盾の流儀
崖の底は、洞窟だった。
岩壁を降りきった先に、暗い口が開いていた。天然の洞窟に見えるけど、入り口の岩肌に直線的な削り跡がある。誰かが——あるいは何かが、この穴を意図的に広げている。
「ラグ、剣は?」
「引いてる。この奥だ」
剣が、今までで一番強く東南東を指している。調律点は、この洞窟の先にある。
全員の装備を最終確認した。ニーカの盾、セリアの短剣、リーゼの杖。昨夜調整した通りの状態だ。
クレスの顔が白い。崖を降りた時点でかなり消耗している。レベル32のステータスがどこまで落ちているか、装備を見れば推測できる。剣帯の位置がずれている。体幹が弱くなって、腰の剣の重さに引っ張られているんだ。
「クレスさん、剣帯の位置を上げてください。腰骨の少し上で締め直す。あと、細剣を左手側に回した方がいい。今の体の傾きだと右腰が重すぎます」
「……はい」
素直に従った。昨日まであった反発が薄くなっている。体が言うことを聞かない恐怖は、プライドより先に来る。
「行けますか」
「行けます」
声は震えていない。ここは認める。こいつは意地が据わっている。
洞窟に入った。
※
奥に進むにつれて、揺らぎが濃くなる。
空気が違う。重いとか薄いとかじゃなくて、揺れている。体が揺らされるんじゃなく、体の中の何かが揺らされる感覚。レベル1の俺にはほとんど影響がないけど、他の四人は感じているはずだ。
「リーゼ、どう」
「……正直、きついわ。術式の組み立てに集中しにくい。やれなくはないけど、精度は落ちる」
「セリアとニーカは」
「平気。ちょっと体がだるいくらい」
「わたしも大丈夫。盾は重いけど、いつも重いし」
ニーカが盾を軽く叩いた。こいつの「大丈夫」はいつも信用できる。盾使いの「大丈夫」は、盾が構えられるかどうかで決まる。構えられるなら大丈夫。明快だ。
問題はクレスだ。歩けてはいるが、足取りが重い。呼吸が浅くなっている。
「クレスさん——」
「大丈夫です。続けてください」
大丈夫じゃない顔で大丈夫と言う。見覚えのあるタイプだ。ジークもそうだった。意地で立ってる人間は、倒れる直前まで立ってるから厄介だ。
洞窟の通路が広がった。天井が高くなって、横幅も人が三人並べるくらいになる。壁に紋様がある。迷宮の壁と似た古代文字だ。
「リーゼ」
「見えてる。……調律点への通路ね。間違いないわ。この先に核がある」
足元に薄く光が走った。紋様の一部が淡く発光している。経験値の流れが可視化されているのか。迷宮の時と同じだ。
光が脈打っている。規則的じゃなく、不整脈みたいに乱れたリズムで明滅する。調律点の核が不安定になっている証拠だ。
その時——ニーカが盾を構えた。
「来る」
言い終わる前に、壁から何かが剥がれた。
岩と同じ色をした、平たい生き物。四本の脚。長い尾。壁に張り付いて擬態していたのが、一斉に動き出した。洞窟蜥蜴——いや、揺らぎ域に適応した変種だ。昨日の岩地蜥蜴より一回り小さいが、数が多い。五匹。壁と天井から這い出してくる。
「通路が狭い——ニーカ、前を」
「任せろ!」
ニーカが前に出た。盾を正面に構えて、通路の幅いっぱいに壁を作る。
先頭の一匹が飛びかかってきた。盾に衝突する。弾く。二匹目が左の壁を伝って回り込もうとする。ニーカが盾の角度を変えた。左壁との隙間を潰す。三匹目が天井から落ちてくる。盾を頭上に持ち上げて受ける。
三方向からの同時攻撃を、盾一枚で全部止めた。
「ニーカ!」
「大丈夫! ——通さない!」
通さない。ニーカが言うと、それは事実になる。この通路の幅で盾を構えたニーカを抜くのは、B級の魔獣でも難しい。力で押すんじゃなくて、角度で流す。方向を読んで、最小限の動きで最大の面積をカバーする。盾使いの技術。レベルじゃ測れないやつだ。
俺はニーカの背後から指示を出した。
「セリア、ニーカの右側、盾の隙間から刺せ。腹の第三列と第四列の間。昨日と同じだ」
「了解!」
セリアがニーカの盾の横から短剣を差し込んだ。蜥蜴の腹に刃が入って、一匹が落ちる。
「リーゼ、天井の二匹を縛れるか」
「この揺らぎの中だと……精度が落ちるけど、やる。——『縛鎖』!」
リーゼの術式が天井の蜥蜴を捕らえた。動きが鈍る。完全には止まらない。揺らぎの影響で術式の保持力が落ちているんだ。
「止めきれない……! 十秒が限界よ!」
「十分だ」
ニーカの盾を足場にして跳んだ。
「ラグ、行け!」
ニーカが盾を水平にして、踏み台にしてくれた。こういう判断が一瞬で出る。打ち合わせなしで、俺がどう動くかを盾で読んでいる。
天井に貼り付いた蜥蜴の一匹に、上昇しながら剣を叩き込んだ。首の付け根、鱗の薄い部分。山岳鉄が貫通して、蜥蜴が壁から剥がれ落ちる。
着地。もう一匹に向き直る。リーゼの拘束が切れかけている。蜥蜴が暴れて壁を削る。
「セリア、下から!」
「分かった!」
セリアが下から短剣を突き上げた。蜥蜴の腹に命中。俺が横から首を斬る。
五匹、全滅。
三十秒もかからなかった。
「……いま、何が」
クレスが壁に背をつけて、座り込んでいた。戦闘中、動けなかったんだろう。足がすくんだのか、揺らぎで体が動かなかったのか。たぶん両方だ。
「お怪我は」
「ない。……ない、けど」
クレスの手が震えていた。手帳を持とうとして、持てない。
「少し休みましょう。水を飲んでください」
「……すまない」
初めてクレスが謝った。査定官じゃなくて、一人の人間の声だった。
ニーカが盾の土を手の甲で拭いながら言った。
「盾ってさ、レベルがどうとかじゃないんだよ」
クレスが顔を上げた。
「立つか退くか。受けるか逸らすか。それだけ。どんなに強い攻撃が来ても、盾が構えられるなら立ってていい。それが盾の流儀だ」
ニーカがこういうことをさらっと言う。本人に自覚がないから余計に重い。
「……盾の、流儀」
「わたしはラグに教えてもらったわけじゃないし、誰かの弟子でもない。でも、ラグがわたしの盾を毎日手入れしてくれるから、わたしは毎日盾を構えられる。それだけのことだよ」
ニーカが俺を見て、にかっと笑った。
照れるからやめてくれ。
※
十分休んで、先に進んだ。
クレスの足取りは相変わらず重いが、目が変わっている。手帳に書く量が増えた。何を書いているかは知らないが、さっきまでの「F級を見る目」はもうしていない。
通路の奥に、光が見えた。壁の紋様が集中して、一面が発光している。
「ここね」
リーゼが足を止めた。
通路の先が広い空間になっている。天然の空洞か、人工的に掘られたのか分からない。中央に、何かが脈打っている。淡い光を放つ球体。拳より少し大きいくらい。浮いている。
核だ。
第二の調律点の核。迷宮の時に見たのと似ているが、光の点滅が乱れている。不整脈と同じだ。規則的に動くべきものが、ずれている。
「壊すのは駄目なんだろ」
「絶対に駄目。壊したら揺らぎが加速する。——安定化させるしかない」
「安定化の方法は」
「核に直接触れて、経験値の流れを整える。レベルシステムの外にいるラグなら、システムに干渉せずに核の状態だけを修正できる可能性がある」
「可能性」
「やったことがないから、断言はできないわ」
全員が俺を見ている。ニーカ、セリア、リーゼ。クレスも。
でかい装備の手入れだ。歪みを読んで、芯を直す。やることは変わらない。
「……行ってくる」
核に向かって歩き出した。




