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手入れされてない剣


 見覚えのある背中だった。


 崖下への降下準備のために装備の補充で町を回っている時、通りの向こう側に立っている男が目に入った。大柄で、腰に長剣を一本。革鎧は上等だけど肩の部分の革が毛羽立っていて、手入れが足りていないのが遠目にも分かる。


 ヴェルト。


 元パーティリーダー。俺を追放した男。B級に降格した、元A級冒険者。


「……ラグ?」


 向こうも気づいた。一瞬強張って、それから苦い顔になった。


「まさかお前がいるとは思わなかった」


「こっちの台詞です。何でベルクに」


「揺らぎ域の対処要員だ。B級以上に召集がかかった。——もっとも、来てみたら俺自身も揺らぎを食らって、まともに動けなくなったがな」


 レベル60台。影響は大きいだろう。ジークと同じか、それ以上に落ちているかもしれない。


「ラグ、お前は平気なのか」


「レベル1なんで」


「……ああ、そうか。そうだよな」


 ヴェルトが短く笑った。自嘲だ。


 間が空いた。通りを行く人の足音だけが大きく聞こえる。


「——頼みがある」


 ヴェルトが腰の長剣に手をかけた。鞘ごと外して、両手で差し出してくる。


「剣を、見てくれないか」


 その一言を絞り出すのに、ヴェルトがどれだけの何かを飲み込んだのかは顔を見れば分かった。プライドと後悔と屈辱を全部ごちゃ混ぜにして、喉の奥に押し込んだ顔だ。


「——いいですよ」


 剣を受け取った。鞘から抜く。


 刃を指の腹でなぞった。四ヶ月ぶりだ、この剣に触るの。


 鍛冶屋には出してる。大きな損傷はない。でも、日々の手入れが圧倒的に足りていない。研ぎの頻度が落ちてる。油の塗り方が雑になってる。刃の状態を指で読んでいくと、蓄積した細かい疲労がそのまま放置されている。


 鍛冶屋の仕事と、日々の手入れは別物だ。鍛冶屋は壊れた部分を直す。装備師は、壊れる前の状態を保つ。毎日の研ぎと油差しと、刃に合わせた微調整。それがないから、この剣は少しずつすり減っている。


 ——お前も苦労してるな。


「十五分ください」


「……ああ」


 通りの端に腰を下ろして、手入れを始めた。


 研ぎ石をあてて、刃の角度を整える。蓄積した疲労を一層ずつ削り取るように丁寧に研いでいく。油を薄く塗って馴染ませる。柄の革紐を締め直す。鍔の緩みを増し締めする。


 加えて、揺らぎ域での使用を前提にした調整もかけた。昨日ジークにやったのと同じだ。ヴェルトのステータス低下幅を装備の傷みから逆算して、重心を柄寄りにずらす。握り込みの深さに合わせて柄の太さを革紐で微調整する。


 十五分。仕上げて、返した。


「研ぎの間隔が空きすぎです。最低三日に一回、油は毎日。あと柄の革紐が伸びてるんで、巻き直した方がいい。町の雑貨屋に合う紐がありました」


 ヴェルトが剣を受け取って、一振りした。目が変わった。


「……軽い」


「重心を今のステータスに合わせて調整しました。揺らぎの中でも前より振れるはずです」


「こんなことまでできるのか」


「装備師なんで」


 ヴェルトが剣を見つめた。しばらく無言で刃を眺めてから、鞘に収めた。


「依頼料は」


「仕事ですから」


「……取るのか」


「取ります」


 ヴェルトが黙って銀貨を三枚出した。相場より多い。突き返そうかと思ったけどやめた。値切るのも上乗せするのも、今のヴェルトには余計な気遣いだ。


「受け取ります」


「ああ。——ラグ」


「はい」


「恨んでるか。俺に追放されたこと」


「追放したのはあんたの方でしょう」


「……そうだった」


「恨んでないですよ。恨む暇があったら手入れしてます」


 嘘じゃない。恨みに使う時間があるなら砥石を一往復でも多くかけた方がいい。


 ヴェルトが鼻で笑った。


「変わってねえな、お前」


「変わる必要がないんで」


「——強くなったとは言わない。最初から強かったんだろうな。俺が見えてなかっただけで」


 それだけ言って、ヴェルトは背を向けた。


 革鎧の肩の毛羽立ちが気になる。直してやりたいけど、頼まれてない。頼まれてない仕事はしない。それが装備師だ。


 ……次に頼まれたら、直す。



    ※



 宿に戻って、明日の降下に備えた装備の最終調整に入った。


 崖下の環境は未知数だ。揺らぎが地上より遥かに強い可能性がある。リーゼのレベルだと行動に支障が出るかもしれない。セリアとニーカも、揺らぎの密度次第では影響が出始める。


 やれることをやる。全員の装備を、揺らぎ域の深部に耐えられるように調整する。


 まず革鎧。昨日の調査で分かった揺らぎの方角——東南東——に対して、経験値の流れが当たる面の革に防護油を重ね塗りした。素材への浸食を遅らせるためだ。効果がどこまで持つかは分からないが、何もしないよりはいい。


 次に武器。全員の武器の重心を、ステータスが二割落ちた状態を想定して微調整した。地上の揺らぎ域でジークにやった調整の応用だ。崖下でステータスが落ちても、武器の取り回しが極端に悪化しないようにしておく。


 リーゼの杖は特殊だ。触媒結晶を通じて経験値を術式に変換する構造だから、揺らぎの影響をもろに受ける。結晶の固定角度を半度だけ傾けた。経験値の流れが乱れた環境でも、結晶が拾える波長を広げるための微調整——理論的な根拠はない。勘だ。装備を触っていれば「こうした方がいい」と手が教えてくれる。


「ラグ、これ」


 セリアが薬草の軟膏を持ってきた。


「指、昨日から酷使してるでしょ。今のうちに塗っておいて」


「後でいい。先に装備を——」


「装備は逃げないけど、指は壊れたら替えが利かない」


 軟膏を受け取って指先に塗った。ひんやりして、じわっと染みる。確かに指の腹が硬くなり始めている。明日の作業に支障が出る前に手を打っておくのは正しい。


「ありがとう」


「うん。……明日、気をつけてね」


「全員で気をつける」


「うん」


 セリアが頷いて、部屋に戻っていった。


 短いやり取りだ。でもこういう短い言葉の中に、こいつが何を考えてるかは——装備の手入れと同じで、表面を読めば分かる。「全員で」と言ったのに「うん」としか返さなかったのは、たぶん全員じゃなくて特定の誰かに向けて言っていたからだ。


 ……読めるくせに、読んだ結果をどうすればいいかは分からない。装備なら直せるのに。



    ※



 夜遅くまでかかって、全員の装備を仕上げた。


 ニーカの大盾。揺らぎ域の経験値流に対して、盾面の角度を最適化した。受ける時に経験値の流れを「逃がす」角度にしておけば、盾そのものへの浸食を軽減できる——はずだ。


 セリアの短剣。刃の研ぎを通常より鋭角にした。ステータスが落ちた時に力任せに切れなくなる分、切れ味で補う。


 リーゼの杖。触媒結晶の角度調整に加えて、柄と結晶の接合部に緩衝材を噛ませた。揺らぎで結晶が共振した時に、柄に伝わる振動を吸収するためだ。


 自分の剣。こいつは調整の必要がない。経験値を蓄積する性質のおかげで、揺らぎ域ではむしろ活性化する。迷宮の時もそうだった。周りがきつくなるほど、この剣だけは元気になる。俺と似ている。レベルの恩恵がない者同士、揺らぎなんか怖くない。


 作業台の上に四人分の装備を並べた。全部仕上がっている。万全だ。


 明日、崖を降りる。


 第二の調律点が何なのか、この手で確かめに行く。

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