(10) 幼児と不思議
工藤靖男は
これまでさまざまな不思議な光景を見てきた。
しかし、それは刑事と言う仕事の性質上当然だとも思ってきた。
事故や犯罪が起きた後の現場に
様々な不思議が存在した。
これまでの経験で
発生した時の状態が明確に分かる事は
むしろ少なかったのである。
だから、必ず大なり小なりの不思議が残るのが
事件の現場だと考えてきたし
事件が起き、現場に向かう時は
その不思議に惑う事への覚悟を失う事はなかった。
その工藤靖男が思わず絶句したのが今回の現場だった。
それは、鉄筋コンクリートで出来た
公園のトイレの屋根だった。
トイレの屋根は
陸屋根と呼ばれる平面の屋根である。
4トントラックが
その上にきちんと乗せられていたのである。
それは「乗っている」と言う表現ではなく
飽くまで「乗せられている」
と言う表現が当て嵌まる情景であった。
まるで幼児がおもちゃを乗せたかの様な
珍妙な光景だった。
公園のトイレは大きなものではなかった。
その屋根に
トラックの4本の車輪がぎりぎりに乗っていた。
まるで狭い駐車スペースに
プロの運転手が停めた様に正確な乗り方だった。
事情聴取に応じた
大友と言う28歳になる女性の保育士の供述も
納得がいかないものだった。
何せ「トラックが突然飛び上がって」更に
「空を飛んで、屋根の上に乗った」と言うのである。
しかし、少なくとも
この屋根の上のトラックが原因で
複数の幼稚園児を巻き込む
大惨事の可能性があった事を
この保育士は強く主張していた。
誰かの悪質な悪戯なのか
道路には油が撒かれており
その油溜りの中に
車輪がスリップしている跡がはっきりとある。
保育士が言うには
トラックがスピードを出してくるくる回りながら
まっすぐ幼稚園児の列に突っ込んできたと言う事だった。
それなのに園児達は全員無事だった。
つまり、大きな不幸が回避されたらしいのである。
保育士よりも更に手に負えなかったのは
当の運転手だった。
名は田所博で年齢は38歳だと言う。
しかし彼を犯罪者扱いする事はできなかった。
誰も傷つけていないし
何も壊していなかったからである。
車は公衆トイレの上にきちんと駐車されてある。
これを降ろすのは大変な作業になるだろうが
この事実そのものは犯罪と呼び難いものだった。
一方で本人はかなり興奮した状態にあった。
スピンしながら突っ込んでいく先に
幼稚園児の列がはっきり見えたらしい。
恐らくこれで人生お終いだと思ったに違いない。
それが急に身体がふわっと浮く様に感じ
青い空が見えて
そしてすとんと公園のトイレの上に着地した
と言うのである。
本人は盛んに
路上のエンジンオイルの存在を非難していた。
工藤靖男は弱り果てた。
報告書の書き様がないと思ったのである。
事件としては大した内容ではない。
偶然トラックの車体が
跳ね上がったと書くしかないだろう。
と思った時に
「済みません。よろしいでしょうか。」
と言う声がする。
振り返ると
いきなりテレビカメラが工藤を捉えていた。
辺りを見ると
一斉にマスコミが駆けつけている。
やれやれと思う間もなく
ヘリコプターの音までが聴こえ始めた。
これから始まる喧騒と
そしてこの事故に対する
見解を繰り返し訊かれる事を思い
工藤靖男はぞっとした。
一方大友香織はまだぼんやりとしていた。
口から先に生まれた雰囲気の女性レポーターが
自分の方に早足で近づいて来る。
それを眺めながら
彼女は自分の記憶をもう一度辿っていた。




