蓄積値ゼロ
カルム村に戻ったら、村人総出で出迎えられた。
猟師たちから戦闘の経過が伝わっていたらしく、村長は俺たちの顔を見るなり深々と頭を下げた。
「あんたたちのおかげで、村が救われた」
ラーデン村の時と同じ言葉。でも同じ重さだ。何度聞いても慣れない。
村人たちが食事と寝床を用意してくれた。セリアの腕の傷を村の薬師が手当てしてくれて、俺にも温かい湯と毛布を持ってきてくれた。
ありがたい。本当にありがたいんだけど、俺の頭の中は一つのことでいっぱいだった。
剣がない。
腰には小刀だけ。手入れ用の道具。戦闘用じゃない。蓄積値は剣ほどじゃないから、フロストウルフの先遣隊くらいなら何とかなるかもしれないけど、それ以上の相手には厳しい。
三年間かけて育てた剣を失った。蓄積値8,947。もう戻ってこない。
……落ち込んでるかって? 落ち込んでるよ。そりゃ落ち込む。三年間の相棒だったんだ。追放されてからも、F級の底辺でもがいてる間も、あの剣がなかったら何もできなかった。
でも。
落ち込んでる暇はないんだ。
※
翌朝、ハインツに伝書を出した。カルム村の伝書係に頼んで、街のハインツの店に届けてもらう。内容は二つ。一つ、北部山岳地帯の魔獣群は討伐済み。二つ、剣が折れたので山岳鉄を扱える鍛冶師を紹介してほしい。
返事が来たのは翌日の夕方だった。ハインツの仕事が早いのはいつものことだ。
『討伐、お疲れ様です。山岳鉄の鍛冶師であれば、カルム村から北に半日の場所にドワン鍛冶工房があります。主人のドワンは腕利きです。私の名前を出してください。紹介状を同封します。——ハインツ』
紹介状まで入っている。この人には頭が上がらない。
※
セリアと一緒にドワン鍛冶工房を訪ねた。
山の中腹にある石造りの工房で、煙突から黒い煙が上がっている。中に入ると、熱気と金属の匂いが充満していた。
鍛冶師のドワンは、背の低いがっしりした老人だった。白髪を後ろに束ねて、革のエプロンを着けている。腕が太い。金槌を何十年も振ってきた腕だ。
「ハインツの紹介か。何が要る」
「剣を打ってほしいんです。山岳鉄で」
「山岳鉄の剣。型は?」
「片手剣。刃渡りは腕の長さくらい。重心は柄寄り。取り回しを重視したい」
「用途は」
「戦闘用です。寒冷地での使用を想定しています。フロストウルフの冷気に耐えられる強度が必要です」
ドワンが俺を見た。それからセリアを見て、俺たちのプレートを確認した。
「F級とE級が、フロストウルフと戦うのか」
「もう戦いました。その時に剣が折れたんです。普通の鉄だったんで、冷気に耐えられなかった」
「……見せてみろ」
折れた剣の破片を袋から出して、テーブルに並べた。
ドワンが破片を手に取って、断面を確認した。指で触って、光にかざして、舌打ちした。
「ひでえ折れ方だ。金属疲労じゃない。急激な温度変化で結晶構造が崩壊してる。こんなもん、普通の鉄で防げるわけがない。よく今まで保ったな」
「手入れでカバーしてました。耐冷コーティングを二重に塗って」
「コーティングで? ……コーティングだけでフロストウルフの冷気を凌いだのか。何回戦った」
「十五体くらいです」
「十五体。コーティングだけで……」
ドワンが俺の顔をまじまじと見た。
「あんた、相当腕がいいな。コーティングの塗り方一つで装備の寿命がここまで変わるってのは、鍛冶師でもなかなかできない仕事だ」
「……ありがとうございます」
「褒めてるんじゃない。呆れてるんだ。こんな鉄の剣でフロストウルフ十五体って、正気の沙汰じゃねえぞ」
正気かどうかは自分でも怪しいと思う。
ドワンが工房の奥から山岳鉄の素材を持ってきた。暗い銀色の金属で、持つとずしりと重い。
「山岳鉄は寒冷地の鉱脈から採れる。温度変化に強くて、冷気を通しにくい。その代わり硬い。加工に手間がかかる。普通の鉄より二割ほど重くなるが、それでいいか」
「構いません」
「代金は銀貨八枚。打ち上がりまで三日。急ぎか」
「急ぎですが、質を落とすくらいなら待ちます」
「言われなくても落とさん。俺の仕事を舐めるな」
ドワンがにやりと笑った。職人の顔だ。
銀貨八枚はフロストウルフの素材売却で賄える。安い買い物じゃないけど、三年間の相棒の後継だ。金を惜しむ場面じゃない。
※
三日間、カルム村で過ごした。
やることはある。セリアの装備の修復と手入れ。戦闘で痛んだ革鎧のあちこちを補修して、短剣の耐冷コーティングを全面的にやり直す。短剣の刀身自体にも小さな亀裂が入りかけていたので、研磨して応急処置。
セリアの装備を手入れしている時間が、今は一番落ち着く。自分の剣がない分、手が空いて、セリアの装備に集中できる。
二日目の夜。小屋の暖炉の前で、セリアの短剣の最終仕上げをしていた。
セリアが向かいの椅子に座って見ている。いつもの光景だ。
「ラグ」
「ん?」
「新しい剣、楽しみ?」
「楽しみっていうか……早く育てたいって感じだ」
「育てるか。ラグらしい言い方」
「蓄積値ゼロから始まるからな。前の剣が8,947まで行くのに三年かかった。でも今の俺なら、もう少し早くできると思う」
「なんで?」
「手入れの精度が上がってるから。三年前の俺と今の俺じゃ、同じ時間触っても染み込む経験値の量が違うはずだ。……根拠はないけど、そんな気がする」
「根拠なしの勘?」
「装備師の勘だ」
「ふふっ……それ、好き」
また「好き」を軽く投げてくるなこいつは。
「前の剣のこと、寂しくない?」
「寂しいよ。三年一緒だったからな」
「うん」
「でも——次はもっといい相棒にする。壊れない剣を、一から育てる。そのための三日間だ」
「三日間、暇じゃない? 剣ないし」
「暇じゃない。お前の装備の手入れがあるから」
「……そっか。私の装備があるから」
セリアがちょっと嬉しそうな顔をした。何がそんなに嬉しいのか分からないけど、分からないでいい気がする。
手入れを続けた。セリアの短剣を磨いて、コーティングの厚さを確認して、刃の状態を指先で読んでいく。
どのくらい経ったか。気づいたらセリアが静かになっていた。顔を上げると、椅子の上で体を丸めて目を閉じている。寝落ちだ。
こいつ、本当にすぐ寝るな。
暖炉の火が消えかけている。薪を足すために立ち上がろうとしたら、セリアが椅子からずるっと滑って、こっちに傾いてきた。
咄嗟に受け止めた。
セリアの頭が俺の肩に乗った。そのまま動かない。完全に寝てる。
……起こすべきだ。ベッドで寝た方がいい。体が冷える。
でも、今日は戦闘の疲れが残ってるはずで、寝てるなら起こさない方がいいんじゃないか。
セリアの髪が肩にかかっている。薬草みたいな匂いがする。村の薬師がくれた軟膏の匂いだろう。腕の傷に塗ったやつだ。
手元にはセリアの短剣がある。手入れの途中だった。このまま続けるか。
続けた。右肩にセリアの頭を乗せたまま、左手で短剣を持って、右手で布を当てて磨く。やりにくい。すごくやりにくい。でも、今起こすと——。
十分が過ぎた。二十分が過ぎた。
起こすタイミングを完全に逃した。
※
三日目。ドワン鍛冶工房。
ドワンが仕上がった剣をテーブルに置いた。
山岳鉄の片手剣。暗い銀色の刀身に、控えめな刃紋が浮かんでいる。柄は革巻きで、手に馴染むように微妙なカーブがつけてある。鍔は小ぶりで実用重視。飾り気はない。
手に取った。
重い。前の剣より確かに重い。でも重心が柄寄りに設計されているから、振った感覚は重さほど鈍くない。
素振りを一回。空気を切る音が鋭い。刃の通りがいい。
「どうだ」
「……いい剣です」
「当たり前だ。俺が打ったんだから」
ドワンが腕を組んで、満足そうにしている。
鞘に収めて、腰に佩いた。しっくりくる。前の剣とは違う感触だけど、悪くない。
蓄積値はゼロ。ここから始まる。
鞘から抜いて、布を取り出した。
「何してる」
「手入れです。最初の一回目を」
「今かよ。打ち上がったばっかりだぞ」
「一日でも早く始めたいんで」
ドワンが呆れた顔で俺を見て、それから、ふっと笑った。
「……あんた、いい装備師だな」
「ありがとうございます。いい鍛冶師に打ってもらったおかげです」
刃に布を当てて、丁寧に磨いていく。最初の一滴の経験値を、新しい相棒に注ぎ込む。
ゼロからの再出発。
でもゼロは怖くない。この手がある限り、育てられる。前の剣だってゼロから始めたんだ。
隣でセリアが新しい剣を覗き込んでいる。
「かっこいい。前のと全然違う色だね」
「山岳鉄だからな。前のより丈夫で、冷気にも強い」
「名前つけないの?」
「剣に名前?」
「だって相棒なんでしょ。名前あった方がよくない?」
「……考えたこともなかった」
「じゃあ考えてよ。私が名付けてもいいけど」
「お前のネーミングセンスは信用できない。『レベル1と愉快な仲間たち』の人間だからな」
「あれはあれでいいと思うんだけど」
よくない。
名前か。剣に名前をつけるなんて、英雄譚の主人公みたいだ。俺にはちょっと大げさな気がするけど——まあ、こいつとはこれから長い付き合いになる。名前があってもいいかもしれない。
今はまだ思いつかない。この剣がどんなふうに育つのか、見てからでいい。
「そのうち考える」
「そのうちね。——楽しみにしてる」
新しい剣を鞘に収めた。ゼロの剣。これから育てる剣。
帰ろう。街に戻って、日常に戻って、また依頼をこなして、装備を育てて。
やることはいつもと同じだ。手入れをして、戦って、隣にいるこいつの装備を磨いて。
それだけのことを、また一から。




