表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/65

水面下の牙


 第二層に降りた途端、靴が水に浸かった。


「うわ、冷た……」


 セリアが足元を見下ろす。膝の少し下まで水が溜まっている。透明度は高いけど、底は苔で滑りやすい。光源石の光が水面に反射して、壁に揺れる模様を描いている。


「水没地帯か。足場が悪いな」


 ヴァルドが慎重に歩を進めている。A級でも水中戦は得意じゃないらしい。


「ニーカ、盾の状態は」


「重い。水吸ってる」


 ニーカの大盾が水を含んで重量が増している。ニーカの体力なら持てないことはないけど、盾を構える速度が落ちる。戦闘中にそれは致命的だ。


「止まれ。盾の処理をする」


 足を止めて、道具袋から撥水用の油脂を取り出した。ニーカの盾の裏面と縁に手早く塗り込んでいく。北部の時に余分に持ってきた素材だ。こういう時のために準備していた。


「よし。これで水を弾くから、重くならないはずだ」


「おお、全然違う。軽い。——ラグ、天才じゃん」


「天才じゃない。準備だ」


 ヴァルドがこっちを見ていた。


「……戦闘中に装備を調整できる冒険者は初めて見るな」


「装備師ですから」


 ヴァルドは何も言わなかったけど、目の色がまた少し変わった。



    ※



 水没地帯を進んでいく。水の深さは場所によって変わる。浅い所は足首、深い所は腰まで。なるべく浅いルートを選んで進むけど、回廊の構造上、避けられない深い場所もある。


 十分ほど歩いたところで、水面が揺れた。


 自然な波じゃない。何かが水の中を動いている。


「来る」


 ヴァルドが剣を構えた。俺たちも臨戦態勢。


 水面が割れて、白い体が飛び出してきた。蛇だ。全長は人の身長の三倍はある。全身が白い鱗で覆われていて、口を開くと二列の牙が光る。水棲の蛇型魔獣。


 一体じゃない。水面のあちこちで同時に波紋が広がっている。三体、四体——五体。


「多い!」


 先頭の一体がヴァルドに飛びかかった。ヴァルドが斬りつける。水中から跳躍する蛇の速さは相当なもので、A級のヴァルドでも一撃で仕留め切れない。


 二体目がニーカに向かってきた。ニーカが盾で弾く。撥水処理のおかげで盾の動きは鈍っていない。弾いた蛇にセリアが追撃して仕留めた。


 三体目と四体目がこっちに来る。俺が一体、リーゼの氷槍がもう一体を串刺しにした。水中の敵に氷属性は相性がいい。水ごと凍らせて動きを止められる。


 五体目——こいつが問題だった。


 水中に潜ったまま、見えない。水面に波紋だけが走っている。


「足元注意! 水中から——」


 言い終わる前だった。


 セリアの足が引かれた。水中から蛇が足首に巻きついて、引きずり込もうとしている。


「っ——!」


 セリアが水中に膝をついた。足首に巻きついた蛇が、螺旋状に体を這い上がってくる。脛から太腿に向かって締め上げながら。


「セリア!」


 走った。水を蹴散らして、セリアの横に飛び込んだ。


 蛇の頭がセリアの腰のあたりまで来ている。牙を剥いて噛みつこうとしている。セリアが短剣で切りつけるけど、体に巻きつかれた状態では力が入らない。


 俺はセリアの体ごと蛇を掴んだ。左腕でセリアの腰を抱えて支えながら、右手の剣で蛇の首元を突く。


 山岳鉄の刃が鱗を貫通した。蛇が痙攣して、巻きついた体が緩む。もう一度突いて、完全に仕留めた。


 蛇の死体がセリアの足元に崩れ落ちて、水中に沈んでいった。


「大丈夫か」


「う、うん……。ありがと……」


 セリアの声が震えている。蛇に巻きつかれるのは怖かったんだろう。俺の腕がまだセリアの腰に回ったままだということに、ここで気づいた。


「…………」


「…………」


 離した。ちょっと遅かった気がするけど、戦闘中の咄嗟の行動だから仕方ない。仕方ないんだ。


 ニーカが後ろから「おーい、大丈夫かー?」と叫んでいる。リーゼはこっちを見て、何も言わずに目を逸らした。気を遣ってくれてるのか、にやにやしてるのを隠してるのか、両方か。


「……足首、怪我してないか」


「大丈夫。締めつけられただけ。折れてないし、噛まれてもいない」


「見せろ」


「え、ここで?」


「足首の状態を確認するだけだ」


 セリアが渋々足首を見せてくれた。水中だから靴を脱がないといけなくて、俺が支えながらセリアが靴を脱ぐ形になった。


 足首に蛇の鱗の痕がついているけど、皮膚は切れていない。打撲程度。問題なし。


「平気だ。靴の革が保護してくれてる。……ただ、靴の内側が水浸しだから、次の休憩で乾かした方がいい」


「う、うん……」


 セリアの顔が赤い。水中で片足を俺に預けてる体勢が恥ずかしいんだろう。早く靴を戻してやった。


「……ラグ」


「何だ」


「助けてくれてありがと。でも次は、もうちょっとこう——」


「こう?」


「……いや、何でもない。ありがと」


 何が「こう」なんだか分からないけど、無事でよかった。



    ※



 第二層を抜けるのに半日かかった。蛇は合計で十二体出てきたけど、パターンが分かれば対処できた。水中から来るなら、リーゼの氷魔法で水面を凍らせて動きを封じればいい。何度か繰り返すうちに、合同チーム全体の連携が噛み合い始めた。


 第二層と第三層の間に、広い踊り場があった。水のない乾いた空間。ここで休憩を取ることにする。


「全員、装備を乾かせ。水浸しのまま第三層に入ったらまずい」


 ヴァルドの指示で、全員が装備を外して乾燥作業に入った。


 問題は——全員ずぶ濡れだってことだ。装備だけじゃなくて、服も。


「男は向こう側、女はこっちで着替えろ。柱で仕切れる」


 ヴァルドが仕切ってくれた。踊り場の中央に太い柱があって、視線が遮られる。


 俺はヴァルドとドルゴと一緒に柱の向こう側で服を絞った。替えの服に着替えて、濡れた服は広げて乾かす。


 装備の乾燥処理は俺の仕事だ。全員分の武器と防具を集めて、水気を拭き取って、油を塗って。アンランクの四人分に加えて、ヴァルドたちの分もやることにした。ここまで一緒に戦ったんだ。装備の手入れくらいはする。


 作業に没頭していたら、柱の反対側からセリアの声が聞こえた。


「ラグ、ちょっと来て……」


「何だ?」


「革鎧の紐が水で膨張して、結び目が解けないの。引っ張っても無理で……」


 革が水を吸うと膨張して紐が締まる。よくある問題だ。力任せに引くと革が裂けるから、道具を使って解かないといけない。


「今行く」


 柱の横に二人で行った。セリアが背中を向けて立っている。上半身の革鎧を半分脱いだ状態で、背中の紐が二箇所解けずに残っている。下は肌着を着てるけど、肌着も水で濡れていて体に張りついている。


「……紐だけ見るから」


「分かってるから早くして、寒いの」


 道具を使って紐の結び目に細い金具を差し込む。膨張した革を押し広げて、紐を緩めていく。装備の修理と同じ作業だ。同じ作業なんだけど、指先がちょっとだけ震える。背中の肌着越しに体温を感じる距離で作業するのは、盾を磨くのとはわけが違う。


「痛くないか」


「痛くない。……手、冷たい」


「ずっと仕事してたからな」


「……ん」


 一箇所目、解けた。二箇所目に取りかかる。


「ラグ」


「何だ」


「……ありがとね。いつも」


「紐くらいいいさ」


「紐だけじゃなくて、全部」


 二箇所目、解けた。革鎧がするりと外れて、セリアが受け取った。


「終わった。戻るぞ」


「うん。——見てないよね」


「見てない」


「嘘」


「見てない。紐しか見てない」


「……まあいいけど」


 柱の向こう側に戻って、装備の手入れを再開した。


 手が震えてるのは水で冷えたからだ。他の理由はない。ない。


 ドルゴが横で「お前、顔赤いぞ」と言った。黙れ。



    ※



 全員の装備を乾かし終えて、休憩に入った。


「第三層は灼熱の洞窟と聞いている」


 ヴァルドが言った。


「今度は水じゃなくて熱か。装備への影響は?」


「大きい。金属が膨張して刃が歪む。革は乾燥して脆くなる。放置すると使い物にならなくなる」


「……対策は?」


「手入れし続けるしかない。戦闘の合間に、全員分の装備を調整する」


 ヴァルドが俺を見た。


「お前にしかできない仕事だな」


「ええ、だから俺がここにいるんです」


 ヴァルドが少しだけ口の端を上げた。笑ったのか、呆れたのか。


「……レベル1の装備師。迷宮に来て初めて、推薦した理由が分かった気がする」


 褒められたのかどうか微妙だけど、悪い気はしない。


 第三層への階段が見えている。その先は灼熱の洞窟。装備にとって最も過酷な環境だ。


 でもそのための準備はしてきた。この手が動く限り、装備は保つ。仲間の力は保たせる。


 行こう。まだ先は長い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ