芯を直す
核に近づくにつれて、剣が熱を持ち始めた。
温度じゃない。金属の内側で何かが共鳴している。経験値の流れが、刀身を透過して手のひらに押し寄せてくる。迷宮の深層で感じたのと同じ——でもそれより遥かに濃い。
核まであと五歩。
「ラグ、大丈夫?」
後ろからセリアの声。
「平気だ。ちょっとうるさいだけ」
「うるさい?」
「剣が、騒いでる」
あと三歩。
核が脈打っている。明滅のリズムが不規則で、速くなったり遅くなったりを繰り返している。装備に例えるなら、芯がずれた刃物だ。回転のたびに軸がぶれて、振動が大きくなっていく。放っておけばいつか壊れる。
右手に剣。左手は空けておいた。核に触れるのは素手の方がいい。装備師は手で読む。手で直す。道具を通すより、指先の方が正確だ。
左手を伸ばした。
核に触れた。
※
——流れ込んできた。
経験値の奔流。目を閉じていても分かる。体の中を情報が通過していく。温度も重さもないのに、圧倒的な密度で押し寄せてくる。
これが、レベルシステムの中身か。
核を通じて、システムの構造が手のひらに伝わってくる。装備の内部構造を指で読むのと同じ感覚が、規模だけ桁違いに拡大されている。
流れには本来の形がある。
七つの調律点を結ぶ、大きな循環。経験値が生まれて、流れて、蓄積されて、また流れる。その循環の中で、冒険者のレベルが決まる。調律点は循環を安定させる中継地点だ。
一つ目の調律点——俺たちが壊した迷宮の核——が消えたことで、循環に穴が空いた。他の六つが穴を補おうとして負荷がかかり、一番近いここの核が過負荷で乱れた。
それが揺らぎの正体だ。
分かった。構造は分かった。では、どう直す。
装備と同じだ。芯がずれたなら、芯を直す。
指先に意識を集中した。核の脈動を読む。速い——遅い——速い——乱れている。このリズムを整えればいい。
研ぎ石をあてる時と同じだ。刃の歪みを読んで、力加減を調整して、一往復ずつ修正していく。一気に直そうとすると割れる。少しずつ、少しずつ。
核の脈動に手のひらを合わせた。速い拍動に逆らわず、流れに手を添えて、ほんの少しだけ遅らせる。速い——少し遅く——もう少し——
抵抗がきた。
核が俺の干渉を拒んでいる。システムの自己防衛だ。外部からの介入を異物として弾こうとする。手のひらが痺れて、指先の感覚が薄くなる。
——押すな。
装備を直す時に力任せにやったら壊れる。核も同じだ。力で押すんじゃなくて、流れに沿って導く。
力を抜いた。核の脈動に手を預けて、自分から動かすのをやめた。ただ手を置いて、流れを読むだけにする。
核の拍動が手のひらを叩く。速い——速い——速い。でも、その中に一瞬だけ安定する間がある。乱れの中に残っている、本来のリズムの残響。
そこだ。
安定する間に合わせて、手のひらから経験値の流れを一筋だけ戻す。核が受け取る。拒絶されない。本来のリズムと同期したから、異物として弾かれなかった。
もう一回。安定の間を待って、流れを戻す。もう一回。もう一回。
少しずつ、核の脈動が落ち着いていく。速い——やや速い——普通——普通——普通。リズムが揃い始めた。歪んだ刃が研ぎで直っていくのと同じだ。一往復ずつ、芯に近づいていく。
右手の剣が鳴った。
共鳴している。核の安定化に合わせて、剣の中の蓄積経験値が反応している。刀身全体が淡い青に光っている。見えていないけど分かる。
あと少し。
核の脈動が安定した。規則的なリズムで明滅している。速すぎず、遅すぎず。不整脈が正常に戻った心臓のように、静かに、確実に動いている。
手を離した。
※
目を開けた。
核が安定した光を放っている。さっきまでの乱れた明滅が消えて、穏やかな脈動になっている。壁の紋様の光も落ち着いた。
体が重い。膝が笑っている。手を離した左手がまだ痺れている。指の感覚が鈍い。
「——ラグ!」
セリアが駆け寄ってきた。肩を支えられた。
「大丈夫。立てる」
「立てるとか立てないとかじゃなくて、今ので何分経ったか分かってる?」
「……一分くらい?」
「十五分」
感覚では一分だった。核の中で時間の流れが違ったのか、集中しすぎて分からなくなっていたのか。
「ずっと動かなかったから……目も開けないし、呼びかけても反応しないし——」
セリアの声が少し震えていた。怒っているのか、安堵しているのか、両方か。
「すまん。でも、直った」
「直ったって、核が?」
「ああ。安定した。揺らぎは収まるはずだ」
リーゼが核を確認しに歩いていった。しばらく観察して、頷いた。
「……脈動が安定してる。経験値の流れが正常に循環し始めてるわ。揺らぎ域も時間をかけて縮小していくはず」
ニーカが「やったじゃん!」と拳を上げた。
「ラグ、どうやったの? 見てたけど全然分かんなかった。手を置いてただけに見えたけど」
「手を置いてただけだ」
「それで直るのかよ」
「装備の手入れと同じだ。歪みを読んで、芯を直す。規模がでかかっただけで、やったことは変わらない」
嘘じゃない。原理は装備の手入れと同じだった。ただ、規模がでかすぎて体の方が追いつかなかっただけだ。指の痺れがまだ取れない。
右手の剣を見た。
蓄積経験値が跳ね上がっている。核の安定化の過程で、経験値の流れが剣に大量に流れ込んだらしい。刀身が帯びている青い光が、前より深い。点滅ではなく、常に薄く暗く発光している。
この剣、また一段育った。
「ラグ」
クレスが立っていた。壁際に座り込んでいたはずだが、いつの間にか立ち上がって、こっちを見ていた。
手帳を握っている。
「今の——今のことを、報告書に書きます」
「好きに書いてください」
「書きます。書きますが——何と書けばいいのか分からない」
クレスの声が掠れていた。
「F級の冒険者が素手で世界のシステムを修復した、と書いて、本部が信じると思いますか」
「信じなくても、揺らぎが収まれば結果は出ます。信じるかどうかは上の問題です」
「……そうですね。結果は出る。あなたの言う通りだ」
クレスが手帳に書き始めた。何を書いているかは分からない。でも、その字は震えていなかった。
※
帰路。崖をロープで登り返して、地上に出た。
空が広い。洞窟の中にいたのは三時間程度のはずだけど、半日くらい経った気分だ。
核に触れた時に見えたものが、まだ頭に残っている。
七つの調律点。循環するシステム。あの規模の構造を、誰かが作った。あるいは何かが作った。意図的に設計された装備だ。目的があって、設計者がいる。
誰が。何のために。
考えても答えは出ない。今の俺に分かるのは、この世界のレベルシステムがただの自然現象じゃなくて、誰かが作った仕組みだということだけだ。
でかい話だ。でかすぎて、今は脇に置く。
「ラグ」
セリアが隣を歩いていた。
「指、まだ痺れてる?」
「少し。感覚が鈍い」
「今夜の手入れ、わたしがやろうか」
「……いや、大丈夫だ。装備の手入れは俺の仕事だ」
「でも指が——」
「指が痺れてても、やる。装備師が手入れをサボったら、明日の戦いに響く」
「明日は戦わないでしょ。揺らぎは収まったんだから」
「……それもそうだ」
セリアが小さく笑った。
「今日くらい休んでよ。わたしたちの装備が一日手入れされなくても、壊れないから」
「壊れないけど——」
「壊れない。約束する。だから今日は寝て」
壊れないと約束されると、装備師としては何も言えない。装備が壊れないなら、手入れの緊急性はない。理屈では分かる。
「……分かった。今日は寝る」
「うん。おやすみ、ラグ」
まだ日が暮れてないけど、おやすみと言われた。
ベルクの町が見えてきた。
帰ったら、寝る。明日、全員の装備を手入れする。それだけだ。
——指の痺れが取れたら、剣に名前をつけることを考え始めてもいいかもしれない。あいつは、もうそろそろ名前をもらっていい段階まで育っている。
もう少しだけ、見極めたいけど。




