灼熱の手入れ
第三層に入った瞬間、空気が変わった。
熱い。息を吸うだけで喉が乾く。壁の向こう側に溶岩が流れているらしく、石の表面が赤みを帯びている。足元の岩が温かい。靴の底を通して熱が伝わってくる。
「これは……厳しいな」
ヴァルドが額の汗を拭った。A級冒険者でも暑いものは暑い。
十分も歩かないうちに、最初の異変が出た。
「ヴァルドさん、剣」
「何だ」
「刃が歪み始めてる。金属が熱で膨張してる」
ヴァルドが自分の剣を確認して、顔をしかめた。刀身が微かに反っている。常温なら気にならない程度だけど、この反りが戦闘中の剣筋をずらす。
「……もう始まってるのか」
「この温度だと、少しずつでも歪みが進行する。放置したら、刃が使い物にならなくなる」
俺はパーティーの装備を先に確認した。
ニーカの盾。金属部分が熱を持ち始めてるけど、第二層で塗った撥水油脂がまだ残っていて、薄い被膜が熱を多少遮断している。でも長くは保たない。
リーゼの杖。触媒結晶は熱に強い素材だから問題ない。ただし柄の木材が乾燥し始めている。ひび割れる前に油を塗る必要がある。
セリアの短剣。刀身は大丈夫だけど、柄の革巻きが熱で縮み始めてる。握りが変わると戦闘に響く。
自分の山岳鉄の剣。こいつだけは平気だ。山岳鉄は温度変化に強い素材として鍛造されている。北部のドワンに打ってもらって正解だった。
「全員止まれ。手入れする」
回廊の少し広くなった場所で、緊急の手入れに入った。
まずニーカの盾に耐熱用の油脂を塗り直す。次にリーゼの杖の柄に油を浸透させて乾燥を止める。セリアの短剣の革巻きを一度外して伸ばし直してから巻き直す。
全部で五分。最速だ。
「ラグ、早い……」
「ここは時間との勝いだ。装備が駄目になったら戦えない。戦えなきゃ死ぬ。だから速くやる」
アンランクの装備を処理した後、ヴァルドたちの方を見た。ドルゴの斧も刃が歪んでいるし、ファーナの杖の表面にひび割れが出始めている。
……放っておくわけにはいかないだろ。
「ヴァルドさん。よければ、そちらの装備も見ましょうか」
ヴァルドが一瞬だけ眉を上げた。
A級冒険者だ。プライド的に抵抗があるのは分かる。
でもヴァルドは迷わなかった。
「……頼む」
短い一言だった。ドルゴとファーナも無言で武器を差し出してきた。
ドルゴの斧。上等な鋼材だけど、この熱環境には対応していない。刃の歪みを金具で叩いて矯正し、表面に耐熱コーティングを施す。柄の木材にも油を塗る。
ファーナの杖。高級品だ。触媒結晶の品質が高くて、リーゼの杖より一段上。ただし柄の装飾金具が熱で膨張していて、内部で結晶を圧迫している。金具を緩めて調整した。
最後にヴァルドの長剣。
手に取った瞬間、分かった。いい剣だ。鋼材の質、鍛造の精度、どちらも一級品。A級冒険者がA級の剣を持っている。当たり前のことだけど、この当たり前がどれだけ贅沢か、装備師なら分かる。
ただし、この剣も熱には弱い。高品質の鋼材だからこそ繊細で、温度変化による微細な歪みが蓄積している。
砥石で歪みを均して、耐熱の油脂を薄く塗って、刃の状態を指先で確認する。
「……はい。これで当面は保ちます。ただし三十分おきにチェックが必要です」
ヴァルドが剣を受け取って、構えてみた。
「……軽くなった」
「歪みを取ったから。重さは変わってないけど、バランスが元に戻ったんで軽く感じるはずです」
ヴァルドが剣を見つめた。
「……この剣を十年使ってる。自分では分からなかったが、歪んでいたのか」
「この環境で歪まない金属はないですよ。歪みを戻す手入れをすればいいだけです」
「俺は十年間、それをやってこなかった」
「専門家に頼めばいい話です。鍛冶師でも装備師でも。全部自分でやる必要はない」
ヴァルドが俺の顔を見た。
「お前みたいな装備師が、なぜF級なんだ」
「レベルが1だからです」
「レベルが1だから——か。馬鹿げてるな」
※
手入れを終えて、先に進む。第三層の魔物が出始めた。
炎甲虫。体長は犬くらいの大きさの甲虫型魔獣で、体表から炎を噴く。一体一体は大した脅威じゃないけど、群れで来る。そして何より、こいつらの炎が装備を直撃する。
最初の群れ。十二体が回廊の奥から一斉に襲ってきた。
ニーカが前に出て盾で受ける。炎が盾の表面を舐めるけど、耐熱コーティングのおかげで温度の伝達が遅い。
「熱いけどいける!」
ヴァルドとドルゴが左右から斬り込む。炎甲虫の甲殻は硬くないから、A級の剣なら一撃で割れる。ただし、数が多い。
セリアが乱戦の中を縫うように動いて、ニーカの盾をすり抜けてきた一体を短剣で仕留める。リーゼとファーナが後方から魔法を撃つ。氷と炎が交差する。リーゼの氷魔法が炎甲虫の炎を打ち消して、ファーナの風魔法が残骸を吹き飛ばす。
二分で殲滅。
すぐに装備のチェックに入る。ニーカの盾の耐熱コーティングが薄くなっている。塗り直し。セリアの短剣の柄が熱でまた縮んでいる。巻き直し。ヴァルドの剣に微細な歪み。矯正。
戦って、手入れして。戦って、手入れして。
第三層はこの繰り返しだった。
三回目の戦闘の後、全員分の装備を手入れし終えた時、指先が震えているのに気づいた。疲労じゃなくて、熱い金属を繰り返し触っているせいで軽い火傷になっている。
「ラグ、手見せて」
セリアが俺の手を取った。指先が赤くなっている。
「はい、水」
水筒を渡された。冷たい水を指にかける。少しだけ楽になった。
「無理しないでって言いたいけど、ラグが手入れしないとみんなの装備が保たないもんね」
「ああ、だからやる」
「知ってる。でも——」
セリアが俺の手を両手で包んだ。水筒の水で冷やしながら、丁寧に。
「壊れていいのは装備だけだから。ラグの手は壊れちゃ駄目」
「……大袈裟だな」
「大袈裟じゃない。ラグの手がなくなったら、わたしたち全員終わりなんだよ」
セリアの手が冷たくて気持ちいい。水のおかげか、セリアの体温のおかげか分からないけど、指先の痛みが引いていった。
「ほら、布巻いとくから。これで少しましでしょ」
セリアが細い布を俺の指先に巻いてくれた。手慣れた手つきだ。
「いつの間にそういうの上手くなったんだ」
「ラグがいつもわたしの装備を直してくれるから。お返し」
お返し、か。
布を巻いた指先で剣を握ってみた。感触は変わらない。大丈夫、まだ動ける。
「ありがとう。——行こう。第四層はまだ先だ」
「うん!」
※
第三層を抜ける頃には、全員がぐったりしていた。
熱と戦闘の連続。装備の手入れ回数は数えるのをやめた。たぶん二十回は超えている。
でも全員の装備が保った。誰の剣も折れず、誰の盾も壊れず、誰の杖もひび割れなかった。
第三層と第四層の間の踊り場で座り込んだ時、ヴァルドが俺の隣に来た。
「ラグ」
「はい」
「今日一日で、お前は何回装備を手入れした」
「数えてません」
「俺が数えてた。二十三回だ。うちの分を含めて」
「そんなにやりましたか」
「ああ、二十三回。戦闘の合間に、休憩を削って、七人分の装備を一人で。——お前がいなかったら、第三層で全滅してたかもしれない」
「全滅は言いすぎですよ」
「言いすぎじゃない」
ヴァルドが真っ直ぐこっちを見た。
「F級の装備師がA級のパーティを救った。——制度はおかしいな、やっぱり」
A級冒険者の口から出た言葉だった。
レベル至上主義の世界で、レベル78の男が「制度はおかしい」と言った。ガーヴの時と同じだ。目の前で事実を見せられたら、認めるしかない。
「……ありがとうございます」
「礼を言うのは俺の方だ。——第四層からは、お前の指示に従う。装備に関しては、お前が指揮官だ」
A級冒険者に指揮官と呼ばれるF級。この世界で、これ以上の皮肉はないだろう。
でも悪い気はしなかった。全然。




