下がりようがない
ルクセン街道を東に二日。ベルクという街道沿いの町に着いた。
第一印象——静かすぎる。
街道沿いの町ってのは普通、商人やら冒険者やらでごった返してるもんだ。なのにベルクの大通りに人が少なくて、歩いている連中も足が早い。目が泳いでいる。活気じゃなくて警戒が空気を支配している町。
ギルド支部に向かう途中、道端に座り込んでいる冒険者を二人見かけた。C級のプレート。剣を膝に抱えて、青い顔で腕を見つめている。
「……また力が入らねえ。今朝は平気だったのに」
「俺もだ。剣が急に重くなった。十年振ってきた剣だぞ」
すれ違いざまに聞こえた会話が、この町の空気を全部説明していた。
※
ギルド支部は街の規模相応に小さかった。受付を兼ねた支部長——四十代半ばの痩せた男——が、俺たちのプレートを確認して、隠す気もなく眉をひそめた。
「……F級が一人、E級が一人、D級が二人。本部は、このメンツで何をしろと」
「A級指名依頼で来ました。揺らぎ域の調査です」
「聞いてる。聞いてはいるが——正直に言う。B級以上の増援を期待していた」
「そのB級が使えなくなったから俺たちが来てるんですけど」
支部長は黙った。反論できなかったんだろう。反論の材料がない。B級パーティが撤退したのは事実だし、それ以降の増援は来ていない。来たのがF級混じりのパーティだったというのは——まあ、がっかりする気持ちは分かる。
「状況を教えてください」
「……三週間前から、町の東側を中心にステータスの異常が報告されている。最初は一部の冒険者だけだったが、今は常駐のB級・C級のほぼ全員に影響が出ている。レベルが高い者ほど深刻だ。B級のジーク——うちの主力なんだが、レベル48がレベル20台まで落ちた」
「レベル20台……」
「本人は平静を装っているが、剣を振る手が震えている。他の連中も似たようなものだ。依頼をこなせる冒険者がいなくなって、町の外に出没する魔獣の討伐が追いついていない」
ニーカが腕を組んだ。
「魔獣の種類は?」
「岩角猪。普段はC級案件で、うちの常駐メンバーなら問題なく処理できる相手だ。だが今は——」
「C級がE級並みに落ちてたら、C級の魔獣は倒せない」
「昨日も門の外で一頭出たが、追い返すのが精一杯だった。討伐できなかった」
支部長がこっちを見た。値踏みするような目。
「あんたたちのうち、レベルが一番高いのは?」
「リーゼ。レベル44」
「……44か。もし揺らぎの影響を受けたら、半分以下になる可能性がある」
「俺はレベル1なんで、影響の受けようがないです」
支部長の顔がなんとも言えない表情になった。困惑と、かすかな期待と、それでもやっぱり不安が入り混じった顔。F級冒険者が「俺は大丈夫です」と言って安心できる人間はこの世にいない。そりゃそうだ。俺だって支部長の立場なら同じ顔をする。
※
支部を出て、町の中を歩いた。装備の手入れに使える場所と素材を確認しておきたかった。
大通りを抜けたあたりで、背後から声を掛けられた。
「おい。F級」
振り返ると、大柄な男が立っていた。肩幅が広くて、腰に片手剣を二本差している。プレートはB級。ジーク、か。支部長が言っていた主力。
「お前らが本部から来た増援か」
「そうですけど」
「帰れ」
単刀直入だな。
「お前らじゃ無理だ。F級がこの町で何ができる。帰って本部にA級を寄越せと伝えろ」
目の下に隈がある。まともに寝てないんだろう。三週間、自分のステータスがいつ崩れるか分からない不安と、それでも町を守らなきゃいけない責任と。追い詰められてる男の顔だ。
「気持ちは分かりますけど、A級はもっと来ませんよ。レベルの恩恵が消える場所に行きたい高レベル冒険者なんていないんで」
「だからって——」
町の東門から鐘が鳴った。
三連打。魔獣出現の合図だ。
ジークの顔が強張った。腰の剣に手を伸ばす——が、その手が一瞬震えた。自分でもそれに気づいて、顔を歪めた。
「——行く。話は後だ」
ジークが走り出した。門に向かって。揺らぎの影響で本来の力が出ないのを分かっていて、それでも行く。責任感だけで動いている。
嫌いじゃないタイプだ。頑固で融通が利かなくて、でも逃げない。
俺も走った。
「ラグ!」
セリアが隣に並ぶ。ニーカとリーゼも続く。
※
東門の外に出ると、岩角猪が一頭、街道を塞いでいた。
体長は馬くらい。名前の通り、額に岩みたいな角が生えている。灰色の体毛は硬そうで、突進してきたら生身の人間は轢かれる。C級指定。普段なら手慣れた冒険者が二人いれば処理できる相手だ。
普段なら。
門の前に冒険者が三人出ていた。ジークともう二人。全員が剣を構えているけど、構えに力がない。腕が鈍くて、足の踏み込みも浅い。レベルが半分になるってのは、そういうことだ。体に染みついた動きの前提が崩れるから、頭では分かっていても体がついてこない。
岩角猪が突進した。
ジークが受けようとして——タイミングがずれた。剣で角を弾くつもりが、角の側面を滑って体勢を崩す。レベル48の動体視力と反射神経がレベル20台に落ちてるんだから、ずれるのは当然だ。
猪がジークを弾いた。ジークが地面に転がる。もう二人が慌てて間に入るが、振り下ろした剣が甲殻に弾かれる。力が足りない。
「ニーカ、前」
「了解!」
ニーカが飛び出して、大盾を構えた。岩角猪が二度目の突進をしてくる。ニーカの盾が正面から受け止めた。ずん、と重い音。地面にニーカの足跡が二筋刻まれる——が、止めた。
「重いけど——全然!」
ニーカのレベルは25前後。揺らぎの影響は多少あるはずだけど、こいつは盾の技術でカバーしている。受け方がうまいから、ステータスの低下分を体捌きで吸収できている。
猪がニーカの盾を押し込もうとして、角を振り上げた。隙。
横から入った。
腰の剣を抜いて、走り込みながら一閃。岩角猪の首の付け根——甲殻と体毛の境目、防御が薄い一点を狙って斬り抜ける。
山岳鉄の刃が、紙を裂くみたいに通った。蓄積値で切れ味が跳ね上がった剣に、C級の甲殻なんか壁にならない。
岩角猪が前のめりに崩れた。角が地面に突き刺さって、そのまま動かなくなった。
一撃。
門の前にいた三人が、口を開けてこっちを見ていた。ジークが地面に座ったまま、俺と、倒れた猪を交互に見ている。
「……おい。今の——」
「依頼は受けてません。勝手に倒しただけです」
我ながら既視感のある台詞だな。
ジークは何か言いかけて、やめた。口を閉じて、猪の死骸を見つめて、それから立ち上がった。
「……F級って言ったな」
「はい」
「F級が一撃で岩角猪を仕留めるのか。この世界は分からねえな」
「分からないですよね。俺もよく分からないまま生きてます」
ジークは鼻で笑った。さっきの「帰れ」の空気は消えていた。一撃で黙らせるのが一番手っ取り早い。ガーヴの時もヴァルドの時もそうだった。言葉よりも結果。理屈よりも目の前で見せること。
F級の装備師にできるのは、いつだってそれだけだ。
※
猪の素材を回収して、支部に報告を出した。
支部長の顔がさっきと全然違う。期待半分だった目が、確信に変わっている。
「……一撃か」
「装備の性能が良いんで」
「性能だけの話じゃないだろう。——明日から調査に入ってもらえるか」
「それが依頼ですから」
細かい打ち合わせを済ませて、支部を出た。
宿に向かう道すがら、セリアが横に並んだ。
「ラグ」
「ん」
「今日のラグ、すごく頼もしかった」
「いつも通りだけど」
「いつも通りが頼もしいんだよ」
さらっと言うな。こういうことをさらっと言えるのがセリアだ。俺は言い返す言葉を持っていないので、黙って前を向く。
「……装備を確認するぞ。戦闘中にセリアの革鎧のバックルが緩んでた。今のうちに直す」
「え、そうだった? 気づかなかった」
「戦闘中に気づかないのは当然だ。だから俺が見てる」
立ち止まって、セリアの肩のバックルに手を伸ばした。革紐が半回転ずれている。このまま次の戦闘に入ったら、衝撃で外れかねない。
紐を直す。肩当ての位置を正して、固定金具を締め直す。指先がセリアの鎖骨のあたりに触れた。
セリアがびくっとした。
「——っ」
「動くな。ずれる」
「……うん」
セリアが動かなくなった。目を逸らして、唇を少しだけ噛んでいる。首筋が赤い。
金具を締め終わって、手を離した。
「はい終わり。右肩の動きが窮屈に感じたら言ってくれ。紐の長さを調整する」
「……ラグってさ」
「ん?」
「装備のことになると、距離感バグるよね」
「バグってない。適正距離だ」
「誰の適正距離だよ」
「装備師の」
「装備師の適正距離と、男の適正距離は違うと思うんだけど」
何がどう違うのか分からない。装備を直すのに最適な距離で手を動かしただけだ。鎖骨に触れたのは——まあ、それは。
「……次から声をかけてからやる」
「声をかけるのはいいけど、別にやめなくていいから」
「どっちだよ」
「どっちもだよ」
セリアがぷいっと前を向いて歩き出した。耳がまだ赤い。
後ろでニーカが「なー、リーゼ」と言った。
「あの二人、いつもあんな感じなの?」
「ええ。毎日よ」
「飽きない?」
「全然。毎日ちょっとずつ悪化してるから見てて面白いわ」
悪化って何だ。俺たちは装備の話をしてるだけだろ。
まいい……今夜は手入れに集中しよう。余計なことを考える隙がないくらい丁寧に、全員の装備を仕上げる。
明日から調査が始まる。




