A級の値段
金貨十五枚。
エルマが差し出した依頼書の報酬欄を二度見した。三度見もした。数字は変わらない。
銅貨に換算すると一万五千枚。薬草採取が一回五枚だから三千回分。毎日休まず採り続けて八年以上。ネズミ退治に換算するのは、精神衛生上やめておく。
「エルマさん、これ桁合ってます?」
「合っています。A級指名依頼の標準的な報酬額です」
標準的。この世界は俺の金銭感覚を定期的に破壊してくる。
エルマが眼鏡を直した。大事な話の前触れだ、もう覚えた。
「依頼内容を説明します。東部ルクセン街道の周辺で、冒険者のレベルステータスが不安定になる現象が報告されています。ギルドではこれを『揺らぎ域』と仮称しています」
「レベルが不安定に……」
「揺らぎ域に立ち入った冒険者のステータスが一時的に大幅低下します。B級冒険者がE級並みまで落ち込んだ事例もあります。高レベルほど、影響が大きいと」
高レベルほど影響が大きい。迷宮の第四層と同じだ。
「先行して派遣したB級パーティが、現地で活動不能になって撤退しました。A級パーティにも打診しましたが——」
「レベルの恩恵が消えるかもしれない場所に、高レベルの冒険者は行きたがらない」
「はい」
「で、レベル1の俺なら下がりようがないと」
「……そういうことです」
世界初かもしれない。レベルが低いことが公式に「利点」として認められるの。
「ガーヴさんが非公式に分析を進めています。迷宮の核の破壊がレベルシステムの制御に影響した可能性があると」
俺たちが壊した核の余波。帰還報告の時は英雄みたいな扱いだったのに、壊した影響で各地が混乱してるなら、とんだマッチポンプだ。
「責任を取れと」
「依頼書にはそうは書いてありません。ですが——上層部の意図は含まれていると思ってください」
含みのある言い方だ。エルマさんがこういう話し方をする時は、大体ろくでもない裏がある。
※
安宿に戻って、みんなに報告した。
「金貨十五枚!?」
ニーカが盾を持ったまま立ち上がった。テーブルがガタン。コップの水が飛ぶ。リーゼが紅茶を守るために両手で覆って、セリアが椅子ごと後ろに引いた。
「銀貨じゃなくて?」
「金貨」
「金! 貨! 十! 五!」
「聞こえてる。言葉を因数分解するな」
興奮するとニーカは盾を振り回す癖がある。狭い食堂でやられると命に関わるからやめてほしい。
「宿変えようぜ! もっと広い部屋! 風呂がある宿!」
「報酬が出るのは依頼完了後だ」
「前金ないの!?」
「ない」
「ケチ!」
「ギルドに言え」
リーゼが紅茶を一口飲んでから口を開いた。
「依頼の中身は? 報酬額から見て、かなりの難度じゃないの」
揺らぎ域のことを説明した。高レベルほどステータスが落ちること、迷宮の核との関連、先行パーティが撤退したこと。
「つまり、高レベルの冒険者が使い物にならない場所で、わたしたちが代わりに動く」
「そう。俺はレベル1だから影響なし。セリアとニーカはレベル20台だから軽いはず。リーゼはレベル44だから、多少は感じるかもしれない」
「わたしだけ不利ね。……まあ、迷宮でも似たようなことはあったし、やりようはある」
「ラグの十八番じゃん!」
ニーカの目が光ってる。こいつは戦闘の気配を嗅ぎ取ると犬みたいに尻尾が振れる。尻尾はないけど。
「十八番って言うな」
「だって、周り全員弱体化してる中でラグだけ通常営業なんだろ? 十八番以外の何だよ」
反論できないのが腹立つ。
セリアは「でもさ」と切り出した。
「前金が出ないなら、宿のアップグレードは今の貯金から?」
「迷宮帰還の報酬と最近の依頼の分で足りるだろ。ここの食堂で四人分の装備を広げるのは限界がある。油を塗ってたら飯がまずくなるって、他の客にも怒られたし」
「あー、あれね。ニーカの盾に獣脂塗ってた時の」
「おっさん、めちゃくちゃキレてたよな。悪いとは思ってる」
というわけで、依頼を受ける前にまず宿を移ることになった。
ニーカが「風呂! 風呂のある宿!」とうるさいので、大浴場付きの中級宿を選んだ。二部屋。個室ではないけど前の安宿より段違いに広くて、何より共有スペースに作業台を置ける。装備師としては天国だ。
「部屋割りどうする?」
ニーカが荷物をどさっと下ろしながら言った。
「二部屋だから、わたしとセリアとリーゼで一つ、ラグが一つ——」
「待って」
セリアが手を挙げた。
「ラグ一人に一部屋って広すぎない? 三人と一人で不公平だし」
「じゃあ二人ずつ? わたしとリーゼの部屋と、ラグとセリアの部屋で——」
「わっ、わたしとラグの部屋って……」
いったい何を想像したのか、その瞬間にセリアの顔は真っ赤になった。
「だっ、だめ! それはまだダメ!」
セリアの声がひっくり返った。まだって何のことだろうか。
「セリア、まだダメってどういう意味だ?」
「いやちがっ……そういう意味じゃなくて、その、作業スペースの、配分、の話を……」
「作業スペースの話で、なんで顔が赤くなるんだ?」
ニーカが不思議そうに首を傾げてる。
そこへ助け舟を出したのはリーゼ。
「三人と一人でいいわよ。ラグは手入れで夜遅くなることが多いから、同室だとこっちが起こされるわ」
「そう! それ! 気を使うから! ラグが! わたしたちに!」
セリアが全力で乗っかった。顔はまだ赤い。声量の制御もできていない。
何か気になるけど、この話題はここで畳もう。装備師の勘だ。
※
荷解き。
共有スペースに手入れ用の作業台を組み立てた。道具を並べて、装備を吊るすフックを壁に打って、素材の保管棚を設置する。ようやくまともな作業環境だ。
「ラグ、ここに棚つけたいんだけど、届かない」
セリアが壁際で背伸びしている。高い位置にフックを打ち込みたいらしい。椅子を持ってきて乗ったけどまだ足りないみたいで、つま先立ちで目一杯腕を伸ばしていた。
「危ないから降りろ、俺がやる」
「もうちょっとで届く——」
届いてない。全然届いてない。椅子の前脚が浮きかけてる。
「セリア、椅子——!」
「あっ」
ぐらっ、と椅子が傾いた。セリアの体が前に倒れてくる。
反射的に両手を出して受け止めた。が、椅子の上から落ちてくる形だから、俺の立ち位置だとセリアの上半身がちょうど顔の高さに来る。
柔ら——。
「——っ、ラグ、顔……!」
セリアの声で我に返った。
俺の顔がセリアの胸元に埋まっている。正確に言うと、受け止めた体勢のまま、鼻先がインナーの布地に密着している。温かい。柔らかい。あと、心臓の音が聞こえる。かなり速い。
「えっと……すまん」
俺はセリアを床に降ろした。
セリアは耳の先まで真っ赤になっていたけど、怒ってはいない。怒ってくれた方がよっぽど楽なのに、こいつはこういう時に怒らない。代わりにあの目をする。何を考えてるか読めない、でも嫌がってはいない目。その目が一番困る。
気まずい沈黙の中で、ニーカが荷物を抱えて入ってきた。
「お。何やってんの、抱きついてた?」
「ちがっ……落ちそうになっただけ!」
セリアの即答が早すぎて逆に怪しい。
「ふーん。落ちたのはセリアだけじゃなさそうだけど」
「——は?」
「椅子も倒れてんじゃん。直した方がよくない?」
「……あ。椅子ね。椅子の話」
リーゼがドア越しにこっちを覗いて、紅茶のカップを持ったまま何も言わずに立ち去った。あの人、見なかったことにする能力が高すぎる。
棚は俺が取り付けた。セリアにはもう二度と椅子の上に立たせない。
※
夕方、ギルドに寄って出発前の手続きを済ませた。
窓口を通った時、エルマに目配せされた。応接室。いつもの場所。
「もう一つ、お伝えしておくことがあります」
「まだあるんですか」
「上層部は今回の依頼を『テスト』と位置づけています」
「テスト……」
「ラグさんの能力を測定し、管理下に置くための実績データを集める。それが上層部の本音です」
「成功しても失敗しても利用されると」
「成功すれば『ギルドの指揮下で挙げた成果』として回収されます。失敗すれば『F級に任せるべきではなかった』として処分の口実になります」
きれいな罠だ。どっちに転んでも上が得をするように組んである。嫌になるくらいよくできてる。
「……要するに、いつも通りですね」
エルマが少しだけ目を見開いた。
「制度が壁を作って、俺がその壁の外で結果を出して、上が後から理屈をつけてくる。迷宮の前もそうだったし、北部の時もそうだった。いつものことです」
「……はい。いつものことです」
エルマが引き出しを開けた。記録の束。また厚みが増えている。
「記録は、わたしが残します。上がどう動いても、何があったかは全て」
「頼みます」
ギルドを出たら、セリアたちが入り口の前で待っていた。
「何の話だった?」
「いつも通りやれって」
「エルマさんらしいね。——で、いつも通りって具体的に何すんの」
「装備の手入れ」
「それいつもでしょ」
「いつもやることだから」
セリアが呆れた顔をして、でもちょっとだけ笑った。
出発は明後日。全員の装備を万全にする。A級依頼だろうが上の罠だろうが、やることは変わらない。朝起きて装備を手入れして、仲間と出かけて、夜また手入れする。
金貨十五枚の使い道は帰ってから考えればいい。そもそも帰れるかどうかも分からないのに皮算用しても仕方ない。
でもまあ、帰ったらセリアの短剣に合う鞘を新調するか。今の鞘、革がだいぶくたびれてる。
本人に言ったら「鞘より先に言うことあるでしょ」とか返されそうだけど。
何を言えって話だ。




