106. 竜鱗湖と船上レストラン(後)
キリの良いところまで……と思ったら、少し長くなりました。
「「ぴーぎゃっ♪ ぴーぎゃっ♪」」
港に集まった村の子どもたちとじゃれあい、歌うように鳴き声を上げるそれは、確かに竜と言われれば鱗の感じが竜……? っぽいけれど、西洋の龍とも東洋の竜とも全く違う。
一番近しいのは、イグアナとウーパールーパーを足して二で割って鱗を生やしたような姿形、だろうか。声は可愛いくせに、怪獣みが強い。
しかも、多分かなりの大きさだ。湖竜の下半身は湖に浸かってしまっていて全体はわからないけれど、大型の馬と同じかそれ以上だろう。
(ネッシーだとか、絶滅したはずの古代の恐竜だって言われたら信じちゃいそう。やっぱりここは異世界なんだなあ……)
「どうです? 湖竜たちはなかなかの迫力でございましょう?」
「ええ。そうですね……」
湖竜に驚いている僕に、露天商はどこか誇らしげな様子だ。
「湖竜たちが船を曳いて、港を転々と回る優雅な船旅も大人気でして。皆さまもいかがですか?」
「ああ。食事ができる船をすでに予約しておる」
「おお、それはようございました! 今日はお天気にも恵まれて、春の風がたいへん爽やかですから、ぜひともお楽しみください!」
そこでちょうど調整が終わったペンダントを受け取り、僕たちはにこにこと手を振る露天商に見送られて、露店を後にする。
予約した船に乗るために港へ向かおうとしたところで、僕はずいぶんとリュカが静かなことに気がついた。
「リュカ……?」
先ほどまではバレッタを見せびらかして、うきうきと足取りも軽くご機嫌だったのに。
気がつけば、リュカは僕の裾をぎゅっと握りしめ、背中に隠れるように歩いていた。
さながら抜き足、差し足、忍足だ。俯き、まるで何かを視界に入れないように顔を背けている。
「リュカ、もしかして湖竜がこわ」
「こわくない!」
「いやいや。その反応は絶対こわが」
「こわくないったら、こわくないの!」
子猫が毛を逆立てて「フシャーッ!」と怒るかのように、リュカが食い気味に言う。その間も、頑ななまでに視線は地面を向いていた。
(湖竜は地元っ子とじゃれるくらいだから、危険はないはず。でも、見た目がいかにも厳ついから、リュカが怖がるのも無理はないか……)
僕は子泣きじじいのようにだんだんと重くなるリュカを引きずりながら、なんとか港にたどり着く。
港では、紋章官さまやテオドアさまがすでに待っていた。
どうやらほかの家人たちは、幾人かの騎士たちと一緒にひと足さきに馬車で出発したらしい。ここで湖周遊と陸路の二手に分かれて、次の町で合流するのだとか。
「「ぴっぎゃー! ぴっぎゃー!」」
桟橋から船に乗り込もうとすると、湖竜たちが大歓迎! とでも言うかのように鳴く。湖面から飛び出た尻尾までふりふりして、おもてなし精神が旺盛だ。
せっかくの機会なので僕がまじまじと湖竜を見ると、つぶらな翠色の瞳に微笑んでいるかのような平たい口は、どこか憎めない愛嬌がある。
(かっこかわいい爬虫類だと思えば、これはこれでありかも?)
そんな感想を抱いていると、ぬっと湖竜の顔が近づいてきて、二又の長い舌が僕の頬をべろんと舐めた!
「ぴっぎゃあっ!」
「クククッ!」
湖竜……ではなく、僕の背後で悲鳴が上がる。後ろを見ると、リュカもメロディアも湖竜にべろんべろんと頬を舐められていた。
リュカのかわいいお顔が、見事に引き攣っている。
「ぼ、ぼ、ぼく、ちっちゃくって、おいしくないの! たべないでー!!」
「クククー!」
「リュカ!」
「にいに〜! こわいの、やっつけて! びえ〜〜〜ん」
ぶるぶる震えて泣くリュカを呼ぶと、タックルで抱きついてくる。お腹にどーんと衝撃を感じつつも、僕はなんとかリュカを抱き止めた。
(ぐふっ……。いてて、この怖がり具合を見るに、リュカは湖竜とは相性が合わないのか、意思疎通ができないみたいだ)
「やっつけてって言ったって……。リュカ、大丈夫、怖くないよ。湖竜は『ようこそ』って歓迎してくれただけだよ」
僕がリュカの背中を撫でて落ち着かせていると、船の乗組員が慌ててやってきて、湖竜たちを宥め叱ってくれる。
「す、すまねえ! こいつらは魚食なんで、坊ちゃんを食いやしねえ。ただ、こう見えて子ども好きの人懐っこいやつらなんだ」
「「ぴぎゃー……」」
乗組員がぺこぺこと謝る。湖竜たちも怒られて反省したのか、しょんぼりと項垂れていた。
湖竜たちにしてみれば、村の子どもたちと同じように僕たちにも接していただけだろうに。
「こわいー! ぼく、おふね、のらない!」
「でも、お船でご飯を食べるんだよ?」
「ひっく、ひっく……ごはん、たべるけど、おふねはのらない!」
「えええ……」
断固として乗船を拒否するリュカに困っていると、なぜか湖竜たちが自分の体に舌を這わせるのが目に入る。
不思議に思っていると、湖竜はぺりっと鱗を自分の口で剥ぎ取った。
(い、痛くないのかな……?)
「ぴゅ〜ん、ぴゅ〜ん」
湖竜たちはか細い声で鳴き、咥えた鱗を差し出してくる。
「湖竜をはじめて見る坊ちゃんにとっては、怖かったなあ。こいつらも、このとおり反省してる。どうか許したってくれ」
「リュカ、湖竜たちがごめんね、だって」
「……ぐすん。ぼくのこと、たべない?」
「食べないから大丈夫」
恐る恐る、リュカが手を伸ばして湖竜から鱗を受け取る。リュカの手のひらよりも大きい、一等透明できらきらと輝く美しい鱗だ。
「ほわ〜〜〜、きれー……。うろこ、ありがと!」
「「ぴっぎゃあー♪」」
リュカは受け取った鱗を宝物のように抱きしめて、にぱっと笑う。ちょろ……もとい、リュカの切り替えが早く、仲直りできて良かった。
♢
「「「「「ルイ(にいに)、十六歳の誕生月おめでとう!」」」」」
「えええ! ありがとう!」
僕たちが船に乗り込むと、乗組員が汽笛代わりの角笛を「プォォォ」と鳴らして出港した。想像に反してほとんど揺れずに、穏やかな船旅だ。
広々とした板張りのデッキには、でんと長テーブルが置かれている。
天井にはなだらかな三角屋根があるので、直射日光には当たらずに済んだ。風が吹き抜けて、気持ちが良い。
テーブルにつくと大人はシードル、子どもはりんごジュースで乾杯をしてさっそく昼食……かと思いきや、予想外のサプライズ!
いきなりのことに、僕は面食らってしまった。
「僕、お祝いはてっきり王都についてからだと思ってたよ」
「王都に着いてからも、もちろん祝う。だが、招待客を呼んでのパーティー形式なれば、ゆっくりと落ち着いて祝うこともできんだろう。その前にごく親しい者たちだけで、と思ったのだ」
「おじいちゃん……。ありがとう!」
てっきりただの(?)優雅な湖クルーズかと思いきや、僕の十六歳、今世でいう成人のお祝いの席だったらしい。
(十六歳かあ……)
いざこの世界基準で「大人」の仲間入りをしたのだと言われても、まだ実感が湧かなくてふわふわする。
思えば十歳の準成人のあとすぐに、父さんが病に倒れて亡くなり、リュカが生まれて……。
本当に怒涛のように、いろいろなことがあった。つらいことも悲しいことも苦しいことも。
それでも、僕がここまで頑張ってこれたのは、幼い弟のリュカがいたからだ。きっと僕一人だったら、どこかでぽっきりと心が折れてしまっていたかもしれない。
「ん〜〜〜! にいに、このサラダ、おいしい!」
そのかわいい弟は、珍しい牛肉の生ハムがたっぷり乗ったサラダを、目を輝かせてむしゃむしゃと食べている。
オリーブの実・ルッコラ・パルミジャーノのようなチーズもたっぷりかかったサラダは、確かに美味しかった。初っ端から、お酒に合いそうな味だ。
(あのちっちゃかった赤ちゃんが、こんなに大きくなって……)
子どもらしい丸みと赤みを帯びたほっぺにサラダをいっぱい詰め込んで、幸せそうに食べているリュカ。
何も憂うことなく健康で、元気いっぱいなリュカを毎年見ることができる。それが僕にとっては、一番の誕生月プレゼントだった。
僕がしみじみしていると、給仕が前菜を運んでくる。
「前菜は、郷土料理の果物と野菜のミルフィーユパイです」
見た目からは全く味が想像がつかない料理だけど、きっとあまじょっぱ系だろう。
そうアテをつけて一口食べてみると、口の中で大いに味蕾が刺激される味がした。
パイのサクッとした食感に、ほっこり滑らかなマッシュポテト。チーズの塩気と脂の滴るベーコンを洗い流すかのように、シャキシャキの玉ねぎ・りんご・梨の素朴な甘さが後をひく。
「うわー、このパイ美味しい!」
「パイのおかわり、くーださい!」
「ほっほっほっ。リュカ坊はいつ見ても、気持ちの良い食べっぷりじゃのう」
コース料理なので、一皿一皿は控えめな量だ。
このパイも小さな一切れしか盛られていなかったせいか、瞬殺で食べ終わったリュカがおかわりを催促する。
そんなリュカの旺盛な食欲を、テオドアさまは好好爺のごとく目を細めて笑って見ていた。
(最っ高に贅沢な気分だなあ……)
家族や親しい人たちに囲まれて、湖を走る船の上で風を感じながら美味しい食事をいただく。味も良いけれど、また景色が素晴らしいのだ。
アヒルや鴨の親子がのんびりと泳ぐ湖面に、飛沫をあげて行き交う船。遠くでは、四人乗りのボートが三艘、追いつき追い越せの白熱した戦いを繰り広げている。
湖の真ん中にある浮島では、何頭もの湖竜たちがのんびりと日向ぼっこ中だ。
右を向いても左を向いても必ず見どころがあって、目にも楽しい。
「ヴァレーのワインも美味しいですが、この料理にはシードルが良く合いますね」
「地元の料理には、地元の酒が一番合うもの。紋章官殿はよくわかってらっしゃる」
「ええ、ええ。雑味のない爽やかな飲み口に、繊細な泡。一口飲めば、りんごの華やかな香りが立って、とても美味しいわ」
飲兵衛の大人たちは、相変わらずお酒談義に花が咲いている。
十六歳になった僕も一応お酒を飲めるはずだけど、前世の『お酒は二十歳から』が染み付いているせいか、よっぽどの機会でなければ当分は自粛だ。
(それに、今世ではじめてお酒を飲むなら、ヴァレーのワインが良いし)
次の三品目は、ホワイトアスパラのポタージュ。
上品でまろやかな素材の甘味と、ほんのり残るほろ苦さ。まるで春を食べるかのようなスープに舌鼓を打ったあとは、魚料理だ。
「こちらのムニエルは、この湖で獲れた白身魚を使っております」
「わあ。おさかな、おいしそう!」
この旅で魚の美味しさに目覚めてしまったリュカが、よだれを垂らしている。
最初に立ち寄った鱒が特産のシュモン村とヴァレーとで、前向きに商取引をする方向で検討するとは聞いているけれど、それでも魚がなかなか手に入りづらいヴァレーに戻るのが今から怖い。
(その時はその時だ。それにしても、綺麗な水で育った魚って臭みが全くなくて美味しいなあ……!)
丁寧に骨抜きされた新鮮な白身魚は、身がほろほろと崩れる。
リモンをきゅっと絞ると、さっぱり爽やかで食べる手が止まらなかった。元日本人としては、泣けるほど美味しい。
そして、いよいよ最後のメインは、もちろん肉料理。ヴァレーでは鶏・鹿・猪・羊なんかの肉がよく食べられているけれど、どうやらここでは……。
「乳飲み仔牛のクリームパイです。こちらも郷土料理で、地元で大人気の一品なのですよ。お好きな量を取り分けますので、お申し付けください。あっ、残ったクリームソースは最後にパスタを絡めてお出ししますので、どうぞお腹には余裕を空けておいてくださいね」
「? にいに、ちのみごーしって、なあに?」
「ククク〜?」
給仕の説明に首を傾げた純真なリュカとメロディアの瞳が、胸に刺さって痛い。
でも、野菜であれ魚であれ、僕たちは命をいただいて食べている。そこに差はないはずだ。
「……牛の赤ちゃんのお肉だよ。いただきますして、残さずに食べようね」
「うしさんのあかちゃん……」
リュカは皿に取り分けられた、まだほかほかと湯気のたつクリームパイを神妙な面持ちでじっと見つめて……ぱちんと両手を合わせた。
「いっただきまーすっ! あーむ……むぐむぐ……おいしい!」
きらーんとリュカの青い瞳が光ったかと思えば、吸い込まれるかのような速さでお肉がみるみる口の中に消えていく。どうやら、相当気に入ったようだ。
「いただきます」
僕にとっても、何気にはじめての乳飲み仔牛だ。
サイコロ状のお肉をぷすっとフォークに刺しただけなのに、とても柔らかいことがわかる。やすやすと歯で噛みちぎれて、じゅわりと肉汁が溢れてきた。
(お肉あっま! 濃いめのクリームソースと良く合う!)
マッシュルームもごろごろと入っていて、おそらく風味づけに使われているシードルの香りがほんのりと鼻を抜ける。
ボリューミーなので、数人で一つを取り分け式なのがありがたかった。おかげで、それぞれが食べたい量を無理せず食べることができる。
余るようなら、一番若者の僕が責任持って食べようと思っていたけれど、そんな覚悟は全くもっていらなかった。
「おかわり!」
リュカが、大皿に残った最後の肉片を綺麗にぺろっと完食。
さらには、クリームソースを絡めたきしめん風のパスタまで平らげて、ぽっこりぱつんぱつんのお腹を満足気に撫でている。
「いっぱい、たべた〜」
「あらあら。よく食べたわね。気持ち悪くない? 大丈夫かしら?」
「ばあば、だいじょうぶ! あ! でざーと!」
(ええええええ!)
めざとく給仕がデザートを運んできたことに気づいたリュカが、喜色をあらわにする。
あれだけ食べてもまだデザートを食べる余裕があることに、僕は思わず白目を向いてしまった。
(僕ですら、もう腹九分目でかなり苦しいのに……)
それでも、口直しに酸味の強いヨーグルトにお好みでりんごジャムをのせ、あっさり軽いデザートで〆る。
もう何も入らない。大満足の豪華な船上ランチだった。
■ コース料理の参考にしたもの
サラダ:ブレザオラ=牛肉の生ハムがたっぷりのったサラダ。
前菜 :コレラという恐ろしい伝染病の名前がついた料理。スイス・ヴァレー州の伝統的な料理です。
スープ:ホワイトアスパラはスイスでは春の到来を告げる、王様のような食材とのこと。
魚料理:フィレ・ド・ペルシュ。レマン湖などで獲れる淡水魚「ペルシュ」(スズキなどを使うこともあるらしい)のムニエルやフライのこと。
肉料理:スイスの古都ルツェルンの郷土料理「ルツェルナー・クーゲリ・パシュテーテ」を少しアレンジ。子牛のクリーム煮パイ包み焼き。




