第13話 同じ卓の違う顔
芋を潰す音は、思ったより大きかった。
木椀の底に押しつけるたび、こつ、こつ、と厨房に響く。昨日、石橋手前の農家から買った小芋が、籠にあと五つ。レオンは二つを柔らかく茹で、残りは明日のために取り分けた。
潰した芋へ刻んだ根菜と塩を混ぜ、小さく丸める。鉄鍋の底に薄く油を引いて押しつけると、縁から細かな泡が立った。
レオン「……焼き物というより、焼いた芋の塊だな」
ひっくり返すと、底にきつね色の薄い皮ができていた。箸の先で割る。表面はぱりっとして、中からほくほくした湯気が出る。
乾いた香草をほんの少し振ると、昨日とは違う匂いになった。
レオン「これなら、粉がなくても出せる」
王都から持ち込んだ麦粉は底をつきかけている。新しい材料が届くまでは、今ある分で工夫するしかなかった。
戸口の札に、今日の品を書き加えた。
『小芋の押し焼き 小銅貨一枚』
◇
最初の客は、昨日小芋を届けてくれた農家の男だった。
男「お、うちの芋の匂いがする」
レオン「昨日の分です。ちゃんと代金を払った芋ですよ」
男「そこは疑ってねえよ」
男は笑って腰を下ろした。四脚ある椅子のうち、窓際の一つだった。
皿を出すと、男は焼き目を指で軽く叩いた。
男「うちじゃ茹でて塩を振るだけだ。潰して焼くのか」
レオン「皮ができると、少し違います」
男「……熱っ」
レオン「熱いので、気をつけてください」
男「食ってから言うな」
男はふうふう息をかけ、もう一口食べた。
男「……うまい。香りが変わってるな」
レオン「乾いた草を少し。魔族の行商人から買いました」
男の手が止まった。
男「魔族から?」
レオン「ええ。売り手が誰でも、味は確かめて買っています」
男はしばらく皿を見たが、残りを口へ運んだ。
男「……うまいもんは、うまい」
レオンは返事の代わりに湯飲みへ水を足した。
◇
昼を少し過ぎたころ、ミーナが草籠を抱えて現れた。
ミーナ「……その匂い、昨日売った草ね」
レオン「新しく買った束の方だ。少し使った」
ミーナ「使ってくれるのはいいけど、湿らせないでよ。残りが傷むから」
レオン「棚の乾いたところに置いてある」
ミーナ「なら、いいわ」
ミーナは新しく束ねた香草を台に並べかけ、先客に気づいた。
農家の男も顔を上げる。
小さな角と銀紫色の髪を見たとたん、男の肩が硬くなった。
男「……魔族か」
ミーナ「見ればわかるでしょ」
男「この草、お前が売ったのか」
ミーナ「そうよ。腐ったものなんて売ってないわ」
男「そういう話じゃない」
男は食べかけの皿を脇へ寄せた。
男「戦争のとき、魔族が村の荷を焼いた。俺の弟も運びに出たまま、帰ってこなかった」
ミーナは籠の縁を握った。
ミーナ「……私がやったって言いたいの」
男「そんなことは言ってねえ」
ミーナ「じゃあ、そんな顔しないでよ」
狭い店が、急に静かになった。
レオンは鍋の火を弱め、台の向こうから言った。
レオン「ここで出す皿は、払ってもらう代金で決めます。人間にも魔族にも、同じ値段です」
男は顔を上げた。
レオン「嫌な相手と話す必要はありません。席を移るのも、帰るのも自由です。でも、ここで相手を脅したり、食べる権利を取り上げたりはさせません」
男「……元勇者が、魔族の肩を持つのか」
レオン「店の約束を守ります。あなたが食べている間も、同じです」
ミーナはレオンを見なかった。
ミーナ「私、食べに来たんじゃない。商売しに来たの」
レオン「ああ。見本は台の端へ置いてくれ。値段も聞く」
レオンは草の束を勝手に取らなかった。ミーナが差し出した一束だけを確かめる。
農家の男は席を立ちかけた。その拍子に、袖が湯飲みに引っかかった。
男「しまっ……」
倒れた湯飲みが皿の方へ転がる。
ミーナは反射的に台の布をつかみ、皿の手前へ押し当てた。水が布へ染み込み、焼き芋の縁で止まった。
ミーナ「危ないじゃない。せっかく焼いたのに」
男「……お前」
ミーナ「勘違いしないで。食べ物が水浸しになるの、嫌いなの」
男は濡れた袖を見つめた。右手首には古い傷があり、震えを抑えるように左手で握った。
レオン「拭く布をもう一枚出します。皿は無事ですよ」
男「……すまん」
それが誰への言葉なのか、レオンにはわからなかった。
◇
水を拭き終わっても、男はすぐには食べ始めなかった。
ミーナは草籠を抱き直し、出口へ目を向ける。
レオン「商いは、今日はここまでか?」
ミーナ「……まだ値段の話をしてない」
レオン「そうだったな」
ミーナは一束の代金を告げた。レオンは手持ちを確かめ、今日使う分だけ買った。
レオン「残りは、また今度にする」
ミーナ「無理して買わなくていいわよ」
レオン「店が潰れたら、次を買えなくなるからな」
ミーナ「……それは困るわ」
男がぽつりと言った。
男「その草、芋以外にも合うのか」
ミーナは振り返らなかった。
ミーナ「種類によるわ」
男「うちの婆さんが、最近あまり食べなくてな。茹でた根菜ばかりじゃ飽きると言う」
ミーナ「……乾いた葉を入れすぎると、苦くなる」
男「入れすぎなきゃいいのか」
ミーナ「まず匂いを嗅いでもらいなさいよ。嫌いな匂いなら意味ないでしょ」
男は黙って、レオンの皿を見た。
男「……見本を、嗅いでもいいか」
ミーナは一束を少しだけ持ち上げた。
ミーナ「買うかどうか、決めてからじゃなくていい。匂いだけならお金はいらない」
男が立ち上がると、ミーナは身を引いた。手渡さず、台の上へ置く。
男は葉へ鼻を近づけた。
男「これなら、あいつも嫌がらないかもしれん」
ミーナ「かもしれない、ね」
男「……いくらだ」
ミーナはさっきレオンに告げたのと同じ値段を言った。
男は硬貨を置いた。ミーナは数えてから、一束を紙で包んだ。
取引が終わっても、二人は互いに礼を言わなかった。
◇
レオンが皿を下げようとすると、ミーナが口を開いた。
ミーナ「……それ、まだある?」
レオン「芋の押し焼きか? あと一皿分なら」
ミーナ「一つ。ちゃんと払う」
レオン「もちろん」
レオンは最後の分を焼いた。鍋の底に残る油を薄くのばし、焦げないように焼き目をつける。
皿を置くと、ミーナは硬貨を払った。
男は窓際の席に戻っていた。ほかの椅子は三脚とも空いている。
ミーナは自分の皿を持ち、入口に近い椅子へ向かった。そこで一度立ち止まる。
ミーナ「……ここ、座るわよ」
男「俺の席じゃない」
ミーナ「知ってる。聞いただけ」
二人の間には卓の角があった。
ミーナは芋を小さく割る。かり、と皮が割れ、湯気が上がった。
ミーナ「……熱い」
男「熱いのは、さっき俺も言った」
ミーナ「聞いてないわ」
レオン「今度から、札に書きますか。『熱いです』と」
男「書いとけ」
ミーナ「当たり前のことを?」
レオンは思わず笑いかけ、二人の顔を見てやめた。
男は自分の残りを食べ、ミーナは芋に息を吹きかけている。会話がなくなっても、どちらも席を立たなかった。
同じ皿ではない。同じ気持ちでもない。
ただ、食べ終わるまで相手を追い出そうとはしなかった。
◇
男は先に席を立った。
男「……芋、また持ってこようか。売れるならだが」
レオン「残りを見て、明日お願いする数を決めます」
男「そうか」
男は出口で足を止めた。
男「草の使い方、今度もう一度聞いていいか」
ミーナ「買った分の話なら。次もいるとは限らないけど」
男「……わかった」
戸が閉まった。
ミーナは最後のひと口を食べ、皿を台へ運んだ。
レオン「どうだった?」
ミーナ「芋はおいしかった」
レオン「それは、よかった」
ミーナ「……でも、あの人を好きになったわけじゃない」
レオン「そうだろうな」
ミーナ「アンタのことも、別よ」
レオン「ああ」
ミーナは硬貨の入った袋を確かめた。
ミーナ「さっきの人、草を買ったでしょ」
レオン「買っていたな」
ミーナ「人間が買うなら、匂いの弱い束も作ってみる。あの人の家だけの話じゃないかもしれないし」
レオン「売り方を変えるのか」
ミーナ「試すだけ。売れなきゃ戻すわ」
彼女は籠を肩に掛けた。
ミーナ「……次に買うときは、必要な量を先に言って。無駄に摘みたくないから」
レオン「わかった」
少女は返事をせず、店を出た。
レオンは四つの椅子を見た。
一つには、農家の男が落とした小さな芋の欠片。もう一つには、ミーナが畳んだ紙の端が残っている。
片づければ、いつもの食堂だ。
けれど今日、二人は同じ卓で、それぞれの皿を食べ終えた。
レオンは鍋を洗い、明日の仕入れを書いた紙の隅に、もう一つだけ加えた。
『香草。客に合う香りを、ミーナに聞く』
人の顔を変えることはできない。
それでも次の一皿なら、少し変えられるかもしれなかった。




