記録と証明
元パーティと会った翌日。普通に依頼をこなして、普通に帰ってきた。
ザックに斧を弾き飛ばしたことも、ヴェルトに頭を下げられたことも、リーゼに謝られたことも——全部昨日の出来事なのに、もうずいぶん前のことみたいだ。日常に戻ると、頭が勝手に切り替わる。
安宿の食堂で、セリアの装備を手入れしていた。短剣の研ぎを終えて、次は革鎧の背中の張り直し。革を外して、下地を確認して、新しい革を当てて縫い直す。地味な作業だけど、これが今の俺にとっては一番意味のある時間だ。
この手で触れた装備に、経験値が流れている。今はそれを知っている。知った上で、同じことをしている。
変わったのは認識だけで、やることは変わらない。
「ねえラグ」
「んー」
「今日、ギルドでエルマさんに呼ばれてなかった?」
「ああ。明日の朝、来てほしいって」
「何の用だろ?」
「報告書の件だと思う。鑑定データをまとめてギルドの上に出すって言ってたから、その報告だろ」
「上に出すって……大丈夫なの? ラグが処分されたりしない?」
「エルマさんが書き方を工夫するって言ってた。信じるしかない」
「……心配だなあ」
セリアが頬杖をついて、こっちを見ている。俺が革を縫ってる手元じゃなくて、顔を見ている。
「何だよ」
「ん。ラグって手入れしてる時、すごい集中してるよね。話しかけても半分くらい聞いてない」
「聞いてるよ。半分は」
「半分は聞いてないんじゃん」
「装備の手入れは集中力がいるんだ。糸の張りが均一じゃないと強度に響くから」
「じゃあ、私がいなくても同じ?」
「……同じじゃない」
「ほう」
「いると飯の時間を教えてもらえるから助かる。前は没頭して、飯抜くことがあったし」
「そこ?」
「そこ」
セリアがむすっとした顔をしたけど、三秒で笑った。こいつ怒りの持続時間が短いな。助かるけど。
※
翌朝。ギルド本部、二階の応接室。
エルマが待っていた。テーブルの上に書類の束が置いてある。厚い。
「おはようございます。——これが、上層部に提出する報告書です。提出前にラグさんに内容を確認していただきたくて」
「俺に確認?」
「あなたの個人情報と体質に関する記述が含まれます。ご本人の同意なしに提出するわけにはいきません」
筋を通す人だ。
報告書を受け取って読み始めた。セリアも横から覗き込んでいる。
タイトルは『査定等級と実績の著しい乖離に関する調査報告——レベル非依存能力の実在を示すケーススタディ』。
硬い。硬いけど、これがいいんだろう。「F級のくせに強いやつがいます」じゃなくて、「制度で評価できない能力が実在します」という書き方にしてある。すごく遠回しに。
中身を読んでいく。
最初のセクションは「対象者の基本情報」。俺の登録データ、レベル1、元パーティ「銀翼の剣」。体質の概要。
次が「装備鑑定結果」。俺の剣の蓄積値8,947とセリアの短剣の蓄積値1,203。素材等級との比較。通常の装備進化では説明できない数値であること。
その次が「関連データ」。ここでエルマの記録が活きている。B級魔獣の一撃討伐記録、D級C級の素材売却記録、セリアのレベル上昇推移。そして——パーティ「銀翼の剣」の実績推移。ラグ在籍時と脱退後の依頼達成率の比較。
リーゼと同じことをやってる。ただし、エルマの方がデータの精度が高い。ギルドの公式記録にアクセスできる立場だから、網羅的に数字を拾えている。
最後のセクションが「考察と提言」。
『現行のレベル準拠査定制度は、対象者のような特異な能力を評価する仕組みを持たない。レベルという単一指標に依存した等級制度は、実力と等級の乖離を構造的に生み出す。本事例は極端なケースであるが、程度の差こそあれ同様の乖離は他の冒険者にも存在する可能性がある。等級査定基準の多角化について、検討を提言する。』
「……すごいな、これ」
俺の素直な感想だった。
「俺一人の話じゃなくて、制度全体の問題として書いてある」
「ラグさんを個人の例外として処理されないようにするためです。あなた一人を特別扱いすれば済む話にされてしまうと、制度は変わりません。制度そのものの問題として提起する必要があります」
「エルマさん、七年この仕事やってるって言ってましたよね」
「はい」
「七年分の怒りが入ってませんか、この報告書」
エルマが一瞬だけ目を丸くして、すぐに元の表情に戻った。でも口の端がわずかに上がっていた。
「……入っていません。数値に基づいた客観的な報告書です」
「まあ、そういうことにしておきますね」
※
報告書の提出から三日後。
エルマから結果を聞いたのは、またあの応接室だった。
「上層部の回答が出ました」
エルマの声はいつも通り平坦だったけど、わずかに緊張感があった。
「結論から言います。制度の変更はありません」
「……まあ、そうだろうな」
驚きはなかった。セリアも黙って聞いている。
「上層部の見解は、『特異体質を持つ個人の事例をもって制度全体を見直す根拠とはならない。当該冒険者の能力は認識するが、等級査定基準の変更は時期尚早である』です」
「例外は例外のまま、ってことか」
「はい。端的に言えばそうです」
予想通りだ。制度を維持する側にとって、制度を変える理由なんかない。今のシステムで回っていて、上の人間は上の人間で利益を得ている。一人の例外のために全体を作り直すなんて、やるわけがない。
「ただし」
エルマが書類を一枚差し出した。
「報告書は公式記録として受理されました。記録番号も振られています。これは取り消せません」
「『記録として残った』……」
「はい。今は動かなくても、記録がある限り、将来この議論を再開する根拠になります。同様のケースがもう一つ、二つ出てきた時に——」
「制度を変える理由が揃う」
「そういうことです」
エルマが眼鏡を直した。
「加えて、もう一つ。報告書の受理に伴い、ラグさんの能力に関する公式な認定が行われました。ギルドの内部記録として、『登録等級F級。ただし査定等級と実戦能力の間に著しい乖離あり。実戦能力はA級相当以上と推定される』という注記が付されます」
「等級はF級のまま。でも、実力はA級以上って記録には残る」
「はい、実務上の影響としては——今後、あなたが等級を超えた活動を行っても、規定違反として即座に処分されることはなくなります。注記がある以上、上層部も無視はできませんので」
つまり、F級の鎖は外れないけど、その鎖で殴られることはなくなったわけだ。
完璧じゃない。でも、ゼロじゃない。
「エルマさん」
「はい」
「ありがとうございます。あなたがいなかったら、この記録は存在しなかった」
エルマが少しだけ目を伏せた。
「……私は記録を取っただけです。証明したのはラグさん自身です」
似たもの同士だな、俺たちは。どっちも自分のやったことを「それだけのこと」って言いたがる。
※
ギルドを出て、セリアと並んで歩く。
「制度は変わんなかったね」
「ああ」
「悔しくない?」
「……ちょっとは悔しい。でも、思ったより平気だ」
「なんで?」
「記録が残ったから。エルマさんの七年分と、俺の一ヶ月分が、公式の数字になった。今は動かなくても、いつか動く日が来るかもしれない」
「気が長いなあ」
「そうか?」
「うん。——でも、私はそういうラグが好きだよ」
足が止まりかけた。止まりかけて、無理やり動かした。
「……急に何だよ」
「何って、好きなものは好きじゃん。何か問題ある?」
「いや問題は——問題はないけど」
「でしょ」
セリアがけろっとした顔で歩いている。こいつはこういうことをさらっと言うから困る。好きっていうのは人間として好きなのか、もっと別の意味なのか——いやどっちでもいい。どっちでもいいから装備のことを考えよう。
今夜の手入れは何をするか。セリアの短剣は昨日研いだから今日はいい。革鎧の肩当ては張り直したばかりだから問題ない。となると、自分の剣を見直すか。
……考えよう。装備のことを考えよう。装備のことだけを。
心臓がうるさいのは、さっき階段を早足で降りたからだ。それ以外の理由はない。絶対にない。




