三体は挨拶代わり
翌朝、山に入った。
カルム村の猟師に道案内を頼もうとしたけど、全員断られた。「あの山には近づきたくない」と口を揃えて言うんだから、相当怖がられてる。仕方ないので猟師たちから地形の情報だけ聞き取って、二人で登った。
山道は険しい。平地の森とはまるで違う。足元は岩と凍った土が混ざっていて、一歩ごとに気を使う。木々は針葉樹ばかりで、枝が低い位置まで張り出していて視界が狭い。
息が白くなった。セリアが吐く息も白い。昨夜の防寒処理が効いているのか、寒さ自体はまだ耐えられる。
「ラグ、これ見て」
セリアが地面を指した。足跡。大きい。ダイアウルフに似ているけど、爪の形が違う。爪痕の周囲に霜が降りている。足跡を残すだけで周りの土が凍るのか。
「フロストウルフだな。間違いない」
「足跡、いくつある?」
「ここに見えてるだけで三つの異なるサイズ。でも重なってるから、もっと多い可能性がある」
足跡は山の上に向かって続いている。追う。
三十分ほど登ったところで、風向きが変わった。
獣の匂い。近い。
俺は足を止めて、セリアに手で合図した。
前方、五十歩ほど先の岩場の陰に動くものが見えた。灰色がかった白い毛並み。ダイアウルフより少し小さいが、体の周囲に薄く冷気を纏っている。空気中の水分が凍って、体毛の表面に細かい氷の結晶がきらきら光っていた。
フロストウルフ。三体。
群れの先遣隊か、見回りか。本隊から離れて行動している小集団だ。
「三体。やれるか」
「やれる」
セリアの返事に迷いがない。E級に上がってからの自信がある。
「俺が正面の一体を落とす。セリアは右の一体。三体目は状況を見て」
「了解」
岩陰から飛び出した。
正面のフロストウルフが反応する。口を開けて冷気を吐こうとした——その前に、俺の剣が首を通過した。
一撃。首がなくなったフロストウルフの体から冷気が噴き出して、周囲の空気が一気に冷えた。鼻の奥が痛い。
右。セリアが二体目に突っ込んでいく。フロストウルフが前脚を振り上げた。爪の先端に冷気が集中している。あの爪で斬られたら傷口が凍結する。
セリアは爪を避けなかった。避ける代わりに、タイミングを合わせて爪の軌道の内側に踏み込んだ。度胸がある。短剣がフロストウルフの喉元に突き刺さる。深い、一撃で急所を捉えている。
フロストウルフが痙攣して、倒れた。
二体目、セリア単独で処理。見事だ。
三体目。こいつは仲間が二体やられたのを見て逃げようとしていた。背を向けて山の上に駆け出す。
「逃がすとまずい。群れに戻って、報告される!」
「追うよ!」
セリアが走る。俺も追う。三体目は速いが、岩場の斜面を駆け上がりながらだから全速は出ない。セリアが横から回り込んで退路を塞ぎ、こっちに追い込んできた。
追い詰められたフロストウルフが振り返って冷気を吐いた。白い息が霧のように広がる。視界が一瞬で真っ白になった。
見えない。でも、足音は聞こえる。
音の方向に剣を振った。手応え。重い感触が腕に返ってきた。
霧が晴れると、三体目のフロストウルフが横倒しになっていた。胴体に深い斬撃が入っている。致命傷だ。動かない。
三体全滅。
「……ふう」
セリアが息を吐いた。
「ラグ、今の冷気の中で見えてたの?」
「見えてない。音で振った」
「音で——すご」
「すごくない。当たったのは半分運だ」
「半分は実力でしょ」
まあ、そうかもしれないけど。
※
倒した三体を調べた。
体格はダイアウルフより一回り小さいけど、体毛の密度が高くて、その一本一本に冷気が宿っている。刃物で切ると、切り口から冷気が漏れて周囲の温度が下がる。
歯を確認する。犬歯が長い。ダイアウルフほどではないが鋭い。顎の力も相当ある。
気になったのは、こいつらの体毛に染みついている匂いだ。三体とも同じ匂いがする。群れ全体で共有している体臭。これだけ強いなら、群れの規模はかなり大きい。
「セリア、ちょっとこっち来て」
「ん? ——うわ、何この匂い。きつい」
「三体とも同じ匂いだ。群れの匂い。これだけ強いってことは——」
「群れがでかい」
「ああ。村長の言った二十体以上ってのは、控えめな見積もりかもしれない」
セリアの表情が引き締まった。
三体を倒したこと自体は問題なかった。俺が一体、セリアが一体、追い込みで一体。連携も悪くなかった。でも、三体と二十体以上じゃ話が全然違う。
「……あと、気になることがある」
「何?」
セリアの短剣を見せてもらった。鞘から抜く。
刀身の先端付近に、薄い霜がついていた。二体目を刺した時に、フロストウルフの冷気が刀身に移ったんだろう。耐冷コーティングを施してあるからこの程度で済んでいるけど、コーティングが切れたら刀身全体が凍結する。
「冷気が剣に残ってる。このまま使い続けると、刀身が脆くなる可能性がある」
「やば。どうするの?」
「毎戦闘後に冷気を除去する手入れがいる。あと、コーティングの塗り直し。一日一回じゃ足りないかもしれない」
「……大変じゃない?」
「大変だけどやるしかない。冷気で剣が折れたら戦えなくなる」
剣が折れる。その可能性が頭をよぎって、腰の自分の剣に目がいった。こいつも普通の鉄だ。耐冷コーティングはしてあるけど、フロストウルフのリーダー級の冷気を受けたらどうなるか分からない。
考えても仕方ない。できる限りの手入れをして、あとは剣を信じるしかない。
※
山を降りて、カルム村に戻った。
村長に報告する。フロストウルフ三体を討伐したこと。群れの規模が予想以上に大きいこと。
「三体倒してくれたのか。……ありがたいけど、二十体以上いるんだろう? 三体倒しても、焼け石に水じゃないかい」
「このまま一体ずつ潰していくのは効率が悪いです。群れ全体を一度に叩く方法を考えます」
「方法って?」
「山の地形を使います。猟師の方々に聞きたいんですが、この山に峡谷か、地形が狭まっている場所はありますか」
村長が猟師を呼んでくれた。地形の話を聞く。山の中腹に、両側を崖に挟まれた峡谷があるらしい。幅は馬車一台分。長さは二百歩ほど。入り口と出口が一箇所ずつ。
ここに群れを誘い込めれば、少数ずつ処理できる。
「罠を仕掛けます。群れを峡谷に追い込むための仕掛けと、峡谷の中で戦いやすくするための準備と。——二日ください」
「二日か。その間にまた襲われたら?」
「先遣の三体を倒したから、少なくとも明日は来ないと思います。群れの偵察要員がいなくなったことで、本隊は警戒して動きを止めるはずです。それが二日保つかどうかは——正直、賭けです」
村長が俺の顔を見つめた。
「……あんた、本当にF級かい」
「レベル1です」
「レベル1ねえ。……分かった。二日だ。猟師たちにも協力させる。何がいる?」
「ありがとうございます。必要なものを明日の朝までにまとめます」
※
夜。村長が用意してくれた小屋で、作戦を練った。
テーブルの上に猟師たちから聞いた地形の簡易地図を広げて、峡谷の位置、入り口の幅、崖の高さ、風の向き。全部メモしていく。
「罠は二種類。一つは音で群れを誘導する装置。もう一つは峡谷の出口を塞ぐ障壁。誘導で峡谷に追い込んで、出口を塞いで、入り口から少数ずつ処理する」
「……ラグ、それって相当準備がいるよね」
「ああ、装備の加工と罠の設置で丸一日かかる。戦闘は翌日。だから二日くれって言った」
「二日で二十体以上。……本当にやれるの?」
「やるしかない。それに、お前の剣があるからやれると思ってる」
「また私の剣って言う」
「剣を振るセリアもだよ」
セリアがちょっと目を丸くして、それからにっと笑った。
「やるか」
「やろう」
地図を見つめながら、明日の段取りを決めていく。罠に使う素材の加工、設置の手順、猟師たちへの指示。俺の頭の中は全部「装備」で埋まっている。罠だって装備の一種だ。仕組みを作って、素材を選んで、手入れして、使い手に合わせて調整する。やることは同じだ。
この手で作れるものを、全部作る。
あとは——二十体以上のフロストウルフが、作戦通りに動いてくれるかどうか。
それだけが、俺の手ではどうにもならない部分だ。




