理して買わなくていいわよ」

レオン「店が潰れたら、次を買えなくなるからな」

ミーナ「……それは困るわ」


 男がぽつりと言った。


男「その草、芋以外にも合うのか」


 ミーナは振り返らなかった。


ミーナ「種類によるわ」

男「うちの婆さんが、最近あまり食べなくてな。茹でた根菜ばかりじゃ飽きると言う」

ミーナ「……乾いた葉を入れすぎると、苦くなる」

男「入れすぎなきゃいいのか」

ミーナ「まず匂いを嗅いでもらいなさいよ。嫌いな匂いなら意味ないでしょ」


 男は黙って、レオンの皿を見た。


男「……見本を、嗅いでもいいか」


 ミーナは一束を少しだけ持ち上げた。


ミーナ「買うかどうか、決めてからじゃなくていい。匂いだけならお金はいらない」


 男が立ち上がると、ミーナは身を引いた。手渡さず、台の上へ置く。


 男は葉へ鼻を近づけた。


男「これなら、あいつも嫌がらないかもしれん」

ミーナ「かもしれない、ね」

男「……いくらだ」


 ミーナはさっきレオンに告げたのと同じ値段を言った。


 男は硬貨を置いた。ミーナは数えてから、一束を紙で包んだ。


 取引が終わっても、二人は互いに礼を言わなかった。


     ◇


 レオンが皿を下げようとすると、ミーナが口を開いた。


ミーナ「……それ、まだある?」

レオン「芋の押し焼きか? あと一皿分なら」

ミーナ「一つ。ちゃんと払う」

レオン「もちろん」


 レオンは最後の分を焼いた。鍋の底に残る油を薄くのばし、焦げないように焼き目をつける。


 皿を置くと、ミーナは硬貨を払った。


 男は窓際の席に戻っていた。ほかの椅子は三脚とも空いている。


 ミーナは自分の皿を持ち、入口に近い椅子へ向かった。そこで一度立ち止まる。


ミーナ「……ここ、座るわよ」

男「俺の席じゃない」

ミーナ「知ってる。聞いただけ」


 二人の間には卓の角があった。


 ミーナは芋を小さく割る。かり、と皮が割れ、湯気が上がった。


ミーナ「……熱い」

男「熱いのは、さっき俺も言った」

ミーナ「聞いてないわ」

レオン「今度から、札に書きますか。『熱いです』と」

男「書いとけ」

ミーナ「当たり前のことを?」


 レオンは思わず笑いかけ、二人の顔を見てやめた。


 男は自分の残りを食べ、ミーナは芋に息を吹きかけている。会話がなくなっても、どちらも席を立たなかった。


 同じ皿ではない。同じ気持ちでもない。


 ただ、食べ終わるまで相手を追い出そうとはしなかった。


     ◇


 男は先に席を立った。


男「……芋、また持ってこようか。売れるならだが」

レオン「残りを見て、明日お願いする数を決めます」

男「そうか」


 男は出口で足を止めた。


男「草の使い方、今度もう一度聞いていいか」

ミーナ「買った分の話なら。次もいるとは限らないけど」

男「……わかった」


 戸が閉まった。


 ミーナは最後のひと口を食べ、皿を台へ運んだ。


レオン「どうだった?」

ミーナ「芋はおいしかった」

レオン「それは、よかった」

ミーナ「……でも、あの人を好きになったわけじゃない」

レオン「そうだろうな」

ミーナ「アンタのことも、別よ」

レオン「ああ」


 ミーナは硬貨の入った袋を確かめた。


ミーナ「さっきの人、草を買ったでしょ」

レオン「買っていたな」

ミーナ「人間が買うなら、匂いの弱い束も作ってみる。あの人の家だけの話じゃないかもしれないし」

レオン「売り方を変えるのか」

ミーナ「試すだけ。売れなきゃ戻すわ」


 彼女は籠を肩に掛けた。


ミーナ「……次に買うときは、必要な量を先に言って。無駄に摘みたくないから」

レオン「わかった」


 少女は返事をせず、店を出た。


 レオンは四つの椅子を見た。


 一つには、農家の男が落とした小さな芋の欠片。もう一つには、ミーナが畳んだ紙の端が残っている。


 片づければ、いつもの食堂だ。


 けれど今日、二人は同じ卓で、それぞれの皿を食べ終えた。


 レオンは鍋を洗い、明日の仕入れを書いた紙の隅に、もう一つだけ加えた。


『香草。客に合う香りを、ミーナに聞く』


 人の顔を変えることはできない。


 それでも次の一皿なら、少し変えられるかもしれなかった。

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