F級のまま
セリアのレベルが15になったのは、それから一週間後のことだった。
きっかけは、街の北側に出没したオーガの単体討伐。D級指定の依頼を——もちろん正式には受けずに——処理した帰りに、セリアが何気なく鑑定石に手を置いて。
「……15」
ぽつりと呟いた。
「レベル15。——E級の昇格ラインだ」
「うん」
「到達したな」
「……うん」
セリアがしばらく鑑定石の前で動かなかった。画面に浮かぶ「15」の数字を見つめたまま、何か信じられないものを見ているみたいに。
「二年間ずっと遠かったんだよね、この数字」
「ああ、そう言ってたな」
「冒険者になった時、E級に上がるのが最初の目標だった。でもF級の依頼じゃ経験値が全然入らなくて、レベルが上がらなくて、いつの間にか目標っていうより夢みたいになってた。届くわけないって」
セリアの声は少しだけ震えていた。嬉しいんだろうけど、それだけじゃない感情が混ざってる。
「それが——ラグと組んで、二ヶ月で」
「お前が戦って稼いだ経験値だ。俺が横にいただけで」
「横にいただけなんかじゃないよ。装備の手入れがなかったら、オークにも、ダイアウルフにも勝てなかった。ラグがいなかったら、私は今でもゴブリン相手にひいひい言ってる」
「……まあ、俺の手入れが多少は役に立ったかもしれないけど。振るったのはお前の腕だ。ダイアウルフの首を刺したのも、オーガの腱を断ったのも、お前自身がやったことだろ」
「うん。——うん、そうだね」
セリアが鑑定石から手を離して、ふう、と息を吐いた。それから笑った。ちょっと泣きそうな笑い方だった。
「等級審査、受けようと思う」
「受けろよ。資格はある」
「でもさ——」
セリアが俺の方を見た。
「私がE級に上がったら、ラグとは等級が違うことになるよね。E級とF級。パーティ組む時に、何か言われないかな」
「言われるかもしれないけど、強制できるわけじゃないから大丈夫」
「じゃあ、これからも続けられるね」
「ああ」
「……よかった」
セリアはほっと胸をなで下ろした。等級が上がることより、自分たちのパーティーが続くことの方が、大事そうにしていて。
「ねえ、ラグ」
「なんだ」
「ラグは——悔しくない? 私のレベルが上がって、等級も上がるのに、ラグはずっと1のままで」
「悔しいかって聞かれたら、ゼロではないよ。でも、お前が強くなるのは嬉しい。俺が手入れした装備を持って、お前が成長していくのは——装備師として、嬉しいことだ」
「また装備師として、って言う」
「だって装備師だからな」
「……ラグ個人としては?」
「俺個人としても。嬉しいよ。普通に」
セリアが目を丸くした。いつもの照れ隠しが来ると思ってたんだろう。俺だって思ってた。でもここは誤魔化しちゃいけない気がした。
「お前が強くなるのは、いいことだ。素直にそう思ってる」
「——ありがと」
セリアが俺から目を逸らした。今回逸らしたのはそっちか。耳がちょっと赤かった気がするけど、たぶん気のせいだ。気のせいってことにしておく。
※
翌日。ギルドの等級審査。
E級昇格審査は、F級ほど簡単じゃない。鑑定石でレベルを確認するだけじゃなくて、模擬戦闘と実績評価がある。
俺は審査室の外で待っていた。中からは金属音とか風を切る音とか、時々セリアの気合いの声が聞こえてくる。
十五分ほどで扉が開いた。
セリアが出てきた。額に汗。革鎧の裾が少し乱れてる。でも顔は晴れやかだった。
首から下がったプレートの色が、鉄色から銅色に変わっていた。
「——受かった」
「おめでとう」
「えへへ。ありがと。……見て、プレートの色変わった」
セリアが銅色のプレートを摘んで見せてきた。F級の鉄色とは明らかに違う、暖かみのある色。
「E級冒険者セリア。……なんか実感ない」
「じきに慣れるだろ」
「うん。——あ、ラグ」
「ん?」
「ちょっとしゃがんで」
「は? なんで」
「いいから」
言われるままにしゃがんだら、セリアが俺の首元のF級プレートに手を伸ばしてきた。鉄色のプレートを指で摘んで、自分の銅色のプレートと並べる。
「……いつか、二人とも同じ色になれたらいいのにね」
「俺のレベルは上がらないから、審査で上がることはないけど」
「制度が変わるかもしれないでしょ。エルマさんが記録残してくれたんだし」
「……そうだな。いつかな」
「うん。いつか」
セリアがプレートから手を離して、立ち上がった俺の顔を見上げた。近い。こいつ本当に距離感のバグが直らないな。
「とりあえず今日のお祝いしよ。ギルドの食堂じゃなくて、ちょっといいお店で食べない? E級の初任務報酬で奢るから」
「まだ初任務やってないだろ」
「じゃあ前借りで。——ラグのおかげでここまで来れたんだから、お礼くらいさせてよ」
断る理由は見つからなかった。
※
夜。街の中心通りにある食堂で飯を食った。
ギルドの食堂とは確かにレベルが違う。肉が柔らかいし、パンが温かいし、スープに具がちゃんと入ってる。セリアは大満足で二杯目のスープを飲んでいた。
食いながら、ぼんやり考えた。
二ヶ月前。追放された日。背負い袋一つで宿舎を出て、振り返らなかった。あの時の俺には何もなかった。F級のプレートと、経験値が詰まった装備と、装備の手入れしかできない自分自身。
今はどうだ。
セリアがいる。E級に上がったばかりの、根性だけは一人前の相棒。
エルマがいる。制度の中から味方をしてくれる、眼鏡の記録魔。
ハインツがいる。等級に関係なく素材を売ってくれる商人。
ラーデン村の人たちがいる。ギルドを通さず、直接信頼してくれる人たち。
制度は変わっていない。F級のまま。レベルは1のまま。ギルドの査定では最底辺のままだ。
でも、制度の外側に——小さいけど確かな居場所ができている。
銅貨五枚の薬草採取から始まって、今はC級上位の魔獣を倒せるパーティーになった。等級は最底辺でも、できることは確実に広がっている。
「ラグ、何ぼーっとしてるの」
「いや。ちょっと考え事」
「何の?」
「この二ヶ月のこと」
「ふうん。……楽しかった?」
「楽しかったかどうかで言うと——まあ、悪くなかったよ」
「出た、悪くなかった。ラグの最上級の褒め言葉」
「最上級ではないけど」
「じゃあ最上級は?」
「……いい二ヶ月だった」
「おー。聞けたー」
セリアが嬉しそうにスープを啜った。安い喜び方だな。
食堂を出て、安宿に帰る道。夜風が気持ちいい。セリアが少し前を歩いていて、時々振り返ってこっちを見る。ついてきてるか確認してるのか、別の理由なのかは分からない。
宿に着いて、食堂の隅で装備の手入れを始めた。セリアの短剣。今日は軽く磨くだけでいい。E級の審査で酷使したから、刃の状態だけ確認しておく。
セリアが向かいに座って、頬杖ついてこっちを見ている。
「ねえ、ラグ」
「なんだ?」
「明日さ、ギルドの掲示板見に行こうよ」
「毎日行ってるだろ」
「そうだけど。明日は最下段じゃなくて——もうちょっと上を見ない?」
「上?」
「私E級になったから、E級の依頼が受けられるようになったでしょ。もうちょっと、報酬のいいやつ」
「……E級の依頼な。どのくらいだ?」
「分かんない。でもネズミ退治よりはましでしょ」
「たぶんな」
掲示板の、最下段じゃない場所。少しだけ上。ちょっとだけ視線が上がる。
……悪くないかも。
「——あ、でもラグはF級だから受注はできないんだっけ」
「俺の名前ではな。でもお前の名前で受けて、俺がサポートにつく形なら問題ない。E級のパーティにF級が同行する分には規定違反じゃない」
「じゃあ、私がリーダーだ」
「お前がリーダーか」
「文句ある?」
「ない。よろしく頼む、リーダー」
セリアがぷっと吹き出した。
「変な感じ。ラグに頼まれるの」
「慣れろ。しばらくはその形でいくことになる」
「うん。——頑張る」
短剣の手入れを終えて、鞘に収めた。セリアに返す。
「はい。明日もよろしく」
「ありがと、装備師さん」
その呼び方にも、だいぶ慣れた。
※
翌朝。ギルドの掲示板の前。
いつもなら最下段に直行する足が、今日は少しだけ上で止まった。
E級の依頼欄。薬草採取よりは難しくて、報酬もそれなりにある依頼が並んでいる。
でも俺の目が止まったのは、E級欄じゃなかった。
もう少し上――中段。
B級欄に、赤い紙が一枚。
『B級依頼:北部山岳地帯における魔獣群の調査および討伐。複数の集落で被害報告あり。報酬:金貨三枚。受注資格:B級以上のパーティ』
金貨三枚。桁が違う。
北部山岳地帯。複数の集落。魔獣群。——でかい案件だ。
「……セリア」
「ん?」
「あれ」
セリアが視線を追って、B級の赤い紙を見た。
「B級……。さすがに、まだ早くない?」
「受注はできない。B級以上限定だからな」
「でしょ?」
「でも、ラーデン村の時もそうだったろ」
セリアが俺の顔を見た。それから赤い紙を見て。もう一回俺を見た。
「……依頼は受けない?」
「受けない。受けられないからな」
「でも、行く?」
「困ってる人がいて、俺たちには力がある」
セリアが息を吐いて、笑った。
「やるか」
「やろう」
最下段から始まった視線が、少しずつ上がっていく。
F級のまま。レベル1のまま。でも、見える景色は確実に変わっている。
まだ全然足りない。制度も変わってないし、等級も上がってないし、俺のレベルは永遠に1だ。
でも、隣にセリアがいて、手元にこの剣があって、背中にはエルマやハインツやラーデン村の信頼がある。
上を向いて歩ける理由は、もう十分だった。
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