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俺を阻むのは魔物じゃなくて制度


 F級生活、八日目。


 薬草を採った。ネズミを狩った。害虫を潰した。それを繰り返して八日。手元に貯まった銅貨は四十二枚。ここから宿代と飯代を引くと、残るのは十五枚。


 手甲の内張りの革は、もう限界だ。



    ※



 街の素材通り。鍛冶屋や革細工屋が並ぶ、冒険者向けの商店街だ。A級パーティ時代はしょっちゅう来てた。上等な鋼材とか希少な魔獣の革とか、金に糸目をつけずに選べたあの頃が遠い。


 今日の目的は手甲の内張りに使う革。別に高級品じゃなくていい。耐久性がそこそこあって、手に馴染む柔らかさがあれば十分だ。


 馴染みの店——って言っても、馴染みだったのはA級時代の俺であって、F級の俺じゃない。


 店に入る。棚に並んだ革素材を物色していると、奥から店主が出てきた。


「いらっしゃ——」


 店主の目が、俺の首元に下がった鉄色のプレートで止まった。


 あー、はい。その顔、もう八日間で十回くらい見ました。


「……何をお探しで」


 声のトーンが下がった。さっきまでの愛想がきれいに引っ込んで、品定めする目に切り替わってる。F級の冒険者が革素材を買いに来る。それ自体が珍しいんだろう。珍しいというか、「こいつに売って金になるのか?」って計算が先に立ってる顔だ。


「手甲用の革。内張りに使える薄手のやつ」


「手甲の内張り……ああ、修繕ですか。F級の方が自分で?」


 余計なお世話だ、と言いたいのを飲み込む。


「自分でやる。いくらだ」


 店主が棚から革を一枚取り出した。色は悪くない。厚さもちょうどいい。ただ——。


「こちらですと、銅貨三十枚になります」


 高い。


 いや、別に法外ってほどじゃない。定価を知らないからはっきりとは言えないけど、A級時代にもっと上等な革をもっと安く買ってた記憶がある。たぶん、等級で値段を変えてるんだろう。F級には相場が分からないと思ってるのか、あるいは最初から高く吹っかけておいて値切り交渉に持ち込む算段か。


 どっちにしろ、銅貨三十枚は今の俺には出せない。


「もう少し安いのはないか」


「ありますけど、品質は落ちますよ。手甲の内張りに使うなら、安物はお勧めしません。すぐ破れますから」


 それはその通りだ。安い革は繊維が粗くて、摩擦に弱い。手甲の内側なんて常に擦れてる場所だから、安物を使うとひと月保たない。まともな革を買って長く使った方がトータルでは安上がりになる。


 正論だ。正論だけど、今の俺に「トータルで考えて」なんて余裕はない。明日の素材代が出るかどうかって生活してるんだ。


「……安い方を見せてくれ」


 店主が出してきた革は、やっぱり質が悪かった。表面がざらついてるし、端の方がもう毛羽立ってる。銅貨十二枚。


 買った。



    ※



 安宿の部屋に戻って、買ってきた革を広げる。


 うん、駄目だ。このまま使ったら二週間で破れる。店主の言った通りだ。


 ただ。


 このまま使うとは言ってない。


 手入れ用の道具を引っ張り出す。革を裁断する前に、まず表面の繊維を揃える。毛羽立ってる部分を丁寧に(なら)して、革用の蝋を薄く塗り込んでいく。蝋が繊維の隙間に入り込んで、表面が滑らかになる。次に裏面。裏面は荒いままだと肌に当たって痛いから、軽石で擦って(なら)す。


 ここまでが普通の加工。ここから先は、俺のやり方。


 革を両手で包むようにして、じっくり揉む。指先で革の繊維の流れを読んで、硬い部分と柔らかい部分を把握する。硬い部分に蝋を重ね塗りして、柔らかい部分は揉みで伸ばす。時間をかけて、革全体の硬さを均一に近づけていく。


 この作業は、正直言って地味だ。地味で、時間がかかって、やってる間ずっと指先に神経を集中させてないといけない。手入れを「雑用」って呼ぶ連中には一生分からない作業だと思う。


 三十分くらいかけて仕上がった革は、買った時とは別物だった。表面は均一で滑らか、適度な弾力があって、手に吸いつくように馴染む。銅貨十二枚の素材が、三十枚の品質を超えてる。


 ……こういう時だけは、自分の手が好きだ。


 裁断して、手甲の内張りを張り替える。古い革を外して、新しい革を当てて、縁を縫い込む。手甲を嵌めてみる。ぴったりだ。指を曲げても突っ張らないし、握り込んでも滑らない。


 よし。これであと一ヶ月は保つ。



    ※



 翌日。ギルドの依頼掲示板の前。


 今日も最下段のF級依頼を見に来た——んだけど、つい目が上に行く。


 中段に貼ってあるB級依頼が、やたら目立つ赤い紙だった。緊急依頼の印だ。



『B級緊急依頼:ゴーレス街道における大型魔獣の出没。商隊護衛および討伐。報酬:銀貨三十枚。受注資格:B級以上のパーティ』



 銀貨三十枚。


 銅貨に換算すると三千枚だ。俺の薬草採取六百日分。二年近く分。


 一回の依頼で。


 ……ふう。


 見上げたまま、しばらく立ってた。近くにいた冒険者が不審そうにこっちを見てる。F級がB級依頼をじっと見てたら、そりゃ変な目で見られる。身の程知らずか、ただの馬鹿か。


 討伐対象の魔獣、大型って書いてあるけど種類の記載がない。報酬額から逆算すると、甲殻獣か鉄牙獣あたりだろう。どっちにしても、今の俺の装備なら倒せる。間違いなく倒せる。


 でも、F級には受注資格がない。


 受付に行って「俺、F級だけどB級依頼受けたいです」って言ったらどうなるか。門前払いだ。規定は規定。レベルがいくつだろうと、等級がF級ならF級の仕事しかできない。


 倒せるのに、受けられない。


 強いのに、認められない。


 この制度、本当によくできてる。底にいる人間が上に行く道を、全部塞いでる。レベルが上がらない俺は、どれだけ装備を育てても、どれだけ魔物を倒せても、永遠にネズミ退治がお似合いのF級冒険者だ。


 ……掲示板から目を離して、最下段の依頼書を一枚剥がした。今日は農場の害虫退治。銅貨四枚。


 はいはい、行きますよ。



    ※



 害虫退治を終えて帰る道すがら、ゴーレス街道の方角を通った。


 さっきの緊急依頼の現場方向だ。まだ討伐パーティが決まってないのか、街道沿いの集落に「通行注意」の看板が立っている。


 足を止めた。


 街道の向こう側、森の奥の方から低い唸り声が聞こえた。遠い。まだ遠いけど、確かに大型の魔獣の声だ。


 腰の剣に手が伸びかけて——止めた。


 今ここで飛び出して倒したとして、どうなる。ギルドの依頼として受けてないから報酬はない。討伐の実績もギルドに認められない。下手をすれば「F級が高難度エリアに無断侵入した」ってペナルティを食らう。


 馬鹿正直にルールを守って損する側でいるのか、俺は。


 ……でも今は、まだ駄目だ。こっちの生活基盤が何もない。装備の維持費すらぎりぎりの状態で、ギルドと揉めてる余裕はない。


 もう少しだけ我慢する。


 もう少しだけ——このクソみたいな制度の中で、やれることを探す。


 唸り声に背を向けて、安宿に帰った。

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