借り物の強さ
ザックの斧が振り下ろされた。
速い。レベル50台の前衛だ。筋力も反射速度も、レベル1の俺とは比べ物にならない。素の身体能力だけなら、ザックの方が圧倒的に上だ。
——でも。
斧の軌道が見えた。振りかぶった時点で着弾点が分かる。ザックの斧は力任せの一撃が基本で、フェイントなんか最初からない。三年間、横でこいつの戦い方を見てきたんだ。パーティの装備係は戦闘に参加しない。でも、見てはいた。
半歩、横にずれた。斧が俺の鼻先を通過して、地面に叩きつけられる。土が弾けた。
重い一撃ではある。けど——浅い。
三年前のザックの斧なら、この一振りで地面に亀裂が走ったはずだ。俺が毎朝柄を調整し、刃を研ぎ、経験値を染み込ませていた頃の斧なら。
今のこの斧は、ただの斧だ。レベル50台の腕力で振ってるから威力はあるけど、装備としての上乗せがない。ザックの筋力そのまんま。それ以上でもそれ以下でもない。
「——てめえ!」
ザックが斧を引き抜いて、横薙ぎに振ってきた。身を沈めてかわす。風圧が頭の上を通り過ぎた。
三振り目。今度は突き。斧の柄の先端を槍のように突き出してくる。これは少し速かった。でも、読める。
右に体を捌いて、柄を掴んだ。
「——っ!?」
引く。ザックの体が前につんのめる。ザックはまだ柄を握っているけど、力の入る角度じゃない。
俺は左手で腰の剣を抜いて、ザックの斧の柄——握り手のすぐ上——を打った。
峰打ちだ。でも、この剣の蓄積値は8,947。峰で打っても衝撃が並じゃない。
鈍い音がして、ザックの手から斧がすっぽ抜けた。斧が回転しながら飛んで、五歩先の地面に突き刺さった。
ザックが空の手を見つめて、固まった。
斧を落とされた。レベル1に、片手で。
※
静寂が森を包んだ。
ザックが地面に膝をついている。斧は五歩先。取りに行こうとする気力もないのか、空の両手を膝の上に置いたまま動かない。
ヴェルトは最初から動いていなかった。手を出す必要がなかったとも言えるし、出す前に終わったとも言える。
リーゼは両手で自分の杖を握りしめて、青い顔をしていた。
セリアが俺の斜め後ろに立っている。手は短剣の柄にかかっていたけど、抜いてはいない。抜く必要がなかったからだ。
剣を鞘に収めた。
「これが、お前たちの今の実力だ」
声が出た。自分でも驚くくらい、静かな声だった。
「俺の手入れがない、レベル相応の実力。ザック、お前の斧は今、俺が手入れする前の普通の斧に戻ってる。鋼材も柄も同じだけど、俺の経験値が抜けたら、残ったのはそれだけだ」
ザックが顔を上げた。目が赤い。怒りなのか悔しさなのか分からないけど、もう言い返す言葉はないみたいだった。
「お前たちが弱くなったんじゃない。元に戻っただけだ。三年間、俺の手入れで底上げされてた分がなくなって、お前たちの装備は本来のスペックに戻った。——A級でやれてたのは、お前たちのレベルの力じゃなかった」
言い切った。
言うべきかどうか迷った言葉だ。でも、ここで言わなきゃたぶん一生言えない。
ヴェルトが口を開いた。
「……お前は、それを知ってて黙ってたのか」
「昨日まで知らなかったって言っただろ。信じるかどうかはお前の自由だ。ただ、知ってたところで何が変わったと思う? 査定の日に『俺の手入れがないとお前たちは弱くなる』って言ったとして、ヴェルト、お前は信じたか」
ヴェルトが押し黙った。
信じなかっただろう。レベル1の装備係が「俺がいないとパーティが成り立たない」なんて言ったら、笑い話にすらならない。レベルが全てのこの世界で、レベル1の言葉には何の重みもない。
それがこの制度だ。
「……言い訳はしない」
ヴェルトが言った。
「お前を切ったのは俺の判断だ。お前の体質を知らなかったのも、知ろうとしなかったのも、俺の落ち度だ。——だがラグ、お前に謝ったところで何にもならないだろう」
「ならないな」
「だろうな」
ヴェルトの声には、怒りはもうなかった。
「戻ってきてくれ、とは言わない。言える立場じゃないことくらい分かってる。——すまなかった」
ヴェルトが頭を下げた。
潔い一礼だった。
※
リーゼが一歩前に出た。
「ラグ」
「リーゼ」
「……ごめんなさい」
リーゼは本当に申し訳なさそうな顔をしていた。
「あの日、何か言おうとして——言えなかった。ヴェルトとザックに流されて、黙ってしまった。あの時に声を上げていたら、もしかしたら——」
「変わらなかったと思うよ」
「……そうかもしれない。でも、何も言わなかった自分が許せなかった。ずっと」
リーゼの目が潤んでいた。彼女は三人の中で一番、俺の不在と向き合っていたのかもしれない。きっとデータを集めて仮説を立てて、パーティに進言して……でもたぶん、流されて。
「リーゼ。お前は気づいてたんだろ。装備の手入れが関係してるって」
「……確信はなかった。でも、データ上はそうとしか思えなかった」
「お前が間違ってたわけじゃない。聞く耳を持たなかったのは向こうだ」
リーゼは唇を噛んだ。泣きそうな顔をしてるけど、泣いてはいない。
「ラグ、あなたは——今、幸せ?」
唐突な質問だった。
「……まあ。悪くはないよ」
「そう。——よかった」
リーゼが目を伏せて、一歩下がった。
※
ザックはまだ地面に膝をついたままだった。何も言わない。何も言えないんだろう。レベル1に斧を弾き飛ばされたことが、ザックの中の「レベルが全て」という信念をへし折っている。
こいつに何か声をかけるべきなのかもしれないけど、今の俺にはその言葉がない。
ヴェルトに向き直った。
「じゃあ、俺はもう行く。——一つだけ言っておくと、お前たちの装備は今からでも鍛冶屋で手入れを頼めば多少は改善する。プロの鍛冶師なら俺とは別のやり方で装備の状態を上げられる。俺の手入れじゃなきゃ駄目ってわけじゃないから」
「……ああ」
「あと、リーゼの言うことはもう少し聞いた方がいい。あいつが一番まともだ」
ヴェルトは苦い顔をしていた。
背を向けて歩き出した。セリアが隣に並ぶ。
元パーティの三人が後ろに残っている。追ってくる気配はない。
森を出るまで、どっちも無言だった。
森の出口が見えたあたりで、セリアが口を開いた。
「ラグ」
「ん?」
「格好よかった」
「……そう?」
「だって格好よかったんだもん。斧弾き飛ばしたとこもだけど、最後のとこ。リーゼって人の話聞いてあげたとこ」
格好いいのは、そういうところなのか。なるほど。
「あとヴェルトって人に『リーゼの言うことは聞いた方がいい』って言ったとこ。あれ、優しいよね……追い出されたのに」
「優しくはない。あいつらには関係ないって思ってるだけだ。もう俺のパーティじゃないんだから」
「うん。だからこそ、ああいうこと言えるのがすごいんだよ」
セリアがこっちを見上げている。
「……前向いて歩け。木の根に躓くぞ」
「躓かないし。——ね、ラグ」
「なんだ?」
「私のこと、追い出したりしないでよ」
「二人しかいないのに、追い出しようがないだろ」
「約束して」
「……しないよ。追い出さない」
「うん」
セリアがにこっと笑って、前を向いた。
歩きながら、肩がちょっとだけ触れた。避けなかった。避ける理由が見つからなかったから。
……装備のことを考えよう。今夜はセリアの短剣を念入りに手入れする。あと革鎧の肩当ても見ないと。背中の部分の革が伸びてきてるから、一度外して張り直した方がいい。
うん。装備のこと。装備のことだけ考えてればいい。
肩が触れてる方の腕がちょっとだけ熱いのは——たぶん日焼けだ。




