005 記憶喪失の少女
「記憶喪失?!」
「そうにゃ、一切合切すべてのことが思い出せないあの記憶喪失なんだにゃ。ちなみに今さっき記憶喪失になったにゃん」
突然そんなことを言われてクロイツとマニャレは困惑している様子だ。
だが仕方ない、私が異世界転生者ということは秘密だからね。
説明できないし、実際この世界のことを何にも知らないから記憶喪失にしておけば都合がいいだろう。
「それでおねさんのなまえはなんというー?」
マニャレはちょっと理解していないっぽい。
「分からないにゃー。でも名前がないと不便だから私のことはルクスと呼ぶといいにゃー」
「るくす?」
「そそ、それだけは最初から決めてたにゃ!」
何故記憶喪失なのに名前が分かるのか、細かいことはいいんだよ。
転生前から猫耳美少女になった暁には、私はルクスと名乗ることにしていたのだ。良い名前でしょ。
「じゃあ僕もルクスと呼ばせてもらうことにするよ。それでルクス、どこか痛むところとかはないのかい?」
「ないにゃ。記憶喪失の影響でたまに頭が痛むことがあるかもしれないけど、今はもう痛くないにゃ」
すくっと立ち上がり痛くないアピールでバンザイしてみる。記憶はないが健康体である、何か都合が悪くなった時に頭が痛む設定だからね。
「そっか、なら一先ず安心かな」
クロイツは疑うこともせず私の記憶喪失を受け入れた。
私としてはありがたいけど、それでいいのだろうか?自分の設定ながら無理があるし、怪しさもあると思うのだが。
「でも念のため、一旦町に戻って病院で診てもらおうか?」
「戻る?これから町に売りに行くんじゃないのかにゃ?」
「んーん、まちのかえりよー。あいたちはさとにかえるとこー」
ほう、なるほど。じゃあこの大荷物は町で大量購入してきたのか。
改めて荷馬車を見つめる。荷物があふれんばかりに積まれているが異世界丸出しといった物は無さそうだ。見たことない果実も見受けられるが、色見からして柑橘系の類いだろう。馬車のサイズは軽トラよりも気持ち大きいだろうか。ロバかポニーに似た動物が馬車を引くようだ、地面の草を食んでいる。
「じゃあ町までの行き方だけ教えてほしいにゃ。生ものとか傷んだら悪いし歩いていくにゃ」
「ういー。さかなくさったらこまるー。でもおねさんしんぱいー」
「マニャレは良い子にゃ。でも大丈夫にゃ。たぶん何とかなるにゃ」
「くろいつー」
「ああ、分かった。僕がルクスに付いて行くよ」
そう言うとクロイツが馬車から肩掛けカバンを取り出した。たぶん個人の荷物なんだろう。
「いいのかにゃ?出会ったばかりだしそこまでしてもらわなくても大丈夫ですにゃよ?」
「問題ないよ、町へは歩きだとけっこうかかるから心配だよ。それに僕は困ってるポルェ族を放ってはおけないよ」
「紳士か」
ポ何とか族とかいうのは知らないけど人に親切にすることは良いことだよ。これはお言葉に甘えて道案内を頼もう。
「じゃ、あいたちかえるよー」
「うん。マニャレたちも気を付けて帰ってね」
そうしてマニャレが操る馬車が見えなくなるまで見送ると、それとは反対方向に歩き出した。
馬車の作った轍沿いに緩やかな下り坂をまったり歩いていく。見晴らしも良いし遠くに街道が見える、あそこまで下って街道を進めば町に着くのだろうか。クロイツも特に警戒する様子もない、荷物も肩掛けのカバン一つだけで武器のようなものは手にしていない。ということはここら辺は安全地帯ということになるのだろう。
「なぁークロイツー。マニャレたちはどこに帰っていくのにゃ?」
「ポルェ族の里だよ」
「ポルエ?」
「ポルェだよ。ルェって発音するんだ」
舌を口の中で弾くようにして「ルェ」とクロイツは説明する。いや、さっきからポルエって言ってるけどなあ。英語の発音の練習っぽい、聞いてる分にはポルエだけど文字に起こすとポルェってことにするか。
話の雰囲気からしてマニャレたちはポルェ族なんだろう。
「クロイツも私を町まで送ったらポルェの里に帰るのかにゃ?」
「いや違うよ、僕の家は町の西区にあるから。ポルェの里は名前の通り、ポルェ族だけが暮らしている集落なんだ。それにポルェ族の里は人族禁制だからね、僕は入ることができないんだよ」
「ふーん。それはアレですかにゃ。種族間で良好な関係がイマイチ築けていないということかにゃ」
種族による差別。猫耳美少女になって、そこが多少気掛かりなのである。
「そんなことないよ。人族と獣人族、中でもポルェ族とはとても仲が良いんだ。町にだって沢山のポルェ族が出稼ぎに来てるから、人族とポルェ族は仲良く暮らしているよ」
そっか、ひとまず安心かな。でも私は耳としっぽだけだし、そこまで気にすることもないかもしれない。まあ、個人の感想とか聞いてみるか。
「人から、いやクロイツから見て獣人ってどうにゃ?」
「はあ~。どうもこうも、あの月のようにまん丸な神秘的な瞳!きめ細かい毛並み!愛くるしい容姿!抱きしめた時の温もり!ああっ、ほんとポルェ族は素晴らしいよ!」
ビクッぶるるっ
急に会話のギアが上がった青年に寒気を覚える。え、何事?
「急にどうしたんにゃ」
「町での仕事ぶりもとっても真面目で一生懸命で尊敬に値するよ。ポルェ族は純粋で素直で嘘もつかなくておまけに誰にでも優しいからみんなから愛されて当然だしね。僕はね、学校でポルェ族の生態を研究してるんだ。マニャレは町で働くポルェ族のために里から行商に来ているからいつか馬車に乗せてもらって里に訪問したいと考えているんだ」
口調は優しいままだがどこか陶酔した感じで語るこの草食系、ニチャアっとした笑顔がとても素敵だ。
「あ、あれ。さっき里は人族禁制って言ってたにゃ」
「僕ほどポルェ族を好きな人は他にいないよ。僕の気持ちは絶対伝わる、だから特別に許可してくれるに決まってるよ」
「ふ、ふーん。そっかー。いつか夢が叶うといいにゃーーーぁ」
道の小石を避けるようにさりげなくすすっと距離をあける。
何か変なスイッチが入ったようだ。
「本当ならあのままマニャレたちと里まで行くつもりだったんだけど、ルクスのことを町まで送らなければいけなくなったからね」
「ひぃっ」
怒ってるでもなく嫌味でもない。気持ち悪い笑みを向けてくるクロイツ。コイツ紳士じゃなくて変態紳士かもしれない。
「僕が困っているポルェ族の少女を見逃すわけがないじゃないか、意味がわからないよ。こうしてルクスと一緒にいれて今日はラッキーだな、へへ」
きもっ笑顔怖っ。
私のしっぽがコイツは危険だとべしべしとうなっている。
「何だか私もポルェ族認定されてるけどマニャレと比べてケモ度が違い過ぎると思うんですけどにゃ。私はあんなにケモケモしてないけどにゃあ」
私の耳としっぽはネコ科のモノだ。マニャレもネコ風だったけどケモ度が違い過ぎてる。明らかに別種だと思うが。
「・・・記憶喪失というのは自分の種族さえ分からなくなるのか、興味深いなあ。正確にはポルェ・ミミ族だね。ルクスのように耳と尻尾だけの人に近い姿の獣人にはミミってつけるんだ。獣人の血の濃さで見た目に違いが表れるというのが一般的な説だよ」
「血の濃度。ふーんそうなのかにゃー」
まあ、私の場合は転生の産物だけど、ちょっと間違えてたらマニャレみたいな濃い獣人になっていた可能性もあり得たということか。
とにかくこの世界ではどうも猫の獣人のことをポルェ族と呼んでいるらしい。
だから私の種族はポルェ族、正式にはポルェ・ミミ族か。うん理解した。
種族も判明して一安心。自分の耳を撫でてみる、うーんふわふわだ。
「ミミは個体数が少なくて希少だから、そのことが記憶を探る手がかりになると思うよ。ねえルクス、覚えていることは何かないのかい?暮らしていた場所とか、手がかりが欲しいな」
クロイツは何かやる気が満々だ。よほどポルェ族が好きなんだろう。ちょうどいい機会なのでここいらで情報収集しておこう。
「ないにゃ。自分のことから常識的なことまで分からないのにゃ。だから私のことは別の世界からきた異邦人だとでも思って接してくれてかまわないにゃ。私もそのつもりでいろいろ聞いていくにゃ」
「別世界の異邦人ねぇ・・・分かったよ。分かることなら何でも答えるよ」
よし、いい流れだ。これで気兼ねなくこの世界について聞くことができる。
そこから私は思いつく限り様々なことを聞いた。
日数や季節に時間の概念、世界の名前や信仰のあれこれ。物価の相場やお金について、等々。
世界の名前や神様の名前なんかは聞いたそばから抜けていったが大体の基礎知識を得た。
聞いたのはいいが情報量が多すぎてメモでも取らないと忘れてしまうよ。今後そういうことでヘマをしたら記憶喪失で~、と切り抜けてその時また聞けばいいか。
一方で読み書きが出来ない事もわかった。この世界の文字を見せてもらったがまったく理解できなかった。ポルェ族が読み書きできないのは普通らしいが今後のためにも早く覚える必要があるだろう。
「なるほどね。今のやりとりでルクスが記憶を失う前のことが想像できたよ」
「ん?そうかにゃ」
メガネをクイッとしてクロイツは語る。
「ルクスはポルェ族にしては人族の言葉がうますぎるんだ。行商に来るマニャレや町に暮らすポルェ族でも話せて片言なのに人と変わらない会話ができるなんてすごいよ。それに聞きたいことが的確だ。知らないだけで素養は備わってるみたいだし、何より可愛い!」
うん、最後のいらないね。
まあ、この世界の言語は種族によってそれぞれあるらしいのだが、共通語は人語らしい。
人族が他種族に比べて圧倒的に総数が多いのが理由だそうだ。
で、人語はほぼ日本語だった。諺は通じないが何故かユーとかハローとか多少の英語も通じた。これは良い世界に転生させてもらいました。ご都合主義でほんと助かる。
一番の懸念だった言葉の壁は難なく崩れ去った。
「そうだっ。こんなに会話できるんだから何か気の利いた獣人語でも教えてもらおうかな。里に行った時にウケるようなやつがいいなあ」
「獣人語?・・・ああ、おぱおぱ言ってたやつかにゃ。私はにほ・・じゃなかった、人語しか話せないにゃ」
「え、どうして?」
「記憶喪失だからかにゃ?逆に私の方が聞きたいくらいにゃ」
人語と獣人語か。確かに二つの言語を操れたら通訳みたいなこともできただろうけど、生憎とそんなことはできないのさ。でも他のポルェ族は獣人語メインで話すのだろうか。マニャレも最初は獣人語で話しかけてきたし、ポルェ語じゃなくて獣人語というのだから他の種族、犬族とか狐族とかと会話する時には必須になるかもしれない。って考えだしたらきりがないか。
「そっか、残念だね。でも仕方ないか、うん。えっとそれで話の続きだけど、記憶喪失なのに人語は話せて獣人語は話せない。ということは記憶を失う前から獣人語は話せない、身についてなかったということになる」
「ほう、するどい」
「つまり最初から獣人語のある環境とは無縁だった。ルクスは里の子じゃないし、人族の町で暮らしていたのかも。でも謎は残るなぁ、どこの町にだって獣人は人と共に生活しているからね。ポルェ族がいない町もあるだろうけど他の獣人はいるだろうし・・・」
むむーんと首を傾げるクロイツ、私も一応一緒に傾げておく。
そうして緩やかだった下り坂が終わり、割としっかりした道と合流した。
「ほらルクス、街道に出たよ。町まではもうすぐだよ」
ふわりと風が通り過ぎていく。少し生っぽいニオイがする変な風だった、しかしどこかで嗅いだことのあるにおいだった。
「なんか臭いにゃ」
「ははっ磯の香りだよ。獣人族は人より嗅覚が優れているから多少キツイかもね。でもすぐ慣れるよ」
潮風、海。そっか海が近いのか。言われてみればこれは海水浴に行った時のにおいだ。
「お、臭いってことは記憶を失う前は・・・」
「海から遠く離れた町で暮らしていた可能性があるにゃ。いやでも海自体は知ってるにゃ。それに住んでいても海のにおいが嫌いだったかもしれないし、匂いに関する記憶も消えてるかもしれないにゃ」
「う・・・」
「記憶は自然に思い出すまで放置にゃ。その話題はもういいからにゃ、町の話とかが聞きたいにゃ。どんな生活してるんにゃ?」
「そうだなあ。うーん、そんな面白い話はないけどね・・・」
街道はどこまでも続いていて町はまだ見えない。その道は歩きやすいように固められているものの、石畳やアスファルトで舗装されているわけではない。轍と呼ぶには若干浅い窪みのような凹凸ができていて馬車が日頃からこの道を活用しているのが窺える。
「歩きだとちょっと遠かったかな。でも本当にもう少しだから、それとも休憩しておくかい?」
私を心配するようにクロイツは適当な太さの木を指差す。
確かにだいぶ歩いた。体感でかれこれ30分ほどは経った気がする。歩きっぱなしで流石に疲れた、こんなか弱い猫耳美少女推定10歳になんて過酷なことをさせるんだ。訴えたら勝てるぞ。
しかし。むむむ、とクロイツを改めて見る。とてもお茶やお菓子が出てくるような持ち物は持ってそうにない。
「うんにゃ、早く町に行くんだにゃー。おや?」
道の向こうから誰か歩いてくる。男2女1の人族、とりあえず目を引くのが先頭を歩く男性が腰にぶら下げている剣だった。
鎧やフルプレートといった装備ではなく、鞣した皮の胸当てを付けているあたり如何にも掛けだしの冒険者といった風貌だ。軽装の3人組はこちらを気に留めるわけでもなく談笑しながら通り過ぎて行った。
「あーいいにゃー、いかにも異世界って感じだにゃー。ところでクロイツ。何で私の陰に隠れてるにゃ?」
「・・・ふぅ、いや何でもないよ。さて、行こうか」
「?」
それからも行商人や冒険者など幾人かとすれ違った。だいぶ町に近づいている証拠だろう。が、その度にクロイツは挙動不審になり隠れたりそっぽを向いたりと怪しい行動を取るようになっていった。
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「怪しい。クロイツは怪しい奴なんだにゃ」
「えっ、急にどうしたんだい?」
きょとんとした表情で私を見つめるクロイツ。いやいやいや、なにその顔は。別にとぼけている様子でもなくコミュ障とも態度が違う、本当に分かってない顔しやがって。
「さては町で人に知られたらマズイことをやってるに違いないにゃ。さっきから顔バレしないように必死すぎるにゃ」
「ええっ!そんな、誤解、誤解だからっ」
慌てて否定するクロイツだが隣でそんなことやられてたら誰だって疑う。
現に今だって町に入ろうとしないで門番の男から距離を取って私と揉めている。
町には着いた。白っぽい外壁で覆われた町はとても大きく、港が隣接し海も目の前にあった。
初めての町に感動とかしたかったのだがクロイツの奇行でそんな気分ではない。
「だからね、この南門からは僕は入れないんだって」
「んじゃあさっきから言ってる西門から入るにゃ」
「西門からだとルクスが入れないんだって」
「なんでにゃっ」
さっきから同じことの繰り返しである。あとは門番のチェックをパスして中に入るだけなのにクロイツは門を潜りたがらないし、はっきりとその理由を口にしない。ちなみに通行料はかからないらしい。よほど怪しくない限りほぼ素通りできるとのことだ。
「まあ、いいにゃ。私がここから、クロイツは西門から入って中で合流すればいいにゃ」
「そ、それも無理なんだ」
「それ?」
「中で合流できないんだ」
こいつもう訳分からん。さすがにうんざりだよ私は。町に着いたのに変なおあずけをくらっておこである!
「町まで送ってくれてありがとにゃ、ここまで来ればもう十分にゃ。後は自分で何とかするからここでお別れにゃ」
「え、ちょっと。ルクス!」
返事を待たず、私はクロイツを置いてすたすたと南門へ向かう。
「だめだよ、戻って来て。ねえルクス!」
そのまま振り返ることなく私は南門へ消えていった。
「・・・・・・・・9、10っと」
からの数えて十秒。私はこっそりと南門から顔を半分覗かせてクロイツの様子を伺う。
ここは強行に出た私を仕方なく追ってくる場面だろう。ポルェ族ラブなクロイツなら、なおのこと放っておけないはずだ。
「・・・はずだ」
見るとクロイツは背を向けて西門の方へ歩き出しているところだった。
「あいつ~」
何だか裏切られた気分だった。なんか悔しい腹立つ。
クロイツが何を考えているのかは分からなかったが、まあいい切り替えていこう。あいつは町まで案内するモブキャラだったのだ。
「よっし!、門番さんいつもご苦労様にゃあ~」
私が愛想良さげに門番に挨拶すると「おう」と返事が返ってきてそのまま町の中に入ることができた。
怪しいクロイツが一緒だったらこうはいかなかったかもしれない。




