背中合わせ
第四層に入った瞬間、世界が消えた。
光がない。光源石もない。松明をつけても、炎の明かりが三歩先までしか届かない。それより奥は完全な闇。壁に手を当てれば石の感触はあるから、空間は存在している。でも、見えない。
「全員、壁沿いに歩け。中央は危険だ」
ヴァルドの声が闇の中に響く。姿は見えない。声だけが方向を教えてくれる。
松明をニーカとドルゴが持った。ニーカは盾を片手で構えて、もう片手に松明。明かりの範囲は狭いけど、ないよりましだ。
五分ほど歩いた時、ニーカが足を止めた。
「……何か聞こえる」
闇の奥から、かすかな音がする。ざり、ざり、と石の上を何かが這う音。一つじゃない。複数。
「来るぞ。——構え」
ヴァルドの声に全員が反応した。が、問題がある。見えない。敵が見えない。音の方向は分かるけど、距離も数も形も分からない。
最初の一体が松明の光の中に飛び込んできた。
白い。全身が白くて、目がない。体型は大型の蜥蜴に近いけど、手足の先端に吸盤がついていて、壁も天井も這える。目がない代わりに、頭部に長い触角が二本。音と振動で獲物を探る捕食者だ。
ヴァルドが斬りつけた。——が、動きがわずかに遅い。
「……っ」
ヴァルドの剣が捕食者の体を掠めた。浅い。A級の剣速なら当たるはずの距離で、わずかに届かなかった。
「どうしたんだ、ヴァルドさん」
「分からん。体が——重い」
ヴァルドの体感として、体が重くなっている。反応速度も落ちている。筋力も落ちている気がする。
ドルゴも同じだった。斧を振る腕が、いつもより鈍い。
「ラグ。お前はどうだ」
「俺は——変わらないです。いつも通り」
「いつも通りだと? お前だけか?」
ニーカに聞いた。「わたしもちょっと重い気がする」。セリアも「少しだけ体が鈍い」。リーゼは「魔力の回復が遅い気がする」。
全員に影響が出ている。俺だけが無事。
——レベルの恩恵が薄まっている。
この迷宮は、深い層に行くほどレベルの効果が抑制される。レベルが高い人間ほど影響が大きい。ヴァルドのレベル78は大きく制限され、セリアのレベル18は少し制限され、俺のレベル1は——制限するものが何もない。
「ヴァルドさん。これ、この迷宮のルールだと思います」
「ルールだと」
「深い層ほど、レベルの恩恵が消える。レベルが高い人ほど影響が大きい。俺はレベル1だから、抑制されるものがない」
ヴァルドが闇の中で息を呑んだ。
「レベルの恩恵が——消える……? そんなことがあるのか」
「この迷宮がレベルシステムの起源に関わる場所なら、システムの外側にある空間かもしれない。システムの外では、レベルという仕組みが機能しない」
「つまり——第五層に行けば行くほど、俺たちは弱くなる。お前だけが変わらない」
「俺の装備の蓄積値も影響を受けてない。レベルとは別の仕組みだから」
闇の中で、全員が黙った。
レベルが高い者ほど不利になる場所。レベル1が最も影響を受けない場所。この迷宮は、レベルの価値を反転させる。
「……皮肉だな」
ヴァルドが低く笑った。苦い笑い方だった。
「レベルが全てだと思って生きてきた俺が、レベルが無意味になる場所に立っている」
※
闇の中の戦闘は、これまでのどの層とも違った。
見えない。レベルの恩恵も薄い。頼れるのは音と気配と、仲間の存在だけ。
「作戦を変えよう」
俺が提案した。ヴァルドが「言え」と返した。もう装備の件だけでなく、戦術全体について俺の意見を聞く態勢になっている。
「ニーカ。盾を地面に叩きつけて音を出してくれ。捕食者は音で獲物を探る。でかい音を出し続ければ、そっちに注意が集中する」
「盾で音を出す? 得意だぞそれ」
「知ってる。——お前が音の壁になれ。敵を引きつけて、俺たちが横から叩く」
「了解!」
ニーカが盾を地面に叩きつけた。がん、がん、と金属音が闇に響く。最初は控えめだったけど、ニーカはすぐにノリノリになった。盾を連打する音がリズミカルに響き渡る。
効果はてきめんだった。闇の中から這い寄ってきていた捕食者たちが、全てニーカの方に向かい始めた。触角を振って、音の発生源を目指して集まってくる。
「リーゼ、ファーナ。魔法で閃光を出せるか。一瞬でいい」
「できる。——光球?」
「光球。攻撃用じゃなくて、照明用の。一瞬だけ周囲を照らして、敵の位置を全員に見せてくれ。その一瞬で斬る」
リーゼが詠唱した。杖の先端に白い光が凝縮されて——弾けた。
一瞬の閃光が、闇を吹き飛ばした。
見えた。捕食者が七体、ニーカの周囲に群がっている。壁に三体、天井に二体、地面に二体。全部の位置が頭に焼きついた。
闇が戻る。でもさっきの一瞬で十分だ。
「ヴァルド、左壁の三体! ドルゴ、天井! セリア、地面の右! 俺が地面の左!」
全員が動いた。闇の中を、さっき見た位置目がけて走る。見えないけど、位置は覚えている。
俺の剣が闇の中で捕食者を捉えた。一体。胴を裂く。もう一体に剣を振る。手応え。
セリアが俺の右で戦っている。見えないけど気配が分かる。短剣が空気を切る音。何かが倒れる音。
「ラグ、後ろ!」
セリアの声。振り向く暇はない。代わりに背中をセリアに預けた。
セリアが俺の背中越しに、後ろから来た捕食者を突いた。感触が背中に伝わる。倒した。
背中合わせ。闇の中で、互いの背中だけが頼り。
「もう一回!」
リーゼの二発目の閃光。一瞬の光。残りの捕食者の位置を確認して、また闇の中で仕留める。
三発目。もう敵はいなかった。
※
「全滅……したか?」
ヴァルドの声。息が荒い。レベルの抑制がある中での戦闘は、A級でも体力を削られる。
「周囲に気配はありません。しばらくは安全だと思います」
リーゼが探知の魔法を使って確認してくれた。
全員がその場に座り込んだ。暗い。何も見えない。でも声が聞こえる。息遣いが聞こえる。仲間がここにいることだけが分かる。
「ラグ」
「ん?」
セリアの声が、すぐ隣から聞こえた。
「さっきの背中合わせ、すごかった。見えないのに、ラグがどう動くか分かった」
「俺もだ。セリアがどこにいるか、背中で分かった」
「……なんでだろうね。目が見えないのに」
「三ヶ月一緒にいるからだろ。体の動かし方の癖とか、息遣いとか、全部覚えてる」
「全部覚えてるんだ」
「……装備の状態を覚えるのと同じだよ。毎日触れてれば分かるようになる」
「わたしのことも装備扱い?」
「違う。そうじゃなくて——」
「ふふ。分かってるよ。冗談」
闇の中で、セリアの手が俺の手に触れた。今度は偶然じゃない。暗いから見えないのをいいことに、指先を絡めてきた。
払わなかった。闇の中だし。誰にも見えないし。
……ニーカが三歩先で「暗いと眠くなるな」と欠伸しているのが聞こえた。リーゼは何も言わない。見えてないと思うけど、あの人は見えなくても察する。
「第五層への道は近いはずです。もう少しだけ進みましょう」
ヴァルドの声で全員が立ち上がった。セリアの手が離れた。
名残惜しいとか、そういうことは思ってない。思ってないけど、右手がちょっとだけ冷たくなった気がした。
暗闇の回廊を進む。松明の小さな明かりだけを頼りに。
第五層が近い。レベルシステムの起源が眠る場所。俺の体質の理由がある場所。
ここまで来た。あと少しだ。




