お目付役
崖に向かう前に、ギルド支部に寄った。
出発の届け出を出すためだ。揺らぎ域の深部に入るから、万が一の時に捜索範囲を絞れるように行き先を記録に残す。冒険者としては当然の手続きだ。
支部に入ったら、支部長の顔が暗かった。いつも暗いけど、今日は輪をかけて暗い。
「ラグ、悪い知らせだ」
「何ですか」
「本部から通達が来た。——読んでくれ」
差し出された書面に目を通した。
要約すると、こういうことだ。
揺らぎ域の調査結果を速やかに報告せよ。以降の対処は、上層部が編成する特別対応部隊に引き継ぐこと。なお、引き継ぎが完了するまでの間、ギルド本部より査定官を一名派遣し、現地活動の監査を行う。
「……実績だけ取られて、外されるってことですか」
「俺はそう読んだ」
エルマの言った通りだ。成功したら上の手柄、失敗したら処分の口実。きれいな罠の第二段階が来た。
セリアが書面を横から読んで、眉をひそめた。
「特別対応部隊って、いつ来るの」
「書いてない。編成中とだけある」
「編成中って……来るかどうかも分からないじゃん」
「そういうことだ。来るまでの間、俺たちが動くのを監視する人間だけ先に送ってくる」
ニーカが腕を組んだ。
「つまり、手伝いは来ないけど見張りは来るってこと?」
「そう」
「意味分かんねえ」
意味は分かる。上層部はラグという駒の性能を測りたいだけだ。手伝う気はない。管理したいだけだ。
「ラグ、どうする」
リーゼが聞いた。
「行く」
「通達を無視するの?」
「無視はしない。調査結果は報告する。でも、引き継ぎ先の部隊がいないのに調査を止めたら、揺らぎは広がる一方だ。止める理由がない」
「査定官が来るわよ」
「来ればいい。俺たちは依頼をこなすだけだ。見たいなら見せてやる」
支部長が小さく頷いた。
「……俺からは何も言えん。立場上、通達に従えと言うしかない。だが——気をつけてくれ」
「ありがとうございます」
支部を出た。
※
一刻後、査定官が馬で到着した。
早い。通達と同時に出発していたんだろう。最初から「監視ありきの続行」が上層部のシナリオだったということだ。拒否する選択肢は最初から用意されていない。
馬から降りたのは、二十代半ばの細身の男だった。銀縁の眼鏡をかけて、ギルド本部の制服を着ている。腰に細剣を一本。冒険者じゃなく、事務方の剣だ。
「ギルド本部査定課、クレスです。A級指名依頼『揺らぎ域調査』の監査を担当します」
丁寧な口調。でも、俺たちのプレートを確認した時の目が全部語っていた。F級、E級、D級、D級。こいつの中ではもう評価が終わっている。
「活動記録の提出と、現場判断への立ち会いを行います。ギルド規定に基づき、必要に応じて活動の中止を勧告する権限があります」
「了解しました。——今から崖下に降ります。来ますか」
「同行します。それが職務ですので」
「揺らぎ域の深部です。レベルは」
「32です」
「影響が出ます。動けなくなる可能性がある」
「問題ありません。査定官には実地経験も求められていますので」
プライドが高い。自分が動けなくなるとは思っていない顔だ。レベル32を信頼しきっている。その信頼が揺らぎ域では裏目に出ることを、こいつはまだ知らない。
「……分かりました。ただし、体に異変を感じたらすぐ言ってください。装備の方で対処します」
「装備で?」
「装備師なんで」
クレスが一瞬、怪訝な顔をした。F級の冒険者が装備師を名乗ることが、こいつの常識にはないんだろう。
まあいい。見せればわかる。
※
五人で崖に向かった。昨日の岩場までは二刻。
道中、クレスは黙々とついてきた。体力はある。事務方にしては足取りがしっかりしている。ただし、揺らぎ域に入った途端に顔色が変わった。
「……何ですか、これは」
「経験値の流れが乱れてます。レベルの恩恵が不安定になる。今、体が重くなってませんか」
「……少し」
「少しで済んでるなら、まだ浅い場所です。奥に行くほどきつくなります」
クレスの足が鈍くなった。崖に近づくにつれて、歩幅が短くなっていく。本人は気づいていないかもしれないが、装備を見れば分かる。靴底の減り方が左右で偏り始めている。体のバランスが崩れている証拠だ。
「クレスさん、少し止まってください」
「何ですか。まだ動けます」
「靴の紐を締め直します。左足の踏み込みが浅くなってるんで、紐の締め方を変えれば補正できます」
「……靴の紐?」
「騙されたと思って」
クレスの靴紐を結び直した。左足の甲をやや強めに締めて、踵側を緩める。踏み込みが浅くなった足に、紐の張力で正しい接地角度を誘導する。
クレスが歩き出した。三歩目で、目が少し変わった。
「……歩きやすくなった。靴紐だけで」
「体の不調は装備に出ます。装備を直せば体も補正できる。完全じゃないですけど、ないよりましです」
クレスが何か言おうとして、やめた。代わりに手帳を出して何か書いた。査定記録だろう。好きに書けばいい。
崖に着いた。
昨日見つけた降下ルートを確認する。岩肌に自然の足場が断続的にあって、ロープを使えば降りられる。深さは目測で二十メートルほど。底は見えない。揺らぎの密度が濃くて、空気が歪んで見える。
「ここを降りるんですか」
クレスの声が、初めて揺れた。
「はい。第二の調律点が下にあると推測しています」
「調律点……。待ってください、そのような報告は本部に上がっていません」
「今から確かめに行くんで、報告は確認後に出します」
「しかし、規定では未確認の危険地帯への進入は——」
「規定通りにやってたら、揺らぎが街道の町を飲み込みます。ベルクの人間が何人いるか知ってますか」
クレスが黙った。
ニーカが盾を背負い直しながら言った。
「規定って便利だよな。守ってれば自分は悪くないって言えるし」
きつい一言だ。
クレスの顔がこわばった。でも、逃げなかった。
「……降ります。同行します」
「本当にいいんですか。下はもっと揺らぎが強い。レベル32だと、かなりきつくなりますよ」
「見届けるのが、職務です」
意地だろうが職務だろうが、逃げない人間は嫌いじゃない。
「分かりました。ただし、動けなくなったら遠慮なく言ってください。運びますんで」
「……運ぶ?」
「背負ってでも連れて帰ります。置いていきませんから」
クレスが俺を見た。さっきまでの「F級を見る目」とは少しだけ違う目で。
ロープを固定した。ニーカが先行、俺が最後。一人ずつ崖を降りていく。
下に降りるたびに、剣が強く引いている。近い。
第二の調律点が、すぐそこにある。




