神意か、機械音か
輸送隊の護衛契約が正式に完了したのは、その日の夕方だった。
依頼人の商人から報酬を受け取り、受領書へ署名したカイは、宿へ戻ったら翌日の行き先を決めるつもりでいた。宗教都市に長居する理由はもうない。シアは無料食堂を気に入っていたし、ヴァレナは慈善施設の帳簿をもう少し整理したそうだったが、傭兵は仕事がなければ金が減るだけだった。
「次、どこ?」
シアが報酬袋を見る。
「まだ決めてない」
「飯あるところ」
「どこでもある」
ヴァレナが横から言う。
「仕事の多い都市へ戻るのが合理的です。ここで依頼を探してもいいですが」
「明日の朝、掲示板見てから決めるか」
カイが答えた時だった。
街全体に鐘の音が響いた。
1度。
少し間を置いて、もう1度。
それから低く長い音が続く。
カイは足を止めた。
これまで聞いた朝夕の鐘とは違う。周囲の住民も同じように立ち止まり、何人かは顔色を変えて山の方を見た。
「何の鐘だ」
近くにいた店主が首を振る。
「聖地の警鐘だ。いや、でも何年も鳴ってないはずだぞ」
通りの人々が次々に山を見る。
夕暮れの中、大聖堂の背後にそびえる巨大な古代構造物の表面へ、淡い光が走っていた。
最初は細い線だった。
やがて壁面全体へ枝分かれし、幾何学的な文様となって広がっていく。
誰かが跪いた。
「神意だ」
別の場所からも祈りの声が上がる。
「聖域が目覚めた」
「奇跡だ」
カイは何も言わず光を見る。
奇跡と呼ぶには、見覚えがありすぎた。カイは最初にシアと出会った遺跡と、ヴァレナが現界した軍事遺跡を思い出した。完全に同じではない。しかし、長く停止していた巨大設備へ魔力が流れ込み、順番に機構が起動していく時の光り方に似ている。
隣でシアが急に表情を変えた。
「カイ」
「分かってる」
「似てる」
「どれに?」
「前のやつ」
ヴァレナも山へ集中している。
赤金色の瞳が細くなる。
「軍事遺跡とは周期が違います」
「でも同じ種類に見える?」
「少なくとも単純な照明ではありません。魔力が外から流れ込んでいるのではなく、内部の経路が順番に復旧しているように見えます」
シアが地面へ手を付いた。
人々が祈り始める通りの中で、彼女だけは石畳の振動を確かめている。
「下、動いてる」
カイの嫌な予感が形になる。
「どんな感じだ」
「大きい。ゆっくり」
ヴァレナが低い声で言う。
「位相接続前の調整に近い」
その言葉を聞いた声があった。
「位相接続?」
カイが振り返る。
数歩後ろにセヴェルが立っていた。
灰色の祭服の上へ外套を羽織り、護衛2人と一緒に山を見ている。偶然通りかかったのか、警鐘を聞いて出てきたのかは分からない。
「聞き耳立ててたのか」
「聞こえました」
「都合よく?」
セヴェルは少し笑う。
「運がいいもので」
「お前が言うと信用しづらいな」
「日頃の行いでしょうか」
「逆だ」
冗談を交わしている間にも、聖地の光は強くなる。
街の各所から聖職者と警備兵が走り始めた。一般人を山側の道から下がらせ、礼拝区域への立ち入りを止めている。
同時に、広場の端では古代技術を扱うらしい職員たちが計測器を運び出していた。
年配の聖職者が「神意の顕現だ」と声を震わせるすぐ横で、技術者が「第4内部環の出力が上がっている。電源系統を切れ」と叫んでいる。
同じ光を見ても、片方は神を見て、片方は機械を見ている。
カイはその光景に妙な納得を覚えた。
セヴェルが尋ねる。
「先ほど、前のものと似ていると言いましたね」
「聞かなかったことにしてくれ」
「残念ながら職業柄、難しいです」
「監察司祭は人の独り言まで監査するのか」
「都市最大級の聖地が突然動き出した状況では、関連しそうな話を忘れる方が職務怠慢でしょう」
正論だった。
カイは舌打ちしたくなった。
セヴェルは追及する口調ではなく、シアとヴァレナへも視線を向ける。
「似た現象を見たことが?」
カイは少し迷う。
ここで全部隠しても、ヴァレナの「位相接続」という言葉を聞かれている。
「似た古代施設を2つ見た」
セヴェルの目がわずかに変わる。
「2つ?」
「片方は召喚設備だった。もう片方も似た機構を持ってた」
「起動していた?」
「した」
「自然に?」
カイは相手を見る。
「質問が細かくなってるぞ」
「重要そうですから」
「詳しいことは話せない」
「国家機密?」
「俺の方が聞きたいことだらけなんだ」
セヴェルは数秒黙り、それ以上は押さなかった。
「分かりました。では別のお願いをします」
「嫌な予感しかしない」
「聖地の外周まで同行していただけませんか」
「断る」
「まだ理由を説明していません」
「説明されたら断りにくくなる」
セヴェルが少し笑う。
「よく分かってきましたね」
カイは顔をしかめた。
「やっぱりわざとか」
「同種の古代施設を直接見た経験者がここにいます。こちらの技術者には、今起きている現象を経験した者がいない。内部へ入れとは言いません。外から見て、似ている点と違う点を教えてほしい」
ヴァレナが先に尋ねる。
「内部へ入る可能性は?」
「現時点ではありません。まず管理側が安全確認をします」
「戦闘要員としての依頼?」
「いいえ。経験者としての意見を求めています」
カイは山を見る。
行きたくない。
しかし、あの光が本当に過去の遺跡と同じ種類なら、無視して翌朝街を出ても気になるに決まっている。
セヴェルはその表情を見ていた。
「断ったら?」
カイが聞く。
「今夜は諦めます」
「今夜は?」
「明日の朝、もう1度お願いします」
「しつこいな」
「強制できませんから」
「強制できないから回数で押すのか」
「お願いする自由はあります」
カイはため息をつく。
この男は、命令しない代わりに相手が自分で歩く理由を作る。
それが余計に面倒だった。
「外周までだ」
「ありがとうございます」
「内部へ入れって言い出したら帰るぞ」
「その時は改めてお願いします」
「同じじゃないか」
シアが2人の会話を聞いて言う。
「行く?」
「行く」
「飯は?」
「後」
「神様、遅い」
「神様のせいにするな」
聖地へ向かう準備が始まると、別方向から聖騎士候補生たちの集団が駆けてきた。
その中にミナがいた。
普段の奉仕用の外套ではなく、軽装の防具を身につけている。
シアが手を上げる。
「またいる」
ミナも気づいた。
「仕事だからね」
「ついて来た?」
「違うから」
ミナは集団の指揮役へ報告した後、カイたちの近くへ来た。
「聖地周辺の非常警戒に候補生まで招集されました。皆さんは?」
カイがセヴェルを指す。
「この面倒な司祭に連れていかれる」
セヴェルが訂正する。
「お願いして同行いただきます」
ミナは苦笑した。
「何となく違いが分かる気がします」
「分かるな」
山へ続く大通りでは、警備兵が一般人を下がらせていた。道の両側には祈る信徒が集まり、光を見上げて涙を流す者までいる。
その間を、計測器を持った技術者、武装した聖騎士、監察関係者が急いで進む。
シアは祈る人々を見てから、山を見た。
「みんな神様だと思ってる」
「この国では長く聖地として扱われてきたからな」
セヴェルが答える。
ヴァレナが聞く。
「あなたは?」
「私ですか?」
「神意だと思います?」
セヴェルはすぐには答えなかった。
「信仰の対象であることと、仕組みを調べることは両立すると考えています」
カイが横から言う。
「便利な答えだな」
「監察司祭ですから」
「関係あるか?」
山へ近づくにつれて、光の文様がはっきり見えてきた。
カイは足を止める。
巨大な壁面を走る線の一部が、軍事遺跡の中央区画で見た古代文字と似ていた。
ヴァレナも気づく。
「同系統の文字です」
セヴェルがその言葉を聞く。
「読めますか?」
「完全には。ただ、機能表示に使われていた文字と構造が近い」
シアが再び地面へ手を置いた。
「音する」
「俺には聞こえない」
「下から。ゴン、ゴンって」
ヴァレナが耳を澄ませる。
「魔力駆動の同期音かもしれません」
カイは山腹の聖地を見る。
周囲では信徒たちが祈り続けている。
カイ自身、信仰を笑う気はなかった。あの光を神の奇跡だと思うことで救われる人間もいるのだろう。
それでも、2度経験した遺跡の記憶が、その解釈に水を差してくる。
「……神様ならいいんだけどな」
ヴァレナが見る。
「信じているの?」
「逆だ」
シアが聞く。
「じゃあ何?」
カイは光から目を離さない。
低い振動が、今度は自分の足裏にもかすかに伝わった。
石でも祈りでもない。
巨大な何かが内部で順番に噛み合っていくような音だった。
「機械の方が、よっぽど嫌な予感がする」
言葉が終わるのとほぼ同時に、聖地の最上部で新しい光が灯った。
それまで閉じていた巨大な環状構造が、長い眠りから覚めるようにゆっくり動き始める。
周囲の祈りがさらに大きくなる。
技術者たちの声も同じだけ大きくなった。
セヴェルは動き出した構造物とカイを交互に見た。
その視線に、昨日までとは違う真剣さが混じっている。
カイは気づいたが、何も言わなかった。
今はまだ、誰にも答えがない。




