(4) マスメディアの本質
もちろん人類全体が衝突の瞬間を待ちわびた訳ではない。
この世が地獄に変化する瞬間である。
できれば誰もが絶対に来て欲しくない
と思う瞬間であろう。
しかし、皮肉な事に
結果的に世界中がこの運命の瞬間を
固唾を呑んで見守る形となった。
なぜなら全世界のマスメディアが
巨大隕鉄の落下を
それまでの慣習の通りの
従来の報道の延長として
その上空前の規模と熱意で
そのまま伝えたからである。
衝突の5ヶ月以上前から
ほぼ全ての報道機関や公報機関が
この事件に集中し始めた。
何よりも、時間や場所に関して
予め正確な予言が行われている事が
マスメディアにとって
この上もなく好都合だったのである。
当然取材準備の入念さは究極に達していた。
報道関係者や広報官の誰もが
今回の事件が
人類史上最大の取材の対象である事を
信じて疑わなかったし
全身全霊を捧げるべき内容である事に
何の疑いも持たなかったのである。
確かにその筈だった。
この衝突による被害は
予測の範囲を越えていた。
場合によっては
人類が全滅する可能性さえもが
指摘されていたのである。
その様な人類共通の危機が
目の前に迫っている以上
それを報道するマスメディアが
その報道に集中する事は当たり前である。
しかし彼らの多くに
もう少し聡明さがあれば
報道にとっては
「衝突などどうでも良い事」で
ある事にもっと早く気付いた筈である。
マスメディアが
マスメディアの為に存在しているのではなく
人類の為に存在していると言う事を
正確に認識していたら
事態は違った筈だった。
ある意味衝突は単なるショーであり
被害の大きさもその発生速度も
ほとんどすべての事が予測されていたのである。
要するに最大の問題は衝突の後
マスメディアが如何に正常な状態で生き残り
人類に有益な活動を続ける事ができるかが
何よりも優先されるべき事項だったのである。




