信用に等級はいらない
北部山岳地帯まで、街道を歩いて二日。
セリアと二人で歩くこれ街道は、もう慣れたものだ。ラーデン村に行った時もそうだったけど、セリフは歩きながらよく喋る。今日の朝飯がどうだったとか、昨日見た夢の話とか、E級の依頼報酬で何を買おうかとか。内容に脈絡はないけど、聞いてて退屈はしない。
「ねえラグ、山って寒いの?」
「この時期でも山の上は冷えるらしい。夜は息が白くなるって聞いた」
「うわ。私の装備、防寒とか考えてないんだけど……」
「ハインツさんから防寒用の素材をもらってる。着く前に手を入れるから大丈夫だ」
「相変わらず用意がいいね、ラグは」
「用意がいいんじゃなくて、ハインツさんの情報が早いんだ。北部の気候のことも、魔獣の出没状況のことも、全部事前に教えてくれた」
ハインツさんとの関係は、あの甲殻獣の一件から始まって、今ではかなり頼りになる情報源になっている。素材の取引だけじゃなくて、各地の商人ネットワークから入る情報をこっちに回してくれる。ギルドの掲示板より早いことも多い。
制度の外の信頼関係。こういう繋がりが、少しずつ増えている。
※
一日目の夕方、ゴーレス街道の宿場町で一泊することにした。
宿を探していると、聞き覚えのある声が飛んできた。
「おい、あんた——ラグか?」
振り向くと、片手に酒瓶を持った男が立っていた。右腕に古い傷跡。見覚えがある。
「ドーランさん」
「やっぱりそうか! 久しぶりだな!」
ドーラン。ゴーレス街道で甲殻獣に襲われていた商隊の護衛。あの時は肩を脱臼してたけど、今は元気そうだ。酒瓶持ってるあたり、元気すぎるくらいだ。
「元気そうですね」
「おう。あんたのおかげでな。——おっ、連れがいるのか」
セリアがぺこりと頭を下げた。
「セリアです。ラグのパーティーの」
「二人だけのパーティーか。ほう……」
ドーランが俺とセリアを交互に見て、にやっと笑った。何だその顔は。
「いやいや、何でもない。——それよりラグ、あんたの噂、けっこう広まってるぞ」
「噂?」
「F級のくせにとんでもなく強いやつがいるって話。ギルドの中だけじゃなくて、街道筋の冒険者にも広まってる。名前まではまだ知らないやつが多いけど、『レベル1のF級』って言えば大体通じるようになった」
「……大げさな」
「大げさじゃねえよ。俺が報告書出した甲殻獣の件もそうだし、ラーデン村のダイアウルフの件もそうだし。最近じゃ北の方でもC級の魔物を倒してるって話が回ってきてる。もはや半分伝説みたいになってるぞ、あんた」
伝説はやめてくれ。そういうのが一番困る。
「あと俺、C級に上がったんだ」
「おめでとうございます」
「あんたに命救われてなかったら、今頃墓の下だからな。感謝してる。——それで、北に行くのか?」
「ええ、山岳地帯の魔獣被害の件で」
「あー、あれか。商隊の連中も噂してたわ。山の上から獣の群れが降りてきてるって。けっこうやばいらしいぞ」
「やばいから行くんですよ」
「はは、あんたらしいな。——気をつけてけよ。山の魔獣は平地のとは勝手が違うからな。寒さもあるし」
「ありがとうございます」
ドーランと別れて宿に入った。
セリアが小声で聞いてきた。
「あの人、最後にニヤッてしたの何?」
「知らない」
「絶対なんか思ってたでしょ」
「さあ」
本当に知らない。知らないけど、何となく察しはつく。察しはつくけど、それを口にするのはやめておく。
※
宿で防寒の手入れをした。
ハインツから受け取った素材は三種類。防寒蝋、断熱繊維、耐冷コーティング用の油脂。どれも北部の商人ルートでしか手に入らないもので、普通に買ったら銀貨が飛ぶ。ハインツが仕入れ値で回してくれたから助かった。
まずセリアの革鎧。縫い目の内側に断熱繊維を挟み込む。薄い素材だから重量はほとんど変わらないけど、保温性が段違いになる。次に短剣。刀身に耐冷コーティングを施す。これで急激な温度変化による金属疲労を軽減できる。
自分の装備にも同じ処理を施す。新しい剣は——まだ持っていない。今の剣は三年間の相棒だ。山岳鉄じゃない普通の鉄。寒冷地での耐久性は不安があるけど、手入れでカバーするしかない。
作業に集中していたら、セリアがいつの間にか向かいの椅子で舟を漕いでいた(うとうとしていた)。
旅の疲れだろう。こいつ体力はあるけど、使い切った後の電池切れが早い。
ことん、と音がして、セリアの頭がテーブルの上に落ちた。腕を枕にして完全に寝てる。
……起こすか。いや、まだ装備の手入れが残ってる。セリアの手甲の防寒処理がまだだ。
手甲を手に取った。セリアの手に合わせて作られた小さい手甲。革の内側に防寒蝋を塗り込んでいく。指先の部分は薄く、手のひらの部分は厚めに。握り込んだ時に蝋が均一に効くように、塗り方を調整する。
こいつの手、俺より二回りくらい小さいな。この手でダイアウルフを刺して、オーガを切って、フロストウルフを——
いや、待て待て。手のサイズの話は今、関係ない。手甲の話だ、手甲の。
防寒処理を終えて、手甲をテーブルに置いた。セリアはまだ寝てる。起こさないと風邪をひく。
「セリア。ベッドで寝ろ」
「……ん」
「セリア」
「……あと五分」
「五分じゃなくて今だ。テーブルで寝たら体痛くなるぞ」
「……んー」
返事にならない返事。手を伸ばして肩を揺すろうとしたら、セリアが寝ぼけたまま俺の手を掴んだ。
「……あったかい」
「手入れをしてたからな。ほら、離せ」
「やだ。あったかいから」
「寝ぼけてるだろ」
「寝ぼけてない」
寝ぼけてるに決まってる。目が閉じたままだぞ。
振りほどくのも乱暴だから、そのまま三十秒くらい待った。そのうちセリアの手の力が抜けて、完全に寝落ちした。
腕を外して、部屋にある予備の毛布を持ってきてかけた。
……明日の朝、こいつはこのことを覚えてないだろう。覚えてないでいてくれ。頼むから。
※
二日目。街道を北に歩いて、山が近づいてくる。
午後には空気が変わった。風が冷たくなって、木の種類が違ってきた。平地の広葉樹から、山地の針葉樹に。景色が暗くなる。
山岳地帯の入り口にある集落、カルム。小さな村で、石造りの家が二十軒ほど並んでいる。街道から外れた場所にあるから、旅人はほとんど来ない。
村の入り口で足を止めた。柵が壊れている。ラーデン村と似た光景だけど、壊し方が違う。爪痕ではなく、ぶつかって叩き壊したような壊れ方。力任せだ。
村に入ると、年配の女性が一人出てきた。
「冒険者かい。ギルドから来たのか」
「ギルドからではないですが、魔獣被害の話を聞いて来ました」
「等級は?」
「F級とE級です」
女性——村長らしい——の顔に落胆が浮かんだ。
「F級……。C級のパーティをお願いしたんだけどね」
「依頼は受けてないんです。自分たちの判断で来ました。——ラーデン村のダイアウルフの件、聞いてますか」
村長の目つきが変わった。
「……ラーデン村? あの、F級の二人組がダイアウルフを三体倒したっていう話かい!?」
「それが、俺たちです」
しばらく俺の顔を見つめてから、村長が息を吐いた。
「話は聞いてるよ。ラーデンの村長から、伝書が来た。『F級だが信用できる』って。——まさか本当に来るとは思わなかったけどね」
ラーデン村からの伝書。あの村長が、こっちの集落にまで俺たちのことを伝えてくれていたのか。
「中に入りな。状況を説明するから」
※
村長の家で話を聞いた。
状況はギルドの掲示板で見た以上に深刻だった。
山の上から魔獣の群れが降りてきている。種類はフロストウルフ——寒冷地に棲む狼型魔獣。C級指定。ダイアウルフの亜種で、冷気を纏って攻撃する。
問題は数だ。
「最初は三、四体だったんだ。それが一週間で増えて、今は——二十体以上いるらしい」
「二十体……」
「山の猟師が上から見たって言ってる。谷筋に集まってるって。頭のいい獣でね、一斉に来るんじゃなくて、何体かずつ交代で降りてきて襲う。こっちが追い払っても、次の日にはまた別のやつが来る」
知能がある群れ。交代制で攻撃。統率が取れている。群れにリーダーがいるんだろう。
「被害は?」
「家畜が八頭。畑は半分やられた。怪我人は五人。まだ死人は出てないけど、時間の問題だと思ってるよ」
「この集落だけですか」
「いいや。北のハーゲン、東のブルム、山向こうのレントも似たような被害が出てるって聞いてる。全部同じ群れかどうかは分からないけど」
四つの集落が同時に被害を受けている。群れが一つなら二十体以上、複数なら——考えたくないな。
セリアが俺を見た。不安と覚悟が半々の顔だ。
「……どうする、ラグ」
「まず明日、山に入って偵察する。群れの規模と行動パターンを確認しないと作戦が立てられない。正面からぶつかるのは論外だ。二十体以上を二人でさばくには、地形と段取りが全部いる」
「うん」
「今夜は装備の最終確認をする。北部仕様に仕上げてあるけど、フロストウルフ相手となると冷気対策をもう一段上げたい」
「頼りにしてます、装備師さん」
その呼び方にも、もうすっかり慣れた。
村長が宿を用意してくれた。小さな石造りの小屋だけど、壁が厚いから風を通さない。暖炉もある。
ここを拠点にして、山の魔獣に挑む。F級とE級のコンビで。
無謀だって言うやつもいるだろう。実際、無謀かもしれない。でも、ここに来るまでの道で、ドーランが噂を教えてくれて、ハインツが素材を回してくれて、ラーデン村の村長が伝書を出してくれていた。
俺たちは二人だけど、二人だけじゃない。
暖炉の前で装備を広げて、手入れを始めた。
明日は、長い一日になる。




