107. とびきりのプレゼント
船の船首といえば、多くの人がかの有名な豪華客船を思い浮かべるのではないだろうか。
(あれは悲劇のラブロマンスだし、この船はただのクルーズ船だから、沈むことはないと思うけれど……)
「? にいにー。なあにー?」
「しー。もうちょっと待って。まだ良い子に目をつむってるんだよ?」
「えええ〜?」
「ククク〜?」
僕はリュカの小さなお目々を両手で隠して、船首に立つ。メロディアはリュカの頭の上に乗って、自分でお利口に目を覆っている。
船の前方後方はしっかりと手すりが取り付けられているので、まず落ちることはないから安心だ。
「そのまま、にいにに寄りかかって」
「はーい」
背後から抱きしめるように、リュカの小さな体を支える。そっと優しく両手を横に広げると、脳裏にあの有名な歌姫が歌う主題歌が流れてくるようだった。
「もういいよ。目を開けてごらん」
「はーい……。わあ、はっやーい!」
首から上を水から出して泳ぐ湖竜たちは、時折「ぴぎゃっぴぎゃっ」と意思疎通を図りながら、阿吽の呼吸でぐんぐんと船を曳く。どこまでも広く美しい湖を、真っ二つに割るかのように。
船首はまさに特等席だ。髪がオールバックになるほどの風に吹かれながら、雲が後ろに流れていく様子をつぶさに見ることができる。
「こうすると、鳥さんのように水の上を飛んでるみたいでしょ?」
「ほんとだあ! ぼく、とんでる〜〜〜!」
「ククク〜!」
青い瞳を輝かせて喜ぶリュカは、まだまだ純粋だ。
ふんわりとしたリボンブラウスが風を孕んでぱたぱたとはためくので、余計に飛んでいる気分なのだろう。
「何やら楽しそうだな」
「あらあら。本当にルイとリュカは兄弟仲が良くて、麗しいこと」
「おじいちゃん、おばあちゃん!」
振り向くと、食後の紅茶を楽しんでいたはずのおじいちゃんとおばあちゃんが、いつの間にか近くまで来ていた。
(子どもみたいにはしゃぐところを見られちゃった……)
ちょっぴり恥ずかしくて気まずいけれど、旅の恥はかき捨て。
僕にとっても、まだ幼いリュカにとっても、楽しい思い出を一つでも作る方が大事だ。
「本当に、ここは風を感じられて気持ちが良いな」
「ええ、そうですね。船になんて、本当に久しぶりに乗りましたわ。たまにはこういった旅も良いものですね」
「ああ、そうだな」
二人はいつもよりも穏やかに、寛いだ表情をしている。
「……ルイが十六歳か。二人がヴァレーに来て、もう二年が経つのか。早いものだ」
「子どもの成長は早いですわね。二人とも、本当に大きくなったわ」
「ぼく、もうおにいちゃんだもん!」
「ええ、そうね」
おばあちゃんが微笑んで、風で乱れたリュカの髪を撫で付けた。
自分では実感が薄いけれど、たしかに僕もリュカも身長が伸びて、幼さが少し抜けたような気がする。
それとは反対に、おじいちゃんとおばあちゃんは皺が増えて、「あれ、こんなに小さかったっけ?」と思うほどだ。
「この湖を渡ると、プレーリーという町に出る。代々、ヴァレーのワインを贔屓にしてくださる貴族が治める町だ。当主からぜひにと館に招かれておる。
……今朝、出立前に届いた手紙には『ヴァレーの後継者と会えることを、楽しみにしている』と、そう書かれておった」
「後継者……」
ヴァレーに来る前からわかっていたことだけど、いよいよその言葉を聞くと、緊張で心臓がきゅっとする。
「……僕に、できるかな」
弱音がぽろりと口をついた。
十六歳なんて、前世じゃ高校に入学したばかりの子どもの域を出ない年齢だ。
そんな年齢でヴァレーを背負って立つ覚悟を決めることに、まだ迷いがある。前世で相応の経験があれば話は違ったのかもしれないけれど、前世の僕は一介のサラリーマンでしかなかった。
「そう顔を強張らせるでない。できなくて当然。むしろ、二年学んだだけで自信満々に『できる』と断言される方が恐ろしい。
ルイはその年にして、決断することの怖さを、重みを、痛みをよく理解しておる。慎重さゆえに迷い悩むことは、悪いことではない」
「そう、かな……」
「ああ。後を継ぐ重責は、よくわかる。若き日の私も通ってきた道だ。
……私が父である先代から当主を継いだのは、二十一の頃。継承にはいまのルイと同じ、十六の頃から五年の年月をかけたのだ。
幼き頃から後継と目されてはいたが、いざ継いでみれば知らぬことや出来ぬことばかり。
青二才だった私は、巧妙な商人に謀られ、取引で大損しかけたこともあった。寸でのところで難は逃れたがな」
「えええ! おじいちゃんが!?」
初めて聞くおじいちゃんの失敗談に、僕はびっくりしてしまう。いまの威厳たっぷりのおじいちゃんからは、想像もつかない。
おじいちゃんはその時のことを思い出しているのか、後悔の苦笑いを浮かべていた。
「そうだ。そうして、失敗を積み重ねて今の私がある。今ですら、この決断で良いか迷うこともあるのだ。それは、誰しもだろう」
「そっか……。そうやって、おじいちゃんも乗り越えてきたんだね」
僕がおじいちゃんの言葉を噛み締めていると、大人しく景色を見ていたはずのリュカが、ここぞとばかりに主張し始めた。
ふんす、と拳を握って鼻息が荒い。
「あのねー。にいに、おりょうりじょうずでー、やさしくてー、かっこいくてー、すっっっごいの!」
「あらあら、まあまあ。ベタ褒めね」
「リュカ……! ありがとう」
どうやらリュカは話がわからないなりに、僕を励まそうとしてくれているみたいだ。健気な弟がかわいくて、ぎゅっと抱きしめる。
「きゃあ〜〜〜。にいに、くるしいー!」
「はは。にいにはリュカが応援してくれたら、なんでも出来そうだよ」
「私はあいにく兄弟はいなかったが、結婚をしてからは随分とイネスに支えてもらった。
ルイたちも、あと十年か二十年もすれば、兄弟二人、共に力を合わせ支え合っていけるだろう。
何も全ての責任を一人で抱え込むことはないのだ。ひとを頼れ、ルイ」
「うん……!」
自信のなさを曝け出してしまえば、頼りないものは不適格だと言われてしまうのではと怖かった。
でも、そうじゃなかった。最初から完璧な人はいないのだと、未熟さを肯定してもらえて、気持ちが楽になる。
「僕、がんばるよ」
「そうか……」
おじいちゃんが、僕の肩をぽんぽんと励ますように叩いた。
「……それと、ルイたちの母について、話がある」
「! 何か連絡があったの!?」
「いや、まだだ。やはりローメン国までは距離があることと、時期が悪かった。何か知らせがあれば、追って王都まで届けるよう手配はしておる」
「そっか……」
便りがないことは良い便りだと思いたい。
けれど、やっぱり思い立ったらすぐに会いに行くことも、連絡をとることさえもままならない状況には、もだもだしてしまう。
「……おじいちゃん、僕」
「わかっておる。イネスとも話をしたのだ。……ルイとリュカが望むなら、母をヴァレーに呼び寄せても構わないと」
「本当!?」
祖父母からのまさかの提案に、僕はさらに驚かされる。きっといつか許されたとしても、アグリ国内に呼び寄せるのがせいぜいだろうと思っていた。
「ああ。母親である彼女が行ったお前たちへの仕打ちは、到底許せるものではない。
だが……時とともに、人も考えも変わる。
彼女が自らの行いを反省し、またルイたちが許してやり直す機会をと思うなら、私たちがとやかく言うことではないだろう」
「ふふふ。そうは言っても、私たちは彼女と初対面ですから、まずは『スープの冷めない距離でのお付き合い』ですけれど」
「此度のことで思い知ったが、有事の際に距離は妨げになる。
それに、ほかならぬ子を失う悲しみを知る私たちが、ルイとリュカから母を、母から子を奪う権利はないからな」
「おじいちゃん、おばあちゃん……。ありがとう……!」
「とはいえ、ベルナールの件が片付かない今、長旅はかえって危険やもしれん。
私たちもまずは王都での授爵式を終えないことには、ヴァレーに戻れないからな。詳しい話はそのあとだ」
込み上げてきた涙を、僕はぐいっと腕で拭う。
素晴らしい十六歳の誕生月祝いだと思っていたけれど、最後の最後でさらにとびきりのプレゼントを二人からもらってしまった。
いつかここに、笑顔の母さんが加わる日が来るかもしれない。
きらきらと輝く穏やかな湖面は、まるで僕たちの未来を映し出しているかのようだった。
いつもブクマ、評価、いいね、感想、誤字報告をありがとうございます。
執筆の励みになっております。




