109. プレーリー前子爵からの忠告(後)
春とはいえ、日が沈めばまだ夜は肌寒い。
煙突から虫が入ってくることを避けるためにも、暖炉では薪がぱちぱちと爆ぜ、部屋を暖める。
炎に照らされたプレーリー前子爵の顔に、深い影が差していた。
「……今代の国王は質実剛健。世が世なら、賢王と称されてもおかしくはないが……。どれほど良く統べようと、光あるところには闇もあるものじゃワイ」
プレーリー前子爵は赤ワインとチーズを嗜み、うんうんと満足気に頷く。そして、ちらっと暖炉の上に飾られた数々の肖像画を見やった。
仲が良さそうな家族の肖像画だ。面影から、きっと若き日のプレーリー前子爵と夫人、それと二人の息子さんだろうと見てとれる。
「ホウ、ホウ。ワシは長男に跡目を譲りはしたが、元は国王の財務官。隠居生活とはいえ、多少なりとも情報は手に入る。ここ数年続く豊作に、国は三つの対策を進めているのだワイ」
(へえ。プレーリー前子爵って、実は結構えらい人だったんだな)
「作物の加工や改良の推奨・栽培品目の転換・穀物の価格調整。いずれも聞いたことはあろう?」
「ええ。もちろんです」
「国王から書簡をいただきましたからな」
「ホ、ホ、ホ。ワインで潤うヴァレーにとっては、どれも直接は影響せんと思うが」
紋章官さまもおじいちゃんも、揃って頷く。テオドアさまは飄々とした表情で、静かにワインを味わっていた。
僕にとっては、穀物の価格調整は帳簿を見ていればおのずとわかることだし、ほかは以前ドニから聞いていたことだ。
「もちろん口ばかりではなく、国の基金を立ち上げ、税の減免にも応じているワイ。……じゃが、地方ごとの自治が認められているからこそ、格差が生じているのも事実」
プレーリー前子爵の言葉を補足するように、紋章官さまも付け加える。
「この旅のはじめに立ち寄った、シュモン村を覚えていますか? あの鱒の養殖技術はほかでも使えるかもしれません。少なくとも国に報告すれば、税の減免や褒賞を得られるくらいのことなのです。ですが、彼らはそのことを知らず、国は関係ないとまで言っていました」
(あー……。なるほど。それで紋章官さまはあのとき、案内人の言葉に思案顔だったのか)
情報の伝達の問題なのか、あるいは複雑な統治の問題か。それとも、単に学の有無の問題なのか。僕にはわからない。
「ホウ、ホウ、ホウ。悲しいかな、最近では食うに困った一部の農民が、王都へと流れきておるワイ。じゃが、王都とて満足な仕事があるわけではない。そうして、仕事にあぶれた農民が行き着く先は……貧民街じゃワイ」
「貧民街……」
前世の日本でもヴァレーにも、スラムなんて存在しなかったからこそ、僕にはぴんとこない。
けれど、治安が悪くなったり、貧しさから犯罪に走ってしまう人がいるだろうことは想像ができた。
「ホ、ホ、ホ。さらに貧民街で妙な煙薬が流行っていると聞くのじゃワイ。なんでも、辛く苦しい現実を忘れ、幸せな気分に浸れる……とな」
ぴくっと、おじいちゃんのこめかみが明らかに震える。
「……それは火で炙って煙を吸う、香のようなものだろうか」
「ホウ、ホウ、ホウ。まさにそのとおりじゃワイ」
みるみる険しくなっていくおじいちゃんの表情に、僕は不安が募る。……すると、それまで静かだったテオドアさまが、ぽつりと呟いた。
「……烟るモルガナ。その甘い香の煙を吸ったものは、幸福感に包まれて従順となり……洗脳にかかりやすくなると言われておるのう。配合を変えれば、強力な魔の薬ともなる。古来より、時の権力者や宗教が儀式にこぞって使ったと言い伝えられておるが……本当に存在したとはの」
「!」
洗脳、宗教。その言葉で僕が思い浮かぶのは、ベルナールのことだった。
嘘だと否定して欲しくて、縋るようにおじいちゃんを見る。
僕の目と目があったおじいちゃんは一瞬逡巡したあと、覚悟を決めたのかゆっくりと首を縦に振った。
(そんな……!)
おじいちゃんはソファーに深々と沈めていた体を起こすと、重い口を開く。
「……隣国ソル王国のモンフォール領で、『烟るモルガナ』の原材料が、密かに栽培されていたそうだ。捕縛を逃れたモンフォール家の人間が一人、行方知れずとなっておる」
「ホ、ホ、ホ。それはそれは。この国の王都にでも流れてきたのか。嫌な話じゃワイ」
冬の初めに、おじいちゃんからモンフォール家が想像以上にきな臭いことに手を出していたらしいとは聞いていた。
けれど、そのときは「子どもは知らなくて良い」と、詳しいことは何も教えてくれなかったのだ。
その真実がこれなのか。
「……社交シーズンともなれば、一見華やかに思えるが、裏ではどんなものが蠢くかわかったものではないワイ。特にいまの王都では、の。何より、授爵式を控えたヴァレー家は世間の注目を集めておる。妬み嫉みも買いやすいじゃろう。ゆめゆめ、気をつけなされ」
「ご忠告、ありがたく」
「何かあれば力になろう」と、プレーリー前子爵から差し出された手をおじいちゃんががっちりと握る。
その様子を、いまだに心が追いつかない僕はただ茫然と眺めていた。
■ 備考
今回のエピソードに伴って、「19. ヴァレー家の後継者問題」と「102. キャベツと鱒のシュモン村(後)」を一部加筆修正しました。
シリアスは今エピソードで一旦終わり。次からまたしばらくはほのぼのです。
そして、気がついたら登場人物がジジイばかり……。




